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【2025年11月23日】美濃国一之宮である南宮大社を参拝するために岐阜県を訪れたところ、駅で配布されていたチラシを見て、初めて知ったことがありました。江戸時代、美濃国(現在の岐阜県)には、五街道の一つである中山道の宿場町が17カ所ありました。現在、その宿場町だった場所を巡り、記念の「御宿場印」を集める【美濃中山道十七宿御宿場印めぐり】という企画が開催されています。中山道の御宿場印というと、私も現在の東京・埼玉・群馬にあった宿場町を巡って収集しているところですが、そ
(その2からの続き)-垂井(10:15着・10:30発)-垂井駅を目指して、旧中山道を南西に進んでいます。垂井町に入ってからも、旧中山道を道なりに進みました。市街地が近づいたところで、いったん旧中山道を外れて駅の方向へ。相川を渡りました。左手には東海道本線の線路が見えています。川を渡ると、スーパーや商店が増えました。長い道のりだったけど、垂井駅はもう目と鼻の先。垂井駅に着きました。残念ながら駅舎は改修工事中…
前回は中山道の青墓宿を東からJAにしみの青墓支店までいきました。ここから東にいくと左側に園興寺寺標がある、この寺院は源氏一族の菩提所になる。寺標の北には猿田彦命をまつる白髭神社がある。隣接する東が延長寺で山門は青野城表門を移築したものである。この青野城は天和元年(1681)春日局の子稲葉正次の子正休は、一万二千石の大名になり青野城主になった。戻って東にいくと主に民家が点在する静かな町並みで、左側の民家を左折して狭い道を進むと粉糠山古墳があります。墳丘長さが約100mの前方後円墳で、後円墳は
中山道の駒引の交差点手前に平尾御坊道標がありここから約600m先の平尾御坊願證寺にいきました。この願證寺は蓮如上人の六男連淳が永正年間(1504~1520)に伊勢長島に創建、開基した、美濃、伊勢、尾張の一向衆の中心役割をもっていた。天正2年(1574)の織田信長との戦いに破れすべて失った。その後長島から赤坂、そしてこの平尾に移り真徳寺として再建した。寛保3年(1743)に願證寺と改号しそのころから平尾御坊として人々に親しまれてきた。尚この願證寺と隣接する威徳寺に美濃国分尼寺跡があったと