ブログ記事1,854件
にっかつ「魔性の香り」2年以上前に「魔性の香り」というタイタルで投稿した記事を再投稿。「にっかつ魔性の香り」という記事は残してあるので、古い方の記事は削除してしまってもいいのだが、映画の画面キャプチャーを残しておこうということで、再投稿。新たに画面をキャプチャーして多少の画像処理をするつもりでいたところ、今回は断念。使い回し。再投稿する意味なし!?1982年9月に再復帰をして、83年にヌードに。ヌードにも段階があって、セミ・フルと手順を踏んだのかもしれないが、まあとにかくアダルトな仕
天地真理さんの初主演映画「虹をわたって」衛星劇場で数回放送され、今年の3月にDVD化もされているのですが、先月今月とホームドラマチャンネルで再度、主演映画2本「虹をわたって」「愛ってなんだろ」が放送されましたので見ていきます。今回は「虹をわたって」についてです。「虹をわたって」監督:前田陽一脚本:田波靖男、馬嶋満出演:天地真理、沢田研二、萩原健一、なべおさみ、岸辺シロー。1972年9月29日公開。‟白雪姫”の愛称で親しまれ、70年代を代表するアイドルとなった天地真理が初
こんにちわぁ~きのう、なにげなくYoutubeをサーフィンしていたら、ほんとうに偶然、天地真理さんの映像を見つけちゃいましたぁ~(^^♪この映像は昭和48年3月に、山梨県甲府市にオープンした『アーバン中込』っていう百貨店のオープンイベントらしいです。ほんの数秒だけですけど、見覚えのある真理さんの笑顔と見覚えのある衣装が出てきて、もうびっくりでした。MCのかたも“あまちまりさん”って言っているので、間違いはなさそう、です。地方の百貨店のオープンイ
はばたけ!真理ちゃん10話。1974年11月5日放送。「あしながおじさん」第2回。出演:仲谷昇。みなさんこんばんは。今日は『あしながおじさん』の第二回目です。「木枯らしの舗道」『あしながおじさん』2回目。メインゲストの仲谷昇は当時45歳(役中では34歳)「真理ちゃんと仲谷をいちゃいちゃさせるな」というファンからの抗議がTBSに殺到したという週刊誌の記事があるが、沢田研二や西城秀樹との共演ではそんな話は聞かない。若手タレントにはない危険な匂
緊急ブログです(^w^)僕も知らなかった曲がYouTubeに…この度発見しました想い出のセレナーデに別バージョンがあったのです(>_<)10枚目シングル恋と海とTシャツとのB面ように作られた曲青春のセレナーデでしたが実際は花嫁の友達に変わって発売されましたが青春のセレナーデは次のシングル曲へ想い出のセレナーデとして発売されて大ヒット曲となりましたが青春のセレナーデもアレンジがまったく違って…最後の歌詞が変わってますそれでは聴いてくださいね🎵青春のセレナーデもきれいな曲なんで
こんにちわぁ~天地真理さん主演の映画『愛ってなんだろ』が、YouTubeにアップされていましたぁ~(*^^)v私、この映画は見たことがなかったので、いっしょうけんめい、観ました。良かったぁ天地真理さん主演の映画って、3本ありますよね。『虹をわたって』『愛ってなんだろ』『魔性の香り』ですよネこのうち『虹をわたって』と『魔性の香り』は私、もう観ましたから、『愛ってなんだろ』を観たかったんです。ちなみに、3本ともネッ
2006年までの天地真理さんについて見てきましたが、その後の3、4年間のことは、わからないですね。2010年頃から新たな活動がスタートしたようです。アサヒ芸能2011年11月3日号。このアサヒ芸能の記事は、アイドル時代の関係者の貴重な証言などもあって、読み応えのある記事になってます。特に、他で聞いたことのない、篠崎重マネージャーの希少価値のあるコメントもありますが、それは以前に掲載しましたので、未掲載部分をいくつか掲載します。2011年にファン倶楽部を結成して、その活動は
1975年の紅白歌合戦についての記事を引用。週刊読売1975年12月6日。この落選、マリちゃん陣営は発表の前日あたりにはすでに察知していたらしく、発表の十一月十九日には雲隠れしてしまった。所属する渡辺プロでは「偶然お休みの日で、行き先はまったく分かりません」といいながらも、「初心に帰って、来年こそはがんばります」という彼女のコメントを読み上げる周到さ。ヤングレディ1975年12月8日。天地真理の落選にCBSソニー企画政策課の片山邦彦氏は憤懣やるかたない表情で閉口一番こ
こんにちわぁ~(^O^)/きょうは『♪私が雪だった日』で~すビデオは、いつもどおりいちばん下にありま~すこの『♪私が雪だった日』っていう曲は、真理さんの23枚目のシングル・レコードです。↓これこれこの『♪私が雪だった日』のシングルは、1983(昭和58)年2月1日にリリースされました。これ以降、真理さんはシングル・レコードをリリースしていませんので2017(平成29)年4月現在、真理さんの最後のシングル・レコードになってます。
2006年の天地真理さんです。まず、こちらは2000年の記事ですが、一部を切り取り掲載、婦人画報2000年4月号。なぜか料理も縫製も全く駄目なようです。家計管理も、うまかったとは思えないのですが、やはり真理ちゃんはお姫様、白雪姫なんですね。毒リンゴも簡単に食べてしまう。七人の小人が守ってやらなければならないのですね。やはり可愛いですね。子供は可愛いものですが、それでも可愛い。お母さんの写真といえば、ほぼ全て73年7月に「てまり」が開店した時のものなので
【ストーリー内容】夕食後、テレビを見ていたまる子とお姉ちゃん。2人は、テレビで歌っている天地真理を見て、「キレイ」「シンデレラみたい」などと惚れ惚れするのでした。そこにベロンベロンに酔っ払ったお父さんがやって来て、まる子をお風呂に入ろうとまる子を誘います。まる子は、もう少しテレビが見たいから待ってくれと言います。すると、お父さんからは「真理ちゃんと比べるとお前きったねぇな」と言われてしまいました。その後、まる子はお父さんと風呂へ。脱衣中、お父さんはヒゲソリを忘れたから取りに行ってほしいとまる
昨年1か月も入院して、元気になったと思われていた彼女の体に、なにが起こったのだろうか?退院してから一年近くも復帰をせずに、静養中?の天地真理さんでしたが、レッスンに励んでいたこと、山奥のお寺で20日間過ごしていたという記事を、前回に掲載しました。本人は早く復帰がしたいということで、どうやら体調は問題ないような、そんな感じでしたが、年が明けて2月から、また療養生活に入ったようです・・・週刊平凡78年3月2日号。4月にカムバックするという話は、正式に発表されたものなのか
遅ればせですが、都知事選、小池さんの圧勝でしたが私としては石丸さんになってもらいたかったですね、あるいは桜井誠さん、小池さん、子育て支援とか高校無償化とか色々言ってましたが予算が潤沢な東京ならそんなの馬鹿でも言えること、やはり日本人は変化よりも安定が好きなんですね、民主党に政権託したら、もうボロボロダメダメだったので、その記憶が残ってるからかな、、石丸さんなら都議会(石原さんがこの人らしくなく都知事辞めてから、都議会は妖怪の巣窟だ、なんて言ってましたが、言うなら辞める前に言わないと)
はばたけ!真理ちゃん17話。75年1月23日放送。「若草物語」第1回。ゲスト・にしきのあきら。みなさんこんばんは。寒い日が続いてますけど元気ですか。今日からは若草物語が始まります。にしきのあきら「愛のぬけがら」「木枯らしの舗道」今回から「若草物語」が始まりました。全4回。四姉妹の物語で、真理ちゃんは次女のジョー。どこか男っぽくて行動的ですがロマンチックな面があって、いま小説を書いています。四姉妹のキャラクターは、ほぼ原作に忠実な
昭和48年。いまから45年前だが、天地真理さんは本当に絶対的な人気を誇る国民的アイドルだった。それが、打ち上げ花火が消えるように、ものすごい勢いで[人気]がなくなっていった。オレは当時、『平凡』というティーンエイジャーむけの芸能雑誌を作っていて、その現象を本人、渡辺プロの彼女のスタッフといっしょにいて、目撃、経験したのだが、その原因がずっとよく分からなかった。一般的には、新しく出てきた女の子たち、山口百恵さんとか桜田淳子さん、浅田美代子さんなど、後出の女のコたちにファンが移動したというふうにい
96年に離婚をしてから2~3年間の天地真理さんについて、ヘアヌード写真集、ダイエット商品の宣伝、その他いくつかの記事を以前に掲載しましたが、わりと活発に、元気に仕事をしていたようです。今回からは、その後の、2000年代の天地真理さんを見ていきます。女性自身2001年6月12日号。体調が悪くてラジオのレギュラーを降板したという記事ですが、年齢的(49)に、更年期障害であると思われていたようです。女性セブン2003年1月23日号。激太り、家族との別居、奇妙な行動につ
東京モガ1997年7月発売のヘア・ヌード写真集です。1996年7月に離婚をして、翌年5月に「スリムになるってステキなことネ」というダイエット本を出版。そして7月に45歳でヘアヌード写真集を発売。カメラマンは沢渡朔。45歳でヌード写真集を出さねばならなかった事情はわからないが、プロデューサーの高須基仁氏は、熟女ヌードの仕掛け人として実績のある人で、当時は他にもヌードになる熟女タレントが何人かいたので、ヌードの敷居が低かったことは確かである。オリコンウィーク1997
百恵ちゃんの[自分勝手にBest10]をやろうと思ったけど、先にキャンディーズのCDを見つけてしまった。これも懐かしいんです。このCDはキャンディーズのシングルヒット、全部で18曲を網羅したもの。歌がヒットしたのは、わたしが20代の後半、26歳くらいから30歳になるまでの四年間。西暦で言うと、1973年から1978年まで。実は、キャンディーズと仲良しだった思い出がある。1974年、私は月刊雑誌『平凡』の編集記者だった。渡辺プロがハワイでテレビ番組を作るというので、ハワイ
渡辺プロの伝説のマネージャー、菊池哲榮さんについて。以前に、このタイトルで投稿したことがありますが、削除してしまったので、今回新たな記事を作成しました。菊池哲榮さん(1946年生まれ)は、天地真理(本名・斎藤真理)の名付け親であり、天地真理さんを発掘してデビューさせて、国民的アイドルへと導いた人でありますが、天地真理さんをマネジメントしていたのは1974年3月くらいまで。菊池さんについての詳しいことは、他所のサイトにロングインタビュー記事があるのでそちらを見ていただくとして、第119
★★★★これが問題の1972年の12月号。発行部数131万部、販売部数121万7679部。表紙のタレントは天地真理と伊丹幸雄と郷ひろみ、3人ともいつも『平凡』に広告出稿をしてくれるCBSソニー所属の人たち。★この雑誌が販売になった時期は10月25日〜11月24日までの一カ月。紅白歌合戦への出場とレコード大賞の新人賞、歌唱賞、大衆賞を誰が取るか、これをめぐって、水面下で強烈なアピール合戦が行なわれている。そのデッドヒートの最中にこの三人が表紙に登場する意味は格別である。天地は前
★ここまで書いてきて、もう気が付いている人もいるかもしれないが、西城秀樹の芸能界でのアイドルとしてのエスタブリッュの物語は実は、〝新御三家〟がどのようにして成立したかを記録した物語でもある。ゴローとジュリーが新しいアイドル像の原型を作る作業を始めた。日劇のウェスタン・カーニバルを舞台に、まず田頭信幸が脱落した。伊丹幸雄と秀樹が残った。そこに8月デビューの郷ひろみが参入する。『平凡』の11月号では、はっきりとその方向性が見えてくる。★これが1972年11月号。発行部数は130
天地真理さんのキャバレー出演について。しつこいが、長期休養中と、その後に出た記事を引用。文藝春秋1977年5月彼女がキャバレーに出演したのは、当然のことながら、人気が落ちたからであるが、出演の感想を求められたとき、プロダクションの指図で「とても勉強になりました」と心にもないことを口にしなければならなかった。加東康一氏が彼女に訊くと「二度とやりたくない!」と吐き捨てるように言ったという。そして伊藤氏(音楽評論家の伊藤強)は、天地真理が、およそ彼女の歌のイメージとちがったキャバレーに
はばたけ!真理ちゃん9話。1974年11月28日放送。「あしながおじさん」第1回。出演:小松政夫、谷啓、ホーン・ユキ。それでは、『あしながおじさん』見てください。曲名は出なかったが、あしながおじさんの歌。「木枯らしの舗道」みなさん来週の『はばたけ!真理ちゃん』お楽しみに。『あしながおじさん』4話構成の1回目。今回はメインゲストの仲谷昇の出番はなし。今回9話から歌が12月10日発売『木枯らしの舗道』に変わりました。今回の歌唱はDVDに
渡辺プロ、伝説のマネージャー菊池哲榮さん、続き。菊池哲榮さんが天地真理のマネジメントをしていたのは、1974年3月頃までだと思われますが、他所のサイトで菊池さんのロングインタビュー記事があるので、そちらから勝手に引用させてもらいます、第119回菊地哲榮氏(株)ハンズオン・エンタテインメント代表取締役社長|Musicman菊地哲榮氏(株)ハンズオン・エンタテインメント代表取締役社長今回の「Musicman’sRELAY」は、(株)キョードー東京代表取締役
天地真理さんが車内H、カーセックスをしたというお話です。不倫や離婚の話ならまだしも、そんなシモのネタまで取り上げなくてもいいとは思うのですが、天地真理さんがカーセックスの話をしたというのは割と知られていることであり、今回掲載する記事は、公共の電波で語ったという話であるし、何を言ったのか詳しく知っておきたい人もいるはずだということで、いつの話なのかというと、アイドル時代の話ではなく、結婚してからの話です。当然ですが。86年9月に34歳で結婚をして、翌年に出産をして、40歳の時にス
天地真理・厳選画像集第三弾‼ということで、今回は、73年春頃から秋頃、22歳の誕生日の頃までの真理ちゃん。第三弾ということで、こうしてデビューからの画像を順番に見てみると、大人っぽくなったというか、洗練されたというか、可愛らしさに美しさも備わってきた感じですね。今回掲載した期間は、休暇中に真っ黒に日焼けしてしまったこともありましたが、ビジュアル的に高いレベルで安定していました。この期間も、もっと良い画像がたくさん存在
清純ムードから脱皮できなかった真理が、ついに大人になったか・・・・と思わせる出来事が起こった。真理ファンの観客がラジオ局に〝通報〟したため、このハプニングが明るみに。1975年正月の日劇公演最終日のハプニングについての記事を、大した話ではないが、引用。週刊平凡1975年1月30日ハプニングが起きたのは、1月13日(月曜)、文化放送『ダイナミック・レーダー』の生本番中でのこと。「ことしの正月、日劇のショーの最後の日(7日)に、真理ちゃんが、〝ことしは私にとっても篠
1985年12月公開「魔性の香り」について。セミヌード、フルヌードときて、ついにロマンポルノに出演したわけですが、にっかつに出演するという噂が出たのはいつなのかというと、週刊平凡82年8月15日号。2度目の休養中の、3度目のデビューを控えていた時に、そんな噂が出ていたようです。82年9月に再復帰をしてすぐに、ハワイでセミヌードの撮影に入っているので、復帰する前からヌードの撮影は決まっていたと思うのですが、にっかつがそんな話を耳にして、天地真理の出演いけるかもしれない、とその気
私も着たかったキャラ物の服。キャラ物の靴や筆箱。どれも母がダメだと言い買ってもらえませんでした。ランドセルも、軽い合皮が1年生の時には小柄だった私にはよかったんだけど母がどうしても本皮にこだわって、高級品。周りはキャラ物の運動靴だったのに私は革靴。当時は本当に嫌でした。『ADOMIZUMORIWORLD』オフィシャルサイト「カワイイ」がいっぱいの『ADOMIZUMORIWORLD』オフィシャルサイト。水森亜土さんの新しいプロジェクトや新商品情報をご紹介していま
どうして・・・・・どうして私をいじめるの?心ないウワサに泣く=天地真理。1972年4月頃に(正確な雑誌と日付は不明)、次々と誤った中傷記事を書かれてしまって、それに対する反論と、ホントのコトを語った月刊明星72年7月号の記事です。この記事は以前に「真理ちゃん心ないウワサに泣く」というタイトルで、以下略。この月刊明星のインタビューは、週刊明星にも掲載されて(そちらがメイン)、そちらの記事は当ブログでも扱って残してあるので、今回は簡単に。明星72年7月号。高校卒業直