ブログ記事28件
前回の続きです。『【えみしの群像①】奥州合戦の大将「藤原国衡」の母を訪ねて三千里』そろそろ終わりにしたい~最後に、藤原国衡のことを。しっかし、つまりすぎてまとめるのが大変。気になるところだけを。。。過去にたくさん奥州藤原氏のことを書いてきま…ameblo.jp「黒」を頼りにしていた国衡の伝説を妄想。今回は、源平らしい「赤と白」。蔵王町の白崩れ以前から気になっているのが蔵王町に伝わる藤原国衡のお墓(古墳)が「白九頭龍」という名であること。「白九頭龍神社」の由縁に
そろそろ終わりにしたい~最後に、藤原国衡のことを。しっかし、つまりすぎてまとめるのが大変。気になるところだけを。。。過去にたくさん奥州藤原氏のことを書いてきました。泰衡とは異母兄弟の国衡を知ったのは、柴田町の大高山神社がある付近(金ヶ瀬)で討ち取られた事を知った時、あこや姫(山形県)の伝説がその場所にあることを思い出す。※大高山神社そして、照井高直という人も当時の奥州合戦の頃の人で、岩手県の平泉から柴田町にやってきたのか、なぜか、同じ所で亡くなった言い伝えがあるのです。
阿津賀志についてこんなに書くことがあるとは、思いませんでした。笑『【国見町】春の訪れに阿津賀志巡礼①奥州合戦とは』春らしく行きたいのですが、ディープな歴史です。先日、ひさしぶりに国見町へいき、道の駅にも久々に寄ってみました。※道の駅国見あつかしの郷※桃のジェラート…ameblo.jp『【国見町】春の訪れに阿津賀志巡礼②合戦場に祀られる神々(ご先祖参り)』いつの頃か何度も通うようになった国見町。どうりで・・・と思うことあり。前回の続き『【国見町】春の訪れに阿津賀志巡礼①奥州
再び戻ってきました、阿津賀志探訪。また、ちょっと書きます~。今度は、バイパス(4号国道)から西側の阿津賀志山の麓へ。4号線を通ったことある方は看板を見かけたことはあると思います。この付近を散策。まず先にここに立ち寄ってみました。駐車スペースはないのですが、裏に停めて参拝。天然記念物「義経の腰掛松」江戸時代の紀行文や作品、絵図に登場する松。平安時代末、藤原秀衡をたよりに義経が金売吉次とともに平泉へ下向する際、松に腰をかけたとの伝説が由来としてあります。