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月曜日は、息子が旅立った曜日。推定時刻では、日付けが変わった頃なので感覚的には日曜日の深夜だけど。それでも毎週、月曜の朝になると私たちが何も変わらない朝を、一日を始めようとしていたとき、息子はもういなかったんだと洗濯ものを干しながら思います。そして月曜日の夕方、会社からの電話で全てが始まったから、夕方にはもっと胸がざわつく。家の電話でも鳴れば、今でも飛び上がるほど驚いて、心臓はどきどきと手も震えてしまうほどに。それでも今朝こちらは、青空🩵とお日様☀️娘も夫も、それぞれ
昨日、息子のバイクを息子の友達が乗ってくれるということで、引き取られて行った形見分けで、サングラス、時計、小銭入れ、パスケース、バック、帽子、バイクグッズみんな大切にしますと…よかった最初は息子コーナーを作って、そこに全部飾ろうかとか言ってたんだけど私は、それは現実を突きつけられるから無理だっただから棺に入れられるものは、入れられるだけたくさん入れた息子が家を出た時に、夫は全部持って出ろと部屋にあるものは要らないものとして処分するとだから息子の部屋は、今はベットしかない私はそ
このごろは、しみじみとした寂しさを感じるようになりました。そのままになってる息子のお茶碗やお箸、娘と背比べをして書いた、壁の名前、すぐに傘を置き忘れるから、何本も買い置きしてあるのに、使われない新品の傘、夜、窓から見下ろす玄関前の道に、歩いてうちに帰ってくる姿が、今でもはっきりと見えるとき、日常のあらゆるところに息子がいて。あのときの表情や、くだらない会話も。次から次へと浮かんできて。そんな時なんとも言えない、胸の傷がジーンと沁みるような痛みに、涙が滲みます。会いたい
昨夜は久しぶりに、朝方まで寝付けずに。そんな時に考えるのはやはり息子のことです。息子はずっと不眠に悩まされていました。コロナ禍が始まった大学生の頃からです。高校受験では志望校に入れず、挫折を味わいその分だけ大学生活には、大きな希望を持っていたのに、二年生の頃にコロナが流行だし、講義は全てリモートになり、バイトも友達とも会うことが出来ず、ほぼ家にいる生活のなかで少しずつ息子は変わっていきました。コロナ禍では、みんなが同じ思いをしていたので息子だけではなかったけど、人よりも大き
3月4日今迄もこれからも私の人生で間違いなく1番辛かったあの日嘘だよね…お母さん信じないから…そう言いながら泣き続けたあの夜夢じゃないんだね…遺影のあなたは笑顔だけど何も話してくれない自分の命より大切だったはずのあなたをたった一人で逝かせてしまったこんなどうしようもないお母さんが会いたいなんて言っていいのかな本当にごめんねでもね…やっぱり会いたいよ
初めての祥月命日を過ぎてもまだ息子がこの世にいないとは、どうしても信じられない。まだ何処かで、元気に暮らしてるような気がして。それなら、そう思えてるならいいじゃないかと思うけど。そう簡単にはいかなくて、信じられないといいながら、息子がいなくなって寂しい、会いたい、と泣いてる。厄介だなぁ。。いつかはすっぱりと、もういないんだとそう思える日が来るのか。分からない。。
今日は三月なのに、もう暑いぐらいです。黄砂もすごくて、空もボンヤリしてます。そんななか、自転車で買い物に行って目がショボショボ、くしゃみ連発です🤧でもこれ、花粉症みたいなんです…。私これまでぜんぜん大丈夫だったのに、今年はもう、くしゃみと鼻水が一日中止まらなくて😭他人事だったけど、こんなに大変なんですね。息子も赤ちゃんの頃からアトピーで皮膚科に通ったり、春から秋までの草花にアレルギーもあって、大人になっても耳鼻科通いで、悩まされてました。この間、持ち帰った荷物のなかにあっ
会社営業所近くの麺やスエタク様地元にはこってりラーメンが多いですが煮だし美味しかった🍜※お店撮り忘れたのでホームページから写真拝借しました相変わらず写真下手、、、