ブログ記事106件
Facebookのアカウントが突然、何者かに乗っ取られる…。まさに晴天の霹靂の様なことが我が身に起こりました。Facebookを使い始めて、かれこれ10年以上になるでしょうか…。国内外のほとんどのお友達ともFacebookで繋がっていて、近況もある程度は把握できていて…。連絡を取り合ったり、友達と友達が意外なところで繋がっているのを知ったり、みんなの様々な活動を知ることも出来ていました。お友達の数もおよそ1,000人。その半数以上がリアルなお友達なので、私にとって無くてはならないツールでし
先月、夫が還暦を迎えたこともあり、お祝いを兼ねた家族旅行を計画しようということになり、私は『雨宮家のルーツを辿る旅』が面白いのではないかと提案。なぜなら、家紋からご先祖さまの動きがある程度、見えてきたからです。夫はもとより家族全員が大賛成してくれました。家紋が同じというのは、やはり重要な意味を持ちますね。普段、私はペンネームの苗字、天川(てんかわ)を使い生きていますが、本名である『雨宮(あめみや)』という苗字も、とても好きで…。結婚してまもなくの頃、夫に雨宮の家紋を質問すると「丸に上の文
六芒星と籠目紋。日本人が古くから使ってきた竹籤紋の話を今回書きます。ことの始まりは、大分別府の竹細工アーティスト、野中たんぽぽさんの個展に合わせ、なにかワークショップをして欲しいとお願いしたことから。「それなら、籠編みの古典的な六つ目編みの敷物を作りましょう。壁掛けにもなる、中が正六角形になる竹編みです」ということで最初に送られてきたのがこの写真です。その後、しばらくして完成したものも送りますね、と送られてきた写真を見て、びっくり仰天!なんと、六芒星ではないですか!六芒星ということは、
こんな時間が自分の人生の中で巡って来ることになろうとは…。縁と時が積み重なるというのは、言葉にするのも難しいほど凄いことである。2022年10月9日と10月10日。この二日間のことを、私は生涯忘れることはないだろう。正直なところ、どこからどのように書き表せばよいのか、また後々この出来事が、更に新たな展開に繋がっていくのか否かもわからない。ただ、今いまいえることは、全てに感謝の気持ちでいっぱいである、ということだけだ。40年ほど前、私は細野晴臣さんに手紙を書いた。叶う事なら、いつか一緒に
我が家のファミリーネーム「雨宮」。ルーツの始まりが、千曲市にある『雨宮座日吉神社(あめのみやにますひよしじんじゃ)であることは前編に詳しく書きましたが、戦国時代になると、歴史に少しばかり雨宮が登場するようになります。中でも最も活躍したのが、戦国時代の武将の一人であり信濃村上の家臣だった、雨宮刑部(雨宮正利)です。もともとは信濃・鞍骨城主である清野信秀の子として生まれ、雨宮昌秀(雨宮摂津守)の養子に入り、信濃・唐崎城の城主となります。唐崎城があった唐崎山。この時、信濃村上氏の当主は猛将、