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11月30日、休日は京都の<imgwidth="16"height="16"class="emoji"style="aspect-ratio:16/16;"alt="車"src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/125.gif"><img
第57代陽成天皇神樂岡東陵即位西暦876年退位西暦884年皇位年数8年御陵印所在地後一條天皇陵から徒歩1分の距離で、真如堂山門は目の前。
さてさて………………【光孝天皇陵】を出発し、ここに到着するまでもやや迷子になっちゃった近くにお住まいの方に場所を聞いて、ようやく到着ーーーっまずはこの石段を上がります…………おっ見えてきたぞーーーーっ無事に到着したのは………………【文徳天皇田邑陵】京都府京都市右京区太秦三尾町この日は、先ほどの【光孝天皇陵】にて、すでに8つの『天皇陵』に参拝して通算111陵目(124陵分の)となったが、次の目的地が112陵目となる『天皇陵』に到着……………宮内庁上の形式は円丘。遺跡名は「太
こんばんは!!ご訪問ありがとうございます。御陵印の事を知ったのは……いつだっけ?忘れた。たぶん平成から令和になる頃かな。御陵印とは天皇陵の印。神社で言えば御朱印ですね。御朱印と違う所は、御陵印は自分で押印します。※この場合は押印?捺印?←これに関してのコメントは不要です。意味なんて通じれば良い。細かい事は気にしない派です最初に頂いた昭和天皇の御陵印は、とても緊張したね。ミスって少し斜めになりました。渋い…シンプルな御陵印帳。現在は5箇所の陵墓監区事務所で御陵印を管理してま
さてさて……………この日は、先ほどの【村上天皇陵】にて、すでに7つの『天皇陵』に参拝して通算110陵目(124陵分の)となったが、次の目的地が111陵目となる『天皇陵』への参道に到着……………こちらは、比較的街の中にあるイメージだ石碑でも目的地が確認出来る到着したのは…………………【光孝天皇後田邑陵】京都府京都市右京区宇多野馬場町宮内庁上の形式は円丘。「小松山陵(こまつやまのみささぎ)」とも呼ばれる。【光孝天皇(こうこうてんのう)】830年ー887年日本の第58代天皇。
折角京都に来たのだから、京都の面白い地名を巡ってみます。地下鉄の御陵駅近く、山科区にある「日ノ岡ホッパラ町」へ。掲示物で隠れちゃってますが、ローマ字で「Hoppara-cho」と書かれているのは見えます。ホッパラ町の近くにある九条山(くじょうやま)には刑場があって、そこで斬首刑となった罪人の遺体を原っぱに埋めるために土を掘ったことから「掘原町」という名前がつき、それが「ホッパラ町」に変化したそうです。続いて、そこからJRをくぐって南東に行ったとこにある「御陵血洗町(みささぎち
みくるです『自律神経を整えるぬり絵日本の二十四節気をぬる』から「穀雨」のページが完成しました。「みくるの森」に投稿したのでリンクをクリックして見て下さいね【日本の二十四節気をぬる】「穀雨」ポリカラーの重ね塗りで色鉛筆を楽しむ塗り絵ブログ【日本の二十四節気をぬる】「穀雨」ポリカラーの重ね塗りで色鉛筆を楽しむこの記事では『自律神経を整えるぬり絵日本の二十四節気をぬる』より「穀雨」のページをご紹介しています。「三菱色鉛筆ポリカラー」の色んな色で重ね塗をして、色鉛筆が持つ魅力を存分に味わいま
2024年-令和6年5月4日スタート最寄り駅は近鉄・奈良駅、奈良国立博物館、チェックポイント、春日大社、チェックポイント、新薬師寺、チェックポイント、白毫寺、チェックポイント、祟道天皇陵、チェックポイント、ゴールは山村町バス停、約10kmでした。デジタルスタンプが5個増えました。
【平成29年6月10日(土)参拝】十津川の南帝陵から、車で1時間20分。となりの野迫川村にも伝承陵があるので、行って来ました。地図上ではとなり村なのですが、横断出来る道が無く、廻って廻ってやっとたどり着きました。野迫川村弓手原主要部にナビ設定すると最後はR371から脇道に入り三叉路付近で音声案内が終わります。その三叉路を左(北)に500m程行くと、左手に突然綺麗な御陵が現れます。長慶天皇陵所在地:奈良県吉野郡野迫川村弓手原宮内庁治定を思わせ
第72代白河天皇(しらかわてんのう)御陵名:成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)御父:後三條天皇御母:贈皇太后茂子陵形:方丘所在地:京都府京都市伏見区竹田菩提院町白河天皇は、自身の墓所として鳥羽離宮の泉殿内に三重塔を建て、塔の下に遺骨が埋葬されたそうだが、現在は塔を失っており、33m四方の方丘墳墓となっている。白河天皇成菩提院陵の拝所御陵内の鳥
第74代鳥羽天皇(とばてんのう)御陵名:安樂壽院陵(あんらくじゅいんのみささぎ)御父:堀河天皇御母:贈皇太后苡子陵形:方形堂所在地:京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町白河上皇が造営を始めた鳥羽離宮は、鳥羽上皇に引継がれて壮大な離宮として完成し、後白河院政期に至るまで政治の舞台となった。鳥羽離宮の東側には、鳥羽東殿と称される安樂壽院は、保延三年(
第76代近衛天皇(このえてんのう)御陵名:安樂壽院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)御父:鳥羽天皇御母:皇后得子陵形:多宝塔所在地:京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽法皇が離宮内に、墓所として設定した場所で、この三重塔は、鳥羽天皇の皇后美福門院(得子)の墓所として用意されたが、美福門院は遺骸をここに葬られることを拒否し、高野山に埋葬
安徳天皇御陵墓西市御陵墓(参考地・宮内庁)(にしいちごりょうぼ)第81代安徳天皇(あんとく)所在地:山口県下関市豊田町詳しくは安徳天皇で検索~本当はここ、安徳天皇の御陵墓に行く予定は全く無かったのです。(存在すら知らなかった)前に紹介した元乃隅神社に向かっている途中に助手席から、何気に左側をボーと見ていたら”安徳・・陵・・”みたいのが見えたような・・??でも”下関の赤間神社のところのはず・?あの、耳なし芳一の~”と思いながらも瞬時に脳
◎神示…神の世で知る事実◎現示…現世で伝わる真実私は、そう認識しています😌先日より、天皇陛下のお身体を心配される事が大変大きなニュースとなり、私達国民も改めて天皇のお身体を案ずる気持ちがニュースを観るたびに強くなってきます。そこで、何故私達が天皇を敬い重んじるかを魂の誕生より今世に至るまでの天皇と国民の関係を、私が知りうる事の中で許される範囲のお話をしたいと思います太陽系の中心として太陽があり、その周りを地球を始め、惑星が回るという秩序があるように、この世にも魂の秩序があります大元霊
神武天皇陵畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)初代神武天皇(じんむ)所在地:奈良県橿原市大久保町詳しくは神武天皇畝傍山東北陵検索~前回までは神代三代の陵墓を紹介しましたが、一応、初代天皇という事で神武天皇陵を紹介して、次回からはまた神社に戻り時折陵墓も紹介していきたいと思います。ここは、皆さんもご存じのとおり、橿原神宮の近くなので訪れた方も沢山いると思います。また、あっさりとした陵墓なので写真も余りありません。で
週末はさくと原付で八王子へ南浅川が流れる長房町の土手沿いをのんびりと原付で走って来た^^「長房町ふれあい端午まつり」会場となる場所に到着南浅川の青空を千匹の鯉のぼりたちが泳ぎます。JR西八王子と高尾の中間にあるこの場所は、のんびりとした時間が流れている。この付近は川の水も枯れており、下に降りることができる。時間を忘れて、風にはためく鯉のぼりを眺めながら、さくとのんびりと過ごす^^高尾山にも近いため自然も多く、色んな香りがしたのでしょう。自然の香りを楽しんでいる
宮葛城高丘宮(かつらぎのたかおかのみや)皇后五十鈴依媛(いすずよりひめ)和風諡号神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)漢風諡号綏靖天皇(すいぜいてんのう)陵桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)神武天皇崩御後、日向から随行してきた異母兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)が権力をほしいままにしようと思い、神渟名川耳命とその同母兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)の二人を殺そうとしました。そのことを知った神渟名川耳命と神八井耳命は逆に手研耳命を
天武天皇・持統天皇陵檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)40代天武天皇(てんむ)41代持統天皇(じとう)所在地:奈良県高市郡明日香村大字野口「古事記」は天武天皇が日本の神話や古代史を後世に伝える為に、太安万侶(おおのやすまろ)を中心に編纂を命じ、稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に始まりました。しかし天武天皇の崩御により、一度中断しましたが、元明天皇(げんめいてんのう)が再開を命じて712年に献上したそうです。なので、言いだしっぺ・の夫婦でもあ
【平成28年7月23日(土)参拝】ここんとこ京都がホームグランドになっていますので、今日はこれ「京めぐり京都観光1日乗車券」を使って巡ってきました。これは近鉄(区間指定)、京都地下鉄、京都市バス、京都バスが1日乗り放題で、2130円(1820円のコースもあり)さぁ、これでどんだけ得したかあとで計算してみます。今日は先に火葬塚に行って来たのですが、これは次項で掲載する事にして先ずは龍安寺の御陵から。二度目なので土地勘バッチリ。金閣寺道から龍安寺前まできぬかけの路を市バスで移動。