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久しぶりにみたタブレット閉塞YouTubeで見て、知識としてはあったけれど、実物を見ると、まるで死んだ人と再開したかのような不思議な感覚があった。天北線キハ22急行天北タブレット・塩狩峠50系・急行宗谷民営化直後の天北線です。最後のタブレット閉塞も見れました。車掌に頼んで機関車のタブレット受け渡しもきれいに撮れました。#天北線#タブレットyoutu.be昭和62年7月。急行「平戸」久原駅通過タブレット交換第三セクター化前の松浦線です。急行平戸は停車駅が多く、タブレット交換する
前回の続きです。峠を下り、再び廃線跡と合流して小石駅跡に到着。私はこのカローラスポーツのスペックを良く知らずに乗っていたのですが、いわゆる「ダウンサイジングターボ」で、どうりで1.2リッターの排気量でも全く非力を感じなかったワケだ…と納得。しかも昔のターボ車と違ってターボラグ(過給前の出力低下現象)もないし。駅跡には『小石交流センター』と消防団が建っています。かつての駅前広場の曲淵方には『望郷』の石碑が建立されましたが、雪よけのため?シートで覆われた状態になっていました
1989年4月30日限りで、名寄本線と共に廃線になってしまった日本最北にして最長距離の特定地方交通線・天北線。同線は私が乗車した数少ない特定地方交通線のうちの1つですが、往路は宗谷本線(幌延)経由だったため、復路の上り列車のみという行程でした.。残念ながら当時まともなカメラすら持っていなかったため写真は1枚もありません。その時乗車した「証」となるモノとして残っているのは、私のおぼろげな記憶以外では実際に乗車した時に使用した車内補充券(区変のため原券回収)と、途中3駅で購入した硬券入場券
特急サロベツ2号・宗谷本線朝日に照らされるキハ261。利尻富士バックを狙いましたが雲に包まれてしまったので車両メインで撮ります。普通列車・宗谷本線日の出が早くなり朝の時間帯も光線が丁度良いです。宗谷ラッセル・宗谷本線雪解けが進みラッセル車は回送状態でした。宗谷ラッセル・宗谷本線利尻富士を期待して南下しますが雲に包まれたままでしたので芦川駅跡地を構図に入れて撮ります。線路が不自然にカーブしている場所がかつての芦川駅です。なお、この後に車両不具合が発生し一時走行できなくなり特急列
木造駅舎でも板張りの木造駅舎は、少なくなってきています。現役の板張り、若しくはそれに近い雰囲気の木造駅舎を9駅と、廃駅ですが現存している板張り木造駅舎19駅掲載します。廃止になったばかりの留萌本線峠下や根室本線の幾寅は、掲載しすぎですから、今回省略します。石北本線の上越も現存していますが、遠目からで、近くに寄れない(立ち入り禁止)ですから省略です。先ずは有名どころの現役の木造駅舎です。釧網本線から行きます。藻琴駅です。日中は観光客が絶えません。喫茶店も開業しています。しかし駅ネに関
こんにちは。Nゲージ鉄道模型ネタが続きますが..北海道の14系500番台客車急行シリーズ、”利尻”、”宗谷”と来ましたので..今回は”天北です。札幌-稚内を結んだ客車急行トリオです。実車写真を交えて書いてみたいと思います。急行天北は廃線になってしまった天北線廻りの列車、軸重の関係から名寄-稚内間をDE10が牽引しました。私が初めて北海道を訪れた1988年時点で、唯一のDE10牽引優等列車だったと思います。なので模型でもこの形式が先頭に立ちます。2両しか居ないのでホワイトスノー安比を牽引し
皆さま、おはようございます!前回のブログで南稚内駅のことを書きました。【まったり駅探訪】宗谷本線・南稚内駅に行ってきました。南稚内駅の開業年は大正11年で現在の駅舎が供用を開始したのが昭和28年。この年のズレには大きな理由がありまして、南稚内駅から北側1キロの位置にあった初代・稚内駅を昭和14年に改称して誕生したのが南稚内駅でしたの。ことの経緯は以前のブログでも挙げているのでぜひそちらもチェックして頂きのですが、南稚内駅から稚内駅に進入する際にスイッチバック運転をせ
エゾリス・オホーツク管内とある跨線橋から鉄道撮影しようとした時にエゾリスと遭遇しました。今年は道路上で車に轢かれた痛ましい姿のリスを見ることが多いので無事に寿命を全うしてほしいと勝手ながら思います。普通列車・石北本線霧が濃く背後の景色がぼんやりです。回送列車・石北本線霧が晴れて遠軽駅の全景が見えてくれました。貨物列車・石北本線今年もタマネギ列車が運行開始しました。何度か撮影していますがひと目で石北本線のタマネギ列車だとわかる撮り方をしていなかったのでこのアングルで撮ります。貨