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授業中、学校敷地内での飛び降り自死。第一発見者は学校見回り職員の方。*その日は冬休み明けの健康診断があり、着替えが終わった順に生徒たちは自分のクラスに戻ることになっていました。が、クラスに戻って来ない生徒が1名、それが我が子でした。机の上に残されていた『いしょ』を生徒たちが発見して、担任をはじめその日学校に来ていたPTAの方々や見回り職員さんたちで校内を探し始めたらしいです。すると三階の渡り廊下に、上履きシューズがきちんと揃えて脱いであるのが見つかったそうで、そ
初詣に行ってきました。いちごも🐶連れて家族5人で毎年行っていた地元神社。今年は息子と2人。戦国武将も戦勝を祈願した八幡宮水の神様が祀られています。娘は、この神社は空気がピーンと張り詰めていて特別パワーを感じる、と言って散歩コースにしていました。若いのに、神様を近くに思い大事にしている、そんなところのある子でした。なのに、どうして神様は守ってはくれなかったのですか?あの子、何か悪いことしましたか?真っ直ぐで素直で思い遣りの深い子でしたよね。それは神様が一番お分かりなの
星野富弘さん(78)死去のニュースが夕方テレビから流れてきて、料理をしている手が止まりました。詩画集全書を買いあさり読破している“大ファン”というわけでもなく、彼の詩画集カレンダーを毎年買って飾るとか、そういう入れ込み方をしていたわけでもなく。けれど、うちに一冊しかない詩画集を最初に手にしたときから、心身にすーっと沁み込んでくるような詩文と絵は二度と忘れることのない、時として一番辛い時にこそ思い出される「花の絵」と「言の葉たち」になっていたようです。星野富弘
日々、様々な悲惨な事故や事件、災害が次から次へとニュースで流れてきますが、親(もしくは義親)の虐待で子供が死に追いやられるといった事件は、正直耳を塞ぎたくなるニュースの一つです。他人からいじめられる我が子を想像するのも耐えられませんし、ましてや親が子供を虐待して死亡させるとは……、怒りや悲しみを超越して、言葉を失います。同時に、こんなことも考えます。こんな恐ろしい酷い仕打ちなどしたこともない、逆に何かあれば親として出来る限り守ってきたはずの我が子が自ら命を絶つとは……、一体
誕生日を迎えました。いろいろ気の利いたプレゼントをくれた娘はもういない。おばあちゃんとおばさんで買い物とか行きたかったね。ライブもいっぱい行きたかったね。でも生きてくれてるあにいがいる、あにいも自死未遂したけど今は生きてくれてる。だけどこんなに子供に死にたいって思わせるのは自分間違ってたのかな。本当にごめんね。
14歳で自死(自殺)した我が子の祥月命日のある1月、特に2020'年明けには私の実母も(認知症の末)老衰で永眠したこともあり、とても長く感じました。それでも事後3回目となる『この時期』の過ごし方にも多少の慣れが生じてきているのか、メンタル的には1回目のそれとは比べものにならないくらい難なく過ごせたと感じます。慣れていくことは、悲嘆からくる苦しみにとって助かる反面、ある意味どこか物悲しい。そんな1月、今年も亡き子の親友さんたちが自宅弔問にいらしてくださいました。生前
神様に心深くお祈りしたいことがありお百度参りではないけれど時間を見つけて娘のお気に入りの神社⛩に詣っています。年明けから、ザワザワしてどうしようもない心を神様の近くに伺って落ち着かせたいのもあります。こちらの神様は水を司り五穀豊穣を願う神様戦国武将も必勝祈願した武運の神様でもいらっしゃいます。水のように柔らかさと、それとは逆の強い意志両方を持った娘でしたからあの子がこの神社にあんなに惹かれたのは自然なことかもしれないとこの頃思うのです。先週お詣りした時白鳩に遭遇
2024年の1月12日で、まる7年経ちました。あの日の朝。私:「行ってらっしゃい」有希:「うん」私:「あ、気を付けて」有希:「…うん…」冬のオーバーコートを羽織って学校へ行くいつも通りの姿。随分と気をつけて行った(言った、逝ってしまった)ものだなぁと、思い起こしていました。周りの誰にも気づかれないように。目には見えないけれど、体の一部、こころの中で進行していった“思い詰め”。どうしようもないくらい重たく苦しくなってしまっ
思い立ったが吉日。4月はじめ、平日狙いで『北欧の神秘』というノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画展を観に行きました。ケータイ画面越しに流れてきた広告の『北』というワードに惹かれたのか、広告に使われた『女神に蚤取りしてもらうトール(北欧神話に出てくる妖精?)』にときめいたのか。悲しい事が起きてからは、ある種の直感を『自身を導くもの』として生きてきたようにも思います。以前もブログで書いたとおり、お絵描き好きの有ちゃんをこころに伴って一緒にエンジョイできる神聖なスポ
今日は久々に良いお天気でした。去年の今頃も「けぱ」は家で預かってたんですね〜明日こそ散歩に連れて行ってあげたいです。瞳に会いたいです。
祥月命日1月12日。2017年、我が子が自死(自殺)で旅立ってから3年経ちました。遡ること3年弱前、四十九日の法要を自宅で執り行ったのですが、その当時既に認知症を患っていた実母を連れて実父が遠方からさいたま宅に来てくれました。持病の手術予定が組まれていたため、私の両親は葬儀に参列不可能でしたので、四十九日には何がなんでも駆け付けたかったようです。そのときのこと。数日の滞在期間中、日中の気温が一番あたたかな時間帯に、私は実母の手をとり一緒に春先の自宅周辺を散歩
産まれてからも、娘は検査なども特に問題なくクリア。おっぱいを飲むのがヘタでなかなか体重が増えないところ以外は特に問題なく退院の日を迎えました。生後5日2700グラムで産まれた娘は生理的体重減少で2300グラムまで体重が減り生後5日目に、退院できるラインの2500グラムまでギリギリ増えてなんとか退院できました体重の増え方がゆっくりなので、お家に一緒に帰ってからも必ず3時間おきの授乳。でも本当によく寝る赤ちゃんでこちらが起こさない限りは、3時間で自分から起きてくることは珍
ある日突然の、我が子の自死(自殺)というショッキングな出来事から生まれ出た“悲しみ”は、感情のコントロール不能、泣けば泣きっぱなし、時に放心状態に陥ったり、かと思えば怒りの矛先が自分に向かったり他人に向かったり、一番思いやらなければならないはずの同じ苦しみを味わった家族に向けられたり……、まるで手が付けられない癇癪を起こしたような状態が続く時期もありました。悪気は無いのであろう他者の言動にも神経質に傷つき怒り、時にそれは嫉みにも豹変したり、心の中は濁流で渦巻いていたようにも思います。
平成31年2月23日14時頃同棲中の彼氏のアパートでドアノブに、コタツのコードを結び首を掛けて旅立った娘は··········中学生の頃から非行に走った家出、不登校、児童相談所に、お世話にもなること3回最後は、家に帰りたくないと言って私の元から、元夫の所に行った娘私が嫌いなのかーと思って娘が良く慣れはと思い、夫に預けた私からは、連絡しなかった寂しかった、でも心鬼にして我慢した高校も合格した(元夫から)事で少し安心してた家から離れて3ヶ月目に娘から初めて電話が来た
2023年9月から、月2回(第2-第4日曜日)に、小田原駅徒歩5分のところで占い鑑定をしています。是非、いらしてください。090-8178-9528エリザベス牧
あっという間に、今年もゴールデンウィークが終わろうとしています。長女が亡くなった2019年のゴールデンウィークには、まだ長女は一応元気で介護ディサービスの仕事をしていました。土曜日が休みでしたが、日曜祝日は仕事をしていたような記憶があります。私も、開業2年目で仕事を忙しくさせていました。今から思うと、自分の仕事を無理ない範囲で手伝わせておけばと。。。。いまさらながらに思います。さて、季節はもう春というより初夏ですが。スピッツの「春の歌」を弾きがってみました。16ビートでストロークする
「おい、今朝お墓に行ったら、早くも綺麗なお花が供えてあったぞ。誰だろうな」3月17日(日曜日)朝、八戸の実家の父から電話がありました。そのお陰で彼岸入りであることに気がついた私。事後からずっと、春秋お彼岸入り日には主人の実家へ(有ちゃんの墓前お供え用)生花と菓子類が届くよう郵送手配していたのに、この8年め、すっかり忘れていたのです!(初日早朝から生花を供えてくれたのは、八戸在住の私の実妹と判明)有り難いな…。(私ときたら忘れていたのに)確か
2021年も、禍中のお盆帰省になりました。けれど新幹線は去年のすっからかん状態とは違い、普通に座席が埋まっています。通路挟んで隣の座席のお若いパパは、幼子を抱っこしながらマスクをずり下げ、漬けサーモン弁当をザクザク切り分けて一緒に食べています。食べ終えると、子供をママに預けてタッチ交代、マスクをずり下げたまま寝てしまいました。「えらい平和な家族だなぁ…、でも先行きはわからんぞ」などと心の中で呟く、黒い私がいたりするここ数年でしたが、今年は少し違いました。