ブログ記事11,002件
こんにちは、れいこです🍍ワヤン・クリを観て来ました↓ワヤン・クリとは影絵芝居のことなんですが2009年に無形文化遺産に登録されております。今まで興味がなかったけれど🙊せっかくバリにいるんだから観ておきましょう。夜の8時から開演とのことでその前にビアビアさんで🍻え、もう絶対ワヤン・クリ観ながら寝るの確定案件状態?ほろ酔いでビアビアさんをあとにしこちらの場所まで行きましたhttps://maps.app.goo.gl/NJYxfbrFQe4YABoD8OkaKa
こんにちは♪水月のブログにご訪問ありがとうございます7月26日はクイーンのドラマー、ロジャーテイラーのお誕生日です(1949年生)ロジャー、お誕生日おめでとうございます美形ロックンローラー、ロジャーは年齢重ねても渋カッコいい力強いドラム叩きながらハスキーボイスで歌う姿カッコいい・I'mInLoveWithMyCar-QueenLiveinMontreal19816.I'mInLoveWithMyCar
こんばんは7月となりましたね!とっても綺麗な紫陽花のお花が一つ、そして…また一つ花開きそんな毎日を過ごす中福岡県でも昨年よりも19日遅い梅雨入りをお迎えしました𓂃𓈒𓏸𑁍一つ一つのお花が咲いていく紫陽花の姿を朝が来るたびに眺めにいくのが私の毎日の楽しみでした☺️そして今年もこの季節らしくなんとか梅仕事を楽しめました初めての梅干し作り2024です三週間寝かせている間に梅雨入りしてしまったので晴れの日のお空の下に干してあげたかったのですがほぼ室内干しだったのでしっ
坂本龍一ヒストリー前編~幕末からのルーツ誕生からミュージシャンの道へその軌跡〜から続くYMOこの時期細野晴臣は、YMOを構想していた。メンバーとして、旧知の林立夫や佐藤博に声をかけた。だがふたりとも別の仕事を始めたばかりで断られてしまう。そこで龍一と高橋幸宏を誘うことにした。龍一に注目したきっかけは大貫妙子の作品で、編曲家としての才能だった。78年の2月のこと、龍一と高橋は細野の家に呼ばれる。炬燵の上にはミカンとおむすびが出された。細野はおも
自分は以前「矢野顕子」について書いています。デビューアルバムである、『ジャパニーズガール』の、テレビ番組をテキスト化したものです。今回の一文は、「矢野顕子ヒストリー」となります。同アルバム制作に至る軌跡を、彼女の系譜からたどってみました。ジャパニーズガールは、自分がフォーク・ロック系を卒業してジャズ系を聴き始める、きっかけとなった作品でした。一方、最近はよく坂本龍一を聴きます。『NeuronianNetwork』や『Amore』『EnergyFlow』など、清逸な調べがいい。ご承知の通り
月支「印綬」の人の性格・才能「偏印」と同様、自分を生じる通変星です。しかも「陰陽配偶」で生じるため「偏印」より大きなエネルギーが自分に注がれます。なので身弱の命式に「印綬」があると大いに助けられます。「印綬」の特性は、1生得的な頭の良さをもち、習得本能が強く、学習好きです。2「印綬」は自分を利する通変星のため、欲が強く、金銭感覚が発達している。3「印綬」は母親の星、母のような優しさをもつ人。4「印綬」が多いと、「母慈滅子の弊」といい、過保護になりすぎるため、依頼心が強く
前回に続いてYMOから。本日はYellowMagicOrchestra「中国女(ちゅうごくおんな・LaFemmeChinoise)」(1978年リリース、アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』収録)です。YMOメンバーの一人、高橋幸宏さんは高校在学時にはスタジオ・ミュージシャンとしてプロの世界に入りました。「東風」でも述べましたが、その正確なリズムとタイトなドラムで多くのミュージシャンのドラムを叩いてきました。そんな中で1972年に、加藤和彦さんの誘いを受けて、脱退したつのだ
アルバムのお話。タイトルEarlybestsongs坂本龍一の音楽ミュージシャン坂本龍一発表1999年Amazonを物色していて発見。坂本龍一教授の初期、1977年~1981年の音源から選曲されたベストアルバム。こういう作品があったのは初めて知り、面白そうでしたので購入。1977年、YMO加入前に制作された1stソロアルバム「千のナイフ」から5曲、プロデュース&演奏で参加したフュージョン・ギタリスト渡辺香津美氏のアルバム「Kylyn」から4曲、その他3曲という構成。「
坂本龍一ファミリーヒストリー拡大版(1/3)から続くのちに坂本龍一の母となる下村敬子。その下村家のルーツは、長崎県諫早市にあった。龍一の曾祖父・代助は、この地で農業を営んでいた。代助の孫で、敬子の弟・下村由一は、当時のことを伝え聞いていた。「(家は)掘ったて小屋で、梁がむき出しになっていた。これはよく言っていました。朝起きると、布団の上にアオダイショウが落っこってくる。アオダイショウはよく卵を飲み込んで、それを割るために落ちてくる。(代
CAGEMANch.さんです。本当にすみません。完全に押し売りです。YMOのアルバムTECHNODELICにおさめられているEpilogue(エピローグ)という楽曲の紹介。。。ただそれだけのシンプルな内容です。特に、YMOに詳しい方にとってはこの記事は完全にゴミです。引き続き読んでくださる方はいらっしゃらないとは思いますが、進めます。オサ~ン♪になった今、聴いても、涙がこぼれるときがあったります。ただ、この記事を書
こんにちは♪水月のブログにご訪問ありがとうございますクイーン再燃をきっかけに2019年秋からピアノ練習してます🎹クイーン&ゴスペラーズ&坂本龍一さんの曲を弾いてきましたが1年前パーキンソン症状発症してから右手がこわばり思うように動かずここ2ヶ月ほどは脊髄小脳変性症の症状が出て不安もあって練習できない日が続きました。でも春から練習してる曲で坂本龍一さんの「水の中のバガテル」をやっと最後まで通して弾けるようになり、嬉しい弾いてると心救われる思
正月三が日も今日が最終日。今年はコロナで帰省がままならず、一人で年越しをされた方が多かったのではないでしょうか?私もそのひとりです。会社から勤続年数に応じて休みがもらえるので、コロナがなければ、久しぶりにブラジルで年越しができたかもしれません。セアラー州の奥地で新年を迎えた時、誰もいないビーチを、白い馬に乗った青年が駆け抜けていったことを思い出しました。そこで、今日の曲は、AntônioCarlosJobim(TomJobim)作詞作曲のAsPraiasDesertas(ひと
2023年も年末に入り自民党裏金疑惑による東京地検の異例の捜査が進む中、最後の最後に出てきた特大の文春砲。《参加女性が続々告発》「全裸の松本人志がいきなりキスしてきて…」「俺の子ども産めや!」1泊30万円の超高級ホテルで行われた「恐怖のゲーム」|文春オンライン12月24日放送「M-1グランプリ」の審査員長をつとめるなど、日本の芸能界のトップに君臨するダウンタウンの松本人志(60)。その松本が六本木の超高級ホテルのスイートルームにて飲み会を開催。後輩芸人に女…bunshun.
大貫妙子は“今年初めて「フジロック」に出演します。漸く、私は(中身が)ロックだって、気づいてもらった”と、嬉しそうに語る。「フジロック」には、フェビアン・レザ・パネ(ピアノ)、鈴木正人(ベース)、坂田学(ドラム)、伏見蛍(ギター)、網守将平(キーボード)、toshi808(シークエンサー)という、この日、7月9日、月曜日に東京・六本木「EXシアター六本木」で開催された『ピーターと仲間たち2024』(同コンサートは7月3日、水曜日に東京「恵比寿ガーデンホール」と6日、土曜日に大阪「Zepp
みなさん、こんばんは🌛今夜は、ARMYのみなさんだけでなく、坂本龍一ファンの方々にもBTSのSUGAと坂本教授の物語を知って欲しいと思いブログを書きます。昨年の1月17日に70歳の誕生日で古希を迎えられた坂本教授。色んなアーティストが選ぶ【私が好きな坂本龍一10選】の最終回にBTSのSUGAが登場しました。↓↓https://commmons.com/10favorites/10Favorites–RyuichiSakamoto|私が好きな坂本龍一10選坂本龍一の音楽を
坂本龍一さん安らかに…高橋幸宏さんが1月11日坂本龍一さんは3月28日に共に1952年生まれ我々は世界に名だたる鬼才の集まり”YMO”の3人のうち2人をも亡くしました…2人はまるで申し合わせたかのような旅立ちでしたあっちの世界での2人の再会…音楽談義などするねきっと生まれ変わったらまたバンド仲間だったりしてRyuichiSakamotoMerryChristmas,MrLawrenceRyuichiSakamotoisaJapane
3/10(金)ラジオ派の私。とはいえ、チューニングしてダイヤルを合わせる時代はどうも違う波動まで受けてしまう様で頭痛がして聴けなかった。今はクリアに聴けてradikoもあっていい時代だと思う。先日放送された回だけれど1週間以内は聴けるのでここにも残しておきます。20年にわたって放送された坂本龍一さんのレギュラー番組「RADIOSAKAMOTO」この回が最終回。そして今年1月に亡くなられた高橋幸宏さんの追悼特集。療養中の坂本龍一に代わり大貫妙
2日、YMOの坂本龍一(71才)さんが亡くなりました。『世界のサカモト』として有名な方ですが、僕のなかで坂本龍一というと、戦場のメリークリスマスとしか思いつきません。2014年に中咽頭がんと診断され、治療の末に寛解。だが、直腸がんと診断された2020年6月には、治療しなければ「余命半年」と告げられた。手術では、最初にがんが発生した原発巣と肝臓2カ所、転移したリンパの腫瘍、さらに大腸を30センチも切除。両肺に転移したがんを摘出するなど、1年で6回の手術を受けた。その後は通院して投薬治療を続けてき
大好きな人々が去っていく日常で思う事『ブログ説明と自己紹介(初めての方は必ずお読みください)』(2023年11月17日更新)自己紹介初めまして。生チョコぽん酢といいます。ブログに来てくれてありがとうございます!私は首都圏で民間救急事業所を経営し…ameblo.jpこんにちは!生チョコぽん酢です。人間いつかは死ぬとは言え、やはり考えさせられます。何の話かといいますと、ここのところ大好きなアーティストの方が相次いでお亡くなりになっているのです。個人的に著名人の悲報は202
今朝も孫1が早起きしたので、一緒にラジオ体操に行ってから階段エクササイズにもいざないました。ナナフシを発見。他にもカタツムリ、ゴキブリに似た虫、チョウチョなど、私一人の散歩では気が付かない虫たちを見つけて、孫1ははしゃいでいました。朝ご飯のサラダで、孫1製作。昼はカレーそばでした。焼きナス、油あげと炊いたシイタケも。このそばは長女がお取り寄せしました。坂本龍一もお取り寄せしていたという山形名物だそうです。少しもこんにゃくは感じませんでした。フツーに美味しいです。長女は
おはようございます。鎌倉に暮らすピアニスト小山香織です。昨日はあまりに天気が良かったので、八幡宮まで散歩。昨日の段葛。地面の影がキレイ。八幡宮の階段上から由比ガ浜方面を望む。お願い事が山ほど坂本龍一さんが亡くなってしまった。年明けのsongsにとても感銘を受けて自分も何か弾いてみたいと思った。楽譜を取り寄せたのは戦メリとaqua。aquaをとても気に入った。坂本龍一さんが亡くなって、ピアノを弾ける多くの人が坂本さんの曲を弾いて演奏をあげている。戦メリはまさか坂本さんが亡くな
感想昨年の初め、坂本龍一の最後のコンサートという体で、NHKの509スタジオを使って収録した番組が放送された。『NHKMUSICSPECIAL坂本龍一NHK1/5放送』NHKMUSICSPECIAL坂本龍一PlayingthePianoinNHK&BehindtheScenesNHK1/5放送感想…ameblo.jpその収録から半年後に亡くなったという事。ミュージシャンの訃報があると時々は記事を書いていたが、彼の場合にはちょっと気がひけて何も書か
ようこそ映画の小部屋へ今夜は『ラストエンペラー』をお迎えしました映画「ラストエンペラー」(1987)日本版劇場公開予告編TheLastEmperorJapaneseTheatricalTrailer映画「ラストエンペラー」(1987)日本版劇場公開予告編TheLastEmperorJapaneseTheatricalTrailer※別バージョンUS版予告編はこちらhttps://youtu.be/SNgHhdnogSEyoutu.be枕草子
坂本龍一は今年、文藝月刊誌「新潮」(8月号)で「告白」をおこないました。二十代の前半、音楽仲間である大貫妙子といっしょに暮らしていたというのです。大貫の一連の作品において、坂本が深く関与してきたことは周知の事実ですが、恋愛・同棲関係まであったとは驚きました。坂本の寄稿タイトルは、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」です。同誌7月号から始まったこの連載では、ステージ4のがんに冒された闘病を語ると共に、自叙伝的にこれまでの歩みをふりかえっています。大貫の記述はその一部にすぎないのですが、大貫・
こんにちは、元気ですか(・・?地球を旅する〜「飛鳥Ⅱ2024年世界一周クルーズ」をはじめとした旅の映像を世界の名曲にのせて〜ギターソロ:岡野雅一音楽:「瑠璃色の地球」作曲:平井夏美編曲:林祥太郎地球を旅する〜「飛鳥Ⅱ2024年世界一周クルーズ」をはじめとした旅の映像を世界の名曲にのせて〜ギターソロ:岡野雅一音楽:「瑠璃色の地球」作曲:平井夏美編曲:林祥太郎〜「飛鳥Ⅱ2024年世界一周クルーズ」をはじめとした旅の映像を世界の名曲にのせて〜海の旅:横浜〜シンガポール〜モー
拙文は、2018年に放送された、NHK「ファミリーヒストリー坂本龍一」を"再現"したものです。静止画とナレーションの文字おこしから構成しました。文中には、坂本龍一の著書からの引用文を付加させていただきました。自叙伝とも言うべき、2009年の『音楽は自由にする』と、逝去後に刊行された『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』からの引用であり、本人が語るところの、父母をはじめとする親族のエピソードはとても興味深いものです。さらには、坂本龍一の父・坂本一亀の評伝、『伝説の編集者坂本一亀と
こんにちは!お仕事のご依頼はこちらにお願い致しますpaprumi@yahoo.co.jpviejouer@gmail.com昨日更新した記事もたくさんの方に読んでいただきましてありがとうございました『【クセ強ルーティン】帰宅後ルーティンが大変だけれど、キレイをキープしているコツはコレ。』こんにちは!お仕事のご依頼はこちらにお願い致しますpaprumi@yahoo.co.jpviejouer@gmail.com昨日更新した記事もたくさん…ameblo.jp
一昨年、「大貫妙子と坂本龍一『新しいシャツ』はその別れの歌だった」をアップしました。坂本龍一が自叙伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』で語った、かつて大貫妙子と共に暮らしていたとの告白を受け、二人の著書などから関連記述をまとめたものです。昨年末、大貫妙子は月刊誌『ユリイカ』のインタビューを受け、亡き坂本龍一を語りました。拙稿は坂本の自叙伝での告白とインタビュー記事をベースに、二人の出会いから坂本龍一逝去に至るまでをたどったものです。インタビュー記事はおそらく、大貫が坂本とのかつて
龍一・顕子・美雨が語る坂本家の過ぎ去りし日~矢野顕子編~から続く週刊文春2022年6月16日号阿川佐和子のこの人に会いたい坂本美雨「音楽をやりたいと親に言うのは怖かった」抜粋阿川美雨さんとは今回が初対面なんですけど、ご両親にはこの対談に出ていただいたことがありまして。坂本あら。お世話になりました。阿川美雨さんが映画「鉄道員」の主題歌を歌って話題になってた時に、お母様の矢野顕子さんに「お嬢さんすごいですねえ」って水を向けたら「私とは
龍一・顕子・美雨が語る坂本家の過ぎ去りし日々~坂本龍一編~から続く『月刊カドカワ』86年10月号やのは愛の出前持ちですインタビューと文田家秀樹(抜粋)矢野顕子が坂本龍一に出会ったのは、デビューした直後、76年のことだった。横浜の中華街の同発という中華料理屋で、テレビ中継を兼ねたコンサートがあった。彼女は、細野晴臣のバンドと、ピアノを弾いて一緒に歌うことになっていた。その時、予定されていた松任谷正隆が来れなくなり、”臨時雇いの芸大の学生さん”が来た、というのが最