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城野遺跡/帰ってきた弥生人特報1“吉野ヶ里遺跡の石棺墓発見にあたって”先日6月5日に、佐賀県吉野ヶ里遺跡でみつかった弥生時代の石棺の蓋石が開けられて大々的な全国ニュースになりました【写真1】。考古学ファンや邪馬台国ファンならだれもが知っているこの情報に、私も非常に関心を寄せています。このブログは本来、第5章「遺跡保存への道のり」の3回目にあたるのですが、急きょ変更して、この問題を取り上げて私なりの位置づけと皆さんのお考えをお聞きできればと思います。もっとも、最近はブログアップも滞
北九州市の埋蔵文化財行政の是非を問う⑭“歴史の重みが台無しに…”※くらしと福祉北九州」2021年12月1日号より転載(平和とくらしを守る北九州市民の会発行)小倉城内の発掘調査を通して、「ここがまさに小倉城だ!」と感じさせてくれる遺物に家紋瓦がある。江戸時代の小倉城主細川氏、次の城主小笠原氏の家紋はそれぞれ「九曜紋(くようもん)」、「三階菱紋(さんがいびしもん)」であるが、それらはたとえ小さく割れた破片でも、見つかれば特徴的な紋様なのですぐにそれとわかる【図1】。【図1】小倉城主
3/16講演会『初代門司港駅の出現』開催、「集会宣言」を採択し、4/4に北九州市長らに要請!3月16日に門司生涯学習センターで開催された講演会『初代門司港駅の出現-九州鉄道の原点に迫る-』(初代門司港駅跡の保存を求める会主催)には、230人を超える参加者が熱心に3人の講師の講演に聞き入りました【写真1、資料1】。【写真1】講演を熱心に聞き入る会場の様子と”北九州市民憲章”参加者は230名を超え、別室のテレビモニターで視聴する参加者もいました。よく見ると、舞台右側の壁には「北九州市民