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染色体検査の結果から、赤ちゃんには何の問題もないことがわかりました🥲今後の妊活&妊娠に向けて、今回の原因となったかもしれないことを残しておこうと思います。(あくまでもわたし個人の見解であり、医師から言われたわけではありません!)[01]血糖値を気にしない食生活わたしはいわゆる「食べづわり」でした。空腹が気持ち悪くて1日に何食も食べ、高カロリーなものほどおいしく感じていて、好きな時に好きなだけ食べる食生活をしていました。例えば…ドリア、ハンバーグ、白米
東京までは約6時間。途中いつもより休憩を挟みながら行きました。いつもは交代運転も今回はもちろん旦那のみ。助手席でなるべく起きて話し相手をしていました。そして深夜1時過ぎにホテル到着。そのままベットで眠りにつきました。この時胎動はありました。7月9日(日)朝から支度してディズニーへ。近い宿だったので開園したくらいの時間にのんびり出ました。久々だったのでわくわくうきうきが止まらない私。事前に仕入れていた妊婦さんも利用可能なゲストアシスタントカードをキャストさんにいただき
3/26土日を挟んであらためて産院に行きました。(いつもなら受付で渡す母子手帳もこの日は提出することはなくて悲しかったな…)通院している産院で処置はできるけど、絨毛検査を希望するなら大きい病院を紹介すると言われていました。夫とは今回の流産の原因がわからなかったとしても、もしかしたら、わたしたち側に何らかの問題があるかもしれない。あるなら治療していきたいし、今後のことにもつながるので検査を希望する意見が一致していました。産院であらためてエコーをし、絨毛検査を希
あと少しで仕事が始まる。本当に、あっという間の8週間お休みがあって、とても助かった。NTが浮腫があると言われて不安になった1月から、NIPTという検査があると知った。羊水検査のほかにも種類はある。命の選択をしなきゃいけないと沢山話し合った。NIPTで陽性が出てダウン症の子供のインスタとか沢山見た。最近、身近なところで障害のある人を見かけるとそれだけで胸が締め付けられる。お腹の子が育っていて、もし出産していたらこんな風に一緒に出掛けてたのかな?とか。私は、子宮内胎児死亡で死
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。前回は、子宮内胎児死亡の原因説明を受けている所までを書きました。詳しくは↓先生からの説明の続きです。そして次は今後の出産方法についての話になりました。母体の安全を第一に考えるならやはり経膣分娩がいいとの事。私は、「もともと無痛分娩を希望していたくらいなのに、こんな気持ちでは陣痛に耐えられないと思う。出産が怖い」という不安な気持ちをエコーを終えた後すぐに先生に話していました。この病院では無
1週間で赤ちゃんの命の方向性を考えなければいけなくなった。私の気持ちは限界で、職場の上司に相談して1週間お休みをいただけることになった。良かった、これでこの子のことだけを考えて過ごすことができる...。母親として、女として、産む方向で進んだ方が気持ちは救われる。初めての子どもだから、他の子どもに大変な思いをさせることもない。胎児治療するなら東京の病院。孤独の入院となるけれど、そんなのは耐えられる。お腹に針を刺して、赤ちゃんの膀胱と羊水を繋ぐカテーテルを入れる手術も怖くない。で
********************************妊娠から死産までのざっとした経緯はこちらラミナリアの痛みを最大限排除した方法はこちら********************************(※コウノドリ第5話のネタバレがあるのでご注意下さい)子宮内胎児死亡を宣告されて、昨日の11月10日で2年7ヶ月が経ちました。「コウノドリ」がドラマにな
『2週間後にまた診察に来てください』と産科医に言われてからただひたすら不安を抱えて待つ時間が辛かった。私の心は限界で、もうこれ以上待てなかった。1週間後に、もっと早く診てもらえないか病院に相談の電話を入れた。病院は快く受け入れてくださって、電話した当日診てもらえることになった。コロナ禍以降家族の付き添いを禁止していたが、今回は特別に夫の同席も許可してくれた。『あれ!膀胱の腫れ小さくなってますね!一過性のものでしたね!』と言われることだけを祈りながら、夫と2人で病院
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。病院に向かった所まで書きました。詳しくは↓妊娠34週6日の話です。病院に着き、休日窓口で受付を済ませました。病棟ナースが迎えに来てくれるとの事で、待ち合いベンチに座って待ちました。その間、心の中は心配でソワソワしている自分と、大丈夫、大丈夫、心配し過ぎなだけだよねと思っている自分、両方の気持ちを感じながらお腹を撫でていました。看護師さんが迎えに来てくれました。病棟に向かう途中、私は
私自身に起きた、死産までの記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。絶対に諦めない強い心で、ピヨちゃんに声を送り続けていました。でも、心音の確認が取れず、エコーで診てもらうと、「心拍が確認できない」と告げられました。振り返り記録、前回の記事㉔全てが止まった夜。心拍停止(1)死産ま
3/28分娩室で朝を迎えました;;分娩室で朝食をとったあと、8時半くらいに診察があり土日は処置を行うことができず入院が長引いてしまうため、今日から処置を進めたいとのこと。出社直前の夫を病院に呼んでほしいといわれ、急きょ病院に来てもらいました。処置内容は…・子宮の入り口を広げる処置を3回に分けてすること・明日、陣痛促進剤を入れて分娩すること・経過が良ければ次の日退院できること主治医から説明をされて、わたしとしてはもう覚悟を決めていたし、土日モヤモヤする
3/29に出産し、5/24まで産後休暇期間をいただいています。約1か月たったのですが、わたしなりの過ごし方について残そうと思います📝個人的な考えですが、ネガティブまっしぐらになりたくない思いが強く、うつにならないように過ごしています・・!【退院後1週間まで】身体を回復することを意識して家でぐだぐだ、寝たいときに寝る生活をしていました!出血も続いていたし、腹痛も定期的にあったのでロキソニンのみつつ激しい運動などは控えて、安静に安静に過ごしていました☕
可愛い娘が誕生してからもちろん産声はなかった2019年9月9日21時34分❁︎娘誕生❁︎首を上げて必死に赤ちゃんを見た「可愛い…♡」まず第一声本当に可愛い赤ちゃん!そして可愛いと言った後にすかさず「おっきい…笑」とボソリ夫も姉も“頑張ったね”とか何とか声をかけてくれてたけどあまり記憶なし…笑出産の達成感と娘の姿を見るのに必死だったすぐに娘が別室へ連れて行かれ同時に、後処置があるので…と、夫と姉も部屋から出された連れて行かれる娘…廊下から夫の大きな泣き声が聞こえ、遠くな
この日は初めての妊婦健診である12週健診。『んじゃ、ちょっくら赤ちゃんの様子見に行ってみるわ〜!』と明るく夫に声をかけて家を出た。産科に着いて体重血圧測定、採血。病院の検査で初めてなんだかワクワクした。しばらくして超音波検査室に呼ばれる。今までは経腟エコーだったので恥ずかしさと痛みにじわじわ耐えてたけど今日から経腹エコーになるのでこれまたワクワクした。エコーを見ながら女性の先生が『あら、これは足ね。一生懸命動かしててかわいいね〜』と声をかけてくれる。そ
産まれました。忘れないうちにレポート。8時に膣剤挿入。9時過ぎまではかるーい鈍痛。この時はまだテレビを見ていました。9時半頃、だんだん痛みが強くなってきたかなーと思ったので自室へ戻りました。この時はまだ生理痛くらい。まだまだ余裕で耐えられるくらい。10時頃にはもう完全に陣痛だなってのがわかりました。キューっと締め付けられる、お腹がカチカチになる痛み。助産師さんと話してて、まだ笑いながら話せるくらいなら大丈夫だからこれからだね、と。定期的に痛みが来るか計ってみて。痛みが強
一睡も出来ず朝になった。とりあえず母にもう一度電話しないと、と2階に上がって電話をかけた。赤ちゃん死んじゃった…と泣きながら伝えた。母がものすごく楽しみにしていることを知っているから、つらかった。2回の化学流産・稽留流産のことも知っていて、その度にがっかりさせてきたから、今度こそ喜ばせてあげられると思ってたのに、今回が1番ダメージを与える結果になってしまったと思った。一階に行くと夫が起きていて、ゴミ捨てに行ってくれてた。夫の顔を見て涙が溢れた。2人で抱き合って声を出して泣いた。夫がこんなに泣
タクシーを呼んで、病院に向かう。LINEで夫にも病院に向かっていることを伝えた。俺も仕事終わったから病院に行くねと言ってくれた。怖いよーとLINEすると、「絶対大丈夫。〇〇は元気!」と返ってきて、この時の夫の気持ちを想像するだけで涙が出る。病院の裏口から入る。助産師さんが優しく迎えてくれた。「胎動はどうですか?今も感じない?」と聞かれて、「はい。心配しすぎだといいんですけど…」とまだ最悪の事態を想像せずにいた。いつもとは違う2階の部屋に通されて、お腹の上からエコーをされる。助産師さんは
妊娠に初めて気づいたのは、生理が来なくなって一週間後。結婚してからの3年間で何回か生理が遅れることはあったし、まあ今回も妊娠してないだろうなーなんて思って自分で検査薬を使ったらまさかの陽性、、、!!夫に伝えるとすごく喜んでいた。私は初めての妊娠ということもあり、驚きと嬉しさが混じった感情だった。その後産科で診てもらい、無事にすぐ胎嚢確認。しかし、赤ちゃんの成長が遅いのか、排卵日が遅れたのか、生理周期がずれていたのか原因は分からないけれど、なかなか心拍確認まで週数
死産後はなんとか耐えていたのですが、今回の流産後、さすがに苦しくて少しでも楽になりたくて心療内科を予約しました。夫以外に定期的に吐き出せる場所を作ったり、少し薬で楽になれたりすれば…と考えていました。先週初診に行った時に、「あなたは重度の鬱状態なので、不妊治療なんてとてもできる状態じゃない。一旦不妊治療は中止して、半年くらい抗うつ剤を使って心の治療をしましょう」と言われました。話はよく聞いてくれる女性の先生でしたが、私の本心は、不妊治療を禁止されることが、1番心が追い詰められるんだよ
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。「子宮内胎児死亡」を告げられ、人工誘発分娩の処置に入りました。陣痛らしき痛みが来たので、分娩室へ移動しました。振り返り記録、前回の記事㉚分娩室へ死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆
7月10日(月)この日の朝はゆっくり起きて早速旦那に昨日の夢の話をしました。私にとっては初めて夢に赤ちゃんが出てきてくれて嬉しい夢だったのです。体冷えたこととかは全く気にしていませんでした。旦那も『へ〜よかったねぇ。目どっち似?笑』私がしっかり二重で旦那はしっかり一重なので目をすごく気にしていたんです。『夢の赤ちゃんはぱっちり二重だったよ〜!優しい目をしてめちゃ可愛かったー❤︎』なんて話をして。その時に毎朝の恒例で『おはよう〜朝だよ〜❤︎』と話しかけても今朝も動
こんばんは今回は死産後、産休中の過ごし方についてお伝えしますこの記事の続きになります↓↓『[死産]火葬の日』こんにちは3月も後半ですね♪私は春の匂いが好きですふわっと香りがしてあー春だな〜♡と感じられた瞬間がなんか好きです(伝わります??笑)ブログを始めてもうすぐ2…ameblo.jp産後休暇突然ですが皆さんは労働基準法に「妊娠4か月以降に流産・死産した女性労働者を、原則8週間就業させてはいけない」という法律があるのをご存知ですか?二度の初期流産をした時は流産後
33週6日のこの日の朝も、胎動は元気だった。これまでの健診では、母子ともに順調で、むしろ常に平均より大きめな息子だった。先生からは、100人中背の順で70番目くらいかな〜と言われていた。朝起きて、リビングのマットを赤ちゃんが産まれる前に洗いたいなーと持ち上げようとしたが重すぎたので、今度の休みに夫に頼もうと思って辞めた。しばらく使ってなかったトートバッグを、赤ちゃん産まれたら使うかな?と思って手洗いした。この時は胎動があったような気がする。その後、外に出てお花たちの手入れをした。仕事が休
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。「子宮内胎児死亡」を告げられ、人工誘発分娩によりピヨちゃんが産まれました。痛みも苦しみもほとんど無い、安産でした。振り返り記録、前回の記事㉜天使の出産死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。前回は、家族への電話後、すぐにみんなが駆けつけてくれた所までを書きました。詳しくは↓妊娠34週6日の話です。前回、書き忘れましたが旦那が到着後、先生は再度エコーをして心拍が確認出来ないことを旦那に説明してくれました。旦那はエコー画面を見ても「本当にもう(心臓)動いてないんですか?」と聞いていて、受け入れられないようでした。先生は旦那の気持ちに寄り添い、色々な角度、心拍の画面に切り替えたり
昨日は死産後1ヶ月健診でした。あの病院に行くのはものすごく気が重かったけれど、決して悲しいだけの思い出ではない病院。健診で4Dエコーで息子に会えるのを楽しみに通っていた病院。幸せな思い出もある。だから行かなくちゃ!と気持ちを奮い立たせて行ってきた。配慮してくれて、外来のない日曜日にしてくれたんだけど、この日に退院するご家族とたくさんすれ違いました玄関で写真撮影するご家族…裏口から棺を持って泣きながら退院した私たちと違いすぎて眩しかったいつか私も向こう側に行けるだろうか…健診の内容は…悪
私自身に起きた、死産までの記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。「羊水過少(慢性早剥羊水過少症候群:CAOS)」「成長の遅延」「脳室拡大」を診断され、流産・死産を宣告されました。でもピヨちゃんの命を信じ、絶対に諦めない強い心で声を送り続けました。振り返り記録、前回の記事㉓ピヨちゃん
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。前回からの続きです。詳しくは↓妊娠34週5日、夜の話です。トイレに行った時、オリモノが出ていました。破水のようでもなく、尿漏れでもない。普段は出ていなかったオリモノ・・・。何か嫌な予感がしました。ここでやっと「ちょっと横になるわ〜」と旦那と姉に話し、胎動を改めて意識することにしました。どれくらい時間がたっていたのでしょう。お腹に意識を向けても何か胎動がいつもと違う。いつもより胎動が少な
以前あげた記事。ちょいちょい更新していました。以前は『死産までの振り返り』というタイトルでしたが、『ピヨちゃんと歩んだ道』に変えました。また、死産後の経過については別記事にまとめる事にしました。死産までの振り返り記録を綴っておりますが、結構細かく書いているので読みづらい(飽きる?)かと思います。何か情報を求めてたどり着いた方もいるかと思うのでここに完結にまとめます。また、自分の備忘録としても書いているので、
今日でちょうど死産から1ヶ月です。子宮内胎児死亡を告知され入院した日は、雲ひとつない青空でした。退院日と火葬の日は、しとしと雨でした。ですが、死産の日の天気はいくら考えても思い出せません。個室でカーテンの開け閉めは自由にできたはずなのに。経緯をブログに綴ってきてだいぶ落ち着いたと思ってはいますがまだ記憶に蓋をしている部分があるのかもしれない。それか、死産の日は天気どころじゃなかったのかもしれない。赤ちゃんが生まれた日の天気、覚えておきたかったなぁ。(長女のときは快晴でし