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去年、ソウル城郭の一部である・サジク壇→仁王山・光煕門→奨忠壇を歩いたので、今回はその続きの・光煕門→ナクサン公園・奨忠壇→サジク壇の区間を歩きました↑これで残る区間は北側エリアのみです。一日で回る人もいるみたいですが😮😮。今日も授業でお話したんですが、軽いハイキング(登り坂あります)なら東大門から駱山(ナクサン)公園がお勧めです。1時間以内で登れますよ。私は東横イン東大門1からスタート釈迦誕生日が近いので、街に提灯がかかっています。ホテル
筒江城(朝来市和田山町筒江)標高30m余の独立丘陵上にある筒江城は居館が城郭を成している館城といってよかろう。諏訪城に似た平城といった姿である。総じて加都・枚田の城は比治城を除けば比較的低い山上にある。打って出やすい城といえよう。(※和田山町史より)南西五郭南西四郭横堀状の西三郭中央堀切からの西堅堀中央堀切の土橋中央堀切からの東堅堀南二郭南二郭南東腰曲輪南堅堀南東堅堀南東三郭東堅堀主郭帯曲輪状の東二郭北東堅堀北東三郭北横堀からの北東堅堀北横堀北横堀からの
ご訪問ありがとうございます😊西洋占星術ほしよみサロンMINOAKA代表澄川めぐです今の世の中が酷すぎるので社会の裏側や真実も伝えていっています。フラットアースを完全解説「本当の宇宙の教科書」note有料記事こちら★◆なぜ今コロナが流行って、大変な世の中なのか?!昼夜転換のお話◆鬼滅の刃はリアルだった?!夜の時代では何が起こっていたのか…◆三浦春馬くんの死から見えてくる、世の中の裏側。星読みメニューはこちらのHPから申し込みフォームはこちらからフラッ
今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三重櫓シリーズ」「二重櫓シリーズ」「櫓門シリーズ」をテーマに掲載してきましたが、その後「平櫓シリーズ」をテーマに立ち上げようと思っていたのですが、なかなか機会がなく暫くの間ペンディングとなっていました。『ブログ上段に『全国の「二重・三重櫓」を巡る』の「メニューバー」を貼り付けました』ブログ上段の『メニューバー』の中に『全国の「二重・
高生田城(朝来市和田山町高生田)高生田城は円山川支流の糸井川右岸、高生田集落背後(北西側)の標高約222mの山頂にあり、糸井谷のほぼ中央に位置する。集落との比高は約130mある。城域は東西約250m・南北約250mを測る大規模城郭である。城主について、伝承では「福富氏が居城し、土田・和田の両城をもっていた」と云われている。天文二十三年(1554)七月、土田郷と枚田郷の山境相論に対して山名宗詮(祐豊)が栽許状を出している。その相論は太田垣土佐守(輝延)の斡旋によって、「長尾を境とすること」「枚田
関ケ原の戦い後に天下普請されたお城シリーズ。福山城、篠山城に続き、次は大坂城に近い丹波亀山城(兵庫県亀岡市)を見てみましょう。丹波亀山城(以降亀山城)は、現在宗教法人「大本教(おおもときょう)」の敷地になっていて、天守台が積み直しされて存在していますが、当宗教法人の聖地となっていますので、中には入ることができません。天守台石垣と登り石段(手前に立入禁止の立て札が)天守台(大本教の神域)しかし、予め社務所で記帳の上お祓いを受ければ、天守台の下までは無料で入場ができますので、
アンニョンハセヨ2023年12月3日(日)~2023年12月8日(金)まで行ってたイモとソウル旅5泊6日レポ5日目(12/7)この記事『2日続けて食べた百味堂のソフトクリーム!』アンニョンハセヨ2023年12月3日(日)~2023年12月8日(金)まで行ってたイモとソウル旅5泊6日レポ5日目(12/7)この記事『ソウル旅最後の夜は…ameblo.jpのつづき。6日目(12/8)スタート。ホテル(東横イン東大門2)で朝ごはんを食べてチェックアウト。最終日やし遠
所在地〒403-0032山梨県富士吉田市上吉田特徴市街地の丘陵に残る城郭遺構で、バリケードを進むと主郭には瓦礫が積み上げられている。主郭の奥に大きな土塁があり、その先に連郭式の遺構が残る。感想しかし、縄張りは単純で残存度合いも低い。
ヨロブン、アンニョンハセヨー3年3ヶ月ぶりの韓国ソウル旅行、2日目は朝から水原へちょっとお出かけ小旅行に‼️水原駅に着いたら、4番出口のエスカレーターを降りて、そのまま左手ビル沿いを50メートルほど歩きます。そこにあるのが「水原観光案内所」です。ハングルで『水原観光情報センター」って書いてあるんだけど、ハングル読めない人には「観光案内所」って分からない看板です。なので写真貼っておきます。⬇️日本語が分かる受付の方がいました。😊ここでいただいたパンフレットがすごく良かったので、ぜひ
小田原城に行こう100名城スタンプスタンプ集めで小田原城にやって来ました駐車場が見つからずなんとお城の周りを2周しました市営の駐車場を見つけこれから登城しますよぉ〜★銅門だって堀とのの幅が広く城内への侵入路には枡形になっていてこの時点で弓矢や鉄砲で撃たれてますこの門は曲輪を突破した敵を食い止める門で防御と攻撃を両立してます火矢に対し防御力を高める為門に銅板を張っていた為に銅門と呼ばれてたらしい立派だぁ👍
白岩城(養父市関宮町吉井字白岩林)白岩城は八木川右岸、吉井集落対岸こ尾根突端、標高約290mに所在する。山裾との比高は約70mある。城域は東西約80m・南北約100mを測る小規模城郭である。白岩城北東の台地には「殿屋敷」と呼ばれる広大な平地があり、ここが城主である白岩氏の居館跡であり、昭和40年代まで白岩氏が居住していた。吉井集落の対岸の台地になぜ白岩氏だけが屋敷を構えたのかは不明である。「白岩系図」(『白岩文書』)によれば、白岩氏は竹田城主太田垣氏の後裔という。同系図では天正5年(1577
GW、観光地も道路もすごい混雑ですね私も潮干狩りに行って、渋滞&人混みでどっと疲れましてブログ更新ができませんでした*ソウル2日目の続きです*新羅免税店でお金を使わずカフェ休憩☕️🥯この後はランチに行きたい店があり、明洞行きのシャトルバスで移動ー🚌シャトルバス乗り場でバスが来るのを待っていましたが、、来る気配がなく、スタッフさんに確認したら「12時のバスはないよ!」と言われ昔、自分でこの件をブログに書いたことを思い出しました〜12:00のバスは無い?『新羅免税店シャトルバ
今回は、過去作です。童友社1/540日本の名城JOYJOYコレクション安土城です。“ADUCHICASTLE"キット自体は、結構前に当ブログ内でも紹介させて戴いておりますが、今回の作例は、発売当時(2009年)に、即買いして作ったモノでした。残されていた画像は、当時の携帯電話で撮影したもので、画質が…(^^ゞこの時は、城ばっかり作っていた時で、クオリティよりも、数が欲しかったです(笑)今見ると反省点も多いです。
前回からの続きです・・・・・・さきたま古墳のついでに忍城を訪れ江戸時代の城郭の模型(↑)を見てハッとしたオヤジ!😮埼玉県行田市という関東平野内陸部にどうしてこれ程の湿地帯が存在するのか?案外さいたま古墳群のエッセンスに繋がるのかもしれないなぁ~?そう考えて再度行田市を訪れました。😁またまた忍城の御三階櫓をパチリ。📷青空に映えてなかなか綺麗ですねぇ~今回は郷土資料館で「忍城今昔地図」を購入。2016年の都市計画図に1825年の忍城絵図を重ねた優れも
https://cmeg.jp/w/castles/2005三ツ木城(埼玉県桶川市)の詳細情報・周辺観光|ニッポン城めぐり−位置情報アプリで楽しむ無料のお城スタンプラリー三ツ木城(埼玉県桶川市)の歴史や遺構の状況が分かる城郭基本情報、地図、最新の口コミや写真をご覧頂けます。cmeg.jp
かつて同和問題という部落差別があった埼玉県の川島町にも同和地区があって差別民として社会的制裁を受けていた経緯があるもうそんな面影もないが地元には妖怪袖引き小僧が夕方の帰途を急いでいる人の袖を引っ張って振り返っても誰もいないと言う話が伝わっていて落武者の霊だとも言われている川島で見つかった道祖土家さいどけ文書には戦国時代の道祖土家は関東管領上杉氏や北条氏太田氏の支配下にあって代官を務めていた川島には城郭があったと言う証拠や文献はないがお城にちなんだ地名が散見し地図を見れば
西京区、京都随一の観光スポットである嵐山。そのシンボル的存在でもある渡月橋。風光明媚で観光客にも人気の場所。現在はコロナ禍、非常事態宣言発令下で橋を渡る人もかなり少ない状況ですが、コロナ前の春の桜、秋の紅葉シーズンには人数制限までされるほど、毎年混雑するスポット。そんな嵐山ですが、じつは地元民にもあまり知られていないスポットがあり、今回はそこを目指してやってきました。そもそも『嵐山』という地名。『山』と付くからにはそんな山が存在するのか?という単純発想から調べてみると、あったんです(笑)地名
明日は4月6日、いよいよ城の日です。ニッポン城めぐりの誕生日でもあります。そんなこともあって、今日は朝からソワソワ、バタバタ、そしてモゾモゾしておりますが、明日の各種更新時間などについてみなさんに事前に情報共有しておきたいと思います。まず、0時になるといつものように歴史クイズが更新されます。当然予期されることで、4月6日のクイズはスペシャルな問題となります。もう全体正解率100%を目指して下さいとはいいませんから、どうか楽しみながらやって下さい。また、同じく0時からは
◆岡崎城徳川家康生誕の城徳川家康産湯の井戸竹千代の石像があります。天守閣は鉄筋コンクリート製です。★東隅櫓2010年木造再建の櫓です。木造再建って良いなぁ土壁と漆喰が重厚感を生み出します。★東隅櫓の内部木造で良い雰囲気です。柱脇のコンセントが気になります。(コンセント隠せなかったのかな)★岡崎城大手門情緒が有る立派な大手門です。ここで武将に遭遇私「あっカッコいい!」武
令和5年(2023年)12月27日㈬令和5年(2023年)も残り5日の夜明け前、2週連続でまたもや旅に出ました。根岸線に乗り横浜へ。前週は往復で航空機利用でしたが今回の旅は青春18きっぷを使用*7日前の12月20日㈬羽田➡小松にてJALに搭乗『令和5年12月下旬の旅①JALに乗り小松へ』令和5年(2023年)12月20日㈬夜明け前、早朝の根岸線に乗り横浜に来ました。こんな早くから出発する必要もないのですが寝過ごし防止、平日朝通勤ラッシュの電車…ameblo.jp*6日前の12月
1/700ウォーターライン、重巡洋艦「摩耶」です。以前にもこのブログで取り上げた巡洋艦です。前回はフジミのキットでしたが、今回は、アオシマのキットで製作致しました。2隻目の作品です。艦の製作時期はキットの設定通り昭和19年、マリアナ沖海戦時としました。損傷復旧修理の際に、第3砲塔を撤去し、代わりに連装高角砲二基と25ミリ三連装機銃を大幅に増設し、防空巡洋艦として復帰した姿です。巨大な艦橋構造物と、びっしりと装備された機銃群、高雄型重巡洋艦の中では最も重厚なフォルムを持つ、正に浮かべる城郭で
2016年から集計と発表を行ってきた「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300」。毎年12月のこの時期に報道機関向けにリリースを配信していますが、コロナ禍の2020年から2022年については、地域ごとの外出制限などもあり公平な統計も取れないことから、発表を見合わせてきました。そして今年2023年、ついにこのランキングが4年ぶりに復活します!「ニッポン城めぐり」が、「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300(2023年版)」を本日発表致しました!今
攻城日:2019年4月13日↑主郭Ⅱ郭間空堀↑寺台城は、千葉県成田市にある城址デス♪↑城址標柱↑城址は、JA成田のすぐ南側にあります。JA成田の駐車場は広いので、推奨はしませんが短時間であればご迷惑にならないとは思います。駐車場から南側へ登る道があり、3分程度で城址標柱と石碑があるⅣ郭に到達出来ます。。。"8-(*o・ω・)o↑城址標柱(裏)↑「寺台城は、千葉氏の族臣馬場氏代々の居城でした。天正十八年馬場伊勢守勝政の代に亡び、のちに海保甲斐守三吉が徳川家康よりこの城を賜りまし
9月の半ばのまだ残暑のころ、に太宰府を訪ねて、古代~中世の太宰府政庁の防衛線である大野城(おおのじょう)、水城(みずき)、基肄城(きいじょう)と連なる水城(みずき)や土塁を「鳥の目」で眺めてから1ヶ月、もう朝は暖を取りたくなってきましたが、まだ日中が過ごしやすいうちにと、今度は「虫の目」で山城を歩いてみることにしました。【前回の「古代太宰府の国防をゆく」は、「こちら」からご覧ください。】大野城、基肄城は、所謂、「朝鮮式山城」と云われる形式で、歩いて周れば相当な時間がか
こんにちは。東京ハヌルです。自粛生活でユーザーがどっと増えたNetflix。話題の韓国ドラマ、梨泰院クラスが総合TOP10で連日上位にランクインしているそうです。あまり期待しないで見始めたのですが、初日で5話ぶっ通しで観るほど中毒性があるのでご注意を。韓ドラあるあるの持たざる者が持てる者である巨人に立ち向かい、次々とふりかかる困難に負けず、仲間と共に成功への道を駆け上がるというストーリーですが、梨泰
2023年1月27日世界遺産今帰仁城跡へ桜祭りとライトアップの鑑賞にやってきました。夕方6時頃になります。まだ少し明るいのですが、既にライトは点灯されてますね。チケットを購入してから、今帰仁城跡へ向かいます。今帰仁城は、南北350m、東西800m、面積37,000m2の規模で、県内最大級の城(グスク)なのだそうです。現地の伝説によれば、今帰仁世の主が築いたと伝わるが、伝説上の王統・舜天王統が始まるよりも遥か前の事だそうです。
攻城日:2024年1月5日4月に入り、"新年度"が始まりました♪仕事の方はココ数年、毎年のように異動だったり担当業務変更があったのですが、久しぶりにステイwwプライベートでは次女が高校に進学し、毎朝のお弁当作りが"2コから3コ"になりました次女は、本命だった都立高校の受験日、高校の最寄り駅から迷子になって"大遅刻"、5教科中3教科しか試験を受けれないという"大チョンボ"をやらかし、長女に続いて私立高校へ進学というお財布に優しくない進路になりやがりましたww娘がふ
◆川越城本丸御殿江戸期の現存本丸御殿正面の唐破風には「三つ葉葵」の御紋が輝いています。★縄張り図かなり大掛かりな城構えです。掘りと地形を利用した城郭です。将軍が鷹狩りの時に利用した城です。★本丸御殿正面威風堂々立派な佇まいです平屋建てなのに屋根が高い❗️本丸御殿は鷹狩りの将軍が宿泊に利用した為に格調高い作りになっています。★川越城本丸御殿石碑傍から見る唐破風の曲線が美しい庭木が良い演出をしています。
磯子の高台に旧東伏見宮別邸があります。高くそびえる城郭のような威風堂々の洋館は三島由紀夫の「春の雪」で聡子が婚約した「洞院宮家」邸のモデルとされてます。旧東伏見宮別邸は昭和12年(1937年)に東伏見宮邦英王の別邸として建てられました。戦後、皇籍離脱した宮家はこの地を西武グループに売却し、1954年に横浜プリンスホテルが開業しました。横浜プリンスホテルは2006年に撤退、2012年からマンション建設が始まり、旧東伏見宮別邸は2014年から料理の鉄人「中村孝明貴賓館」となりました。中
4/17クロスバイクで巡る館林龍雲寺➡️雷電神社➡️神明宮参拝館林中心部方面へ向かって行くと五号道路(佐野へ行くと産業道路と呼ばれています)の西側に小さな赤い鳥居が見えます鳥居夜明稲荷神社由来当社は天文元年(1532年)館林築城のさい城主赤井照光によって創建されたと伝えられ城の守護神として、また当地の産土神として尊崇されている。築城四年前の享禄元年(1528年)正月当地大袋というところに住んでいた照光は、近藤林で子ギツネの危難を救った。するとその親ギツネは報恩のため、天下にまたとない