ブログ記事3,874件
アメリカ人の友達と話していて、ブルックリンにある大きな墓地の話題から「お通夜」の話しになりました。英語でお通夜のことをWAKEと言います。そう、起きるっていうのと同じWAKEです。日本語のお通夜の語源はもともとは遺族が夜通し亡くなった人と共にいるということから来たそうですが、英語のWAKEは違うそうです。彼もいつぐらいの時代かまではわからないって言っていましたが、昔まだ医療が現代のように進んでいない時代は人が亡くなったと思っても実際にまだ生きているということもあったそうで、そんな時のため
こんにちは!四柱推命で人・国・社会をより良くしていく協会認定師範の星絢(けん)です。今回もLINE公式アカウント特典の無料相談に回答させて頂きます。同じような課題がある方は、ぜひ参考にしてみてください。ご相談内容★望んでいる未来すっきりした気持ちで毎日を送っている自分★現状いつも相反する自分がいて、まるで別人。どちらも自分です。・元気に仕事している自分と一人でいたい自分・人が好きな自分と誰とも喋りたくない自分・仕事が大好きで外にいたい自分と、黙々と家
みなさん、こんにちは。占術家・ライフコンサルタントの青山零です。8/14お盆ですね。台風と猛暑が同時にやってきて、予定変更を余儀なくされた方も多いのではないでしょうか。身の健康と安全が第一。皆様どうぞお気をつけてお過ごしください。お盆はみなさん知っての通り、ご先祖様の魂があちらの世界からこちらに帰っていらっしゃるとき。ご先祖様とのつやながりは、現世でどのような人生を送ろうとも、誰しも必ず持っているものですが、四柱推命の世界では、ことさらにご先祖様からの守護を強力に
最近、次男氏がもぐりんの人形を『ぐいぃぃいぃ〜ん』と言いながら、先っぽのドリル部分を母の耳の穴に差し込んでくるというサイコな遊びを繰り出してきます。とりあえず毎回『ぎぃやあぁぁあぁ〜』と言ってみるのですが、そうすると満面の笑みで反対側の穴も念入りに掘削してくれます。(以下、楽しさを理解しがたい謎の遊びの無限ループ)ダウンの上にサイコパスって…クセが強いにも程があるどうせならSawのジグソウくらい突き抜けて欲しいところです。どうも、こんばんは。被害者1号川田ですさて、本日は川田家の長老猫
記録写真集ようてん、墓を視察2021.2.19太陽に向かい畏敬の意を表す墳墓の頂上から西方浄土を伺う眼下を見下ろす埴輪の仕上がりを確かめる整然と並ぶ埴輪を観覧する墳墓の全体像を確認する今後のことを思案する神に祈る追記視察後帰らんとするところ、ようてんに似たるモノ現る。墳墓の端に来たりてこちらを伺う。その意図不明なり。
那覇市識名(しきな)にある識名霊園内に程順則という人物の墓があります。琉球での名は寵文(ちょうぶん)ですが、名護親方(なぐうぇーかた)の呼び方でよく知られています。また、沖縄で初めての学校である明倫堂(めいりんどう)を創設した人物でもあります。程順則は琉球で偉大な教育者であり、大和(日本)や清(しん、現在の中国)への外交官、文人として活躍しました。墓と墓の間の細い道を進みます。こんな場所に偉人の墓があるのかと不思議な気持ちになります。少し入ると左手に墓碑のある墓が見えてきます。この墓が程順
那覇市繁多川(はんたがわ)の識名(しきな)霊園内に金丸(かなまる、後の尚円)を王位に推し進めたとされる安里大親という人物の墓があります。墓は繁多川集落の聖地とされる拝所群の近くにあります。画像の細い道を入ります。道を進んで墓地地帯に入ると左右に分かれる道があります。そこを右に曲がります。突き当りの手前左手に階段のある墓が見えてきます。そこが安里大親の墓となります。階段を上がると墓庭になっています。左側に2基の墓があって右側には墓碑があります。墓碑に『安里大親清信之墓』と銘があります。裏
TOP>武将の旅TOP>武将と姫の墓めぐり一覧>高野山「武るるん♪日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」高野山の武将と姫の墓をめぐる旅です。高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって開かれました。全国にある高野山真言宗の総本山です。弘法大師の入定の地である奥之院は聖地であり、一の橋から弘法大師御廟までの道のりには武将や大名の墓がたくさんあります。武将の墓あ~か行武将の墓さ行武将の墓た~な行武将の墓は~わ行武将の墓東日本武将の墓西日本
6種類の十二運「墓」丙戌丁丑戊戌己丑壬辰癸未十二運「墓」の特徴「墓」はお墓の中に埋葬され身動きができない状態を表します。・エネルギーを集中させ黙々と取り組む忍耐強く、粘り強く一つのことに集中して取り組む性質があります。・財や才能をため込むお墓の中から動かない。「お墓」は「蔵」を意味し、「蔵」の中に財や才能を閉じ込めている人です。なので「墓」をもつ人はコレクション癖をもつ人が多いです。また節約家でお金に興味と執着心が強い人です。・保守的
少し前に書いたこのブログですが、最近「イイネ」がついたので読み返してみたら、我ながら思う。しみじみとイイネですネ!仏教が嫌いなわけではなく、この国「豊葦原の瑞穂の国」には必要ない教えだから、否定しているのです。まともな神社ならば、殆どの神職が仏教は大嫌いです。そう言えば大本の出口王仁三郎も仏教撲滅派でしたね!よく聞くのが、仏弟子たちには剃頭させながら、自分はパンチパーマしているとか…。
古い墓石で,墓石に穴があいたようなヘコミがあったり,コケが生えたような墓石のある家は,障りが出て,家族離散するか,皮膚に関係する病人が出ることがあります。
大正から昭和中期にかけて活躍した歌舞伎役者・三代目市川左團次は、本名は荒川清。屋号は高島屋。明治31年(1898)に日本橋で生まれ、六代目市川門之助の養子となると、父の師である九代目市川團十郎の門人となり、明治35年(1902)に四代目市川男寅の名で初舞台を踏みます。明治40年(1907)からは六代目尾上菊五郎門下として活動し、大正6年(1917)に四代目市川男女蔵を襲名。立役から女形までこなし菊五郎一座を支えていきます。昭和24年(1949)に六代目菊五郎が亡くなると、一座
四柱推命鑑定申し込み募集中5月の残枠は対面鑑定1枠のみです~詳しくはこちらをクリック♪占い師のゆーこです。SpyrosPapaspyropoulos/Girlwalking今回は、先日受けた「愛され四柱推命フォローアップ講座」で受けたテストの1問で、衝撃を受けた話をします笑鳥海流では月に1回、「フォローアップ講座」というものをやっていて、鳥海流の四柱推命鑑定師はそこで勉強します。
こんにちは四柱推命で人・国・社会をより良くしていく協会認定師範の星絢(けん)です。(⇒プロフィールはこちら)今回もLINE公式アカウント特典の無料相談に回答させて頂きます。同じような課題がある方は、ぜひ参考にしてみてください。相談内容望んでいる未来好きな時に好きなことを好きなだけできる経済的余裕と、海外放浪しながら好きな時に好きな国で好きなだけ暮らして旅をする生活をしたいです。現状ここ10年くらいずっとお金に困る生活をしています。毎月の支払いを心配する毎
森のなかにお墓があって,お墓の上に木の枝が覆いかぶさっているようなお墓。墓の下にも根が張っている可能性があります。墓の状態が,このようになっている家で,とても幸せな状態という人は少ないと思う。樹木葬などもよくありません。最近は,悪どい寺や業者が,送骨納骨ビジネスに乗り出していますので,よく考えて決めることです。まともに修行している僧侶は本当に少ないので,霊のことなど全く分からず,金にしたいがために,適当なことを言ってくるケースが多いのです。ただ,そうでもしなければ寺も食べていけない現
2022年6月のオンライン鑑定、満員御礼です!占い師のゆーこです。AlexandrosPlakidas/ZurichUndergroundScenes#04「墓(ぼ)」という星があります。墓は十二運星の一つで、人の一生でいうと読んで字のごとく墓に入った頃をあらわします。(いや人の一生終わっとるがなというツッコミ、分かります)墓の性質を端的に言うと、「凝り性」ですかね。一つの物事に意識が向い
100日ブログチャレンジ46/100四柱推命鑑定中にこんな質問をされました『ハイヤーセルフは【絶(ぜつ)】って星ですか?』・・・・・・・・・新米鑑定士としては「そんなことは講座では習ってません‼️」という思いが心の片隅にわきましたが(笑)でも、そんな質問がでるってことはわたしには答えられるということだろうと思い意識を星のイメージに集中して考えてみることにしました【絶(ぜつ)】という星は宇宙人の星とか、あの世の星とかいわれていて一般社会、特に日本社会においては「変わり者
雨の休日って、よく眠れる雨音の効果?まどろんでる時間が気持ちよかったけど、寝すぎると頭痛になっちゃうので渋々起きました今日は一日雨予報だから、朝のうちに買い物行ってこよう昨日、旧一万円札を銀行に持っていきました今は窓口で両替すると手数料をとられるかといって両替機では旧札はハジかれてしまうでも窓口で入金という形をとると手数料はとられないんですね一応通帳持って行ってよかったそしてエンディングノートの更新もしましたタイトルが「相続手続」ってなってるけど、財産があるわけではありません
歴代市川團十郎の墓所初代から8代目までが合祀された墓市川團十郎は歌舞伎の市川一門の宗家であり、歌舞伎役者の名跡のなかで最も権威のある名前です。歌舞伎は戦国時代末期に京で出雲阿国により始められたといいますが、江戸では元禄時代に「荒事芸」を得意とする初代市川團十郎の登場により、いわゆる「江戸歌舞伎」が確立していきました。以来、團十郎の名は歌舞伎界の中心として現在まで受け継がれています。市川團十郎の墓は青山霊園にあり、初代から八代目までは代々の墓として合祀されていました。青
先祖代々からの宗派を,変えてしまう人がいる。例えば,天台宗だったのを,子孫が,おかしくなってしまい,新興宗教をはじめて,宗派を変えてしまうなどである。そのような非常識なことをした家庭は,かなりの確率で不幸になっているはずである。なかには幸せになっている人もいるのかもしれないが,小生は,そのような人は知らないし,今までみたことはない。それと,先祖の墓がどうなっているのか分からないという人も,トラブルが絶えなかったり,不幸になっている人は多い。また,故人に執着して,遺骨をいつまでも
古い墓を建て替える時,あるいは,移転して建て替える時は,きちんとした形でおこなわれないと,障りが,確実にあなたを直撃します。小生は,埋葬後に,お骨を移動して,墓に呼ばれるかのように家族が亡くなった例を結構見ました。墓の建て替えや,移動をしてから,悪いことが続いているようなら,墓の障りが考えられます。菩提寺の住職に頼んで,きちんとやってもらったから大丈夫なはずだと思う人もいるかも知れないが,寺の住職のほとんどは,形だけの作法をしているだけであって,霊のことは全く分からない。霊のことな
丹敷戸畔の墓:和歌山県東牟婁郡串本町二色紀勢本線の串本駅から国道42号線を西に3km、海に面した小山の上に「丹敷戸畔の墓」と称する小さな石祠がある。丹敷戸畔は、日本書紀巻第三、神武東征の条にわずかに登場する熊野の女酋長である。出て来たと思ったらすぐに殺されてしまう上に、他に資料らしきものも見当たらず、まったく正体不明なのである。女酋長という触れ込み、ニシキトベという不思議な響きも相俟って、いたく想像を掻き立てられるのだ。まず、日本書紀を見てみよう。「天皇独(ひとり)、皇子手研耳命(みこたぎし
カロートとは,墓の,骨壺を入れる部分のことだが,カロートが,墓石の下の家は,家主に病人が出たり,死に関係する災いが出ることがある。また,長男が相続できなくなる家も多い。さらに,地下カロートは,骨壺に水が入る可能性があり,もし,骨壺のどれかに,水が入っていると,その骨の主が,何か訴えかけて,家族の誰かが霊障になっていると思う。水でなく,泥水なら,非常に強い霊障として出るはずである。最近は,水害が多くなっているので,墓に水が入る可能性がある。注意したほうがよい。水害で,骨壺に水が
南品川の妙蓮寺にお墓がある薄雲太夫は江戸時代前期の新吉原信濃屋抱えの遊女で、和歌や俳句、書に堪能であり、義侠心に富んでいたと言われています。薄雲は「源氏物語」の登場人物からとったもので、太夫は揚女郎の最高の職制をいいます。薄雲太夫を名乗った人物は3人いますが妙蓮寺に眠っているのは墓石の年号から初代薄雲太夫だと思われます。初代薄雲太夫は、金銀にものいわせる客には目もくれなかったと言われ、仙台藩主第三代伊達綱宗が三千両で身請けしたものの肌を許さず、幽閉の末「一日一本ずつ指を切り落とす」
雑木林の中などに,古い土葬の墓があったり,あるいは墓の近くに大木があったりして,墓が倒れていたり,滅茶苦茶になっていて,木の根が,土葬された骨に絡んでいると,非常に強い霊障を引き起こす。正直,為す術がない。どのような霊障が起きるかというと,突然,目が見えなくなる,手足が切断されるような災難が起きる,身体が不自由になる,寝たきりになる,このような重大な災難が起きる。人から危害を加えられて亡くなるような災難も,この因縁があると起こりやすい。
乃木希次・寿子夫妻の墓乃木希次乃木寿子日露戦争の英雄・乃木希典が生まれた長門国長府藩(長州藩の支藩)の乃木家は、宇治川の先陣争いで知られる佐々木高綱を祖とし、希典の高祖父・乃木傳庵が長府藩に藩医としてに仕えて以降、江戸詰めで代々医師として藩に仕えています。希典の父・乃木希次は、文化2年(1805)に分家の長州藩に仕える乃木家で生まれますが、文化6年(1809)に本家の養子になっていた兄希幸が亡くなり、兄の養子となって本家の家督を相続します。希次は医師としてではなく、武
乃木保典の墓(手前)乃木兄弟。乃木保典は右側陸軍大将・乃木希典の次男である乃木保典は、明治14年(1881)に生まれています。父親に似て前向きで明るく人懐こい性格で、母方に似て学才も優秀であった保典は陸軍士官学校に15期生として一発合格します。兄の勝典は3度目でようやく合格したものの、それを僻むこともなく兄弟の仲は大変良かったといわれています。日露戦争に歩兵第15連隊小隊長として出征した保典は、父希典が指揮すろ旅順要塞攻略のための203高地での戦いに参加。明治37年(190
昨年の今頃陰陽師の占いを受けました私が行く会社が無くなってしまったりわたしの周りでいろんな事件が起きるのであまり信じない私ですが知り合いの話を聞きちょっと行ってみようかなーーと軽い気持ちで。。。前の年は予約がいっぱいで断念会社が無くなるとわかった時ふとネット予約を見たら空きが知り合い曰く、そうゆうときは呼ばれているとのことそして予約し行くことに彼はそうゆうことが好きではないので当日はお友達と行きました初めてお目にかかる陰陽師
谷石材店の藤原陽子です。いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。一般的には、納骨の際に、石碑や霊標に、亡くなった方の戒名を刻む場合、1)戒名(仏弟子としてのお名前)2)俗名(生前のお名前)3)没年(亡くなった日付け)4)行年(何歳で亡くなったか?数えの年)の4つの情報を刻みます。その際、③も没年の部分には●●年●●月●●日没●●年●●月●●日寂など、と表記します。霊標や、石碑に、戒名彫刻をする際には、亡くなった日付
荻生徂徠の墓長松寺山門荻生徂徠は江戸時代中期の儒学者で、徳川綱吉の側用人・柳沢吉保に仕え政治的助言も行っていました。父は徳川綱吉の侍医で、徂徠は幼くして儒学者の林春斎・林鳳岡に学んでいますが、父が綱吉の怒りにふれ蟄居となると、14歳にして家族で母の故郷である上総国へ移り住みます。そこで学問を独学し、元禄5年(1692)、27歳の時には父の赦免で江戸に戻り、さらに学問に専念しています。そうした苦労を経て柳沢吉保に取り立てられて講義や政治的助言を行うようになったのでした。元禄1