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年の瀬が近くなるにつれ酷い寝汗やら微熱が続きましたがご馳走を前に娘っちと新年を迎えました。食べられると思っていた量が食べられず胃の痛みが続き、ピロリ菌検査は陰性だったけどひょっとしたら胃がん・・・そんな思いもよぎっていました。不安な気持ちもありお正月休みの間に胃腸科の病院に行ってみました。問診や触診で胃腸炎と診断され、去年胃カメラや大腸内視鏡検査でポリープを切除した事を話すと「じゃ大腸がんの心配はないね」と言われ私も内心「だよね!」と思いつつ薬を処方してもらい家に
8月9日急変5日目になり、付き添いのペースも体に慣れて、時間をうまく使えるようになってきました。義母をお昼前に迎えに行き、病院へ連れて来る事さえも日課になっていたある日の事。いつものように義母を迎えに行き、車を少し走らせた所で義母が私にこう話しかけてきました。「あんた、香典とかはどうするの?」「・・・?」何を言ってるのか意味がわからず「香典は葬儀費用に使いますよ。」「そうでなくて。近所の町内の人が家に香典とか持ってくるしょ」「それは近所の方が旦那にって持ってきてくれ
10月16日手術当日朝から手術着に着替えてICUへ持って行く荷物の確認と術後はICUに入る為、一旦病室を空けなければならないので病室の荷物の荷造りをして病棟内にあるロッカーに3日間預ける事にした。8時半頃、看護師さんと手術室に向かった。手術室は全部で11個ある。その1つに手術室担当の看護師さんと一緒に入り手術台に横になった。麻酔科の方が色々説明しながら硬膜外にカテーテルを導入し、そして麻酔が効いた後に首の静脈からもカテーテルを通す事などの説明を受けた。気づ
皮膚科通いも2ヶ月目になろうかとしていた頃、軟膏をせっせと刷り込んでいた旦那の皮膚に異変が・・・白斑のようにまだらに白っぽくなっていることに気づいた私は「病院変えた方がいいって!だってこんなに治らない日光湿疹なんて見たことないし、腕が白くまだら模様になってるよ。」「湿疹がこんなに長く続くのも変だし、絶対変だよ。」「そうだな。」と自分の腕をポリポリしながらそう言いましたが、病院を変える事はなく、通院じたいをやめてしまったのでした。そのうち、痒みやまだら模様は消えてなくなりま
大腸がんを自らの画像で確信した日から2日後、基幹病院での診察の予約が取れたとの事で診察に必要なデータと紹介状を受取りに行ってきた。基幹病院での診察は4月5日。当日は消化器内科でこれから主治医となる若き医師との対面に始まった。30代中頃でテンションは低め…というのが第一印象だった。私が割とテンション高めなので尚更そう感じるのかもしれない。この日は検査などはなく、紹介先の病院からのデータにあったCDROMの画像を見ながら今後の予定を話した。4月6、7日で造影CTとレントゲン
8月8日数時間から数日と宣告された旦那の余命。会社に電話がかかってきて急変を知らされたあの日から私は自宅と病院を往復する日々を送っていました。旦那の様子も心拍や脈拍も落ち着き、おしっこもそこそこ出ていて、安定していたと思います。時折目を覚まし、少しの会話ならできる事もありました。旦那の顔を拭いたり、口を開けて寝るので、乾燥防止のお口のケアを数回するのが私の日課になっていました。これはしてもらっている旦那も気持ちがよさそうな顔をするので、私の楽しみの1つでもありました。急変
8月6日病院から急変の連絡を受けてから、とても慌ただしく時間が過ぎていった。娘を自宅に送り届け、病室に戻ると、昨日会っていた友人が旦那の側にいて、連絡してから急いで旭川まで来てくれて、ずーっと旦那の顔を見ていた。昨日の事を振り返り、お互いの昨日の行動の後悔の話をした。先生からされたこのタイミングで自宅へ帰る事ができた事、会いたいと思う人に会えた事、がんの進行が早く、いつこうなってもおかしくない状態だった事など、私の口から話す事でお互いの後悔が後悔でなくなればいい・・・そん
8月2日前日の告知から1日経ち、お互い冷静になっていました。仕事が終わり、病院へ行くといつもより脇腹がポッコリしている事に気がつきました。話を聞くと31日に腹水穿刺で水を抜いてもらっていましたが、今日、また抜いてもらったようでした。前回からまだ中2日、しかも3000ml抜いたはずなのに今日抜けた水は3000ml。たった2日でもう元に戻ってしまっているなんて・・・腹水が溜まっていく速さに驚きました。そしてこれからは溜まった腹水をすぐ抜く事ができるようにとお腹に針を刺したままにし
退院してお家に帰ってきました!やっぱり家が1番☝️家に入り座った時からそう感じる瞬間とてもホッとしましたなので今はとても寛いでいます😉10月31日に退院を目指してたけどストマがただれて伸びてしまいいったいいつ退院できるのかな…そう思いながら過ごしていましたがなんとかただれた部分も皮が張ってきて治りかかってきたので装具を決めて、次回の交換でストマの周囲を確認してなんでもなければ退院!ということになりめでたく退院になりました。3週間の入院で看護師さんには本当によくして
看護師さんに押されて車椅子で診察室に行くと神妙な面持ちで先生が待っていました。「大丈夫ですか?実は検査の方ですががんらしきものがあって奥まで通らなかったので中止しています。」それを聞いてあの眉間にシワが寄るような痛みはスコープを奥まで通そうとしていた痛みだったのだと思いました。続けて先生が「追加でもう少し検査をしたいのですがいいですか?」こう言われたので2つ返事でお願いしました。そして注腸検査とCTを撮りました。検査が終わり検査着から着替えて結果が出るのを不安な気持ちで待
大腸がんが見つかり8ヶ月経った。最初の大腸内視鏡検査で見た画像から肝転移ありの大腸がん。ステージも4が確実になり、基幹病院を紹介され確定診断を聞いた。がんと言われた当初色々な事を考えた。亡くなった旦那に胃がんが見つかった時、治療の恩恵もあまり受けられずに延命の為の闘病を亡くなるまでの間ずっと側で見てきた。黄疸や腹水が溜まり始め、できる治療がなくなり終末期に入ってからというもの私が知っている旦那はあっという間に痩せ細り変わりゆく姿をただ側で見守る事しかできなかった。旦那
10月の入院予定では原発巣の大腸がんと肝臓の左葉部分切除の手術予定だった。ところが入院中、大腸をきれいにする為に飲んだ下剤が効きすぎて、閉塞寸前の腸管が激しい蠕動運動を起こした為に激痛に襲われ、痛み止めの点滴をしてもらい2時間悶絶する…という事があった。ストーマについては当初はマーキングは一応するけど恐らくつかない方向で…と聞いていた。がっ、この不測の事態が起きた事や術後は次の手術の為にまた抗がん剤治療を少しやらなければならない事、そして術後の縫合不全を防止する為大腸に
4月19日予定通り消化器内科の病棟に入院しました。この日はこれまでに受けた検査の結果を踏まえて確定診断の話になる為家族同席という事になっていたので妹にお願いして病院まで来てもらう事になっていた。私ががんになってステージ的にも進んでいる事を真っ先に話したのは市内にいる妹だった。妹は2つ違い。だけど性格は全く正反対で周りをよく見ていて気遣いはできるけど話す言葉に冷たさを感じる独身。50歳を過ぎて更年期になりその神経質な性格に拍車がかかり鬱のような症状や不安障害に悩まさ
とても久しぶりの投稿になります旦那ががんで亡くなってからもう5年が経ちました必死で生きて来ました元義母や元義弟夫婦との裁判にもなった長い争いごとや立て続けに起きた車の事故など本当に色々な事がありました旦那が亡くなってからというものいいことなんて何にもなくて負の連鎖ばかりそれでも時間が過ぎ娘っちとの穏やかな日々を暮らせるまでになっていました旦那ががんで亡くなった事もあり私自身がんなどの病気にはとても敏感になっていました去年受けた大腸内視鏡検査ではが
8月6日私は朝、起きてから携帯を開き、旦那からメールがきていないか確認した。前日の様子が気になり、起きたら見るはず・・・と思いメールを送っていました。が、返信はなし。ずっと眠っているんだ・・・そう思い、仕事へ向かいました。お昼休みも終わり、午後からの仕事に取り組んでいたところ、外線で私に連絡が入り、名前が呼ばれました。嫌な予感が咄嗟に頭の中をよぎりました。「私に外線?誰だろう・・・きっと病院だ。」そんな事を考えながら電話に出ると、やっぱり病院からで、病棟の看護師さんからでし
確定診断を至って普通に聞き終えて3人で診察室を後にして、待合室にある椅子に腰掛けた。重たい空気はなく、一緒にいた看護師さんが一番安堵していたかもしれない。他愛ない話しをして和やかな雰囲気だったところに妹がまた例の話をし出した。「あんたにとっては聞きたくない話かもしれないけどさぁ、何回も言うけど片付けとかちゃんとしておいてよ!大変なのはあたしなんだからね。」たった今、主治医から話を聞き終えたばかりの病院でしかも看護師さんも一緒にいる中でそんな話をし始めた事に腹が立った。「また
一般病棟に移り看護師さん達が「お帰りなさい!頑張りましたね」と声をかけてくれた。病室で新しい病衣に着替えさせてもらい飲み水の用意をしてもらった。体にはたくさんの管とカテーテル点滴が刺さったままなので寝返りもまだ1人では無理な状態だった。病室で眠る→少し目を開けてみる→眠るの繰り返しだったが不思議な夢を見た目を開けると普通に病室の風景なのに目を閉じた途端バーチャルな世界になり入院先の病院の地下ではバーチャルフードやドリンク、ランチが食べられたりおまけにバーチャル手術まで
2023年10月16日原発巣と転移先の肝臓の部分切除を行った。入院中に消化管外科の主治医と肝胆膵の主治医それぞれから手術の説明を受けた。消化管外科は原発巣の切除の説明とおそらくつかない方向でと前置きがあった上でストーマの説明があった。結果的についてるけど…😓原発巣のS状結腸は低位前方切除術という術式で切除すると説明を受けていたが、術後の病理診断では高位前方切除術に変更になっていて、切除部分もS状結腸と直腸S状部の2箇所だった。想像よりも腫瘍の切断面が高い位置だっ
7月30日から予定通り入院しました。この日は主治医が出張でいないのでできる事がありません。病室でひたすら寝る→っちょっと起きるの繰り返しでした。私は寝顔を見てたりしてたけど、居ると気になるかなと思い寝入ったところで家に帰りました。7月31日この日は主治医が出張から帰り、朝から溜まった腹水を抜く治療をしてもらい、24時間の栄養を補う点滴をしていました。午前中のうちに水を抜いたみたいでしたが、先週23日に別の医師に1600ml程抜いてもらった水は、1週間でお腹が張り裂け
ポートの設置が終わり、体調に変化がなければ4月26日に退院の予定になった。入院から丁度1週間。退院前日4月25日消化器内科の外来に呼ばれた。お呼ばれするとよくない話ではなかろうかとつい勘繰ってしまう😓話は初診の時に検査に出していた遺伝子検査の結果と今後のお話だった。遺伝子検査の結果によっては使える薬の幅が広がり希望が持てるようになる事もある…けど遺伝子変異の内容によってはそれだけで不安な要素を持ち合わせているものもあるのでなんとも言えないが、・RAS・BRAF
3人で呼ばれ診察室に入ると主治医と医療秘書が待っていた。早速先日行った検査の結果を聞く事になる。・S状結腸に腫瘍→スコープが通ったのでステント手術は行わず早めに抗がん剤を導入して腫瘍縮小を目指す・細胞の検査で癌細胞・S状結腸癌、リンパ節転移、多発肝転移ステージ4遠隔転移により手術不可無治療であれば余命期間は8ヶ月治療をして24ヶ月〜30ヶ月基本的な方針として・腫瘍により腸閉塞などの症状を起こさなければ手術はまず適応にならない状況・全身投与の抗がん剤を治療を行
8月21日午前11時45分旦那は旅立ちました。52歳でした。また、後日改めて書かせて頂こうと思います。