ブログ記事609件
神武の東遷に関連して纏向遺跡や三輪山(大神神社)ついて生野先生の著書を読み直しているうちに、ふと閃いた!卑弥呼率いるヤマト王家は出雲奴国の大国主を倒して、奴国王家の帝都(宮殿)のあった糸島平野の葦原中国を奪った代わりに、糸島から遠く離れた島根県の出雲に壮大な大社を作り大国主の鎮魂(怨霊封じかも・・)をしている。でも、神武東遷の時のヤマト王家は最後の奴国王「大物主命」の宮殿があった纏向を破壊しその近くに新たに大和王朝の宮殿を作ったので、神武は大物主の墳墓を作らせず代わりに三輪山をご神体と
今日(1月13日)の朝日新聞朝刊「文化」欄のテーマは銅鐸の考察記事(中村俊介編集委員)。記事の見出しそのままに、銅鐸の研究成果はまだまだ混沌としているらしい研究者たちそれぞれの視点を紹介しているだけで、もやもや感が残る。「謎」の解明の一手段として、「記紀」を始めとした文献にその存在を消し去られている事実を考察する姿勢も欲しいなぁ・・・例えば、纏向遺跡の溝にあった人糞化石の中から寄生虫が見つかったのは、そこが古代の(水洗)トイレだった可能性があり、『古事記』には丹塗矢に化身した大物主