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19w2dの検診がたしか水曜日。赤ちゃんは問題ないから2週間後に〜って言われた日です。金曜日(19w4d)ポコポコとはっきりした胎動を感じることができ愛おしさが湧いてきました。仕事中も家でソファに座っているときも、寝るときもポコポコ(*^_^*)元気な子だな~ママの不安を安心させてくれる子だな~パパはまだお腹を触っても胎動はわからない様子でした。(当たり前)土曜日(19w5d)気づいた時から胎動を感じませんでした。でもまだ胎動を感じ始めたばかり。
プロフィール欄に書いていますが、お子さんを亡くした経験のない方・天使ママさんではない方・天使ママさんのご家族ではない方に読んでもらいたいとはひとつも思っておりませんので読むのをご遠慮下さい。⚝⋆︎*フと「アレ?もしかして?」と思って、カレンダーを振り返ってみると今年の5月は6年前の5月と同じ曜日まわり。なんてこと。気持ちが重くなる。6年前の5月は、りゅうがお空に帰り、私の体から生まれてきてくれた月。11週に首の後ろにむくみがあることが見つかり、そ
次の週に県立の病院へ通院しました。このとき18wでした。1人目の死産の数週を越えており、お腹もしっかり出てきていました。県立の病院=ハイリスクのイメージがありましたが、しっかり診てくれるとのことで安心感はありました。ここでは約1時間ほどエコーをしてもらいへその緒以外にも脳や臓器など精密な検査をしていただきました。へその緒は、臍帯ヘルニアの可能性は低い(安心した)可能性としては、やはり尿膜管遺残かな・・・と尿膜管遺残にかんしては、産まれた後に治療
分娩先の総合病院で詳しく診てもらってと言われたため、すぐに電話して予約を入れました。電話の3日後くらいに診てもらえることになりました。大丈夫大丈夫のう胞は少しくらい小さくなっているかもセミオープン先のエコーは見づらかったけど、総合病院では大丈夫って言ってもらえるはず自己暗示じゃないけど、総合病院の受診まで繰り返し思っていました。先生は、エコー前にセミオープン先の紹介状と連絡ノートを見つつ「何かがのう胞っぽく見えちゃっただけだと思うけど…診てみま
:::::::::::::::::天使ママ(死産経験者)のブログです。閲覧は自己責任でお願いいたします。はじめての方はこちらの記事をご覧ください。:::::::::::::::::こんにちは。また1年ぶりの記事です。レイちゃんは8歳になりました。あなたがお腹にやってきてもう8年。レイに生きて会うことは叶わなかったけど、その後二人の弟が生まれてきてくれました。とある研究で、流産、死産した赤ちゃんは細胞となってお母さんの中に残り続けると言うのを見ました。27年以上
あっという間に出産から3週間・・思い出しながらブログを書いていこうと思います。妊娠初期にかんしては、順調そのものでした。不妊治療クリニックでは胎児の大きさも心拍問題なく、転院先の総合病院では元気に動く小さな小さな我が子を見れて、先生から「ダンシングベイビーだね」なんて言われていました。1度目の妊娠では夫に動いているわが子を見せてあげることができませんでした。はじめて付き添ってもらった検診で心拍が止まっていたから・・・。だから今回は、なるべく検診
お久しぶりです。もうこのブログを更新しないつもりでしたが先日待望の第二子を20wで死産しました。2024年3月に第一子を16wで死産(後期流産)し、生きているわが子に会いたいとの一心で妊活をがんばり、やっと妊娠できたと思ったらまた産声を聞くことができませんでした。今は2度目の育児のない産後休暇を過ごしています。毎日家にいてもなにもすることもないしお産時の出血が多くて貧血と診断され、落ち着くまでは長時間のお散歩もできないのでブログを更新していこうと
長いですねあと少しだけ続きます『4子、お空へ』怒涛の1ヶ月でしたまず先にお話すると、お腹の赤ちゃんは3月6日、15週4日でお空に帰りました※死産の内容があるので、妊娠中の方など色々と思わせてしまったらご…ameblo.jp『4子、お空へ②』続きです🌷『4子、お空へ』怒涛の1ヶ月でしたまず先にお話すると、お腹の赤ちゃんは3月6日、15週4日でお空に帰りました※死産の内容があるので、妊娠中の方な…ameblo.jp『4子、お空へ③』続きです🌷長いですね読んでいただける方はお付
福岡で喪失で起こる悲しみ、つらさ、苦しみ等から自分や人との繋がりの問題を扱っているグリーフ専門士の前田ひとみです。さて先日の死産という別れからの続きのブログとなります。今回は死産という別れを経験し死産という喪失からわたしが見つけたものについて書いていきます。わたしは死産を経験し、息子を失いました。そしてもうひとつ、自分自身も失いました。そして周りの人を失い自分への信頼も自分への愛情も
先日体調が良い日にカフェに行きました。となりの席に赤ちゃんを連れたママさんがやってきて赤ちゃんご機嫌さんだったのに急にギャン泣きし出して💦最近では、エンジェルサウンズや健診でなっちゃんのことを身近に感じられるからなのか赤ちゃんを見たりすることは以前より平気なんです。でも赤ちゃんの泣き声だけは今もだめなんです…自然に呼吸がしにくくなるというか深呼吸をしないと苦しくなってしまうんです。思わず耳を塞いでしまいたくなるんです。あの子を産んだとき癒着胎盤や大量出血だったりで当初4日
福岡で喪失で起こる悲しみ、つらさ、苦しみ等から自分や人との繋がりの問題を扱っているグリーフ専門士の前田ひとみです。今回のブログは。。。ええ!?忘れた頃にまたやって来るの!?まだ映画を観た感想をシガみまくるの!?なーんて言わないで!ほどなく、終わります。。。(だから使い方チガウ)自身が経験してから初めて感じたのですが死産の経験は青天の霹靂的に起こるので突然のことに圧倒されてしまったという事に加えて
夫に相談しました。普段は、私の意見を聞いてから同意してくれる夫。でも仕事の話をした瞬間、第一声が「続けるの?」でした。夫は結婚当初から夜勤に反対していました。私が押し切って続けていた仕事。私が「辞めようかな」と言ったら、「辞めよう」即答でした。その迷いのなさに、少し救われました。翌日、上司に辞めたいと伝えました。肯定も否定もされず、「部長と話してほしい」と。部長とも話をしました。「大変だったもんね。頑張ったね。」その言葉に、少しうるっとしました。でも、辞めたい
夫にも、これからどうしたいか聞きました。「もちろん赤ちゃんが来てくれたら嬉しい。でも、君の心と体が心配。」そう言われました。私がいいなら、また第二子に向けて準備しよう、と。その言葉で、覚悟が決まりました。そうとなれば、準備しよう。娘の骨壷を愛でて、お花を替えて、やる気があれば家事をする生活。娘たちのお花。枯れたり買い忘れたりする心配がなく、おすすめです時間は、たっぷりあります。早速、葉酸サプリを買いました。残っていた排卵検査薬も引っ張り出しました。妊活のことを考えて
その日、医師から改めて説明を受けました。娘が亡くなった理由について。・転院した時点で、心機能は限界だったこと・徐脈や心機能低下の原因は、解剖をしていないため詳しくは分からないこと・出産後、手足に特徴的な所見があったこと(指が曲がっている、揺り椅子足底、内反足)・羊水検査では染色体異常はなかったが、遺伝子異常の可能性は否定できないこと・心臓が原因と思われるが、明確な結論は出せないことはっきりとした答えはありませんでした。それが正直、少し苦しかった。でも同時に、「私のせい」と
特に何の変化もないまま、1ヶ月検診を迎えました。何もできなかった私ですが、この2週間でひとつだけ変わったことがあります。近所のスーパーなら、ひとりで行けるようになりました。毎日のように泣いてはいます。でも、買い物をしている時間や、家事をしている時間だけは、娘のことを考えずに過ごせる瞬間がありました。忘れたわけじゃない。ただ、“考えない時間”が少しだけできただけ。それだけでも、私にとっては大きな変化でした。1ヶ月検診で、2週間ぶりの病院。前回と同じように受付を済ませ、産
何もしない日々は、長いのにあっという間に過ぎていきました。迎えた2週間検診の日。久しぶりの外出。もちろん娘の骨壺も一緒です。その日も、よく晴れていました。娘を抱いて退院した日と、そっくりの天気。病院に着いただけで、涙が溢れました。受付を済ませて産婦人科へ向かうと、待合室には妊婦さん。仕方ないこと。当たり前のこと、でも、すごくきつかったです。反射的に目線を外します。何人もいるから、どこを見ればいいのかわからない。一番奥の端の席に座って、下を向いて、小さくなって、涙
その日から、私は何かの抜け殻のようになりました。見たくもないテレビをただ流して、お腹が空いたら何かを口に入れて、眠くなったら横になる。それだけでした。娘の骨壺を、いつも横に置いていました。話しかけては泣いて、どうして生きて産んであげられなかったんだろうと自分を責めて、「あのときああしていれば」と後悔して、もう一度娘に会いたいと願って。その気持ちがぐるぐる巡っているうちに、気づけば一日が終わっていました。時間は長いのに、振り返るとあっという間。生きているというより、
朝1番の静かな火葬場には穏やかな時間が流れていました。人もいなくて、夫と二人で空を眺めました。雲ひとつない、よく晴れた空。娘は迷わずお空へ行けているかな。これだけ晴れているから、きっと迷わないよね。そんなことを考えていました。30分ほどで呼ばれました。「もうすぐ終わります」と。それから10分ほどして、再び焼き場へ。無機質な部屋に、娘が乗った台が置かれています。その上に、娘は、しっかり骨を残してくれていました。頭の骨、足の骨。説明を受けながら、ひとつひとつ骨壺
火葬場に到着しました。朝一番で、駐車場には私たちの車だけ。静かな場所でした。もう一度、娘にありがとうを伝えて、夫と二人で棺をぎゅっと抱きしめました。「暗くなるね」そう言って、蓋を閉めました。受付で名前を伝え、料金を支払い、骨拾いをするかどうか聞かれました。「骨が残れば、拾いたいです」そう伝えると、「保証はできませんが、できるだけ残るように調整します」と言ってくれました。その言葉が、どれだけありがたかったか。すぐに焼き場へ案内されました。棺を台に乗せ、蓋を開け
娘も、出発の準備をします。保冷剤も、シートもなく、お布団にそのまま寝かせました。お布団いっぱいにお花を敷き詰めて、折り紙を置いて、お揃いの小さな人形も入れました。最後に、お手紙をそっと置きました。あっという間に準備が完了してしまいました。今日は、よく晴れた日。蓋は閉めずに、太陽を浴びながら出発しました。冷たかった娘。外の暑さとの温度差で、額に細かい水滴がついていました。拭こうと思って触れたら、その水滴が目尻へ流れていきました。まるで、涙を流しているようでした。「
ほとんど眠れないまま、朝を迎えました。今日は、娘とお別れをする日です。火葬は朝一番。8時前には家を出なければいけません。残された時間は、ほんのわずかでした。朝ごはんを食べる時間すら惜しくて、ただただ、今、目の前にいる娘を目に焼き付けたくて。撫でて、抱っこして、写真を撮って。落ち着かず、そわそわしながら過ごしました。腐敗が怖くて、ずっと保冷剤でキンキンにしていた娘。抱っこするときも、保冷剤と一緒でした。でも、もう気にしなくていい。シートを一枚敷いて、そのまま、ありの
娘はずっと、そばで笑いかけてくれていました。「私は大丈夫。ママも元気で、笑っていてね」そんなふうに言ってくれている気がしました。私がそばにいて欲しいとどんなに願っても、明日、娘は空へ昇ります。次に会えるのは、私がお空に行く時。寂しくて、悲しくて、悔しくて。棺を抱きしめながら、涙が止まりませんでした。その夜、夫はケーキと便箋と花束を買って帰ってきました。「3人で過ごす最後の夜だから、楽しい思い出にしよう」ケーキを食べながら、妊娠中の話をしました。辛いことも多かったけれ
病院からの帰り道で買ってきた折り紙を開けます。折り紙を折るのは、高校生の時に千羽鶴を折って以来。なんとなく覚えていた鶴を折ってみるも失敗。これではいかん、とネットで調べて、下手くそながら色々作りました。お空まで寂しくないように鳥をたくさん。雲を上手に渡れるように虹を。お空の世界で困らないように、洋服やお家も。娘のお空での生活を想像しながら、ひとつひとつ折りました。折り紙に集中していると、時間があっという間に過ぎました。とてもありがたい時間でした。娘のそばを片時も離れず、2人
翌日、夫は久しぶりに仕事へ行きました。娘が亡くなってから、ほとんどずっと一緒にいたので、寂しいけれど、仕方ありません。私が寂しがると思ったのか、夫は“宿題”を出してから出勤しました。・火葬までに間に合う骨壷を注文すること・朝昼しっかり食べること・折り紙で棺の中を華やかにすること朝ごはんを食べ、骨壷を探します。ネットを見ると、案外たくさん種類があって驚きました。その中から、即日発送してくれるもの。そして、棺と同じ桐でできたものを選びました。サイズもかなり悩みました。口コミを
帰り道に役所へ寄りました。翌日から夫は仕事に戻るため、死産届を提出します。火葬許可証を受け取り、電話で火葬の予約もしました。明明後日の朝一番。火葬場の方から、「朝一番のほうが、お骨が残る可能性が高いですよ」と勧められ、その時間に決めました。私にとって久しぶりのお家。娘にとってはお腹の中ではなく、外の世界で初めてのお家。暑かったので、帰ってすぐに保冷剤とシートを交換しました。「○○ちゃん、お布団交換しようね」自然と赤ちゃんに話しかける口調になります。あんなに触れ
次の日は、雲ひとつない晴天でした。夫が会計を済ませ、退院します。昨日と同じように、朝からナースステーションに預けていた娘は、シートの上から私たちが準備した服をかけてもらい、布団をかぶって、まるで眠っているかのように棺というベッドの中にすっぽり収まって戻ってきました。棺に蓋をします。「少しの間暗くなるね」そう声をかけて、部屋を出ました。看護師さんが案内してくれたのは、入院した時とは別の出口。いわゆる裏口で、ほとんど人通りのないところでした。その配慮が、ありがたくも寂し
一度触れてしまったら、不思議なことに怖さが少しずつ薄れていきました。頭を撫でてみる。小さな手に指を添えてみる。足の指をひとつずつ数えてみる。ちゃんと、赤ちゃん。ちゃんと、私たちの娘でした。看護師さんに勧められて、夫と一緒に抱っこをしました。冷たい。でも、軽い体を腕の中に感じたとき、「ああ、私、本当に産んだんだ」と、やっと実感が追いついてきました。手形と足形も取りました。小さな手のひら。小さな足。ちゃんと、生きていた証です。看護師さんから娘の名前を聞かれ、夫と考え
翌朝。検温と採血があるからと、看護師さんに声をかけられて少し早めに目が覚めました。シートや保冷剤を交換するため、娘は一度ナースステーションへ連れていかれます。昼勤の看護師さんがきて、娘に向かって「かわいいね」「いっぱい頑張ったね」まるで、生きている赤ちゃんに話しかけるみたいでした。その声を聞きながら、胸がじんわり温かくなりました。娘は、ちゃんと“赤ちゃん”として扱ってもらえている。それが、とても嬉しかったです。診察では、お股の状態を確認されました。「特に問題はないよ
娘と数時間ぶりの再会。胎児水腫の影響で、体全体が浮腫んでいました。たった1000gぽっちの小さい体なのに、手や足はしっかり人間の形。助産師さんから「触っていいんだよ」そう言われても、触れたら壊れてしまいそうで、見るだけで精一杯でした。看護師さんが夕食の後に持ってきたのは、おっぱいを作らないようにする薬、カバサール。赤ちゃんを産むと、誰でも自然とおっぱいを出そうと体が変化します。でも、飲んでもらうことはできない。だから、薬で止める。その現実が、静かに胸に刺さりまし
静かに生まれた赤ちゃんは、助産師さんたちのもとできれいにされ、その後、胸に乗せてもらいました。吸水シートに乗せられた真っ赤な赤ちゃん。私の娘。その時の私は、娘に対して特別な感情が湧いたわけではなく、ただ「産んだんだ」「終わったんだ」という気持ちでした。助産師さんが家族写真を撮ってくれました。今でも、部屋に飾ってある大切な写真。娘は、さっきまでお腹の中にいたからかほんの少しだけ温かく感じました。皮膚がぷるぷるで、触ったら弾けてしまいそうで、怖くて触ることができま