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1868年に明治維新を迎えた新政府は、江戸幕府からの体制移行を着々と進めていました。そのひとつが翌年6月17日から始めた『版籍奉還』ですが、その約1週間後すなわち今から155年前の1869(明治2)年6月25日から着手したのが、〝四民平等〟といわれる身分制度の再編。とは言え、大名・公卿を〝華族〟、武士を〝士〟・〝卒〟、農・工・商を〝平民〟にするというもので、厳密には四民平等とは言えないものでしたが・・・。これは後の戸籍法(↓)の制定にも繋がるもので、要は身分に差をつけず富国強兵を目指す布石
5-6年前から毎日の備忘録をエクセルシートに記し、展覧会プチ感想や講演会内容をWordに書きつけているので、なんとなく日々の事柄が自己完結してしまい、ブログに記すのがアットランダムになっている今日この頃。でも写真付随で備忘録化しようとするとやはりブログが便利。ということで、今更ながらだけど、10月に少し書きかけた国会議事堂見学のフィードバック第2弾として、”これは初めて知った!”という事柄を以下に:◆参議院と衆議院議場の大きな違い◆参議院と衆議院、ぱっと見では議
おはようございます→こんばんワイン🍷〜先日、ガタさんのほりほりカフェに遊びに行きましたなんと!次回のほりほりカフェは満員御礼らしく!間に合って良かったぁぁ~今回のテーマは『やりたいこと、求められること』これってシンプルに、自分がやりたいことと周りから求められることが同じなら、いろいろとやりやすいですよね。それがスムーズに進んで良いんだけども、まぁ、そうそううまくは事が運ばないわけででも。自分が望まない場合にも、やってみたら可能性が広がることもあったりして
夫が急遽実家に帰ることになりました。私と娘も帰るか迷ったが新幹線だけで2時間以上、ドアtoドアで4時間半もかかる為諦めた新幹線も風景じゃなく、ほぼトンネルなので…一歳児には可哀想😢先週に続き数日間ワンオペでした戻ってきた夫の話を聞いて、ビックリ🫢のおばさんの嫁ぎ先が本家どーのこーの…本家分家は、ニュースでしか聞いた事なく。「ムラの掟をやぶった…」「住むにはムラの血が必要だ」放火の疑い・92歳老人が抱えてきた80年以上続く遺恨「氏神の祟りにあったと陰口を叩かれていた」《青森5
今日は、江戸時代に行われていたとされる身分制度について、小名木善行先生の講義から考えていきたいと思います学校で習うし、日本人なら知らない人はいない、士農工商(しのうこうしょう)という言葉。これはいったいどういうものだったのか?最近の教科書では、これは身分制度ではなく、職業分類だと書いているものも出てきたようです。じっさいに、その通りで、職業間には自由があった。農民だったけど、武士になる人、商人だった人が武士になる、武士だったけど、商人になる人、武士だけど、職
前回の続きです。士農工商の下にある穢多(えた)非人(ひにん)と言われる人とはどんな人たちだったのか?この2つは全くちがったもので、非人とは犯罪者。牢屋に入るだけで、まわりのみんなから『犯罪者だ』と言われるので、社会から孤立して世の中で生きていけなくなる。それを見て、悪いことをしたらダメだと思える社会を築いていた。では、犯罪者はどれくらいだったのか?江戸100万人の人口に対して、どれだけの警官(けいかん)がいたのかというと、なんと数十人同じぐらいの時代のロ