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こんばんは☆彡aiko/赤いランプコレクションのお話国鉄/JRの切符の件まさか手に入るとは思ってなかった北海道・旧天北線(廃止)の国鉄樺岡駅の硬券入場券が手に入りました樺岡駅硬券入場券樺岡駅は北海道最北の稚内市に1989年4月30日まであった国鉄(JR)天北線の駅です。【樺岡駅の歴史】1922(大正11)年11月1日開業1973(昭和48)年9月17日無人駅化1987(昭和62)年4月1日JRへ移管(国
▲ある日のランチ帆立尽くしのさるふつ定食1760円猿払の帆立はばら撒きなので吊るして養殖するのより粒が小さいんだそうです北海道一裕福な街猿払で頂きました⬇️▲ホテルさるふつ北海道宗谷郡猿払村浜鬼志別214-7日本では3番目に個人所得が多いとか▲レストランメニュー▲帆立の牛乳鍋にご飯を入れてリゾット風にして食べました▲向こうが道の駅さるふつ既にカウント済み▲ポケモンの蓋道の駅さるふつの前にあります▲帆立の化石の塊▲この辺り松浦武四郎野営の地▲天北
北海道猿払村の鬼志別(おにしべつ)ターミナルです。浜頓別から乗った稚内行バスはここで約30分停車します。ターミナル1階の天北線資料館を見学しても、まだ時間があります。ちょっと市街地を散策しましょう。ターミナルは昔の鬼志別駅跡なので、ターミナル前の道路は駅前通りだったんですね。通りに面して稚内信用金庫の支店があります。駅前通りと道道138号豊富猿払線の交差点には市街案内図(天方向が南で地方向が北)が掲げられています。交差点をそのまままっすぐ北上すると自衛隊の廠舎があります。鬼志別には日
北海道猿払(さるふつ)村の鬼志別(おにしべつ)ターミナルに来ています。かつてここにはJR天北線(1989年廃止)の鬼志別駅がありました。ターミナルの建物1階には天北線の資料室があり、猿払村にあった駅の駅名標や備品などが展示されています。開館時間は9:30~17:00、入場無料、定休日は月曜日、祝日の翌日、年末年始です。廃止前の写真も展示されてますね。こちらは昔の鬼志別駅の駅舎です。これは駅舎に掲げていた看板でしょうか。停留場の留という字が異体字です!これはホー
前回に続き平倉移動する車の中かからのショットです。昨日は用足しで始まり、家のごみを焼却センターまでもっていき、昼は訪問パン屋さんが来たりとあわただしく過ごした午前中でした。午後は久しぶりに温泉に入りに行ってきました。なかなか良かったですよ。今日は午前中も外出です。午後は家で仕事の予定。それにしても毎日が淡々と過ぎていきますね・・・現役時代の写真です。天北線9600苫小牧駅のD514追分機関区室蘭本線社台
札幌駅から路線バスを乗り継ぎ、2019年11月に紋別ターミナル(北海道紋別市)に達しました。今回はその続き。紋別ターミナルからJR稚内駅(北海道稚内市)までのバス乗継旅、第四話です。・札幌をスタートしたときの記事はこちら⇒[リンク]・前回のお話(枝幸ターミナル⇒浜頓別ターミナル)はこちら⇒[リンク]~~~~~~~~~紋別から稚内へのバス乗り継ぎ旅。二日目は枝幸(えさし)を出発し、浜頓別(はまとんべつ)にやってきました。浜頓別のバスターミナルは浜頓別駅(1989年廃止)
今年も拙文が「文芸そうや」に掲載された。いつの間にか、宗谷に移住してから30年にもなった。天北線跡のこととか砂金掘りの話など、むしろ私よりも情報をもたない人が多くなってきたようだ。だから、私も語り継いでいかないと・・と、投稿するようになった。庭には、途方もないような雪の山・・。旭川での勤務や除雪のため、何度も往復したこの冬だが、積極的に使うようにしたのが、デマンドバスだ。今回はデコレーションのない、シンプルなほうの車両だったが、乗り心地もよいし、使いやすくてとてもいい。秋の運行開始から
佗助さんのお料理で年越し。今年も、まさに、文化財のような献立・・。なんとか、伝承されたい、そんな仕掛けと味わい豊かな風味・・・・。中頓別の名店、佗助(わびすけ)さん。もう25年以上、通っている、大切なお店。
これは、デマンドバス(事前予約制のバス)の車窓です。かつての有名線区・天北線沿線は、寂れる一方です。鉄道を剥がした時に分かっていたことでもあります。地元の足、というロジックは、地域の滅びを10年とか数十年先送りにするためのものに過ぎないと実感できます。鉄道は地元だけのものではないのです。辺境がしっかりしているから中央が安心していられるのに。この国は、国土の統治を放棄した。今日の辺境は、明日の全国・・・・。音威子府に到着。とりあえず、旭川まで・・。
初夏の頃、稚内駅から「サロベツ4号」に乗車、まどろんでいると不意に「雨量計が規制値を超えたため、音威子府駅で運転を取り止める云々・・」との放送で目を覚しました。(2023.6.29宗谷本線音威子府駅)音威子府駅でJR北海道が手配した代替バスを待つことになり、図らずしも39年振りに降り立ちました。かつて道北の要衝駅だった頃の活況は微塵も無く、音威子府以北の普通列車は僅か3往復とは・・(2023.6.29宗谷本線音威子府駅構内)キハ54単行の普通列車も抑止を食らっていたのでノンビリ
グイッと北上し、やって来たのは「音威子府駅」。かつては天北線が分岐する交通の要衝であり、現在も特急「宗谷」「サロベツ」を含めた全定期列車が停車。中頓別、浜頓別、猿払、枝幸などの周辺市町村とを結ぶ路線バス・都市間バスとの乗換駅ともなっています。駅構内には「天北線資料室」があります。1912年(大正元年)11月5日鉄道院宗谷線恩根内駅-当駅間開業にともない開業1914年(大正3年)11月7日宗谷線
10月7日土曜日この日はJR北海道が来春で廃止を検討している宗谷本線の駅巡りをしながら、稚内まで行って来ました。生憎の空模様でしたが、天気予報では曇りとの事でしたので決行しました。宗谷本線へ向かう前に、前回深名線の廃線巡りをした時には修繕中で見る事が出来なかった添牛内駅に寄って来ました。かつては2面2線の相対式ホームのあった駅構内は雑草に覆われその名残は見る事は出来ません。残念ながら駅舎内は入れなかったので、窓から中を覗いて見る事に。深名線添牛内駅途中まで深名線沿いを走り美深よ
今月の一日(2023年10月1日)で、宗谷バスの天北線代替バスの南半、音威子府・花頓別巻が廃止され、デマンドバス化されたことを先日の日本経済新聞の北海道版で知りました。残念。一応交通手段とした存続したわけですから、まあ良しとしますか。バス変換当時は音威子府・稚内間通しの便もあったのが懐かしいです。日本経済新聞北海道版(10月24日)この路線、一部ですが輪行で乗ったことがあした。2015年の初夏のことです。札幌7時48分:スーパー宗谷1号、音威子府着10時57分音威子府1
2023/9/30天北線代替バスなど10月から道内のバスが減便や廃止が多く…どれかに乗っておきたいということなり…まさかの遠征。しかも稚内泊まらず日帰り弾丸。何回も旭川名寄の急行バスでもいいんだよ?ともう一人の自分のささやきはまったく聞かず(笑)音威子府行きの表示をする天北線代替バス…浜頓別から音威子府は10/1からデマンドになる朝7時半の宗谷に乗る。この列車は音威子府から中頓別、浜頓別、鬼志別、宗谷岬、南稚内と停まります(いやこのルート鉄道でない)音威子府1041着二度とくることないと
松音知(まつねしり)駅や敏音知(ぴんねしり)駅があった天北線は平成になってから廃止になった路線でありかっての宗谷本線であり天塩方面のルートが開通すると支線扱いになってしまった。この路線は4回ほど乗車したことがあり冬に乗車した時は敏音知岳がソフトクリームのようにそびえたつのがキレイだった思い出が蘇る。2003年の道北の旅の時に寄った思い出。訪問した松音知駅跡は個人所有のもの(本州の駅長さんだった人が所有?)となっておりあとから建てられたもので現役当時のものではなく
エゾリス・オホーツク管内とある跨線橋から鉄道撮影しようとした時にエゾリスと遭遇しました。今年は道路上で車に轢かれた痛ましい姿のリスを見ることが多いので無事に寿命を全うしてほしいと勝手ながら思います。普通列車・石北本線霧が濃く背後の景色がぼんやりです。回送列車・石北本線霧が晴れて遠軽駅の全景が見えてくれました。貨物列車・石北本線今年もタマネギ列車が運行開始しました。何度か撮影していますがひと目で石北本線のタマネギ列車だとわかる撮り方をしていなかったのでこのアングルで撮ります。貨
■4日目-③海沿いを外れ内陸部へ◆旧天北線巡り熊鈴🐻と虫除けスプレーは必須!•浅茅野駅跡猿払村浅茅野交流センター裏に位置していて、近くまで車で寄れるのでありがたい。草も刈られており手が入っていた。•飛行場前駅跡こちらは駅名標などは無く、よく見ないと分からない板切れのホームは草の下で自然に還ろうとしてました。天北線跡はサイクルロードとして整備されてますが、こちらも利用する人はあまりいなくて自然に還ろうとしている。名前の由来は第二次世界大戦中に陸軍浅茅野第一飛行場があったから
===想い出の北海道===⑯4年前(2019.10.12~10.29)のドライブ記です7日目(2019/10/19)観光地に寄らない北の大地の秘境旅直進して幌延・沼川方面へ沼川郵便局でATM出金イオン銀行カードは手数料無料ですトイレ完備の宗谷バス沼川バス停の待合室沼川のメインストリート旧JR天北線沼川駅跡に寄り道沼川駅跡の裏は原野1989年5月1日廃止稚内市沼川から道道13
平成元年廃線の天北線跡に残る橋梁。すごい存在感があります。こんな出会いがあるので廃線探索はやめられない。nostalgiaNo43はこの写真を含む天北線です。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
ざっと、この記事のルート。士別から、道央の道を走り始めます♪名寄のあたりは、バイパスを走って町には入らず。「智恵文のひまわり畑」と地図にある場所に行ってみましたが、どうもそれらしきものは見当たらず……今年はやってないのかしら。(後で調べたら、名寄サンピラーパークにひまわり畑があったようです。残念)ここから、「トロッコ王国美深」へと向かいます。途中で渡った、天塩川。今日は天塩川&宗谷本線に沿って下っていき、最後は天塩川の河口まで行く予定です。きっと何度も、天塩川と遭
【主な乗り物:特急スーパーホワイトアロー、特急バス天北号、高速バスはぼろ号】夕張を往復した午後に、僕は慌ただしく特急列車「スーパーホワイトアロー」で旭川へ足を伸ばした。札幌と旭川の間は何度か行き来したことがあるのだが、昭和61年に登場した、俊足を誇るこの特急電車に乗るのは初めてのことだった。その前にこの区間で特急列車を利用したのはいつのことだったっけ、と思う。2時間にも満たない距離であるにもかかわらず、乾いた札幌市内とは一変して、旭川の街は一面の雪景色だった。旭川を1
その後は…音威子府にて下車天北線代替バスが一部区間が9月末で廃止になるらしいので乗ってみました。雨でしたが楽しめました。
木造駅舎でも板張りの木造駅舎は、少なくなってきています。現役の板張り、若しくはそれに近い雰囲気の木造駅舎を9駅と、廃駅ですが現存している板張り木造駅舎19駅掲載します。廃止になったばかりの留萌本線峠下や根室本線の幾寅は、掲載しすぎですから、今回省略します。石北本線の上越も現存していますが、遠目からで、近くに寄れない(立ち入り禁止)ですから省略です。先ずは有名どころの現役の木造駅舎です。釧網本線から行きます。藻琴駅です。日中は観光客が絶えません。喫茶店も開業しています。しかし駅ネに関
音威子府駅前から、2023年10月に廃止が濃厚となった宗谷バスの天北宗谷岬線に乗車。初訪問となる中頓別町の中頓別ターミナルまでやってきました。10分の停車時間を利用して、トイレ&駅舎とその周辺の見学をしました。トイレと見学に時間を使っていたら、あっという間に時間が経過し出発時刻にバスに戻り、再び乗り込みます。そして、ここからはなんと5名の追加乗客が\(^O^)/高校生っぽい男の子1人と、男子中学生4人。中頓別に到着するちょっと手前くらいで、4人がチャリをこいでる横をバスがさ
【主な乗り物:急行「八甲田」、快速「海峡」、急行「利尻」、天北線代替バス、急行「宗谷」、急行「まりも」、特急「おおぞら」、急行「はまなす」】上野駅を21時35分に発車した急行「八甲田」は、深夜の東北本線をひた走って、翌朝9時08分に終点の青森駅のホームに滑り込んだ。14系客車の簡易リクライニングシートで過ごした12時間に及ぶ一夜は、長かったような短かったような、あっと言う間だったような退屈だったような、乗り終わっても評価が難しいけれど、ほのかな疲労感と寝不足感を伴う余韻は心身に残って
音威子府駅から、廃止間近の天北線代替バスに乗り込み、約4時間半の路線バスの旅が始まりました。音威子府からまずはR275をひたすら進んでいきます。音威子府駅を出発して少し走ると、すぐに宗谷本線と立体交差。宗谷本線の方が上を通るのですが、そこにはけっこうな人数の撮り鉄の方々が、花たびそうや号がやってくるのをカメラの準備をして待っていました📷️この後は、一気に民家とかもなくなって、国道でありながらも田舎道へと突入。途中、いつの間に東北にワープしたんって思わせるバス
天塩川温泉から無料の地域バスで30分かけて、2年連続訪問となる音威子府駅まで移動。『おといねっぷ』の文字を、ラベンダー編成の特急宗谷コラボで1年越しで確認しました。さて、ここから向かう先なんですが・・・・前回最後にものせたこちらの写真。以前にも少し触れましたが、私が訪れた時期は宗谷本線に急行花たびそうや号が運行されていて、宗谷本線の各駅はどこも花たびそうや号一色って感じ。音威子府駅も例にもれず、歓迎ムードの装飾が施されていました。さらにこの日は日曜日なので、稚内→旭川の運行
こんにちははつかり51号です。いつも私のブログへお越しいただきありがとうございます。根室本線から続いた本記事の序を書いていなかったので順番が逆になりますが…ANA571からのサロベツ原野と利尻まもなく稚内空港に着陸します。初日は観光のみとして鉄は翌日にすることとしましたが、これがとんだ誤算でした。ノシャップ岬北防波堤ドーム宗谷岬斜内山道旧興浜北線の線路跡北見枝幸の街旧美幸線の未成線部分トンネル入口にはコンクリートで蓋をされています早めの夕食は北見枝幸の料理店で帆立定
『阿房列車エチンゲ号は北を目指す(中)』『阿房列車エチンゲ号は北を目指す(上)』阿房列車といえば、内田百閒が書いた鉄道紀行文のタイトルである。第二次世界大戦後、輸送インフラが回復してきた昭和20…ameblo.jp(『阿房列車エチンゲ号は北を目指す(中)』よりつづく)函館本線のいわゆる山線を乗ったその日は2023年5月4日。その日は札幌に泊まった。これまでの旅行してきた経験から言って、連休の途中の日というのは宿を予約するのが難しい。この日の札幌での宿泊もそうだった。ビジ
今回は、天北線に存在した恵野(めぐみの)仮乗降場を取り上げたいと思います。まず、手書きで恐縮ですが、天北線の路線図を載せておきます。今回で天北線の仮乗降場のご紹介は3例目となり、今さらではありますが…。青字は仮乗降場(民営化時に正駅になったもの、または仮乗降場のまま廃止になったもの)です。国鉄時代に正駅になったものについては黒字で記しています。赤字は民営化後に臨時駅として開設されたものです。なお上音威子府駅は民営化時に臨時駅となっており冬季(12月1日〜3月31日)は休止となりました