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先日、母屋解体中だった青柳町の住宅地ですが、更地の隅に土蔵は残って、ホッとしています。きっと住宅が新築されて、その横で時を刻みつづけていくのでしょう。さて、ここから函館公園に向かって歩いていくと、さらに味のある土蔵を発見。いたみは進んでいるようだけど、窓周りやサイディングがユニークです。さらに公園通りを行くと、青柳坂の上に単体で建つ蔵があります。板のサイディングが印象的で、屋根の堂々とした装飾瓦が見事。どんなストーリーをもつ蔵なんでしょうね。そして、
川崎町の青根温泉にある「湯元不忘閣」さん。チェックインのときに、お風呂の利用の仕方について説明を受けます。こちらの宿は、お風呂が6つ(うち3つが貸切風呂)あります。まずは、土蔵の中にある貸切風呂「蔵湯浴司」に入りました。フロント脇にある貸切札を持っていきます。貸切札を入口前に置き、中に入って鍵を閉めます。廊下を進むと土間になっているので、サンダルに履き替えます。サンダルに履き替えて浴場までの途中にあるのは、国の登録有形文化財の土蔵。いく
わが家から歩いて10分ほどのところに、蔵造りのカフェ・マギンがオープン。高田屋嘉兵衛像から続くグリーンベルトがすぐ脇に広がり、反対側には、同じ蔵造りのバーhanabiが見えます。逆側には東雲通りをはさんでニコット宝来店、その先に津軽海峡が見える……というなかなか西部地区らしいロケーションです。蔵への入り口は併設の建物内にありますが、これが圧倒されるほど立派な開口部。以前あったギャラリー三日月を思い出します。何重にもなった頑丈な扉のおかげで大正10年と昭和9年の大火
中学生以来かも、超~久々の円頓寺商店街。名駅方面から円頓寺商店街を通り抜けると堀川があります。熱田から岐阜へ向かう街道「美濃路」の1本西側、堀川沿いにある「四間道(しけみち)」というエリアへお昼を食べに行きました。江戸時代、元禄13年(1700年)の大火災の後、延焼を防ぐ目的や商業活動の為、道幅を4間(約7メートル)に広げたことによりその名が付いたといわれているそうです。「四間道」を挟んで東側には石垣の上に連
ヤッホ~!帆足由美です。前回のブログは、生まれて初めて乗った流鉄流山鉄道全駅下車の旅♪の模様を書きましたが、今回は、その旅の最後にこの足で歩いた流山の街について書きます。街歩きは、流山線5つ目の駅、平和台からスタート。まず向かったのがこちらです。「赤城神社の大しめ縄」。流山線にも「あかぎ」という列車がありますが、「流山」の地名の由来となる神社です。この鳥居の奥の石段を昇ると、海抜15mのお椀を伏せ
おわらの街を行くワタクシ。大抵は通り中を歩き回るのですが(と書いて、去年は違ったかもなと)、街流しの気配を求めて東町へと歩を進めました。“旦那町”として真っ直ぐで幅広な通りに商家が建ち並ぶ街並み。ちょっとツボったのは、あの開け放たれた土扉に嵌め込まれた飾り。しばらくの間、引いたり寄ったりして撮っておりました。もぅ、お気付きかと思いますが、今記事はすべて縦構図となってしまいました。読み難かったら、許してポン。さて、通りでの街流しに出会わなかったものの、屋内で披露されていた踊り
丹波篠山の宿は「篠山城下町ホテルNIPPONIA」「講大津百町」と同様に、古い街並みに点在する古民家をリノベーションした「分散型ホテル」重伝建街歩きで分散宿を数多く見かけました。篠山城の近くにあるホテルのレセプションまではJR篠山口駅から送迎車で約10分でした。待合室のテーブル席でチェックインを済ませて、丹波黒豆のしぼり甘納豆をつまみました。レセプションのある立派な古民家は、代々銀行の頭取を務めた地域の名士の自邸でした。この棟が地域分散ホテルの旗艦施設、フロント機能とレストランがあ
【観葉植物が並ぶ店内と室伏さん】上田市常磐城に観葉植物販売店「MICHIQSA(みちくさ)」が、このほどオープンした。旧丸山邸の土蔵を利用した。店舗は2階建てで1、2階とも20㎡ほど。店主の室伏那儀さん(28)は「曲がりくねった植物や変わったものが好き」と、店内にはオブジェとしてもかっこいい物、柔らかい感じのかわいらしい物、40年も経つという大きなサボテンなど個性ある観葉植物が並ぶ。土蔵の改装は一人で手がけ、壁の絵も自分で描くなど1カ月かけて完成させた。
更新が滞ってます。デスクワークが溜まってるフェーズになると、なかなか。土蔵の壁に穴開ようとして、掘っても掘っても上から砂(事務)が落ちてくる感じ。では貫通したらまた。