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2021年1月9日この日は、不要不急の用事がありひとり出かけることとなった………到着したのは………【近鉄奈良駅】【行基像】にそっと手を合わせる写真だけでは分からないと思うけどこの日も、非常に寒い日となったけど、青空は美しいこの日は、せっかく奈良まで出て来てので以前から気になっていた、奈良市にあるという【島左近の墓】を探しに行くのが目的だせっかくなので【興福寺】を参詣する。【興福寺(こうふくじ)】奈良県奈良市登大路町南都七大寺のひとつである【南円堂】西国三十三ケ所第九番
ココロが【興福寺】を出発し………車で北へ約10分ほどで到着したのは………【三笠霊苑(みかされいえん)】奈良県奈良市川上町623番地ここに、島左近の墓があるという【三笠霊苑】は、春日山原始林をはじめとし、東大寺・正倉院など世界遺産に登録されている「古都奈良の文化財」の傍に位置している。世界遺産に囲まれた霊苑は、全国的に見ても極めて稀少であり、市街地とは思えないほど自然に囲まれて歴史と静寂さを感じる場所である。総面積約30.000平米総区画数3.300区画広
2021年5月25日この日は、奈良県桜井市にある『出雲』に出かけた……島根県の、【出雲大社】がある『出雲』ではなく、奈良県の……大和国にある『出雲』だある日、何気なくこの『出雲』エリアの地図を見ていたら【野見宿禰塚跡】があると書かれていた知らなかったココロはまだ行ったことはない墓マイラーでもあるココロは、その場所へと向かったってわけだ………垂仁時代「日本書紀」には、垂仁天皇7年7月7日『当麻のムラに当麻蹴速(たいまのけはや)という怪力の人がいた。天皇は誰がこの男にかなうものはいない
【三笠霊苑(みかされいえん)】奈良県奈良市川上町623番地【島左近の墓】島氏は、今の奈良県生駒郡平群町周辺の在地領主で、椿井城(ココロは昨年初めて行きました。過去ブログ参照)・西宮城を本拠にしていたと伝わる。島氏の出自は明らかではないが、奈良県生駒郡平群町の【安養寺】で「嶋左近頭内儀」なる人物の位牌が発見され、この人物こそ左近の母親であることがわかったため、現在では大和国の出身であることが明らかになったという近年では島左近は筒井氏家臣である島氏代々の名乗りとする説もある。その【島左近
【平成30年2月7日(水)参拝】青山霊園のあとは祐天寺へ明治天皇典侍柳原愛子墓所在地:東京都目黒区中目黒5-24-53祐天寺墓地中央大奥には祐天上人之墓があります。柳原愛子も然り、生母でありながら治定陵墓に入ることは
【平成29年11月21日(火)参拝】光格天皇典侍葉室頼子墓所在地:京都市西京区山田葉室町阪急嵐山線「上桂」駅から西へ約700m行った葉室家専用の墓地にあります。頼子墓は入って左手奥にありました。厚淳院の法号が確認できます。
さてさて…………【清荒神清澄寺】を出発して、我々が次に到着したのは……………【満願寺(まんがんじ)】兵庫県川西市満願寺町7−1こちらは、あの『新TV見仏記/宝塚ラララ編』で、あのおふたりが来られていたので参詣する事としたのだ【山門】かつて境内にあった【多田院】が、神仏分離によって【多田神社】になった際に、ここに移された『多田院南大門』の仁王像だという。立派で、かつ雰囲気のある【山門】だ寺伝では、奈良時代に聖武天皇の勅願により勝道上人が日本全国に【満願寺】を創建することとなった。こ
【平成30年2月7日(水)参拝】園祥子墓のあとは青山霊園へ明治天皇典侍室町清子墓所在地:東京都南青山2-32-2青山霊園Ⅰ種イ7-10この広大な青山霊園ですが事前にⅠ種イ7-10という事が判っていましたので案内図見てすんなりと辿り着けました。民間の墓にしてはかなり
僕は、この前、緑ヶ丘霊園に行ってきたので紹介します。緑ヶ丘霊園は、神奈川県の川崎市にあります。↑これは、緑ヶ丘霊園の入り口です。↑ここの霊園は、自然が豊かな場所にあります。↑これは、藤子F不二雄先生の墓です。「ドラえもん」や「パーマン」などの数々の傑作を作りました。墓の周りには、ドラえもんの石などが置いてあります。近くには、ドラえもんミュージアムなどがあります。墓前には、ドラえもん型の名刺、手紙入れがあります↑藤子F不二雄と彫られています。入り口から、こ
【平成29年12月13日(水)参拝】孝明天皇典侍中山慶子墓所在地:東京都文京区大塚5丁目39豊島岡墓地そして増上寺のあとはここ豊島岡墓地へ。ここには明治天皇の生母である典侍中山慶子が眠っているのですが、皇族専用墓地の為、一般の人は敷地内には入れません。入れないと知りつつも皇統に繋がる重要な人物なので、せめて門前参拝だけでもしておかないとと思い東京まで馳せ参じた次第です!場所は東京メトロ有楽町線「護国寺」からすぐの不忍通り沿い