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皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。新年明けましておめでとうございます今年もどうぞよろしくお願いいたします皆様、お正月は如何お過ごしですか?。私は年末からの体調不良を少し引きずっていますが、何とか普段通りに動けています。ブログもYouTubeも、マイペースで頑張りたいと思いますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。令和になってからもう8年目になるのですね。この8年の間に、色々な事がありました。
藤原直哉先生の一分半の一部動画より(橋広バロン幸之助さんの𝕏経由より引用)https://t.co/V9r2B0sgZr(https://x.com/hasibiro_maga/status/2035118627930992983?t=crF9MeuFyHdR6X5M7dZNlg&s=03)質問〜明らかな不正選挙が騒がれてますが、今後不正選挙が暴露されてやり直し選挙とかあるでしょうか?藤原先生「回答〜あると思いますよ。みなさん、今の日本は軍事占領下ですからね。国民の同意を必要としない
ショラテンさま昨年、二重瞼の整形なさったよね。身長を高く見せたくて、画像はいつも加工してあってどこか不自然。イケメンに見せたくて加工してあるためか影武者が何人もいると言われている。下手すれば、AIで画像を作って公開しているのかも。愛子さまが、拒食症ぽくてガリガリにやせ細った姿は、テレビ、週刊誌でどんどん公開されたのに。ショラテン様は、加工して見た目を派手に盛っている。おばあ様も、若いころは、整形依存で、ご結婚したころとは、別人のようになり外国の映画スターばり、女
【明治天皇すり替え説】明治維新を支え、日本を近代国家へと導いた明治天皇、その実在に関して一部で囁かれ続ける「すり替え説」知ってますか?即位前と後で顔や性格がまったく違う、体格や利き手が変わったなど、まるで都市伝説のに言われています。本当にすり替えはあったのか?明治天皇は1852年孝明天皇と中山慶子の間に生まれ、幼名は祐宮(さちのみや)幼少期は病弱で内気な性格とされていました。1867年に父・孝明天皇が死去し16歳で即位、日本は急速な近代化の波に飲み
3月14日、天皇陛下は私的に「登山報告会」に出席。やっと・・・息抜きか?一人で外出するときは天皇っぽいよね。家族と離れて一人でゆっくり~~~好きな人と好きな話で盛り上がる~~~もう年齢的にそういう事、してもいいのよね。歩くときも威厳をつけて顎で会釈。リンクコーデにもこだわらず、好きな服を好きなネクタイで。こうしてみると、徳仁天皇は本当に妻や娘といるとガチガチに縛られているんだなと思います。大好きな登山も、いつが最後かしら?愛子内親王が小さい時に一緒に登った程度?結婚した当時
2026年3月24日。引き続き、大平山舘について。大平山舘という名称ながら浜の方に建てられていたという『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本。原本は相馬市指定文化財)の記述でした。ではもう少し前の18世紀前半に成立した『東奥標葉記』(筆者蔵)の記述を見てみたいと思います。『東奥標葉記』については拙著でも書きましたので、宜しかったらご覧ください。-------------------------------------------四男標葉四郎隆義左京大夫法名昌信ト号、後白河院ノ御宇
また時代は平安時代に戻ります。女房三十六歌仙の一人です。父親は醍醐天皇の息子重明親王(式部卿)。母親は左大臣藤原忠平の娘寛子。10歳の時に叔母でもあり、前任の伊勢斎宮でもあった斉子内親王が急死したのを受けて、伊勢斎宮に卜定されます。そして精進潔斎のために野宮(嵯峨野のほう。今の野宮神社とか、今はないが淳和院周辺とか、現存してるのは西院野宮神社とかが精進潔斎の場所だったらしい。)伊勢斎宮は1年間の精進潔斎の後は伊勢(今の三重県明和町の斎宮跡)まで行くならわしとなってました。そこで10年
尊王の反対語は佐幕ではなく、攘夷の反対語は開国ではありません。勤皇ー佐幕鎖国ー開国が、敢えていえば正しい反対語概念です。尊王(君主を尊ぶという思想)と勤皇(天皇に政治の実権を取り替えすために幕府を倒そうとする行動)は全然別物であり、攘夷(外国に負けるなという思想)と鎖国(外国と付き合わないという政策)は全然別物です。「攘夷」の反対語は「開国」ではなく「屈服」「隷属」です。「尊王攘夷」というのは、いつのまにか、これを唱えることで「外国と仲良く付き合う」という第三の選択肢を意図的に隠すこと
信じる信じないは個人の自由です。ナターシャさんの霊視を視てみました。【霊視】紀子様続編。秋篠宮家をめぐって国民感情がざわついています。戦後80年で、皇室の捉え方が変化してきたのもあるように思います。今後の日本にとってどのような皇室の在り方が、理想とされるのでしょうか。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com9:58辺りからまとめに入り
封印が解かれるのは“愛のため”――。ババ・ヴァンガはこう残しました。「王女が愛のために王冠を捨てる時、千年の封印が解かれる」と。その意味を誰も理解できなかった。でも今、研究者たちはそれが皇室典範――“女性は天皇になれない”という法のことだと気づき始めています。結婚によって皇籍を離れる、その瞬間が封印の解放になる。歴史を辿れば、かつて日本には8人の女性天皇が存在した。けれど250年間、その道は閉ざされたままだった。愛子様が生きる今こそ、千年の眠りが終わる時なのかもしれません。続きはプロフのリン
浄見原神社:奈良県吉野郡吉野町南国栖1葛城一言主神社:奈良県御所市森脇432高天彦神社:奈良県御所市北窪158「まつろわぬ民」という言葉がある。古代日本において大和王権の支配や権力に服従せず、抵抗した人々のことだ。彼らは異族とされ、その殆どが征討の対象となった。日本書紀を紐解くと、神武紀や景行紀における日本武尊の征討譚などにおいて、国栖、土蜘蛛、隼人、熊襲、蝦夷などさまざまな異族が存在したことがわかる。彼らは討ち滅ぼされた後、国家体制の中に組み込まれていく。たとえば、服属後の隼人は都に移配
愛子さまを天皇に!!という署名活動が立ち上がっています。署名を立ち上げたのは「ゴヨウツツジの会」という団体です。「設立は2017年です。皇太子ご夫妻(当時)に敬宮愛子さまという立派なお子さまがいらっしゃるのに女性だから皇位を継げないのはおかしいと思う女性たちがネットで出会い、自分たちでできることを考えました」「国民の8割以上は女性天皇に賛成しており、その国民の思いを訴えていく一つの方法として署名活動をしています」私も、その考えに賛成
伯家神道はっけしんとう祝(はふり)の神事明治天皇で途絶えたと言われている伯家神道。民間で伝承していて、皇室に戻った。
「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結した」という捉え方は、あまり実情を反映していないからです。つまり、北朝の天皇は、戦ってもいないし勝ってもいません、実際のところを見れば。足利尊氏や後醍醐天皇のせいで天皇家が二つに分かれちゃった訳では、ありません。天皇家は、尊氏よりずっと以前、鎌倉時代のうちから、「持明院統」と「大覚寺統」の二つに割れて、交互に天皇を出しながら反目していたんです
柳美里「JR上野駅公園口」(河出文庫、2017年)を読んだ。面白かった。以前の書き込みで、サマセット・モームに比べると最近の日本の小説は面白くないと書いた。その時に面白くない日本の小説として思い浮かべたのは、かつてNHKラジオ深夜便の「ラジオ文芸館」で朗読していた小説だった。その小説は、眠れない夜に聞いていて眠りに誘われるのにはよかったが、会話が冗漫でストーリー展開も単調で面白くなかった。柳美里も、その昔「石に泳ぐ魚」を読んだときはモデルの女性を気の毒に思った。
(敗戦をきっかけにGHQから送り込まれた←妄想)おばあさま👵の、アンザイ氏血筋に皇統を移す百年計画(今上陛下⇒次男⇒ひーくん(多分健康問題で子供は作れない?)⇒お気に入りの孫🐴子さんの子供)。しかしそもそも論として恫喝にひるんでhumbleoriginを皇室に入れてしまったことから計画はくるってしまった。「類は友を呼ぶ」現象で、次から次に怪しげな人々が紐(縁)付いてきた。詐欺(NPOパートナーは半グレ)、保険金◯人(過去に付き合った2人の反社)、年金詐取、休業補償詐取、経歴詐称(弟は半グレ?)
「征夷大将軍より、関白のほうが位は上ですよね、だとすれば徳川将軍といえども、関白の命令は聞かなきゃいけないんですよね?」それは、全然違います。関白は公家のトップ、征夷大将軍は武家のトップ、ともに天皇の一の家来という意味では、横並びです。征夷大将軍は関白の家来でも部下でもありません。関白は必ず将軍より偉いかっていうと、そうとも限りません。関白も征夷大将軍も共に令外官であり、決まった位階はありません。敢えて言えば何大臣を兼ねているかで格は決まりますが、関白が右大臣や内大臣に過ぎないこともあ
180度、国民1人1人に手を振られるようにお手振りするたびに違う方向へ向く悠仁殿下。どことなくサーヤにも似てんな。俺なんざツイッターのヘッダー用に悠仁殿下を加工しちまったかんなwwwまるで現天皇ミテェだろ?wwwww今日は悠仁殿下特集w
平成時代廃太子運動が行われていた。令和になって、廃太子運動がSNSなどて、一般に知られるようになっても同じような嫌がらせが続いているように思われる。廃太子運動については、令和になって、初めて知った。平成時代、皇太子ご一家に、誹謗中傷の週刊誌記事があふれていた。雅子さまは、お世継ぎを生めない、病気で公務ができない。仮病での怠けではないか。愛子さまは、その利発さゆえにアスペルガー扱い。いじめ、不登校。皇太子さまは、そのような二人を庇っていることがおかしい。
源義経は「戦の天才」と言われるけど、どこで「兵法」を学んだのだろう?鞍馬山時代に兵法書を読み漁ったのか?そんなことは、してないでしょうね。古い兵法書の勉強なんか真面目にしていたら、義経は戦に勝てなかったでしょう。義経は、何故、勝てたか。当時の武士たちが「戦というものは、こういうふうにやるものだ」と信じて疑っていなかったルールやセオリーを、ことごとく無視したからです。ボクシングの試合だと思ってる相手に対して、いきなり脚を蹴ったら、そりゃ勝てます。剣道の試合だと思っている相手にいきなり石を投
【グロ注意】教師を解体して食人宴会…中国人302人が共食い「広西大虐殺」世にも恐ろしい中国人②有名な孔子様の話があります。孔子は、人肉が大好物だったのです。「仁義礼智信」を説いた、あの聖人君主の孔子様が人肉が大好物だったのです。それを醤(ジャン)といったのです。人間の肉をサイコロサイズに切り刻んで、塩をまぶして甕の中にいれるのです。2~3年、甕に入れて漬物石を乗せるのです。2年くらい経つと、実に美味くなるのです。多分、塩辛みたいなものだと思います。塩辛は美味いでしょう。人肉
今日の長話。「後醍醐天皇とは、何だったのか」長男より末っ子のほうが可愛いから、そっちを跡継ぎにしたい、と言い出すワガママなヒトって歴史上いっぱいいますが、特に古代から中世の天皇家に多いですね。なんでですかね。要は「優秀な跡継ぎをちゃんと選ばないと家が没落する」という危機感を抱かなくてもすむ、日本で唯一のエライさんの家、だからでしょうかね。「保元の乱」もそうですよね。白河上皇が、長男の崇徳天皇が気に入らず、弟の近衛天皇に位を無理やり譲らせたのが戦争の発端ですからね。それで国ぢゅうが大乱にな
皇位継承の危機だけではなく、外国勢力や国内左翼の工作も。■転送歓迎■R07.08.10■85,225Copies■9,233,029Views■過去号閲覧:https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251無料受講申込み:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776__________★★★伊勢雅臣、京都で8/31(日)に講演させていただきます★★★・新しい歴史教科書をつくる会京都府支
以前、吉野敏明と竹田恒泰が2014年に出演した番組を、元参政党アドバイザーの篠原さん夫妻が紹介していた。これを元に記事を書いた。『吉野敏明と竹田恒泰皇族ごっこフェラーリ』シンガポールの王族関係の食べ物を紹介する番組で吉野敏明が「竹田恒泰様」呼ばわり。まさか、日本でバレると思わなかったのでは⁉️友人として吉野敏明が登場。「旧皇族…ameblo.jp篠原さんは、大元となる出演番組のリンクを掲載していたが非公開で閲覧出来ない。しかし、同じ番組がYouTube上にあったのと、篠原さんが紹介した
【※この記事は、2023年4月投稿記事の再投稿です。】こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。【コウペンちゃんⒸるるてあ】『【宇宙一わかりやすい僕らの憲法のお話(・ω・)】5象徴天皇制とジェンダーのお話』【※この記事は、2023年4月公開記事の再投稿です。】こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。現在、今、知っておくべ…ameblo.jp今回の『補講』は、天皇制についての第2弾で
マ・オーンの記事伊勢神宮内宮(ないくう)と星座日本人は神社に好んでお参りします内宮のグルリは15枚の板ヘイで囲まれていますその数は空の星の数にあわせて造られています北極星を東西から取り囲む15の星座をご覧くださいさらに北極星に隣接して天皇という星座もあります芸術品では次のように描かれています北極星は移動する星座ですそれにあわせるようにして20年ごと
乙巳の変は、もとから乙巳の変です。何かが変わったわけではありません。と、言いたいところですが。実際のところ、蘇我蝦夷、入鹿親子が殺された事件のことを、昔は「大化の改新」と言っていました。教科書にもそう書いてあったし、みんな普通にそう信じてました。しかし、大化の改新というのは、この事件の結果できた新政府が始めた改革政治のキャッチフレーズであって。暗殺事件とは別物です。大化ってのは新政府が決めた日本初の年号で、事件のときは大化じゃなかったんだし。だいたいね、入鹿を殺しただけで、その瞬間に世
高市首相が続投し、国会で男系男子を守ると発言して以降、日本における皇位継承論争が、ご本人の意図しない方向でどんどん加速していることを実感します。私だけでしょうか?これまで愛子天皇を心の中でだけ望んでいた人たちが、次々と声を上げ始めていませんでしょうか?いたるところで、愛子天皇、という言葉が聞こえてくるようになったと感じます。一方で、男系男子を望む声は、既存の人たちがよりヒステリックに、声を大きくしているだけで、広がりは全く見られません。愛子さまの立太子に向けた世論の
歴史用語というものが、それ自身、歴史認識のかたまりのようなもので、それを教えられ、それで歴史を論ずることの危うさを指摘していて考えさせられます。このことは、先日、読み終えた『〈幕府〉の発見』に共通します。「明治維新」といえば、「倒幕」「討幕」だけれども、その言葉は江戸末期にスローガンとして使われ始め、昭和になってから歴史用語として定着したという。つまりは、ここでも〈幕府〉というものが造られ、発見される。著者によれば、そういった明治維新神話の元祖は、明治政府による『大日本維新史料』であり
秋篠宮両殿下が8月にパラグアイを訪問される事が決まりましたね。この所、外務省から進講を受けていらしたのでもしかしてと思って居ました。よかった~~~嬉しいです。いわゆる「皇室典範」改正についての論議の端っこが始まったようです。会談したのは麻生副総裁と小林政調会長と森議長です。私は覚えているんですけど、昭和50年代から「皇室典範」改正論議というのはありました。・女帝を認めたらどうか・旧皇族の皇籍復帰が議論されていました。昭和天皇の兄弟で子に恵まれたのが三笠宮家のみ。だけど女