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今日で仕事納め朝に会社で年賀状の残りをしたため仕事の資料作りをした後昼からは大掃除いつもは納会がありますが今年はサッサとなしそういえば去年はたまたま子どもらをウチの親に泊まりで遊びにいき私は出張帰りだったこともあり街中で2人で飲み歩きをしましたなかなか2人ですることはなかったしついつい3軒ぐらいはしごして終電間際の電車で帰ったのを思い出しますもう、あれから1年が経ったのかと時が経つ早さに驚き楽しかった時間を考えると目頭が熱くなりますまた、写真
YESorNO作戦のその後、現実に戻り🤣バタバタと、妻の死後の手続きをしてまわってました💦携帯や、店の電気や水道、地主の方への挨拶。銀行、ゆうちょ。カード会社に、日本政策金融公庫とか車のローン会社とか保険屋さんとかあれやこれやでやることいっぱい💦目の前のことを処理するのに頑張ってたので妻の死。を受け入れて元気にやってるつもりでしたが、また◯◯さんから、突然、連絡が「国子さんが心配してます。無理をしてるって。泣いてもいいし、悲しんでもいい
朝から頭痛がひどく出社の予定をテレワークに切り替えし自宅で無理ない程度で仕事こんな時に妻がいないのは辛いなぁ自分で自分を看病せねば単身赴任してる際にも人生で初めてインフルにかかりましたが病院に行く気力もなくただただ布団で寝てました食事はあらかじめ買ってあるカップ麺かパンぐらいただ、この時は妻と連絡しながら励ましてくれたのが良かったなぁ今はいないからなぁ幸い、私の両親が来てくれて子どもらの夕食と家事をしてくれました助かります、本当にありがとう(昼食は前の日のうちに
今日はM-1グランプリでしたね妻とは結婚してからは毎年楽しみに見てました結婚した時はチリンチリンでそのあとは鳥人とチンポジとか笑わせてもらいましたつい、妻と見ていた時を思い出します最近は・妻が意識がなく、酸素吸入している時・赴任先の中国で一時過ごした時・闘病中にたまに辛く当たってしまった時などなどが最近思い出してしまいますそして、今日は上の子が髪を切ると言って美容院まで行きました長かった髪をバッサリ行きました子どもなりになんか思うとこあるんかな?
妻が写っている写真をデジタルはフォトフレームで回してフィルムのものは印刷済みのものをポスターフレームに入れたりアルバムをテーマ別に分けてますデジタルはやっぱ結婚する前後の写真になると目頭が熱くなります写真以外のいろんな記憶が蘇りますただ、妻の声だけはなかなか記憶することも脳内で再生するのも難しいのですが写真整理してる際に妻がスマホで撮っていた動画があり、子どもに混じって妻のはっきりした声が入ってました声を聞くと俄然そばにいる気がしてきますあぁ、よかったまだまだ元気
去年の今頃は町医者のレントゲンで片肺が真っ白だったのが6月3日紹介状をもらった総合病院にかかり妻が緊急入院したのが6月4日その夜に肺がんの4期の連絡を病院から受け6月5日はICUで診断の為の内視鏡検査を受け6月6日は義両親を連れて病院に行きましたカレンダーを振り返りながら何をしてたのかを記憶をたぐりましたが6月は本当に人生の底、絶望の淵を見ました。(当時の感覚で)1日経つだけで容態が目に見て悪くなる妻をまっすぐに普通に見ることはできなかったです。6月入ってから、ずっ
妻が11月から一旦大部屋に入院した際同じ部屋に母子家庭で子どもが4歳のお母さんが入院してきたそうです。まだ若いお母さんでしたが病名は乳がんとのこと。子供を案じてひたすら泣いていたそうです。看護師さんが話を聞いてますがなかなか。部屋全体もシーンとしながら、なだめるのにいっぱい。そんな中、妻は不自由な足でありながら近くで話を聞いていたそうです。自身の病の重さより人を案じれる優しさ。こんな気持ちには私はなかなかなれない。どうして、神様はそんな優しい妻を助けてくれないのか。世の
しばらく間が空きました仕事が徐々に忙しくなり土日も、土曜は買い出しやら習い事の送迎やらで潰れて日曜は魂が抜けたように休む(といっても、食事を用意するので休めない)のであっという間に夏休みが来たなぁと実感つくづく、妻のありがたみを感じる次第です。さて、最愛の人を亡くした方は夢の中に出てきたことはありますか?妻の母親はかなりリアルに出たそうですし妻の友人にも出たという人は何人かいますそんな中で、私は出たという記憶がありません。なんでかな?周りに出て自分に出ないのは少々寂し
久々に会社に出社会社でしかできないこともあるし週1日は出社しないといけないので執務フロアに入ると3人しかいない!去年の第1波の時と同じ光景我が社も基本はテレワークなのでがらんとしてしまってますさてさて、久々に出社したら医療費のお知らせを受け取りました(世の中からすれば遅い受取?)妻の治療にいったいどれだけかかっているのかを知るのは興味津々だったので見てみましたが左から医療費総額6292820協会けんぽ支払い5796378妻が入院したのは6月からなの
寒くなるのを前に本格的な冬支度をしながら妻の服の整理も徐々に始めてます妻のママ友に声をかけて服を譲る段取りにしてますが出るわ、出るわ服1着ごとに思い出が湧いてきますがそこは早く克服するのと合わせて使ってもらう方が供養にもなるかなとあと、一緒に写真類も出てきましたOL時代から大学や高校時代のものが100均でアルバムを買って年代毎に分けましたこういうのをしてるとつい、思い出に涙するのとやっぱり妻がいないんだと言う寂しさがわきあがります何をやっても、妻は帰ってこないし
妻が亡くなった日が祝日でしたが主治医と担当医が来てくれて進行の速さが想像以上で下半身不随になってから体力面も落ちていたのかもやはり、自身で起き上がり立てないこと用を自分で出せないことは若いほど衝撃が強いのかな妻の為に主治医からの病状や病名を伏せてましたが、なくなると良心が辛いですそして、主治医より病名が最終確定してないのと今までにいろんな検査で細胞を使い果たしたので遺体より細胞片を取りたいとのこと最後まで調べてくれる主治医には感謝です
最近、子どもの口からママがいてる時は○○やった!ママはいつも△△してた!とかを言いますやはり、母親がいない寂しさをあまり口にはしてませんでしたが言っても小学生だし無理もない父親よりも遥かに多くの時間を一緒にいたし(私は単身赴任に出張が多いのもあり)何より優しかった母親を思い出すのでしょう子どもたちには悪いなぁとつくづく思います思いつめると妻ではなく自分が癌になってる方が子どもらにはよかったんかなぁと考えたり母親の代わりなんてできないことをどうすればいいのか、答えが
2023年3月25日に亡くなった妻。そしてお別れの会を開いたのは、2023年3月29日。会は音楽葬の形で行いました。その時、私はずっと、ずっと、ある事を考えていました。61歳の若さで、突然、この世から旅立ってしまった妻。美しく、優しく、いつも穏やかな笑顔と瞳で、私を、娘たちを、孫たちを、包み込んでくれていた妻。永遠の別れが近づくにつれ、私の頭の中では、「あ〜。。この会場に来て、妻へのお別れをしてくださっている全ての人が、今から100年後、ほぼだれひとり生きてはいないだろう・
妻を亡くしたことで大きく変わったのは家の中に温かさが薄まったこと何をするにも張り合いが出ない心の中でずっと支えてくれた妻がいないのはつらいどうしたらこの気持ちが落ち着いて前向きにできるか今は五里霧中もがくしかないのか
「ありがとうありがとう」と何度も何度も繰り返す妻呼吸をするのも苦しいはずなのに何で今言うのだろうと思い「うんうん喋らなくても大丈夫だよ」そんな会話をした1時間後彼女は息を引き取った2021年10月3日AM4時32分いつかはこの時が訪れると覚悟はしていた子宮平滑筋肉腫ステージⅣb完治する癌ではなかったいい状態を保ちながら寿命を伸ばすそんな絶望的な告知を受けたのがちょうど1年前だった3回の手術過酷な抗がん剤治療といっても治る訳では無いので延命治療と言った方がいい
世間では松坂桃李と戸田恵梨香の結婚発表がありましたが私は14回目の結婚記念日でした。妻がいない結婚記念日がこんなに早くなるとは思いませんでしたが今までの日を偲び妻が好きだった洋食のテイクアウトとケーキで過ごしました。これからもこのカタチは変えずに過ごしたいと思います。
今日は中陰の四七日妻の友達が線香をあげに来てくれました友達が来てくれてるのに嬉しく思います妻の写真を見ながらその時代の話をしてあっという間に時間は過ぎましたこうやって妻を偲んで来てもらえるように自宅はきれいにしておかねば!
今日は亡くなった妻の誕生日亡くなってから初めて迎える誕生日21回目はまさか妻がいないとは思いませんでしたが…さて誕生日だから、今日は終日有給とはいえ営業職の性で仕事をしてしまってますがいつも通りにテイクアウトで洋食屋のディナーと定番のケーキ屋でホールケーキを予約してみんなでお祝い🎂ここんとこ感傷的になることもなくなりましたが誕生日前後になるとちょっとなってしまいます
妻を亡くして約半年が経過しましたが最近考えてしまうのがなぜ自分が残り、妻が亡くなったのか子供のことを考えると妻がいて、自身が亡くなってた方がよかったんではないかと子どもにとって、一緒にいる時間が圧倒的に妻の方が多かったし日常生活においても、ストレスはなかったんじゃないかなと思ってみたり永遠に答えもないですが最近、そんなことを考えてしまいます
家内は私の会社の取締役でした。創業からずっと私をサポートし、社員をサポートし、パートさんたちをサポートし、お客様に向き合い、経理や総務の仕事もしてくれていました。この5月で創業28年目になりましたが、残念ながらそのお祝いをすることなく、、(毎年家内とは小さなお祝いをしていましたが・・もうそれも永遠に出来ません・・)逝ってしまいました。司法書士に依頼して、家内が死亡した事に伴い役員退任の登記変更手続きを行い、先週・法務局にて手続きが完了しました。小さな会社ですが、取締役3名
妻が入院していた病院から診断書ができたとの連絡があり取りに行きました診断書は7月ぐらいに1度取ってますが今回は死亡証明書入院証明書通院証明書の3通を用意してもらいました。改めて見ると左肺門部肺癌を原発に腰椎転移卵巣転移肝転移脳下垂体転移は変わりませんが転移性骨腫瘍転移性頭蓋骨腫瘍転移性皮膚腫瘍が出始めて骨転移増悪からDICになってなくなったとなってます妻が改めて相当な闘病であったことを痛感しますガンマナイフも肺がんへの放射線治療状況みながらの抗癌
3連休の中日の今日は朝9時過ぎ起床(昨夜の泡盛がまだ少し回った?)子供の朝食と洗濯を済ませて食材の買い出し昼食を済ませた後は友達を家に招く準備とても、充実した一日になりました写真は妻の仏壇に用意したプリザーブフラワー結婚式では妻が持っていたブーケをプリザーブフラワーにしましたが四十九日に合わせ仏壇に準備実は多少退色はしてますが、結婚式に使ったブーケのプリザーブフラワーはまだ自宅の玄関においてますこれから長い時間、よろしくお願いします
この記事を見てhttps://news.yahoo.co.jp/pickup/6392157肺がん全国で8600人診断遅れか-Yahoo!ニュース日本肺癌学会は30日、2020年の肺がんの新規患者数を調査した結果、前年より6.6%減少したと発表。新型コロナの流行による受診控えや検診控えが影響しているとみられ、全国で8600人の診断が遅れ、治療の機会を逃したと推定している。news.yahoo.co.jp妻は体調不良を訴えた際に初めは風邪と思いましたし腰痛が出たのは体重のせいとかあ
妻の闘病に際しては主治医からの告知は初めの治療方針と病状の説明があった以外・入院2日目の容態説明・10月の容態説明・セカンドオピニオンの結果・11月の容態説明は妻には細かく話をせずに妻の治療を見守りましたしかし、亡くなる際には急変だったのもありドラマにあるような話をする間もなく逝ってしまったことから今でもそこの部分に悩んでいます言わなかったからこそ深刻に考えず治療に励めたので半年を過ごせたのか言ったからこそ治療と合わせて残りの時間を有意義に使えて話もできたのかど
あーあぁ桜が咲いてしまった妻が亡くなり樹々が色づき始めた頃と同じ感覚自分は何も変わってないのに季節だけが過ぎ去っていく寒い冬のままでいいのになぁ・・・妻が大好きだった平井堅「瞳を閉じて」の歌詞と全く同じだ〜たとえ季節が僕の心を置き去りにしても〜いつも一緒に行ってたKen'sBarもう行く事は無いのかな
妻(天使のひとり)が死去して2週間になる。生活の変化は予想通り。というよりも理想に近い。永眠した本人も、死んだことを知らないだろう。周囲の家族にとっても、別れではない。人の死について、私は人生経験から、確信を抱くようになった。簡単に説明すると、この世は人の意識が作った世界にすぎないということです。人の意識が作った世界は、その人だけの固有の世界。客観的で確かな世界かどうか、人は知ることができない。人が知り体験できるのは、あくまでも人が作った世界だけ。人が生きるの
今日は妻の2回目の月命日四十九日を終えてはじめての月命日決めていた通りに家の近くにある花屋さんで花を買いましたふと、花瓶に適したのがないのに気づき(流石にインスタントコーヒーの空き瓶は気が引ける)いろいろ探してると見つけた!新婚旅行でイタリアに行った際に土産に買ったもの持って帰る際に着替えに包んで割れないように持って帰ってきましたちょっと仏壇には派手かなと思いましたが思い出の品だし、いいかな?これからはこの花瓶に月命日の花をさすようにしようと思います
去年の12月ぐらいから左下の奥歯が疼く感じがして冷たいビールもやけに歯に染みるのでなんかおかしいなぁと思い家の近くの歯医者にかかりました前にかかったのが13年前なのでずいぶん時間が経ってますまず歯の状態を調べるのにレントゲンを使っての診察(⁉︎)知らなかったけど、いまはそんなんするんやと感心してると自分の歯の状態がハッキリ分かりました歯に見えてるとこで空いてる穴は小さいけど中でかなり進んでるとのことで歯を削って奥の虫歯を削り取ることになりました他にも、もっと痛いはずの
早いものでもう1年の半分が来ましたあっという間に感じますまだ、クローゼットには一部冬物や春物が残ってますが、ダウンやコート類は片付けました少しずつ衣替えをしましたが子供の夏物が概ねサイズアウトしてたので弟家族にあげましたが寝巻きがないので慌てて買い出ししました靴も下駄箱に履いていない靴を聞き出しては入れ替えをし、小さいのは処分に出しましたこの6月、子どもたちもちょっとナイーブです下の子も去年に戻りたいと呟いてました妻が緊急入院した月でもあります私自身も6月の入院してか
2021年10月3日1年間の闘病生活を経て54歳で妻が亡くなりましたこれまではスマホの中で誰にも見られない日記という形で闘病中の様子や思いを綴ってきましたが、ちょっと外に出てみようかと・・・