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2回目妊娠で14週の時に子宮内胎児死亡になった時、子宮内胎児死亡が確認されてから分娩日までの話です。子宮内胎児死亡が確認されたのは、16週3日目の健診でした。確認された胎児の大きさ的に、心臓が止まったのは14週初め頃。確かに14週頃から、胸の張りが急に無くなってつわりも軽くなったように感じました。そしてその後2週間、お腹が全然大きくならないのに少し疑問は感じていました。けれど頭で認識していたのはこれくらいで、まさか赤ちゃんが死んでいるなんて全く思っていませんでした。ただ実は14週頃か
2回目妊娠で14週の時に子宮内胎児死亡になった時、妊娠経過の話です。不安をふりはらって妊活を始めた矢先、3ヶ月くらいで妊娠できました。妊娠検査薬で陽性が出た時、思ったより早く妊娠できた喜びと、また妊娠高血圧腎症になってハラハラの妊婦生活再びなんじゃないかという不安と、入り混じった気持ちでした。この時、私たち家族は別の地方都市へ引越していたので、1回目妊娠でお世話になった産院とは別のところを探さざるをえず。自分と赤ちゃんの命を預ける産院なので重要な決断でしたが、引越してまだ1年も経っていな
1回目妊娠で重症の妊娠高血圧腎症となり、緊急帝王切開で低出生体重児の娘を出産しました。36週2日目、医師がこれ以上妊娠継続するのは赤ちゃんにとっても私にとっても危険と判断したわけで、その状況の中で私もハラハラドキドキした管理入院の日々を送りました。退院後もなかなか血圧が下がらず、ネットで調べてみると、そのまま慢性高血圧になってしまう人もいると書いてあり…退院後も毎日血圧を測っては一喜一憂する日々…3ヶ月くらいしてようやく血圧が正常値になりましたが、その後今に至るまで、相当の血圧測定恐怖性に
プロフィール欄に書いていますが、お子さんを亡くした経験のない方・天使ママさんではない方・天使ママさんのご家族ではない方に読んでもらいたいとはひとつも思っておりませんので読むのをご遠慮下さい。⚝⋆︎*皆さんどうしてらっしゃいますかー?👼私今日、失業手当をもらうための初回説明会に行ってきました。2年前からフルタイムで働き始めたのですが、任期が今年の6月で満了したのでハローワークに行って手続きしたんです。その後日に行われる説明会が今日でした。そこで話を聞い
少し話が遡り妊娠11週目の時のことです夜中子供達が寝て、私もそのまま寝ようかと少し体制を変えた時ジョロと何か出たのを感じました(えっ?尿漏れ?にしては量がそれなりに、、、まさか破水?)ちょうどその時夫も寝室に来たので、タオルをお願いし持ってきてもらい、ふいてみると鮮血でしたまた少し体制を変えるとジョロリドロッとしてるというよりサラサラした水のような感覚とにかく結構な量でなんとかタオルで押さえ立ち上がると下にポタポタ夜用ナプキンなんとかつけてこの量はまずい、もしかしてこのま
お久しぶりです。2年ぶりになってしまいました本日、ナオの9歳の誕生日です昨年、8歳の誕生日の投稿をするつもりでしたが、誕生日の数日前、夫が骨折しまして…三男も負傷し、通院、介護、手術などなど…色々対応に追われていました気付いたら9月になり、投稿しそびれ…下書きは残ってるんですが…。そんなバタバタな感じでしたが、それでも8歳の誕生日当日は、ケーキを食べてささやかにお祝いできました1年越しだけど、去年ちゃんとお祝いしたけど、一応ここにも残しておこう!ナオ、8歳の誕生日
プロフィール欄に書いていますが、お子さんを亡くした経験のない方・天使ママさんではない方・天使ママさんのご家族ではない方に読んでもらいたいとはひとつも思っておりませんので読むのをご遠慮下さい。⚝⋆︎*うちの子、6歳になりました🎂りゅうたまおめでとう☺️🍰大きくなったね✨お空はどうですか?もうお空にいないのかな?今は何してるのかな?ママが死ぬ時に会えたら良いな😌最近ブログでは、りゅうたんやりゅうたま呼びになってます🤭⭐6歳ってスゴいですね。6年経ったっ
死産後、赤ちゃんのいない産後休暇を過ごす中もうどうしようもないことなのに相変わらずネットの色々な情報を読み漁っていた。「グリーフケア」や「周産期喪失」「ペリネイタルロス🟰公認されない悲嘆」という今まで見慣れないワードもよく見かけた。そんな中、地域の育児情報誌に載っていたコラム欄に目が止まった。周産期のこころのこと「流産・死産について考える『喪失』『悲嘆』『喪』とは?」まさに自分が最近経験したことが書かれてる当事者であり、この経験を全く客
死産後4か月検診の少し前、悪露は相変わらず続いていたが、生理が戻ってきた。経血量が多い日が終わったある日。シャワーを浴びていると、大きめの塊が出てきた。生理時にあるいわゆるレバー状の塊かと思って指で押し潰してみるも、潰れないなんだか不気味。。。何度やっても潰れない弾力のある肉片のような血の塊?なんとなく胎盤とか?って思い、一旦ジップロックに保管した。翌日、婦人科に電話で経緯を説明し、診察してもらうべきか相談した。「次の診察で大丈夫ですよ。もしひど
時系列がずれてしまいましたが、産後1か月後の月命日の記録ですーーーーーーーーーーーーーーーーーーーークリスマスイブから1か月経った初めての月命日。カレンダーに書いていて数日前からなんだかソワソワもう1か月なのか。まだ1か月なのか。いきなり心拍確認ができなくなってしまった日から怒涛の展開が続き、ショックが大きくてあんまり覚えてない。月命日の日はだいすきなお花屋さんで可愛いお花を買ってきた特別なことはできなかったけど、家族みんなで「お
仕事も復帰して、少しずつ日常生活に慣れてきた。けど、悪露がやっぱり終わらない私の身体はどーなっちゃってるの💦ネットで検索魔になっても、一般的にはとっくに止まってるはずだし、胎盤とか妊娠組織が残ってたら発熱とか腹痛って書いてある。子宮の戻りはOKで、痛くも痒くもないけど、オロだけ終わりきらん。産後すぐたくさん動いちゃったから?分娩の時に、一回で胎盤取りきれなかったから?分からん死産後約3か月目、再び病院へ。また前回と違う医師の診
死産後約2か月。相変わらず止まりきらない悪露。再度、病院でエコーで確認してもらう。ネット検索したら一般的にはもう少し早く終わるって声が多いし、もし何か残存物がある可能性もあるのか?なかなか終わらない悪露に不安が募っていた。総合病院のため複数人医師がおり、今回は違う医師だった。「もう少ししたら止まると思うのでまた来月念のため見せてください。・・・またー?!ちょうど、産後休暇が間も無く終わるタイミングだったので病院もスッキリ終
死産後約1ヶ月後、産婦人科で検診があった。正確には、総合病院のため産婦人科ではなく婦人科外来で検診。普通の産後なら産婦人科で赤ちゃんの発育も一緒にみてもらって大変だけど嬉しい検診のはずなのに。いちいち引っかかってしまう。病院に入った時から、なんだか辛くて産婦人科外来の妊婦さんを横目に婦人科の待合室へ。羨ましい、悔しい、つらい。いろんな気持ちが入り混じっていた。自分の中で、今日の検診でOKをもらえて病院を卒業できたら少し前を向けるような気がし
赤ちゃんに会いたい。お腹の中に戻ってきてほしい。もう一度、妊婦さんになりたい。元気に産まれてきて欲しかった。赤ちゃんが伝えてくれたことは何だったのかな。私たちが育てられるのは2人が限界?今いる子どもたちをより大切に思うことを気づかせてくれた?もちろん2人をいろんなところに連れていってあげたい。たくさんの笑顔が見たい。寄り添ってあげたい。けど、赤ちゃんにもまた会いたいなぁと思う。ーーーーーーーーーーーーーーーーー
納骨について身近にお墓もないし、まだ近くにいてほしいなと思い一旦は自宅で手元供養をすることに決めた。とはいえ、部屋も狭く子どもたちのおもちゃで毎日ぐちゃぐちゃに散らかっているため置き場所問題で仏壇は却下。小さなスペースに飾ろうを決めたものの、なかなか場所が決まらなかった。☑️子どもたちにも存在を知ってほしい。☑️すぐ手が届き触って壊されてしまうのも心配。☑️リビングのみんなが毎日いる部屋に置きたい。☑️(あまり来客はないけど)誰か来た時に、気を遣わ
あっという間にみんなの年末年始のお休みが終わった。旦那は仕事、子どもたちは保育園と日常生活へと戻っていった。私は一人になった。妊娠12週以降の死産のため、8週間の産後休暇を取得できる。まさか産休というものを、産前産後ではなく産後休暇だけ取得することになるなんて思いもしなかった。赤ちゃんがいるときは仕事をしながら、「産休まであと5ヶ月・・・」とかカウントダウンしていたのにな会社へ産後休暇取得の申請をした。「2月の中旬までか。」本当なら赤ちゃんの
火葬後、帰宅後からあっという間に日常がそこにはあった。「悲しいことがあった」と子どもたちもなんとなく認識はしているが、ちょうど保育園も旦那も年末年始のお休みになったため毎日家族で一緒にいた。実家への帰省はせず、その代わり入院中から交代で両親が手伝いにきてくれた。とはいえ、赤ちゃんのお世話があるわけではないので年内の短期間だけ来てくれた。子どもたちの気持ちを満たすため、そして、自分の気持ちを紛らわすため、公園、動物園、雪遊び、出初式と毎日フル回転で活動した
世間は年の瀬の年内最後の土曜日。火葬場の予約は朝10時だった。ネットには朝イチじゃないとお骨が残らないとかいろいろな声があったけど、午前中の空いてる時間で予約させてもらった。葬儀屋さんとかは関係なく、火葬については自分たちで直接問い合わせるように言われ、一番近い市営の斎場を選んだ。子どもたちを赤ちゃんと会わせるかギリギリまで悩んだけど、押し付けるではなく本人の意思に任せることにした。「赤ちゃんに会いたい?想像してたり、あなたたちが知って
午前中に旦那が病院に迎えにきてくれた。市役所から受け取った火葬許可証と引き換えに、赤ちゃんを連れて帰ることができる。入院したフロアは配慮してもらって出産後の人とは反対側の部屋にしてもらったが、入院中の診察室や分娩室は同じ。幸い、赤ちゃんの声を聞くことはほぼなかったが、退院時、気を遣ってくれて裏口につながるエレベーターを案内されてEVホールで待っている時にしっかり産まれた赤ちゃんの産声が聞こえた。私の赤ちゃんも元気に産声をあげて、退院したかった
医師の退院診察もオッケーで翌日、退院することになった。赤ちゃんに病室でたくさん会わせてもらい、助産師さんにたくさんお話を聞いてもらった。入院中、枯れちゃうくらいたくさん泣いた。旦那と面会中に、助産師さんからグリーフケアの話があった。死産した後の心の変化と暮らしについて。☑️悲しみが深まる時期がおとずれること☑️特に最初の1年間は辛い時期☑️誕生月や思い出の日が近づくにつれ悲しみが募る☑️夫婦で悲しみの表現が違うかもしれないこ
病院からも「赤ちゃんのために出来ること」という案内をいただいた。自分なりにも調べて、限られた短いお別れまでの時間にできることは全部やりたい、後悔したくない。☑️お名前をつける。胎児ネームではなくしっかり漢字も決めた。☑️臍の緒もらった。本当に細い線みたいだった。☑️手のひらで抱っこ☑️お風呂に入れる。最後の日までオイルぬりぬり。☑️たくさん写真を撮った。小道具も出動。☑️母子手帳に記入。いろんな気持ちや経過の詳細も想い出になることを
悲しいお産から一夜明けた。雲ひとつない晴天。凍てつく空気だけど、とても爽やかな空だった。赤ちゃんが「行ってきます」とこの瞬間にお空に帰って行った気がした。朝ごはんが終わって看護師さんから「赤ちゃんにいつでも会いますか?」と声をかけられた。一瞬ドキッとした。会いたいけど、こわい。けど、会わなきゃ。ちゃんと現実と向き合わなきゃ。病室に白い布で包まれた小さな棺を持ってきてくれた。何となく想像していたけど、その光景に胸がギュッとなって辛い。
18:00バルーン挿入から1時間半経過した頃から、何だかお腹が痛くなってきた。。。生理痛のような、、、何だろう。とりあえず痛かったらお薬出すねと言われていたので、ロキソニンをいただく。全く効く気配なく、どんどん痛みが強くなってきて、、、思い出した一人目出産の時の陣痛の痛みと同じやんっナースコールで看護師さんに申告するも、「まだバルーンが抜けてこないから、今は何もできないね〜」そんなっ・・・これはいつまで耐えればいいのー!!痛い痛い痛い・・・・ふぅ
入院2日目。9:30朝からラミナリア入替え。怖いこわいこわい・・・昨日入れた分をまず抜いて、2本挿入。やっぱり痛くて、思わず声が出る。しかも内診台で少し頭が下がり気味だったからか、処置後、内診台から下りるとくら〜っと世界が回った。血圧が下がって貧血を起こした。看護師さんに車椅子でお部屋まで連れて行ってもらいしばらく安静。気づけば寝ちゃってたそのまま大きな変化ないまま、夕方まで。ネットで調べた”赤ちゃんとのお別れ”のためにやりたいことの準備を黙々と
日曜日を家族で過ごし、夜は子どもたちと離れ離れは嫌だ嫌だと大泣きし、月曜日いよいよ入院の日がやってきた。涙目の子どもたちを保育園へ送り、午後からの入院のため荷物を準備💦ゆっくり感傷に浸る暇もなく、あっという間に時間に。旦那と一緒に病院へ。入院手続き後病棟フロアまで送ってもらいお別れ。泣きそうな気持ちを堪えながら病室に案内された。辛いお産のため、個室を希望していた。これからどんなことが起こるのか緊張と不安でいっぱいだった。一通りの検査や説明を受け
この時点で5歳、3歳の子どもたち。下の子はぼんやりだけど、上の子は赤ちゃんを楽しみにしてくれていた。その分伝えることは辛いけど、伝えなきゃ。「赤ちゃんはお腹の中で死んじゃったんだ。」「赤ちゃんはこれ以上大きくなることができなくなっちゃった。」「お空に帰っちゃうんだよ。」どこまでしっかり理解できたかは分からないけど、「ママは赤ちゃんがいなくなっちゃって、とても悲しい」という私の気持ちも泣きながら伝えた。上の子は頭よしよしして、ぎゅってしてく
翌日、夫婦で病院を受診した。再度、腹部エコーで赤ちゃんを確認。一昨日より落ち着いた気持ちでエコーをぼんやり見つめた。ぷかぷか〜って浮いてるように見えてたのは、本当にダメになっちゃったんだなぁって。ピコピコ動く心臓を探したけど、何かの間違いでした!は起きなかった。お別れする時期は先延ばしせずに、早いタイミングでと伝え翌週から入院することが決まった。第二子を帝王切開で出産しているため、ゆっくり子宮口を開いていく方が良いとのことから時間をかけて処置をす
、、、翌日、通常勤務しました急遽、しばらくお休みになるから抱えてる仕事をシフトするために必死だった。産休に向けてゆっくり仕事をシフトしていく予定だったので、メンバーには一気に迷惑をかけてしまうことになり心が痛んだ。今思い返しても、休めばよかったのに〜って思うけど、現実と認めたくない気持ちでふわふわしていた。ただ、前日から「妊娠14週子宮内胎児死亡」「後期流産」とかのワードで検索魔になって、泣きすぎとショックと合わさって睡眠不足。きっと
突然の宣告を受けて、信じれない気持ちがいっぱいになった。と同時にどこか冷静にどうしたらいいのか考えている自分もいた。まず、病院の帰り道に歩きながら母親に電話をした。言葉にするとやっぱり泣けてきた。つらい。帰宅すると、旦那が在宅で仕事をしていた。顔を見るなり、何か張り詰めていたものがプツンと切れた。声をあげて号泣した。早く伝えたいけど言葉にならない、涙が止まらなかった。どうしたんやって心配しながら抱きしめてくれた。どれくらい泣い
仕事と子どもたちの体調不良の看病に追われて、2週間はあっという間に経った。前回の診察を思うと怖いけど、、、今更どうにもできない「運命」だと思うしかないって自分に言い聞かせて妊婦健診のため病院へ向かった。前回と同様のドクター診察。腹部エコーを当てると、しばらく沈黙。なんか赤ちゃんぷかぷか〜って浮いてるみたいでいつもとなんか違うなって思いながら見ていた。「残念ですが、赤ちゃんの心臓が止まってしまっています。」一瞬、何て言われたか分からなかった。