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ゴールデン・ウィークの話。ブログを書く間隔が空きすぎると、書き方が分からなくなる(笑)ゴールデン・ウィーク前半の話なのだけれど。『目的地』に向かう途中で発見したお店で、お昼ご飯を食べた。(さん天)普通に美味しかった。ここのお店、ボリュームがあるのに安いな。ソラマメは、大好きな半熟卵を追加。(汚い、笑)ソラマメ、いつからだったか天丼が好きになった。なので、よく食べていた。そういえば、小学校の給食。『食べないだろうな』と思っていたら、どうやらちゃんと食べているらしい。(衝撃)そ
ハニワを沢山並べて祭祀場を再現していました。古墳の西側(方墳側)には水が溜められています。今城塚古墳歴史館で勉強してきます。安満宮山古墳で見つかった重要文化財の四神四獣鏡。魏の年号「青龍三年」(西暦235年)と書かれていますのでの魏(中国)より贈られたものではないかと言われています。今城塚古墳を造っていく過程を再現したもの円筒埴輪の復元過程。埴輪は破片が散らばった状態で発掘されるので、このように下の方から復元していくそうです。今城塚古墳には3つの石棺があったそうで、それぞれが九州熊
埴輪みくじ各1000円(今まで出会ったゆるみくじの中で一番高価でした!)この周辺は世界文化遺産でもある古墳群が有名で、そのためここには埴輪のゆるみくじが置いてありました。色は全部で3種類!私は濃いオレンジ色の埴輪たちを連れて帰ってきました。ところでこの「ペパーミントカラー」の埴輪、異彩を放っています。どうしてこの色をバリエーションに加えたのでしょう?古墳色…?これもこれで可愛くて、今さら気になってきました。やあ武人埴輪のように、鎧を着ているようにも見えます。この腰に付いている鉤は何を
ソウル近郊に、日本人が住んでいたことを、韓国が認めるってのは珍しいよね。釜山近郊の前方後円墳などは、方墳部分を壊して円墳にしてしまい、日本の影響がないようにするくらいなんだけどね。それにしても、よく日本人の住居跡だと判りましたねえ。ーーーーーーーーーーーーーー韓国ソウル付近の百済遺跡で1600年前の日本人居住痕跡を発見3/8(金)7:24https://news.yahoo.co.jp/articles/89591090a521eb3eb00ac8b2582a9d580cf6119
~前回までのあらすじ~……日本の国宝は多いってわかっていたのに、……なんでもっと集めようと思わなかったんだろう。そんなきっかけから、“国宝を集める”ために旅をしている国宝ハンター・とに~。これまでにハンティングした国宝の数は、実に1050件。国宝ハンターを続ける理由を、彼はこう述べる。「国宝は探し求めている時が一番楽しいんだよ。」と。昨年に引き続き、今年もトーハクにて、“新指定国宝・重要文化財”が開催されています。令和6年に、重要文化財から、国宝に昇格した文化財
ゴールデンウィーク中ずっと仕事だった我が家の長女が今日はやーっとお休みだー!『よーし近場でどこか行こー🚗』って急遽、お出かけ♡石川県埋蔵文化財センターでゴールデンウィーク中に「手形・足形づくり」事前申込みは不要、無料!と言うチラシを保育園でもらったのを思い出したさて『予約いらないなら行こー🖐️』っとなりました。ふっかるで出発🚗埴輪、ハニワ、埴輪。可愛い♡困り顔でハニワに顔はめ。舌を出して、鎧に顔はめ。そして施設の中へ。スタッフさん優しくて親切だったなー😊お
3月22日に訪れた奈良県葛城市の古墳、続きです。↓今日アップするのは北花内(きたはなうち)大塚古墳。↑国土地理院の航空写真地理院地図/GSIMaps|国土地理院宮内庁治定、飯豊天皇埴口丘陵(はにぐちのおかのみささぎ)です。場所はこちら:34.484475,135.727004『滋賀県東近江市市辺町古保志東古墳(磐坂市辺押磐皇子墓)』2月1日に訪れた滋賀県東近江市の古墳、続きです↑今日アップするのは古墳名「古保志東古墳」、宮内庁治定陵墓、「磐坂市辺押磐
8月30日に訪れた福島県の古墳、続きです。国見町から桑折町にかけて所在する塚野目古墳群。以前は四十八塚と呼ばれ、50基ほどの古墳があったと思われますが、現状は11基が現存です。今日アップするのは塚野目古墳群に属する国見八幡塚古墳(塚野目1号墳)です↑墳長72メートルの前方後円墳。前方部が墓地として削平されてますが、航空写真では「前方部」部の名残りがよくわかります。周溝を含めると墳長は82メートル。↑国見八幡塚古墳(塚野目1号墳)、南側より八幡神社となっています
今日から名古屋市守山区にある志段味(しだみ)古墳群をアップしていきます↑志段味古墳群に属する勝手塚古墳は「勝手社」という神社になっています場所はこちら:35.252864,137.036271↑国土地理院の陰影起伏図地理院地図/GSIMaps|国土地理院帆立貝型の前方後円墳というのがわかります。↑訪れた日は墳頂上の社殿が修築中でした↑勝手塚古墳の解説板墳長約53メートル、6世紀初頃築造の帆立貝型前方後円墳。↑現地解説
3月28日に訪れた茨城県つくば市にある古墳、続きです。昨日アップした島名榎内古墳群から石棺だけが残っている島名榎内西古墳を目指したら・・・・↑あれ?前方後円墳60~70メートルはありそう石棺だけだったはず???困惑しながら近づくと・・・・↑西側から見たら廃棄物の山でしたあらためて榎内西古墳を探します↑マウンドが2つこれは古墳ではないな・・場所はこのあたり:36.052349,140.049560↑奥のマウンドは残土ですね。
前回ブログ、仕事と仕事の合間のスキマ時間を利用して、奈良県北西部に位置する葛城市コミュニティバス「れんかちゃん」号の乗車記をご紹介させていただきました。『ローカル路線バスの旅~葛城市コミュニティバス「れんかちゃんバス」~』今日は大阪での仕事を午前中で済ませ、午後奈良まで戻ってきました。宵積まで時間があるので、暇つぶしにコミュバスに乗ってプチ観光しようかな。当ブログでも何度か取…ameblo.jp奈良交通葛城営業所に隣接する忍海バス停を始点に、葛城市を一周する環状外回りに乗車しまし
毎月5日は、いづみちゃんの日です。いづみちゃんお友達のひとみちゃん、テテちゃんとお部屋でおしゃべりの1日でした。ひとみ「ロンサムさんって酷いのよ、私たち2代目リカちゃんフレンドをブログに出すのを忘れてるのよ、」いづみ「私去年出たし、今年ももう今日出たよ」ひとみ「私も去年は出たわ、でもその前2年間一度も出ずよ」テテ「ちまきどうぞ」いづみ「あら、ありがとうテテちゃんも座って」ひとも「テテちゃん毎年ブログに1回は出ているの?」テテ「2年ぶりかな」ひとみ「ほらね、昨日のみどり先生やエミ
セリアって、ちょっと楽しいものを売ってます。クッキー型。この他に「仏像と考える人」や「埴輪と遮光器土偶」などのセットがあります。前者は見つけて買ったんですけど、後者はまだ見つからない…きっと、もう買えないだろうな。試してみたいけど、今甘いものに溢れてて、クッキーは食べたくない…。朝食の食パンで試しました。絵が細かい!左のはお腹も押さえてから焼かないとだな。実はエジプトセット2種類は、私とチョクが同時にセリアで見つけて買ってしまったので、ダブってしまいました…。似た者母子です。
五条山天神社大和国添下郡奈良市赤膚町1052(境内に駐車可)■祭神埴山毘賣命須佐之男命天満天神宇迦御魂神大山祇神「赤膚山」(五条山)の麓に鎮座する社。赤膚焼の大塩正人窯元が隣にあります。◎赤膚焼は天正年間に豊臣秀長が開窯させたのが始まりであるようです。古来より上質な赤土が採取できることから、また郡山城に近いことから当地で始まったようです。◎それはもちろん古代からも、「赤膚」色の土が露出する山として採取が行われています。野見宿禰を祖とする土師氏が当地周辺に拠点を置き、神器や
昨年末の墳活一人旅の二日目、12月29日に訪れた奈良県河合町にある大塚山古墳群、続きですまずは地名から。「穴闇」・・・・知らないと読めない地名ですよね「なぐら」だそうです「穴闇」という地名の由来は、推古天皇がこの地を通りかかった時に急病を患い「穴暗い」と言われたという説と、穴穂部間人皇女(聖徳太子の母)が大きな倉に入った際、「穴倉のようだ」と言われたという説があるようです。※「いかす・なら」の聖徳太子プロジェクトを参考にしました。↑国土地理院の航空写真(赤い文字はふっ
北海道後志総合振興局の島牧村にある白糸の滝。山菜採りのついでに撮影してみました。雪解けが終わり草木が芽吹く前の荒涼とした断崖絶壁の地。巨大な埴輪像(大魔神のイメージ)が安置されていても全く違和感のない光景です。日本海海上の上空145メートルからの撮影。国道229線の旧道と新道が交差しています。雪解け水の増水期は過ぎてしまったようです。陸地からの距離があるのでこれでは滝の迫力は感じられません。接近して撮影。滝は3本確認できます。滝壺はありません。その名の通り白い糸
新学期もスタートしましたね。親の私が逆に元の生活に戻りきれていませんが…。夏休み終了間際の29日と30日。気分的にも、(私は)自宅でのんびり過ごしたかったんですが、主人は、ほとんどこの夏子供たちと過ごしていなかったので、夏休み終了ギリギリですが、久しぶりに、ポイント消費旅行をしてきましたー⭐旅行というのは名ばかりで、遠くに観光に行くのが目的ではなく、第一の目的は、ポイントの消費。主人は、しばらく現場が詰まっていなかったので、県外を提案していましたが、私、千葉県内でいいー!と
こんにちは!苦手な食べ物は少ないに越したことはないと思いつつ最近になってようやくエビが食べれるようになったバディオです!つぎはタコですね今回はミニベロポタ輪行をしてきました!とある日のことを書いていきます。出発は武庫之荘駅垂水駅まで輪行そこから明石駅までの超ライトなサイクリング!海沿いの桜を見に行ってきました🌸マイバーディーをDAHONの輪行袋に包む。畳み方は練習が必要ですがかなりコンパクトになります!ハンドルに取り付けれるの
東京国立博物館に展示されている埴輪その中でも、ずっと気になっていた埴輪があります。↑埴輪「盛装男子」画像は国立博物館所蔵品統合検索システムよりhttps://colbase.nich.go.jp/collectionItems/view/12f08f3c06a62af80737925634848303/92593?lang=jpn出土地は「壬生町ナナシ塚古墳」古墳時代の男性の服装・帽子って、まったく「日本的」ではないですよねインパクト大な埴輪です。↑ふっき~撮影の「盛
『大嘗祭(おおなめまつり)』。7世紀頃始まったと言われる天皇の皇位継承の際におこなわれる儀式。その大嘗祭で用いられる布がとても気になる。『麁服(あらたえ)』と『繪服(にぎたえ)』。この名は神様の魂を表しているのではないか。神様には、穏やかな心を持つ和御魂(にぎみたま)と、荒ぶる魂の荒御魂(あらみたま)という、二面性があるという。○麁服(あらたえ)麻で出来ており、古来より阿波(徳島県)で作られる。○繪服(にぎたえ)絹で出来ており、古来より三河(愛知県)で作られている。絹と言えば
2度目の石川県一人旅二日目(9月29日)、最後に訪れた古墳が御幸塚(みゆきづか)古墳です↑この上を登っていきます↑この先に御幸塚古墳↑立派な碑↑御幸塚について三湖台と俗に言われているのは、この頂上から今江潟、木場潟、柴山潟が望まれるからであり、平安期には花山法皇が度々ここに御幸され周辺の景観を賞されたとの伝承から御幸塚と呼ばれるに至った。戦国時代には、この一部をとり入れ御幸塚城が構築されていた。しかいこの御幸塚は実は上代の前方後円墳であって
3月28日に訪れた茨城県つくば市の古墳、続きです。↑谷田部浅間塚古墳、北側の様子住宅地の中に残されている直径25メートルの円墳。谷田部台町古墳群に属します。場所はこちら:36.036711,140.081902↑南側はゴミ捨て場になっていたり、擁壁化されています。谷田部台町古墳群、「いばらきデジタルまっぷ」では円墳1、方墳1。『常陸の古墳群』では円墳3、方墳1とありますが、現況確認できるのは円墳1、方墳1との記載も。↑埴輪の破片が転がってました。
日曜日の朝、真岡市の大前神社から益子町に移動を開始🚙。やはりこの日の天気はビミョ〜…。山に行かずに趣味を追求しましょう。目指すのは、以前から狙いを定めていた「大塚はにわ店」です。HPでは朝8時に開店と書いてありました。筑波山に行ったときに「はにわの西浦」というお店に行きました。しかし、駐車場が満車で入れませんでした。益子町で、はにわリベンジです❗️しかし、ちょうど8時頃、お店の前を通過したら電気が消えてる…。駐車場も民家の前みたいな場所でいいのかな…。とりあえず停めてみました。
記録写真集ようてん、墓を視察2021.2.19太陽に向かい畏敬の意を表す墳墓の頂上から西方浄土を伺う眼下を見下ろす埴輪の仕上がりを確かめる整然と並ぶ埴輪を観覧する墳墓の全体像を確認する今後のことを思案する神に祈る追記視察後帰らんとするところ、ようてんに似たるモノ現る。墳墓の端に来たりてこちらを伺う。その意図不明なり。
65点の暮らしかた。1級建築士ハギヤマジュンコです。毎日100点じゃなくていいやん。手抜きしたって、楽したって、イライラしてるよりもニコニコでいたい。自分らしい65点を手探りしながら、暮らしています。詳しい自己紹介はコチラおうち作りにまつわるブログも書いてます。ホームページ・ブログは↓『家事のしくみを、整える』に掲載いただきました。『心地よく暮らすための掃除と片付け』に掲載いただきました。初めて表紙にも……!
大阪府羽曳野市の峯ケ塚古墳(5世紀末)で、木製埴輪が出土されました。長さ約3・5mで日本最大です。日本最大の木製埴輪出土、大阪峯ケ塚古墳、長さ3・5m:山陽新聞デジタル|さんデジ金銅製馬具など豪華な副葬品が出土した大阪府羽曳野市の峯ケ塚古墳(5世紀末、前方後円墳)で、木製埴輪「石見型木製品」が出土し、市教育委員会が8日発表した。長さ約3・5mで日本最大。石見型木製品は...www.sanyonews.jp一般にイメージするような埴輪というよりは、大きな板?という感じですが、こ
富岡製糸場から市営駐車場まで急いで歩き、カーナビを藤岡温泉ホテルリゾートへセット。途中上信越自動車道を経由して約30km。順調に走れれば40分強。富岡ICから乗り、吉井ICでおりそこから一般道。ちょっと走ると平井城跡っのぼりがそこここで目につきます。ちょっと興味ありますがここは翌日にまわしてそのまま山道へ。途中の景色はなかなかすごい。ピークまではまだ少しありそうですがかなりの紅葉。鮎川って川沿いを上っていき、途中これまた目を引く渓谷なんかもありますが、ここも翌日まわしで
令和6年4月12日金曜日。高麗神社。関東に関しては細かく隈なく神社仏閣を巡ったが、埼玉と群馬県境周辺は興味深い寺社や地名が多い。お住まいの方には申し訳ないが何も無い田舎町の田園風景の中にそれらはある。高麗神社もその一つなのだが_ここはある意味、関東一のパワースポットかもしれない。まず天皇陛下は定期的に訪れているし…歴代の総理大臣になる人は任命される前に必ずここで祈願してること。支配、昇進、子孫繁栄の御利益は間違いない。また伺いたいが横須賀からは厳しいな。高麗神社と言えば「天下大将軍
こんにちは。滝好きのK藤です。突然ですが、中部地方の皆さんは「アジャリの森」をご存知でしょうか。…説明、しよっか。アジャリの森とはアジャリの森は、高槻市にある稲荷神社一帯の木々を指す呼び名のようです。「アジャリの杜」の名は、日本書紀で安閑(あんかん)天皇の命に背いて土地を献上しなかった味張(アジハリ)が、報いとして屯田耕作の為に農民を春秋500人献上した話からアジハリが訛ったと云われ、その人々が住んだ場所が五百住(よすみ)の地名といわれています。アジャリの森・歩人山稲荷神社|
こんばんは。12月、今日の東京は雨で少し寒かったです。先日、100均(ダイソー)で「素焼き調ねんど」を買いました。本当は、樹脂粘土を探しに行ったのだけど、代わりにこれを見つけて即買い!早速、踊る埴輪ちゃんたちを作ってみました↲°o°↱はにわぷりんと勾玉と、来年の干支(卯年)うさぎちゃんも作りました。長男が約20年前に幼稚園で使っていた青い「粘土板」が大活躍。息子には「それ、どこから出してきたの?」と驚かれました。何でも捨てずに取っておくから、家の中が片付かないのですよね〜。こ