ブログ記事31件
◆「大神神社史」より~7【神体山信仰の考古学的背景6】なるべく早めに次回記事を…そんなことを言ってたしりから1ヶ月半以上が過ぎました。もっと記事作りのペースを上げていきます!~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事~1…【序】~2…神体山信仰の考古学的背景1~3…神体山信仰の考古学的背景2~4…神体山信仰の考古学的背景3~5…神体山信仰の考古学的背景4~6…神体山信仰の考古学的背景5~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
『『伊射奈美神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~全国一社の日本の母を祀る神社~』『『倭大国魂神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~崇神天皇の名をちゃんと考えよう~』『『日峰神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~真実のアメノカゴヤマ~』…ameblo.jp↑のつづき。さて、美馬市の伊射奈美神社の後にして吉野川沿いを車で西へ30分。三好市へとやってきた。ここ三好市三野町は、戦国大名『三好長慶』で有名な『三好氏』発祥の地であり、城跡と言われるところが多い。かの織田信長、明
◆「大美和」第147号尾張国の大神神社の記事を上げたばかりでややこしくなっていますが…こちらは大和国城上郡の大神神社。全国総本社です。大神神社が講社崇敬会会員等向けに年2回発行される「大美和」。今号で147号目。70年余り続いているもの。神職たちの大神を奉斎する「篤い」「熱い」お気持ちがダイレクトに伝わってくる小冊子。並々ならぬ熱意を持って発行に及んでおられるご姿勢が垣間見られます。この書を頂けるだけでも講社崇敬会会員である価値はあると。今年はコロナ禍による例祭の縮小開
『『日峰神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~真実のアメノカゴヤマ~』『『八桙神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~元出雲の元々出雲~』『『賀志波比売神社~小門神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~賀志波比売の正体~』『『…ameblo.jp↑のつづき。さて、阿波徳島の旅四日目。徳島県西部、美馬(みま)市にやってきた。美馬市ホームページより↓~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~美馬市は、2005(平成17)年3月1日に旧美馬郡内の脇町、美馬町、穴吹町、木屋平村が合併し
◆「大神神社史」より~6【神体山信仰の考古学的背景5】転職のバタバタで…各々1ヶ月に1本のペースで上げている企画物記事は、作成負荷が大きいため記事UPをやや後回しにしております。かといって…やらぬわけにもいかんので何とかかんとか記事UPに漕ぎ着けました。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事~1…【序】~2…神体山信仰の考古学的背景1~3…神体山信仰の考古学的背景2~4…神体山信仰の考古学的背景3~5…神体山信仰の考古学的背景
奈良旅行三日目の平成31年(2019年)4月30日(火・祝)、當麻寺を後にした私は、レンタカーで、奈良県桜井市三輪に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)に向かいました。◇大神神社これまで大神神社を参拝した際は、大鳥居の写真を撮ることができませんでしたが、今回は奈良県道169号から奈良県道238号に左折する大神神社参道入口の三叉路で、ちょうど赤信号となったので、車窓から大鳥居を撮影することができました。(大神神社/大鳥居)この大鳥居は、昭和59年(1984年)に昭和天皇が
[和泉国]陶荒田神社■表記紀…陶津耳(スヱツミミ)、奇日方天日方武茅渟祇(クシヒカタアマツヒカタタケチヌツミ)記…陶津耳命「三輪高宮家系」等…大陶祇命(オホスヱツミノミコト)■概要大物主神の妻となった活玉依姫の父として記紀等に記される神。事蹟等の記述は無し。◎崇神天皇紀の記述疫病の蔓延で国家の先行きを憂い案じる天皇に、大物主神から大田田根子に吾(私)を祭らせるようにと神託があり、大田田根子を探し出すことになった。━━大田田根子は茅渟縣(ちぬのあがた)の「陶邑(すえ
【オオタタネコ/三輪山の神の系譜を持つ疫病を鎮めた祈祷師】@art.mochida.daisukeオオタタネコ(意富多多泥古命)は『古事記』によると、10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代にいた三輪のオオモノヌシの神の系譜を持つ人物で、国難となった疫病を鎮める祈祷を行った祈祷師として記録されています。崇神天皇の時代に国中に疫病が流行り民が悉く死んでしまいましたが、天皇の夢枕にオオモノヌシが現れ「オオタタネコという人に我を祀らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を告
『南かたの神PART20』現在は『たけみなかた』シリーズ武力を失った『南かた』バージョンで書いています。『日本の神話崩し』という位置づけです。『大国主の国譲り』『神武東征』『天の岩戸』実はすべて同じ。本質は『高麗建国』神話です。神話の大半は北朝鮮と韓国からきています。中国人監修のもと中国の古い話と合体しています。前回の『大根』三輪の神様でした。今回は歴史上の人物名を入れて検証します。歓喜(桓騎)役には当然かんきという人物を
浜松市へこちらを集めに井伊谷宮と五社神社・諏訪神社を回った日に帰りはやっぱり浜松といえば餃子ですよねぇいつもはサービスエリアで買うんですがその日は時間に余裕あったのでネットでいろいろ検索してその時間に開いていて駐車場がありテイクアウトできるお店をhttp://www.noribun.com/餃子(ギョウザ)のりぶん手作り餃子店。生餃子、冷凍餃子をご提供しています。通販も行っています。餃子(ギョウザ)のりぶん手作り餃子店。生餃子、冷凍餃子をご提供しています。通
◆「大美和」第146号(~その3)あまりに中身が濃くてですね…とうとう3つ目の記事に。これでも頑張って随分と端折ってるつもりなのですが…。大神神社が講社崇敬会会員等向けに年2回発行される「大美和」。今号で146号目。■(~その1)の記事『◆「大美和」第146号(~その1)』◆「大美和」第146号(~その1)大神神社が講社崇敬会会員等向けに年2回発行される「大美和」。今号で146号目。70年余り続いているもの。神職たちの大神…ameblo.jp■(~その2)の記
『出張の合間の神社巡り奈良編2023『大神神社①』~大神の道は宝の道~』『出張の合間の神社巡り奈良編2023『元伊勢檜原神社』~多数決では決まらないこと~』『出張の合間の神社巡り奈良編2023『国津神社~ホケノ山古墳』~最古…ameblo.jp↑のつづき。さて、狭井坐大神荒魂神社からさらに数分歩いた。そして、たどり着いたのが御存じ、『大神(おおみわ)神社』である。この時は7月下旬。AM8時頃。太陽が拝殿の真上に輝いていた。拝殿の奥には三ツ鳥居『三輪鳥居』。大和国一之
『出張の合間の神社巡り阿波徳島編『多祁御奈刀彌神社』~元諏訪とタケミナカタの故郷~』『出張の合間の神社巡り四国編香川県『八坂神社』~牛頭天皇と琉球の繋がり~』『出張の合間の神社巡り四国編香川県『鵜羽神社』~ウガヤフキアエズ生誕の地~』『…ameblo.jp↑のつづき。さて、元諏訪を後にしたワタシは、再びディーゼル車に乗る。見た目は電車だが、動力源は電気ではないのだ。下浦駅から一駅、石井駅で下車。そこから徒歩5分。『大御和神社』である。「おおみわ」ですよ皆さん❗あやかり兎。
☆茅原狐塚古墳大和国城上郡奈良県桜井市大字茅原(民有地のため配慮等必要)(近隣留め置き不可)大和盆地の南東部、「三輪山」西側麓に築かれた古墳。「纏向古墳群」に属します。一辺50m程度の方墳とされますが、現在は畑地となったり、JR線が通ったりと、原形はほぼ留めていません。築造時期は6世紀末~7世紀初頭。横穴式石室で、石室長は17mという巨大なもの。1958年の調査で鉄直刀片、須恵器・土師器片等が発見されているとのこと。被葬者は三輪氏のものではないかと考えられています。三輪氏(
◆「大美和」第144号大神神社が講社崇敬会会員等向けに発行される「大美和」。今号で144号目。年二回発行として70年ほど続いているもの。神職たちの大神を奉斎する熱いお気持ちが、ダイレクトに伝わってくる小冊子。並々ならぬ熱意を持って発行に及んでおられるご姿勢が垣間見られます。この書を頂けるだけでも講社崇敬会会員である価値はあると。今回の寄稿も私の興味を沸き立たせるものばかり。大いに勉強させて頂きました。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~(著作権に配慮しボカシを入れています)
蟻通神社(かつらぎ町東渋田)紀伊国伊都郡和歌山県伊都郡かつらぎ町大字東渋田790(国道480号線沿いに駐車スペース有り)■祭神思兼命[配祀]事代主命市杵嶋姫命大国主命少彦名命「紀ノ川」の南岸畔、かつらぎ町「東渋田」に鎮座する社。南の紀伊山地からの丘陵斜面に社殿が設けられています。◎創建由緒に関して和歌山県神社庁は以下の内容を上げています。━━人皇九代開化天皇の御守初めて、当村字畑山(旧古宮山)に勧請し、旧志冨田の庄の総産土神として崇敬される。崇神天皇の御守天下疫病多
朝の外気温21度日中の外気温26度空気質29おはようございます。北海道苫小牧(とまこまい)市、『霊観占い大幸』代表の峰ゆり子です。今日も御縁を授かり感謝いたします。また、いつもブログをご支援くださいましてありがとうございます。私たち人間の命を脅かす生活が毎日続いています。危険な酷暑・大雨による土砂崩れや災害、そしてコロナ。『九星気学』では、地球上の万物のすべてが「五行」と呼ばれる5つの性質(土・火・木・金・水)から成り立っているとされていて、この配分によって運気が判断されて
三輪神社さんで毎年2月22日に授与される😻にゃんこ😻御朱印。👇こちらは混合ですが👇今年になってから、3/22、4/22、5/22…と、毎月異なったデザインで出されるようになりました。どうも、22日を猫(=^・^=)の日(2にゃん2にゃん)として、シリーズ化に踏み切られたようですね。お月様御朱印も一廻りしちゃったし…今度は🐈猫さま🐈専用の御朱印を有難く頂戴していこうかと💗というわけで、まずは御朱印帳を新調。久屋大通の東急ハンズは…解体のため、なくなっちゃったので、名古屋駅へ。高島
箸墓に眠っていると謂われている神明倭迹迹日百襲姫命(かみやまとととびももそひめのみこと)が生きた時代は邪馬台国の卑弥呼・トヨと重なっている。箸墓は卑弥呼の墓でないかともいわれているのはご存知の通り。箸墓の築造年代は西暦250~300年の間と考えられている。近年発掘調査が進み全貌が明らかになりつつある纏向遺跡であるが3世紀前半から4世紀半ばまでの間、祭祀・都市機能を有した場所であったようだ。纏向遺跡の場所に宮があったとは記述されていないが周辺に宮を構えたのは第10代崇神天皇、11代垂仁天皇そ
◎「大美和」第142号大神神社(おおみわじんじゃ)が講社崇敬会会員向け等に、年2回発行している季刊誌。内容はとても重厚、とても楽しみにしている一つ。日本の根源に関わる重要な社。神職の方々のその責任感と気概溢れる一冊。いきなり「邪馬台国」。しかも九州説。しかも皇學館大学名誉教授。もう世の趨勢が大和説の中で敢えての九州説。九州の政権を「邪馬台国」、大和の政権を「大倭国家」としてのもの。これなんですよ!これ!頭の中で霧の中にぼんやりとしているものを、くっきりはっきりと論
水口神社(近江国甲賀郡)■表記大水口宿禰(オオミナクチノスクネ)大水口足尼、大水口命、水口命■概要物部氏系で穂積氏の遠祖。司祭者であったと思われます。◎紀の崇神天皇七年の段に登場します。━━倭迹速神淺茅原目妙姫(ヤマトトハヤカミアサヂハラマクハシノキミ)・穂積臣の遠祖大水口宿禰・伊勢麻績君(イセノオミノキミ)が共に同じ夢を見て天皇に奏上した。昨夜の夢に一人の貴人が現れて言うには、大田田根子命に大物主大神の神主として祭らせ、市磯長尾市(イチシノナガオチ)に倭大國魂神の神主として祭ら
冒頭から何の言う、ライフ前にある話。明治41年、神社合祀政策によって陶荒田神社へ火雷神社合祀される。その跡地に愛宕神社が出来る変な経緯何か知ってしまうと、神社の居抜き見たい。由緒書きには、書かれない話帰り道、あっ、車置くとこ通り過ぎ、諦める。話脱線しました。陶器と言うくらいだから埴輪も、か古墳時代から所縁ある神社。やっぱりねと言われるかな(笑)一の鳥居を写真撮りに行って、歩いたから。神社の周りも散策境内に、上之のだんじり小屋がある。界隈、珍しい光景ではない。社伝によ
『パンチカPART14』昨日はカトリック誕生今日は8月18日米の日八十八または八木(十八)ヤギの誕生戦争に負けて悪魔教に勧誘されちゃいました。バフォメット大神神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88それまでの社会主義とはおさらばして民主主義を選択八木米の字だと木は逆さま反キリストユダヤのイエスではなく
『パンチカPART10』股間を隠す猿実は隠すことによって性別がわからない。天照大神男神説神道において、陰陽二元論が日本書紀の国産みにも語られており、伊弉諾尊を陽神(をかみ)、伊弉冉尊を陰神(めかみ)と呼び、男神は陽で、女神は陰となされている。太陽は陽で、月は陰であり、太陽神である天照大神は、男神であったとされる説である。見えない?https://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-210814X685.html盲目のま
『パンチカPART9』頭隠して尻隠さず!一体?何になるの!耳目口を隠して股間を隠す儒教道教四猿うつ伏せになった天鈿女猿女君秩父ではおしり丸出し姫袁祁都比売命耳口王(聖)を隠す和珥氏https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E7%A5%81%E9%83%BD%E6%AF%94%E5%A3%B2%E5%91%BDワニの出産をした豊玉姫も和珥(ワニ)になる。庚申(こうしんせざる)
『パンチカPART6』今日は住吉大社関東から甲斐阿智三重奈良大阪を転々と渡った神岩戸開き力づくで扉を開いた黒い力持ち相撲の神岩戸開きではたじからおという。筑前一之宮住吉神社でもhttps://hakatanomiryoku.com/trivia/%E3%81%AF%E3%81%A3%E3%81%91%E3%82%88%E3%81%84%E3%80%81%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%81-%E7%9
『パンチカPART5』開会式の記事も書いてないけど終焉を迎えました。一応気になったスポーツの記事は書きましたけどまだまだ歴史と深い関係の話がたくさんありました。それらは今後書いていくことにします。記事のほうは王道三笠松紋埼玉から奈良へ向かう一行終焉の地大阪?傘をかぶり正体を隠す。『わたしはここにいますPART11』ということで現在大阪住吉大社の記事に至ってます。消された歴史消された一族の歴史なので探すことは困難なんですが…現在袁祁都
私に起きる多くの不思議な共時性は、一つ一つが結びつき、一つのストーリーを作っているかのようで、私を古代の歴史へ導きます。共時性が頻繁に現れるようになった時、私は、歴史について皆無と言えるほど無知でした。一つだけの共時性なら、私自身が創り出しているとも言えるのですが、それぞれを繋げると、私の知らない古代の歴史が見えて来るのです。今日も、それを探って行こうと思います。前の記事では、大神神社、橿原神宮、下鴨神社のそれらに関わる巫女にスポットを当て見てきました。その巫女達の記録を追って
今月29日は満月ですが実はその2日後の31日が天赦日+寅の日+一粒万倍日が揃った大大大ラッキー日だということを皆さんはご存知でしたか?私はその日近所の神社で御祈祷を受けてくる予定です近所の神社はよく伺う笠間稲荷神社のように大きい神社ではないので、御祈祷を受けるのも予約が必要です先日予約をするために神社へ伺ったら、鳥居をくぐった瞬間社務所から神主さんが出てきて、スムーズに予約をする事が出来ました31日に御祈祷をする事を神様も喜んで下さってるんだなーと感じる瞬間