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天秤座の人の天秤座らしい言葉を集めてみましたみんなが本当に平和を望めば世界は平和になるんだジョン・レノンミュージシャン1940/10/9生まれ天秤座****僕らは自分のすばらしさと不完全さのなかで何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけないジョン・レノンミュージシャン1940/10/9生まれ天秤座****だが、これだけはわかっている自然が命の鎖で
最新絵画『櫻』シリーズを描いていきます。南国の楽園スリランカから4月に帰国して、桜の美しさにあらめて感動した。和の知恵をテーマにした『おてんとうさまはみている』を書いたせいか、日本の美意識に心が動く。桜は開花してからわずか2週間でいさぎよく散っていく。なぜなら落とした花びらが多いほど土は肥え、来年の花が美しく咲ける。まるで短い人の一生のように、人も流した涙の数だけ強くなれるのだ。なぜこの絵画シリーズが『櫻』という旧漢字なのか?旧字体の『嬰』は「めぐらす、とりまく」って意味があって、
深夜にししょーです。日曜日は天気が良くてお花見日和でしたね。桜がはらはらと舞い散る様も情緒があって良いですが、夜の桜はまた表情が違って好きです。夜の桜は白く浮かび上がって何だか近寄りがたい感じがします。風が無い静かな夜に桜を見上げると・・・季節外れの雪が降っているのにいつまでも落ちてこない。時間が止まってしまったような、そんな気持ちになります。何も動かなくて音も無い中で自分だけが動いているのはとても奇妙な感じ。桜はとても綺麗なのになぜか怖い。夜に浮かび上がる桜は幻想的ですが、
私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。一昨日、ツイッターで触れた、坂口安吾の短篇、「私は海をだきしめていたい」の書き出しである。巧いというか、思いついた瞬間、本人も唸ったのではないか。人生って、そういうものだよなって意味で。また、身につまされる人もいる一文だと思う。高い理想を抱きつつ、逆の現実に堕ちてしまってる感覚。自分はもう「神様」も「地獄」も信じてないし、そのほうが楽なこともわかってるつもりだけど、理想と現実の落差というか、振れ幅にこそ
これは昔の旅行の写真です坂口安吾作の不連続殺人事件の舞台となった場所です。もう~小説の舞台ぴったりです!旧村山家の住宅で、中は村山家の美術品や坂口安吾の遺品等が展示されています。松之山小学校の近くには坂口安吾文学碑がありますよ。
昼からルーカスとお出かけしました今日は仕事がないので残りのワインでも飲もうかと企てていましたがコンタクトレンズがあと2日分しかなかったので買いに行きました医療費とはいえ高い買い物ですわでもレーシックをする勇気がないですわ帰りはワインショップで流行りをチェック、大型書店を巡ってテンションが上がったところで図書館へ行きキリンジと上原ひろみのCD、坂口安吾の本を借りてずっと気になっていた高千穂牧場のカフェ・オ・レをはじめて飲んでみた
チェルミー図書ファイル109※最後に追記アリ今回ご紹介するのは、彩図社文芸部編集の「文豪たちの悪口本」です。文豪と呼ばれる大作家たちは、悪口を言うとき、どんな言葉を使ったのだろうか。そんな疑問からできたのが、本書『文豪たちの悪口本』です。選んだ悪口は、文豪同士の喧嘩や家族へのあてつけ、世間への愚痴など。随筆、日記、手紙、友人や家族の証言から、文豪たちの人となりがわかるような文章やフレーズを選びました。これらを作家ごとに分類し、計8章にわたって紹介していきます。川端康成に「刺
私は誰?私は愚か者。私のことは誰も覚えていない。それが、すべて。分別が無い幼少期~青春時代悪戯をして補導されたことはあっても犯罪歴は無く罪悪に値するが必要悪として力を行使したことはあれどそれなりに自分が信じる義に殉じて人間として生きてたけれど生年より名前を呼ばれたことは無く記憶は忘れ去られた私はいったいダレなのか?それから、どうなろうと、私にとって、私の終りは私の死だ。私は遺書などは残さぬ。生きているほかには何もない。私は誰。私は愚か者。私は私を知らない
1975年(昭和50年)。戦後30年。だからか、たしかエリザベス女王が来日、昭和天皇は米国に行き、アナハイムのディズニーランドで歓待されていた。帰国後の記者会見で、戦争責任について問われると、「私は、そういう文学方面のことはよくわからない」と語った。責任がある、とも、ないとも言えなかっただろうが、高校3年のわたしは欺瞞を感じ取った。出版社は、オイルショックの影響で不況が続き、各社、紙に気を遣いながら、サバイバルに知恵を絞っていた。漫画に強かった講談社、小学館は有名漫画家たちの文庫本