ブログ記事31件
◆「大神神社史」より~7【神体山信仰の考古学的背景6】なるべく早めに次回記事を…そんなことを言ってたしりから1ヶ月半以上が過ぎました。もっと記事作りのペースを上げていきます!~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事~1…【序】~2…神体山信仰の考古学的背景1~3…神体山信仰の考古学的背景2~4…神体山信仰の考古学的背景3~5…神体山信仰の考古学的背景4~6…神体山信仰の考古学的背景5~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
大直禰子神社(若宮社)(おおたたねこじんじゃ)■祭神大直禰子少彦名命活玉依姫命大神神社に隣接、拝殿からは北西、三輪山からはほぼ西に鎮座。大物主神の御子神ともされる大田田根子を祀る社。◎元は大神神社の神宮寺であったようで、桁や梁は奈良時代後期のものとされます。その後、僧侶たちの手にかかっていたようですが明治の神仏分離令により本堂を拝殿としています。祭司者が祀られるのには少々違和感があるものの、神宮寺であったとするならば長い歴史のうちにおかしくなることもあり得るかと。◎拝殿前には「
『出張の合間の神社巡り阿波徳島編『多祁御奈刀彌神社』~元諏訪とタケミナカタの故郷~』『出張の合間の神社巡り四国編香川県『八坂神社』~牛頭天皇と琉球の繋がり~』『出張の合間の神社巡り四国編香川県『鵜羽神社』~ウガヤフキアエズ生誕の地~』『…ameblo.jp↑のつづき。さて、元諏訪を後にしたワタシは、再びディーゼル車に乗る。見た目は電車だが、動力源は電気ではないのだ。下浦駅から一駅、石井駅で下車。そこから徒歩5分。『大御和神社』である。「おおみわ」ですよ皆さん❗あやかり兎。
[和泉国]陶荒田神社■表記紀…陶津耳(スヱツミミ)、奇日方天日方武茅渟祇(クシヒカタアマツヒカタタケチヌツミ)記…陶津耳命「三輪高宮家系」等…大陶祇命(オホスヱツミノミコト)■概要大物主神の妻となった活玉依姫の父として記紀等に記される神。事蹟等の記述は無し。◎崇神天皇紀の記述疫病の蔓延で国家の先行きを憂い案じる天皇に、大物主神から大田田根子に吾(私)を祭らせるようにと神託があり、大田田根子を探し出すことになった。━━大田田根子は茅渟縣(ちぬのあがた)の「陶邑(すえ
『『日峰神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~真実のアメノカゴヤマ~』『『八桙神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~元出雲の元々出雲~』『『賀志波比売神社~小門神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~賀志波比売の正体~』『『…ameblo.jp↑のつづき。さて、阿波徳島の旅四日目。徳島県西部、美馬(みま)市にやってきた。美馬市ホームページより↓~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~美馬市は、2005(平成17)年3月1日に旧美馬郡内の脇町、美馬町、穴吹町、木屋平村が合併し
『出張の合間の神社巡り奈良編2023『大神神社①』~大神の道は宝の道~』『出張の合間の神社巡り奈良編2023『元伊勢檜原神社』~多数決では決まらないこと~』『出張の合間の神社巡り奈良編2023『国津神社~ホケノ山古墳』~最古…ameblo.jp↑のつづき。さて、狭井坐大神荒魂神社からさらに数分歩いた。そして、たどり着いたのが御存じ、『大神(おおみわ)神社』である。この時は7月下旬。AM8時頃。太陽が拝殿の真上に輝いていた。拝殿の奥には三ツ鳥居『三輪鳥居』。大和国一之