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先日、日本100名城に認定されている、滋賀県の近江彦根城に行った時の事。何やら見慣れないカードがありましたのでゲットしました。それがこの2つ。まずは歴まちカード。歴まちカードとは【歴史まちづくりカー】の略で国土交通省で発行しているカード。これは歴まち認定都市の象徴的な風景写真や歴史まちづくり情報を紹介したカード型パンフレットです。近畿地方整備局及び関東地方整備局、中部地方整備局管内の歴まち認定都市で無料配布しています。>>歴まちカードの詳細そして城カードとは、現存12天守の写真が
先週「投稿編」と題して使い方を紹介した新機能「リア攻めマップ」。いよいよリリースが明日に迫ってきましたぁぁ(´∇`)/本日は、引き続き「活用編」をお届けしますので、リリースまでの予習にお役立て下さいませ。リア攻めマップでは、新しくできることが大幅に増えるため、明日の段階では、一例として千葉県の「佐倉城」に、ある程度スポットが設置された状態でリリースします。近頃佐倉城の写真が大量にアップされたことに気がついた人もいるかもしれませんが、上記設置作業の影響ですので気にしないで下さい(;·
現在、貫高を他の人に贈る場合、城めぐりアプリ内で「友達」になっているかいないかでその上限が異なります。友達の場合:10,000貫まで、1日1回まで友達以外の場合:100貫まで、1ヶ月1回までこちらの上限ルールについて、6月下旬より一部改定が行われます。友達の場合は何も変わりません。友達じゃない場合が「100貫」「500貫」「1,000貫」の3種類から選択できるようになります。もともと貫高を贈られるようにしたのは、ちょっとした感謝の気持ちを表現する場合や、良い写真や口コミを
この記事は、「ニッポン城めぐり」内で行われる“合戦イベント”についての解説です。┃合戦イベントとは?ユーザーが2つの軍に分かれ、どちらの軍が軍功(ポイント)を多く獲得できるかで勝敗を競う期間限定イベントです。┃軍を選択する参戦に際して、初めにどちらの軍で戦うかを選択します(変更不可)。それぞれの軍には複数の部隊が存在します。参戦後、そのいずれかの部隊に配属されます(どの部隊になるかは運次第です)。┃軍功を獲得する軍功は以下のように集計され、リアルタイムで合戦TOP(主戦場
2016年から集計と発表を行ってきた「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300」。毎年12月のこの時期に報道機関向けにリリースを配信していますが、コロナ禍の2020年から2022年については、地域ごとの外出制限などもあり公平な統計も取れないことから、発表を見合わせてきました。そして今年2023年、ついにこのランキングが4年ぶりに復活します!「ニッポン城めぐり」が、「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300(2023年版)」を本日発表致しました!今
先週木曜日にアプリアップデートを行いまして、その後iPhoneの一部で再生に不具合が発覚したため一時公開を停止しておりました動画広告について、本日復旧致しました。また、同じくiPhoneの一部で写真が投稿できないことがありましたが、こちらも同じく復旧しております。iPhoneアプリをAppStoreで最新版(バージョン4.0.5)にして頂くことでいずれも改善します。詳しくはアプリ内のお知らせを御覧下さい。ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございませんでしたm(__)m本日はほんのお
ラストは本殿に向かいます拝殿も本殿も厚みのある色彩が荘厳を増していますカッコいいなぁとても美しい本殿です拝殿をよく見ると佐竹扇だ付近には佐竹氏の家臣の城が3つあったとか大窪城、天神山城、愛宕山城合わせて大久保城とも呼ばれているようです流鏑馬の馬が最後に駆け上がる石段を上から覗くと怖っ石がへこんでいるのがわかり
師せる孔明先生に人生と情熱を賭けて33年の子(げんし)です。今週は「名古屋城」を剪字ています。声符は成。成に戌守(じゅしゅ)の意がある。参考文献字統Amazon(アマゾン)『話文』にー・・・って続ける前に!!!白川先生!!ちょいとお待ちを!!成戌(じゅしゅ)って何だべ?犬っこの仲間?って思ったので調べたら戌は、犬ではなく守るって意味でしたってことで今日の漢字は人は城なら城は人っ
大手門を入ると小さな池があります多分馬洗いの池だったのでしょうその池の脇には小さな隅櫓(1間×1間)がありそこからくねくねと折れ曲がる塀に沿って進みますこの辺は全面的に発掘調査が行われくっきりと塀の跡が見つかっていますちなみに塀の中は厩として復元しました昭和に入ってからの重機による掘削で塀以外の跡は判別がつかなくなっていました道の先に高台があります高見と呼ばれる場所で発掘調査から3間×3間の櫓の柱跡が発見されました見晴らしのいい場所なのでかなりの高さの物見櫓があった
『カフカ断片集海辺の貝殻のようにうつろで、ひと足でふみつぶされそうだ』新潮文庫書影が掲載されました!装丁は緒方修一さんです。サインはカフカ自身が書いたものです🖋️本文中の挿絵もカフカ自身が描いたものです🖌️どうぞよろしくお願いいたします!🔴『カフカ断片集』頭木弘樹編訳新潮文庫カフカの作品で何が好きって、断片がいちばん好きです短い、未完成な、小説のかけらたちです✨断片集を出したいと、ずっと願っていました!渾身の1冊です!新訳です!カフカ断片集:海
ちょうど一ヶ月前に始動したニッポン城めぐりの「新型コロナ助け合いプロジェクト」。簡単にいうと、これはお仕事において新型コロナの影響を受けているアプリユーザーのみなさんを、アプリユーザーのみなさんで助け合いましょう、というプロジェクトです。詳細はこちらからご覧になれます。エントリーからあまり時間を空けても良くないので、本日、エントリーのあった店舗やサービスを一覧の形で紹介させて頂きます!!それぞれの詳細については、リンク先のサイトにて確認できるようになっています。ただ、まさに今はコロナ
こんにちは。アクセスいただきありがとうございます😊前の旅行記から少し日にちが経っていしまいましたが…『3月16日〜17日滋賀旅行記①《石山寺・大河ドラマ館》』こんにちは。読んでいただきありがとうございます😊3月16日から17日の1泊2日で滋賀県に旅行してきたので、旅行記を書きたいと思います♪◇◇◇日程◇◇◇1日目石…ameblo.jp①のつづきです〜◇◇◇日程◇◇◇1日目石山寺・NHK大河ドラマ館・ランチ(一休)・彦根城・ホテル(琵琶湖マリオット)2日目めんたいパーク・ラコリ
ここでは「ニッポン城めぐり」運営ブログの過去記事の中から、城郭関連の記事でアクセス数の多かったものをカテゴリー別にまとめて紹介しています。━━━━━━━━━━━━■城の種類■━━━━━━━━━━━━陣屋|台場|グスク|チャシ|倭城|神籠石|城郭寺院━━━━━━━━━━━━■城郭用語■━━━━━━━━━━━━天守|曲輪|破風|石落し|根小屋|付け城|城主大名|後詰|重と階━━━━━━━━━━━━■攻城の種類■━━━━━━━━━━━━力攻め/強襲|奇襲/夜襲|調略
常総市の道の駅に出かけた時新しく道の駅常総ができたので出来かけてみました混んでいると言ってましたが・・・・・・・・ここまで・・・・道路渋滞しています駐車場・・・入れないので本日は断念しました豊田城も整備中だったでは他に回ろう常総市内をドライブ中八幡神社に立ち寄りましたかなりの数がありますねこれは読め
【問題】【日本城郭検定1級】村上水軍の城のうち、藤堂高虎によって近世城郭化された城は次のうちどれか。【選択肢】甘崎城来島城能島城俵崎城【正解】甘崎城【解説】戦国時代末期、来島村上氏の村上吉継が城主となり水軍の拠点とされた。関ケ原の戦い後、伊予に入封した藤堂高虎は、国境である芸予諸島の防衛のために、大三島東海岸沖にある小島(古城島)の周囲に石垣を巡らせ瓦葺き建物を築き、水軍とその泊地となる近世城郭の甘崎城を完成させた。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
日立市に来ていますここは助川城跡公園です今回は城です城好き水戸藩ですね日立市と言えば海と山助川城は高台に位置しています眼下に広がる日立の街見えるかなぁ~助川海防城とな結構広いようですいざ城へGO!石段を上ると登場したのがこちらの石ご家老様じゃ公
ブックマーク★レトロ系建物2【2020年撮影】犬山城前観光案内所のある駐車場に車を停めて山を登ります。やはり観光地だけあって人気があるのですね。観光バスも停まっていてほぼ満車状態でした。天守前にも行列ができていました。駐車場から山を登って更に天守の階段を登ります。現代の登りやすい階段と違って梯子並みの急こう配の階段です。途中、お年寄りや重量級のお客さんが何人も立ち往生していました。建物の中は充分な照明がなく、暗かったです。途中、何枚か写真も撮ったのですがブレブレの写真ばっか
竜ヶ崎市の3か所目は八坂神社です結構人が来ていました御朱印いただいていましたわ風薫る五月気持ち良いきれいですね種類がたくさんでは参拝しましょう由緒には源頼朝の家臣下河辺政義(しもこうべまさよし)公が文治2年(1186年)に領地龍ヶ崎市貝原塚の領民を引き連れ沼沢の地であった根町を干拓した際に貝原塚の鎮守神社である八坂大
【問題】【日本城郭検定準1級】武田氏の侵攻に備えるため、重須湊に築かれた北条水軍の城はどれか。【選択肢】伊豆長浜城土肥城下田城三枚橋城【正解】伊豆長浜城【解説】戦国時代関東一円を治めた北条氏の水軍根拠地。重須湊を守るための城で、天正7年(1579)には北条水軍の事実上の統括者である梶原備前守が入り、翌年、武田・北条両氏水軍による駿河湾海戦が行われた。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」石垣めぐりな旅です。建物にくらべ見過ごしがちな石垣ですが、石垣の種類や作り方、お墓や仏像の転用石、刻印などなど…。石垣にもいろいろな楽しみ方があります。今回は彦根城の転用石を紹介します。転用石のある城石垣に使われた石材住所彦根城供養塔or墓石滋賀県彦根市金亀町1-1誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(__)mスマホで地図が表示されない場合、一度前
当初、前回の畠山重忠公史跡公園のあと、別の城に行く予定でしたが、とある場所の存在を知り急遽寄りました去年10月に訪れたその場所は、埼玉県寄居町の水野氏陣屋跡です水野氏陣屋跡は、現在の曹洞宗の寺院「昌国寺」の境内となっています昌国寺の開基である水野長勝はあの織田信長に仕えていましたが、のちに北条氏邦の家臣となり、同じく寄居町にある100名城・鉢形城内に屋敷を与えられ、この地には居館があったようです。豊臣秀吉の小田原攻めで後北条氏が滅ぶと、長勝は徳川家康の従兄弟であったことから徳川家の旗本
その5で土橋門は終わりにしたのですが、ちょっと追加です。別の用件で館林市『市制施行60周年記念館林市史別巻写真で見る館林』を見ていたら土橋門の写真が載っていましたので、土橋門の歴史として、まとめてみました。①大正時代に復元大正7年に旧館林藩主秋元家により復元されました。明治7年に城が焼けてから、ちょうど45年目ですね。館林城の建物はなくなってましたが、堀や土塁はまだ残っていたようです。(昭和29年4月の市制施行時にも、この写真で土橋門に向かって左側の堀(現在は市民文化
ドイツのリヒテンシュタイン城は、シュトゥットガルトから50kmほど南下したところに位置し、正に断崖絶壁に建つ一際美しい城です。標高800m以上と言われており、どうしても晴れの日に、この美しい城「妖精の城」に行ってみたくて、毎週天気予報をチェックしながら、快晴の日(2022.5)に車で向かいました。待った甲斐があって、期待以上にテンション上も上がり、快晴での撮影スポットからの写真です。大満足!!場内見学は撮影禁止ですが、見学ツアー(基本ドイツ語、時々英語でフォローしてもらいました)に参加しま
裕福な城マニアの中には自分で近世風城を建ててしまう者がいるが、居宅としてではなく、地域観光の施設として建設し、一般に開放している方には敬意を払いたい。滋賀県彦根市と愛媛県西予市には、天守閣だけではなく、様々な付随施設を個人が建設した大規模施設が存在する。彦根のものは天守閣については着工から15~16年後に竣工したものの、その他の施設については現在も建設が続けられており、「日本のサクラダファミリア」とも呼ばれている。西予市の方も天守閣が15年かけて完成し、その他の施設群全てが完成したの
3月22日(木)晴れこの日はロンドンから電車での日帰り観光でコルチェスター(Colchester)とイプスウィッチ(Ipswich)へ。両都市共ノリッジ(Norwich)の手前の駅なので、過去に何度か通過した事はありましたが、下車は今回が初めて。ロンドン・リバプールストリート(LondonLiverpoolStreet)駅を9時に出発。鉄道会社はグレートアングリア(GreaterAnglia)で、コルチェスターまで46分。コルチェスターにはコルチェスター駅とコルチェス
オット(アラフィフ)、ちびうさ(アラフィフまだ受け入れられていない)、どら息子(成人)、トラチ(とら猫9歳)、はるさん(柴犬4歳)、たまにどら娘(成人:大学卒業したらもう自宅には帰ってこないだろうと両親は考えていますが、一応部屋は用意しないといけない⁉︎←結局、帰って来ず)が終の住処作り🏠2021.3泉北ホームと契約2022.5末引き渡し・即日引越こんにちは、ちびうさです先日伺った高級モンブランのお店「柳川」で開店前に並んでいた時に教えてもらった黒井城にはるさんとドラ息
2024年5月12日。ブログの内容の前に「第9回浪江を語ろう」のご紹介。すでにこちらのブログでも述べていますが、当日参加者の定員が間もなく締め切りになりますので、ご参加頂く方は参加申し込みを西村か、いりの舎三原さん宛にご連絡ください。西村s.nishimura@nijl.ac.jpいりの舎(三原)irinosha@gmail.comさて、2回にわたって室原氏の居館である室原村の「古舘趾」について『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指
江戸城総構は小田原城を真似たようです。その周囲は、内堀で小田原城、大阪城と同等で、外堀は日本最大だったようです。東は墨田川、北は神田川、南は東京湾に囲まれた天然の要害の上に成り立っています。東京都の地図を眺めると、良くわかります。要所に城門があります。日本最大、最強の城ですね。地震、火災、戦火、近代化の波等に耐えた名残りが、宝の山のように、東京には存在しています。徳川家光の代で完成した江戸城総構江戸城城門(現在の地図の同地名を重ね合わせるとその大きさがわかります)
”館林城跡のシンボル”であり、”みんなが知ってる”土橋門とは違って、いつも通っているけど良くは知らない館林城の名残りの場所はたくさんあります。今回は城跡に向かって上りになっている坂を取り上げてみます。取り上げる坂は、城跡に向かって南側からの上り坂です。つまり、「城沼につながる堀から邑楽館林台地の城内へ上る坂」です。最初に取り上げるのは、鷹匠町(注1)の武鷹館の前(西側)の坂です。※注1:鷹匠町は五号道路西側は現・大手町、東側は現・城町。武鷹館は大手町。この道は昭和2年(1927)に
今日は「敬老の日」。せっかくの三連休なのに、台風の影響で外出できず、ウズウズしている人も多いことでしょう。敬老の日といえば、若かりし頃はさほど気にしない祝日のうちの一つに過ぎませんでしたが、親も年老いた今日このごろ、色々考えさせられる祝日になりました。今の日本人の平均寿命は男性80.98歳、女性87.14歳だそうです(出典:@niftyニュース)。自分がその年齢になる頃には、ひょっとしたら本当に人生100年時代がやってきているかもしれません。戦国時代に目をやると、信長が好んだ「