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【問題】南部政直が近世城郭として整備したのは、次のうちどの城か?【選択肢】久慈城一関城花巻城軽米城【正解】花巻城【解説】南部政直は利直の次男で、慶長4年(1599)に生まれた。同18年、14歳の時に2万石で花巻城代(岩手県花巻市)となり、同城を近世城郭として整備した。
豊橋のシンボルのひとつである「吉田城」。数日前の新聞でも報じられていましたが、現在、豊橋市(美術博物館電話:0532-51-2882)では吉田城のより正確な姿を知るための調査を進めており、その手がかりとなる貴重な資料を広く募集しています。(3月1日~8月31日まで)吉田城の資料、眠ってない?豊橋市が絵図や古文書求める:中日新聞Web豊橋市の吉田城について建物の構造や歴史の解明につなげようと、市は8月にかけて、これまで明らかになっていない城の資料を求めて市民らに呼び...www.chu
先日のブログ(2026年4月13日公開)では、向山大池がかつて吉田城の堀の予備水を蓄える役割を担っていたという説について触れました。記事を公開したところ、地域の皆様からさらに詳細な、驚くべき「街の記憶」を伺うことができました。本日はその続編として、新情報から見えてきた失われた「水のネットワーク」の正体に迫ります。■朝倉川からやってきた水先日の記事では「どこから水が来ていたのか」という点も注目しましたが、かつては朝倉川から水神池を経由し、向山大池へと繋がる水路が存在していたそうです。現在
【問題】斎藤龍興が稲葉山城を織田信長に攻略された際、次のうちどのような方法で城から脱出したか?【選択肢】女性に扮して搦手から出た大樽に入り運び出された舟を使って川を下った山麓に出る抜け穴を使った【正解】舟を使って川を下った【解説】永禄10年(1567)、織田軍に居城・稲葉山城(岐阜県岐阜市)を攻められた龍興は持ち堪えることができず、城を放棄して舟で長良川を下り、伊勢長島へと脱出した。