ブログ記事1,085件
ブログ内に天皇陵等についての記事が一定数増えてきたのでまとめてみました。天皇・皇后陵奈良市東南部の古墳探索⑤~祟道天皇陵・八嶋陵前古墳~畝傍山周辺の御陵①~神武天皇畝傍山東北陵~畝傍山周辺の御陵②~綏靖天皇桃花鳥田丘上陵畝傍山周辺の御陵③~安寧天皇陵・懿徳天皇陵~葛城の国の古墳めぐり(御所篇)①~鴨都波神社・孝昭天皇陵~葛城の国の古墳めぐり(御所篇)⑩~孝安天皇陵・玉手駅~葛城の国の古墳めぐり⑫~北花内大塚古墳(飯豊天皇埴口丘陵)~多
飛鳥の時代、藤原京に都の時に日本最古の道、政府の道官道は三輪山の山麓を歩く山の辺の道ができたそうです。今日は天理駅から近い石上神社(豪族の物部氏)創建からスタート、二つの天皇陵や環濠集落、🦪やゆずの無人販売所や万葉歌人の額田王、柿本人麻呂、学校で聞いた人の歌碑がいくつもあり起伏の少ない歩きやすい道、大和三山を眺め、桜井駅近くには大和川沿いに仏教伝来の石碑もあり、遣隋使や遣唐使、小野妹子等がここから舟で唐国を目指した、何ともロマンの土地です☺約15キロでしたが、帰りは電車で15分(
天智天皇山科陵(御廟野古墳)12(京都市右京区)24年7月近世に入ると名所案内の風情が強まり、天皇陵の由来にまで踏み込むという気迫が薄れてきます。これも聖蹟とは称するものの同じような感じがします。『聖蹟図志(せいせきずし)』(1854年)には、天皇陵と参道景観を中心に、東海道が描かれ、「北西粟田口・蹴揚三条通・亀の井水日岡村・一里塚・御陵村・大津道往還・牛車道」等が記され、右方には「竜徳山妙応寺」と「天皇昇天鏡ヶ池古跡」が描かれてます。『聖蹟図志』(せいせきずし)は、津久井
11月28日(金)、門司&下関の旅最終日早起きして、6:00に朝食です。早めに支度して7:45にチェックアウト。最初の目的地へ向かいます。赤間神宮山口県下関市阿弥陀寺町4-1朝早く来たので、駐車場は空いていました。駐車場から撮影関門海峡を見守るように碇が置かれています。道向こうに大鳥居せきまるポスト発見♪歴史博物館前にもありましたね。ポストは市内の5か所に設置、それぞれデザインが違うそうですよ。(後3か所は市役所、下関郵便局、勝山郵便局)境内案内図を載せておきます
天智天皇山科陵(御廟野古墳)11(京都市右京区)24年7月山科が天智天皇の陵を設けるほどの関係を持つ場所なのか。近世に入っても様々に語られています。まず、『出来斎京土産』(できさいきょうみやげ)は、浅井了意によって延宝5年(1677年)に著された地誌で、京都の名所や寺社を紹介する書物です。別名として「京土産」「京みやげ」「山城名所記」とも呼ばれます。この書は、七巻七冊の構成で、京都の名所を巡る出来斎坊という人物が各所で狂歌を吟じる趣向凝らした内容になっています。その
好きな景色といえば、空間の広いところが基本的に好きです。町中の空も見えないようなごちゃごちゃしたところよりも青空が見渡せてしばらく見とれてしまうような広い場所に来ると心が癒されます。【ふるさと納税】マッスルショットFG3800(スパークシルバー(SS)/レイクグリーン(LG))_マッサージ機器マッサージ器フジ医療器ハンディガンハンディマッサージガンリラクゼーション健康家電ボディケア人気送料無料【配送不可地域:沖縄県】【G1309181】楽天市場
中国の思想を取り入れつつ独自に創造された新形式の天皇陵です。7世紀中頃~8世紀初頭
赤い線(下方)は11月11日の,青い線(下方)は11月12日の,赤い線(上方)は11月14日の,青い線(上方)は11月15日の,各軌跡。.赤い線は11月14日の軌跡.「元明天皇陵」。ここが元明天皇〔在位:707-715〕の陵墓だというのは宮内庁の指定だが、「延喜式」〔編纂:905-927〕に基いている。江戸時代には、別の場所を主張する複数の学者の異論があったようだ。ともかく、『続日本紀』の同時代記事と元明自身の生前詔によると、土
2025-11-16トコトコ〜次のスポットかしらこの景色は⋯天皇陵なんでしょうけど⋯今回は、初めて違うかなずららららっ♪めっちゃ多いーーーーっ10人以上一応地図には後土御門天皇深草北陵って書いてあるよそりゃ塀も立派になるわ帽子を脱いで頭を垂れます出て歩きますくぐりまーす味のある橋を歩きます橋の上からなんて書いてるのか分からんトコトコ〜あ!この前スタート受付の場所だった藤森神社入りまーす菖蒲の節句発祥の地奥へ〜ホンチャンへご挨拶しますイベントやって
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。最近のお気に入り番組。歴史学者磯田道史さんの歴史番組です。歴史番組いろいろあれど、説教臭くないところがこの番組の良さですかねえ。今回のテーマは熱田神宮。名古屋の名所でございます。熱田神宮は幼い頃から毎年お参りに行っているお宮さんでございます。名古屋近郊に住む人にとって、熱田神宮は一番の神様。初詣は、鳩に糞をかけられても身動き取れない長蛇の列に並ぶのです。笑ここ熱田さんには三種の神器の一つ、草薙剣が祀られてい
【写真考古学後藤和雄】皓星社1980円生麦事件の現場、処刑された攘夷浪人、天皇陵や陵墓参考地に指定される前の古墳…。幕末・明治からカメラが普及するまでの古い写真からそこに込められた情報を読みとき、隠された歴史を辿る。古い写真が語りかけてくるもの。写された人間の生きた時代。写した人間のドラマ。レンズを介した双方の情報をベテラン報道カメラマンが解き明かす。#気まぐれ本屋#一日一冊#写真#考古学#人間ドラマ
紅葉の絨毯も素敵読了しました。明治天皇と大正天皇それぞれの女官目線の宮中の物語です。やや明治天皇派vs大正天皇派の趣きもありました。厳格的vs合理的かな先日、読了した「大正の后」で小説の脚色部分かもしれませんが明治天皇が皇太子(大正天皇)がしっかりしてないから不安なので生まれ故郷京都の地に御生前に自分の陵を決めたそうです。で大正天皇は東京に皇居があるのに実際問題として京都までの参拝は諸々の負担がたいそう大きいので東京近郊の陵を御生前にご希望なされ
「野々上埴輪窯跡群(ののうえはにわかまあとぐん)」この記事っ「仁賢天皇陵」の中で触れた「忘れられた旧跡」(記事の一番下)。「仁賢天皇陵」の一部から見つかった円筒埴輪…を作ったのがココ、とされている。やっぱ気になったので再訪してみた。いや、看板だけかーいwwナンデヤ(゚∀゚)っ))ネンッ!!…確かに「跡」だけどさぁww左奥に見えるのが「仁賢天皇陵」の西端。wikiではチョコっと…こう記されている(「2基の埴輪窯」がココ)。以下引用~~~~~~~~~~~~~
今年も京都へ紅葉を見に行った。今回は金閣寺方面へ。金閣寺は小学生の時以来だ。興奮する。わら天神前でバスを降りてまずは花山天皇陵へ。観光客は誰もいないがちょうど清掃が入っていて静かに参拝はできなかった。少し歩くと金閣寺に着く。まあまあの人出だ。金閣寺は昔と変わらず美しかった。その後タクシーで龍安寺へ。紅葉はこちらの方が多かった。紅葉の絨毯。龍安寺の裏にもひっそりと天皇陵がある。帰りに高島屋で
武蔵陵墓地本日11月23日は新嘗祭天皇陛下が神々に収穫した新穀や豆などを供えて供食し、国の安寧と五穀豊穣を祈る日ですねなので大正天皇と昭和天皇の両陛下と、その皇后様方がいらっしゃる東の天皇陵・武蔵陵墓を訪問したものを上げます⚫︎高尾駅ホーム高尾駅に着いたら天狗👺がお出迎え高尾山といったら天狗⚫︎高尾駅ここからスタートします⚫︎山王社高尾駅近くにあります案内板がありました御陵へ向かっているこの道は昭和の散歩みちという通りのようですまもなく御陵に到着です⚫︎武蔵御陵墓地
→続き醍醐寺から駅に戻るルートでやや迷子になりまして←そうしたところ、思わぬ場所に出会いました!宮内庁の看板?何これ?と思って読んでみたところえ?!天皇の墓ってこと?!こちらの立て看板(?)からかなり歩いた突き当たりに"醍醐天皇後山科陵"がありました住宅地の中にあり隣には公園もあるのでお墓の中の方も寂しくないと思います本当に住宅地の中にあるので住んでいる人からすると「自分の家は天皇の墓の隣だから!」と説明出来てしまいそうなくらいです言ってみたい…(◠‿◠
新しくブログを更新しました。『タイトル:仁徳天皇陵古墳の巨大化要因に関する専門的検証:古代王権の政治的象徴と考古学の確立された見解』仁徳天皇陵古墳の巨大化要因に関する専門的検証:古代王権の政治的象徴と考古学の確立された見解第I部:問いかけの検証と主流学説の確立(論理的基盤の構築)1.序論:大仙古墳を巡る仮説と考古学の立場仁徳天皇陵古墳だいせんりょうこふん(学術名称:大仙古墳)は、エジプトのギザの三大ピラミッドと並び称される世界最大級の墳墓ふんぼであり、その..
急速冷凍の日本列島ですね。お昼は冷蔵庫一掃大作戦の我が家系ラーメンでした。アチアチ今回の歴史現場探訪は前回近衛天皇陵、鳥羽天皇陵を参拝しましたがまだ訪れていなかった。白河天皇陵に参拝しました。京都南インター一帯はその昔の鳥羽離宮跡のようです。白河天皇は上皇となって孫子の天皇の代まで権勢を振るった最初に院政を始めた天皇です。前回訪ねた近衛天皇陵、鳥羽天皇陵の静謐で荘厳な雰囲気には息を呑む思いでありました。白河天皇のひ孫の早生した近衛天皇陵白河天皇の孫、鳥
天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは、初めての外国公式訪問となるラオスへの訪問を前に、昭和天皇の陵を参拝されました。来週ラオスを公式訪問する愛子さまは10日午前、東京八王子市の、昭和天皇が埋葬された「武蔵野陵」の前に到着されました。グレーのロングドレス姿の愛子さまは陵に向かってゆっくり進むと、玉串をささげて拝礼されました。続いて、昭和天皇の后の香淳皇后の陵も参拝されました。記事以下↓https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10014971821
天皇・皇后両陛下の葬儀、17世紀以来の火葬に2013年(平成25年)の報道です天皇・皇后両陛下の葬儀、17世紀以来の火葬に宮内庁発表、陵は寄り添う形2013年11月14日天皇・皇后両陛下の葬儀、17世紀以来の火葬に-日本経済新聞宮内庁は14日、天皇、皇后両陛下の意向を受けて検討を進めてきた「今後の陵と葬儀のあり方」を発表した。陵の墳丘の形状は従来通りで、天皇・皇后陵が隣り合う形にし、敷地面積を昭和天皇・香淳皇后陵の8割程度にする。また江戸時代前期から続いてきた土葬を
お読みいただきありがとうございます😊東山の泉涌寺へ行ってきました。泉涌寺について👇️泉涌寺について–【公式】皇室御香華院御寺泉涌寺mitera.org東山三十六峰月輪山の麓にある泉涌寺。思わず受付の方に「クマは出ませんか?」と聞いてしまいました(笑)受付の方「イノシシは見ますが、クマは今のところ見ませんね。」泉涌寺の東側月輪山には四条天皇、御水尾天皇から仁孝天皇まで25陵、5灰塚、9墓。背後の山の麓の南に孝明天皇陵北に英照皇太后陵また、各宮家の墓所も
大河ドラマ「べらぼう」では尊号一件が取り上げられています。このころ朝廷と幕府では同じことがおこっていて、天皇家と将軍家は直系の跡継ぎがいませんでした。天皇家は閑院宮家から光格天皇が即位、幕府は一橋家から家斉が将軍となりました。光格天皇は実父の閑院宮典仁親王が摂関家より席次が下になることから太上天皇の尊号を与えようとしましたが、幕府がそれに異を唱えました。典仁親王は明治になって、尊号が贈られ、慶光天皇となりました。そのお墓は閑院宮家の菩提寺廬山寺にあります。去年は「光る君へ
先日ふらりと京都へ行ってきた。今回は哲学の道を散策した。まずは冷泉天皇陵に向かった。そして安楽寺というお寺へ。残念ながら拝観期間は外れていたので入れなかった。そのあとすぐ近くにある法然院へ。山門が素晴らしかった。本堂などは入れないが美しい庭は無料で見れる。そして世界遺産の銀閣寺へ。観光客でごった返していた。銀閣寺展望所からの景色。銀閣寺前で抹茶のクレープを食べた。京都は何度行っ
宝塔寺まで来たら前から行きたかった場所を目指しました元政上人旧跡瑞光寺茅葺き屋根が立派しばらく歩き深草北陵別名深草十二帝陵12人の天皇の御陵カトリック伏見教会こ、ここは!テキストで見た聖母女学院本館!旧陸軍第十六師団司令部庁舎です古い町家があります鴨川疏水の傍に藤森駅そこから京阪に乗って帰りましたなんかいっぱい歩いた日でしたではでは〜
11월2일에세계유산"후루이치고분군"의고분들중의하나인白鳥陵에가봤다.白鳥陵는일본어로"하쿠쵸료"라고발음한다.긴테쓰미나미오사카선후루이치(古市)역에서도보로갈수있다.후루이치역은고대의가도인다케노우치가이도(竹内街道;가이도는가도의일본어)변에있다.역앞에다케노우치가이도의설명판이있다.역에서이삼분정도걸으면日本武尊御陵参拝道라고쓰여있는석비를찾을것이다.하쿠쵸료는日本武尊
京都市内は、どこへ行っても外国人観光客で激混み。あらゆる表示が英語併記(CかK語併記もあり)で、バスの運転手さんも、バス停の整理にあたっている高齢者らも、下手な英語もどきで叫んでいる。こんな表示もバスに貼られているのに、C国人旅行者らは、バスにでかいスーツケースを持って乗り込む。ムカつく。「Getacabinsteadofusingabus!」と叫んでやろうかと思ったけど、英語が通じないかとしれないのでやめておいた。京町家が解体されていた。しかし張り紙を見ると、「
2025-10-18懿徳(いとく)天皇陵地図の説明では第4代天皇安寧天皇の第2皇子欠史八代の1人お仲間さんが何人かいたので、少し安心しましたとっとと次に行きます次のスポットは順番が逆になったけど、第3代天皇陵だ安寧(あんねい)天皇陵地図の説明第3代天皇欠史八代の1人綏靖天皇の皇子ここまで、即位順に、神武→綏靖→安寧→懿徳と4人の天皇陵を歩きましたトコトコ〜高取川沿いを歩きます歩いているとこちらで写真を撮ってるお仲間さんが、「古墳群がありますよ」と教えてくれました
2025-10-18橿原神宮ご挨拶します境内にある休憩所にて一服ぷはぁ〜ファミリーコースはこちらでゴールなんだよね〜まろんも、ここでゴールにしようかしらんそんなことを思いながら手水近くに立っていたスタッフさんに、アンカーさんがどの辺に来てるのか尋ねてみたよ「アンカーは1時間くらい遅れてて、まだ来てないんですよ〜。なのでまだスペシャルコース歩けますよ」ゴール受付終了まであと1時間半ここからゴールまでは1時間くらいらしい「大丈夫ですよ」の言葉を信じて歩くかぁ〜てなことで、ス
堺市は観光活性化のためと称して、2020年頃から上空からの仁徳御陵眺望を可能にする観光用ガス気球の計画を推進してきた。しかし、天皇陵を上から見下ろすのが不敬行為であることは小児でも理解できる一般常識だ。皇室のご祖先の墓を「見世物」にするとは...筆舌に尽くしがたいほどの怒りを覚える。このような暴挙に許可を与えた宮内庁もおかしい。
何年振りかの連続投稿ですね笑ちょっと時系列が前後してしまいますが、9月後半に元スプリンターと出かけた愛宕山の記事となります。この時点で大阪マラソンの当選が分かっていたのでロード区間を少し取り入れてみることにしました。1ヶ月以上前のこととなるため簡単に書いておきます。2025年9月21日(日)【メンバー】YUKI/KATSU【天候】晴れ【ルート】JR嵯峨嵐山駅→嵯峨天皇皇女有智子内親王墓→後亀山天皇陵→六丁峠→愛宕神社参詣表登山道入口→愛宕山→愛宕神社→愛宕山→愛宕