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日本にお茶文化が広まったのは、鎌倉時代。栄西上人が「喫茶養生記」という書物を世に広めてからです。その前にもお茶は日本に入ってますし、鎌倉幕府3代将軍・源実朝も二日酔いにお茶を飲んでいたとも言われています。今ではお茶の効果はいろんなものがあり、まだ探せばいくらでも出そうですが、二日酔いに効くかは謎ですね。室町時代になると、闘茶と言って、お茶のブランドを当てるゲームが流行りました。お茶にゲーム性を絡めるのはいかがなものか?その疑問を解決したのが、茶道でした。テーブルマナーの日本版の
書いてる時点で、令和元年皐月(って、古風な)ですが、人気ゲームって色褪せることなく愛されるものですね。今でもスーパーマリオブラザーズに凝ってる人もいるくらいですから。4月(卯月)に書いた群雄争覇の攻略法も徐々に手直ししています。これからもということを考えると、この作業は現在進行形で終わりが見えないかもしれません。読者に分かりやすくすること、そして英語に訳しやすい(その前に日本語もわかってませんが(笑))攻略法にしたいです。そのためにも、雑な書き方を直していきます。…完成するのでし
~少弐家(信長元服)~【第2章】西国は血に染まる1551年春冬尚:さて、このまま島津家を叩くよ。勝利:御意。冬尚:また、伊東家を利用したいけど・・・勝利:肝付家攻めで兵力を減らしましたな。冬尚:ただね~、いても邪魔な時もあるから、良し悪しなんだよな。勝利:ですな。冬尚:ま、このまま進もう。1551年春、島津家の日向飫肥城に向け、出撃。伊東家は攻勢に回ったな。ここでは島津家の5将を討ち取る。島津家当主忠将の暗殺にも成功だ。島津家は武将がいなくなり、これで滅亡。当家は城
~少弐家(信長元服)~【第3章】上洛作戦1556年春冬尚:さて、このまま管領家を・・・と行きたいところなんだけどさ。勝利:歯切れ悪いですな。冬尚:この春、一遍に4人も武将が出てきて、召し抱えて、訓練したら、行動力がたちまち無くなったよ。勝利:仕官するのはありがたいですが、一遍にってのも困りものですな。冬尚:なので、不本意だけど、ここは飛ばすよ。勝利:御意。1556年春、動けず。1556年夏冬尚:さて、今度こそ管領家を叩くよ。勝利:御意。冬尚:備中や備前に、主力っぽいのが
『烈風伝』をプレイしていて思ったこと。→『天翔記(スーパーファミコン版)』と似てるか⁉︎以前、『天翔記』について書いたブログはこちらです。そんな『天翔記』について書こうと思ったのですが、話は脱線しますっ!九州平定でホッと一息。兵力・武将を整えて、中四国進出の予定でした。ここで、伊予にいたはずの毛利軍が日向(『烈風伝』では豊後)・佐土原城に見参⁉︎「アメーバ🦠か💢⁉︎」アニメキャラの如く、ブチ切れました。ここで述べるのは、生物🪼のほうです。誤解されたくないので、書かせて