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おひさしぶりです。国立前期合格発表の頃になると、毎年あの時のことを思い出します。一浪目、模試の判定も良く息子の実力があれば十分に合格できるだろうと思って受けた大学。合格者の中に息子の受験番号が無かった時のあの絶望感…以前も書いたと思うのですが、私の平凡な人生の中には一度もそんな絶望を感じるような出来事はありませんでした。それは夫も同じことを言っていて、自分の人生の中で一度だけ絶望したことがあるとすれば、あの時だけだったと。絶望して涙が枯れるほど泣いて、それでも再び
行ったこともない街で、ある日突然生活をすることになったら…。こんな説明でその時の気持ちが伝わるかわかりませんが、私は、突然誰か知らない人の人生を生きているような気持ちになりました。見知らぬ街、見知らぬ風景、見知らぬ部屋。私が、私ではないような…。そんな不思議な感覚の中で生活をしていました。しかも、成績は良かったはずの息子が二浪もしている。ふとした瞬間、私は何が何だかわからなくなりました。どうしてこんなことになってしまったのだろう…私はこの知らない街で暮らした一年
何もなかった部屋に必要最低限の家具と電化製品が揃うと、やっと人間らしい生活ができるようになりました。息子の部屋には机と本棚と洋服掛け、私の部屋にはポツンとパソコンが置いてありました。パソコンラックなどはなく、1500円くらいで買った安いテレビ台にPCのモニターを置き、キーボードとマウスは、なんとアイロン台に乗せて使っていました。高さも大きさもアイロン台がぴったりだったのです(笑)和室だったので、畳に座ってパソコンを使うのには、これで十分快適でした。6畳しかないダイニングキ
息子の二浪が決定した日、私はある方にメールを出しました。本能的に、もうこの方に頼るしかないと思ったのです。息子の不合格さえしばらく受け入れられなかったくらいですから、もし二浪したら…と以前から考えていたわけではありません。ただ、受験ブログのトップブロガーさんである、その方の息子さんが通われていた塾に、数年前から興味を持っていました。正確に言うとずっと憧れていました。予備校さえないような田舎に住んでいたので、せめて関東近郊にでも住んでいたら、遠くても無理をしてでも新幹線に
このブログを書き始めたとき、私はお世話になったイケメン先生や、イケメン塾の存在を教えてくださって先生に紹介してくださった『二浪日記』のmarimcreamさんに恩返ししたいという気持ちがとても強かったので、息子の浪人時代を振り返ることはとても辛いことでしたが、合格までの道程をすべてブログに書くことができました。そして多くの受験生の保護者の皆さまにお読みいただき、我が家の失敗例から何かヒントを得てお子様の受験に役立てていただければと、そのような思いでいました。でも、ブログを
4月上旬、息子と2人で東京に向かいました。部屋探しは意外とスムーズに1日で終わりました。都心からは離れたちょっと田舎で、不動産相場が安い路線。そのような所の賃貸物件を狙っていくつかの不動産屋さんと、ネットで連絡を取りました。最終的に積極的に物件を探して紹介してくれた業者さんに案内をお願いし、3か所ほど行きました。その中の一つの物件が、家賃は一番安いのに、一番綺麗で、間取りも理想的で、静かで、こんな部屋が存在して、しかも4月上旬まで残っていたなんて奇跡かと思いました。
まさか子ども2人とも大学進学で出て行くとは思ってなかった我が家(なんでだろ、、、なんで思わなかったんだろ)だってねーお留守番も嫌でママ働かないでって子が本気で出ていくと思ってなかったのです(途中までは合格するとも思ってなかったし)まぁ、もう出ていってしまったのだから何言っても仕方ないですね、はい。子ども達への仕送りは家賃光熱費全ての生活費で10万です(オットが知る分にはですが)ムスコは足りないとは言わないので私が通帳記帳して時々チェック。次回仕送りまで1週間あるのに残高が2000円に
おひさしぶりです。最近またアクセス数が多くなってきて、おそらく『浪人』『二浪』というワードで検索をして、私のブログにたどり着いた方が多いのではないかと勝手に想像しています。我が家の息子の浪人生活は失敗だらけでした。このような子どもにこのような浪人生活をさせると、こんなふうに失敗しますよ。でもこんなことをやってみたら、なんとか立ち直って無事に大学生になれました。そんな内容でブログを書きました。多くの方に読まれるブログで、自分の子どもの失敗談を積極的に書きたいと
先日、探しものをしていて、東京で暮らしていた頃の書類を見ていたのですが、その中からイケメン塾からの請求書が出てきました。それを見て、イケメン塾に振り込んだ毎月の塾費だけが、息子のために支払ったたくさんのお金の中で、唯一、いまでもこのお金を払って良かった、本当に息子のためになったと納得できる教育費だったと、そう思いました。反対に一番無駄だったと思うのが、浪人一年目に通わせた大手予備校です。いまでも、この一年さえなければ…こんな選択をしていなければここまで悲惨なこと
昨日下書きしたのをあげてます追記もあります前記事にはたくさんの励まし慰めありがとうございます🍀『わけがわからない』今日はネガティブです嫌なこと書くかもしれません消化の為に書かせてください昨日は神😇✨に相談しに行きました(神とは発達障害支援機構の委託されたとこで神的アドバイ…ameblo.jp私は悶々とやなことも引きずって考えまくるめんどくさい奴ですブログに書くことや誰かからアドバイスや共感をもらうことでかなり救われるのです皆様には感謝ですいつもありがとう⸜🌷︎⸝あれから
順調だった花子ですが、高校になってから雲行きが怪しくなりました。中学受験時から苦手だった国語社会に綻びが出始めたのです。中学時代は定期テスト前の努力で何とかしていたのですが、如何ともしがたくなってきました。定期テスト前の勉強時間の大半は苦手な国語と社会につぎ込んでいたものの、ダントツに結果が悪く、「なんで理系なのに古文や社会をやる必要があるのか、早く文理を分けてほしい」と愚痴るようになってきました。こうなると他の科目にも影響を与え成績は下降の一途を辿りました。そんな
暗い内容の話を書いたので、今日は前向きな話題に切り替えたいと思います。息子の通っている大学、私はとても気に入ってます。キャンパスや大学の設備なども想像を超えるほど素晴らしかったのですが、(これはどの旧帝大を受験しても思ったことです)いちばん満足しているのが、学生に対するサポートが素晴らしいということです。一人一人の学生を本当に大切にしてくれている、そう感じることが多いことでしょうか。息子が言うには、いままで教わったすべての教授が熱意を持った授業をしていて、学生
息子を無事に大学に進学させて、あとに残った私の仕事は、この森の家を引き払って自宅に帰ることでした。どうして息子と同時期に引っ越さなかったのかというと、国立の発表が3月上旬というとても遅い時期にあることと、それがダメだった時にさらに国立後期日程の大学を受験して、その合否を待たなければいけなかったからです。第一志望の大学への進学でなければ、このままこの森の家に私も住んで、ここから息子を通学させるつもりでいたので、進学先が決定するまではマンションの解約もできなかったからです。そし
この世には神も仏もないと知って、この先どうすればいいのだろうかと考えたとき、世間体とか、一般的な常識とか、普通の選択とか、そんなものを気にしている余裕はなくて、馬鹿だと言われようとも絶対に自分がこれしかないと思う選択をしなければいけない、そう強く思いました。その結果、私は息子とともに上京して東京で暮らす決心をしたのですが、実際にこの選択は当時、多くの人に馬鹿げていると思われたことでしょう。そう思われても、そうするしかなかったのです。息子の受験は、学力よりも、
おひさしぶりです。かなり長い間更新できなくてすみません。このブログを読んでくださる方のために必ずこれだけは書かなくてはいけないと思ったのが「二浪した息子の就活がどうだったのか」ということでした。コロナ禍で各企業による採用がここ数年抑え気味だったと思うのですが、それが今年度は逆転して採用枠が増えたのか学生の売り手市場になったと聞きました。このような特殊な状況でしたのであまり参考にならないかもしれませんが私が感じたのは「二浪したことによって就職が不利になることは全く無か
ブログを更新するのはいつ以来だったかわからないほど(1年前以上?)経ってしまいましたが、最近ちょっとした事件がありましたので、これはブログに書かなくては…と思いまして。息子とはLINEでやりとりすることが多いのですが、まあほとんど連絡はなく、たまに連絡があるとすればお金の相談ばかりところが先日息子からLINEでメッセージがきて、『お母さん、いつもありがとう。』って書いてあって、母の日でもないのに何なの?また心病んでるのかも…と心配になり、『どうしたの?』って
突然ブログを更新したかと思ったら、時期的に非常に罰当たりなタイトル(笑)これを書きたいと思ったときに書きたいものを書いているので、どうぞお許しください。最近、ふとしたきっかけで自分が書いたこのブログを最初から全部読み返すことがありました。泣きました…。そして思ったのは、『神も仏もなかった』ということでした。一浪目、受験した大学の合格発表のページに息子の受験番号がなかったとき、この世には神も仏もないんだ…と、すべてのものから見捨てられたような気持ちに
息子が、センター試験の結果をイケメン先生に報告すると、イケメン先生は、『お母さん、安心したでしょう?』と、まず言ってくださったそうです…イケメン先生とは入塾の時に一度お会いしただけで、結局面談の申し込みもせず、すべてお任せしてしまったけれど、遠い地方から上京してきて、子どもを必死に支えている母の存在を、ずっと気にかけてくださっていたのだと、そのとき初めて知りました。なんて素晴らしい先生なのでしょう。ただ生徒に勉強を教えるだけではなく
息子は週に数回塾に通い、週に数回アルバイトをするという生活をしていました。どちらも夕方に出かけていき、夜の10時頃帰ってくるという感じです。昼間は毎日自由に過ごしていました。半分うつ状態の人なので、勉強よりも何よりもまず心が健康にならなければ…と思い、私が休みのときはよく散歩に誘いました。少し遠くの公園まで行って四季折々の花を楽しんだり、珍しい鳥を観察して写真を撮ったり、川を泳ぐ魚を眺めたり。私が仕事の時でも1日に1度は必ず外に出て、散歩をするように息子には言ってあり
とうとう息子が森の家を出て行く日がきました。息子はここの環境がとても気に入っていて、大学に入ってからも、森の家が恋しいと言っていました。しばらくホームシックにかかっていたほどです。ホームシックって普通、生まれ育った家に対して思うものですよね?たった一年しか住んでいない、しかも二浪していて自分の人生の中では暗い一年だったはずなのに、ホームシックになるほどこの森の家が好きで、ここでの生活はとても平和だったと。なんだか不思議に思います。でも、考えてみると、ここでの生活はとに
花子はこうして東工大に現役合格しました。高2にあがる春休みから緩やかに受験勉強をスタートし、高3にあがる春休みからギヤを上げてそのまま走り続けたところまでブログに綴りました。途中、何をやっていたか、模試の成績はどうだったか、など、記録や記憶を辿りながら書かせていただきました。無我夢中でサポートしてきましたが、やり方やペース配分は間違っていなかったのかなと、達成感を感じました。私自身2人目の奏のときには、花子の道のりをベンチマークとして利用していました。当ブログのアメ
我が家の受験体験記をすべて書き終えて、いまはほっとしています。ブログを書くかどうかずっと悩んでいて、我が家のような、あまりにも特殊なケースの受験体験記を書いても、誰の役にも立たないのではないか、ただの面白い受験体験記として読まれて終わり…になってしまうのではないかと不安に思っていました。一浪時の予備校での一年間、そして不合格の場面などは、当時のことを思い出して書くうちに、精神的に不安定になり、具合が悪くなってしまうほどで、やっぱりブログなんて書かなければ良かったと少し後
【自己紹介】子ども2人の大学受験をガッツリサポートしました。通常親がするサポートの範疇を超え、アスリートのコーチや監督に近い立場と思っていただいて結構です。私自身は大学受験経験はないため、戦略も含めかなり研究しました。研究しているうちに興味を持ち、ドップリと浸かってしまったわけです。これから記載する話は、子ども達が目指した難関国立大学である東京工業大学(東工大)のリアル受験記です。東工大は東大に次ぐ理系トップ大学ですので、東大受験生にもある程度参考になると思いますし、東大以外の旧帝大や
息子の二浪目、東京で暮らしていたとき、私は毎日自分が自分でないような気がしていました。知らない街で暮らし、ほとんど乗ったこともない電車で通勤し、まったくやったこともないような仕事をして、馴染みのないスーパーで買い物をして、重たい買い物袋を提げて疲れた体を引きずるように森の家までの道を歩きながら、『私、いまどうしてここにいるのだろう…』『これって長い夢でも見ているのかな…』『私、ここでなにをしてるんだろう…』いつもそんなことを考えていました。6月の今頃は
失敗に終わった一浪目、張り切って予備校に通っていた息子の様子がおかしくなったのは、夏の終わりの頃でした。夏には志望校の冠模試もあって、9月に入ればセンター試験の手続きも始まって、秋には休む暇もないほど模試があって。でも、自分の成績は思っていたほど上がっていない。模試の判定は厳しいものばかり。自分は何をやってきたのだろうか。この先どうすればいいのだろうか。その時の息子の焦りはこんな感じだったのではないでしょうか。もっと勉強しなくてはと思い、毎日夜中まで勉強を
息子が高校生の頃、文系か理系か選択しなくてはいけないという時、迷わず理系を選んだのには少し不安を感じました。得意科目は全部文系でしたので。いま思えば文系だったら、大学受験でこんなに苦労しなかっただろうなあと。でも良いほうに考えれば、文系科目が得意だったからこそ、センターで高得点が取れて国立大学へ進学できたとも思うので、文系科目が得意だったことも無駄ではなかったと思います。数学に不安がある理系志望というのは一番苦労すると思いますが、それでも本人が理系が好きで
このブログは家族には内緒で書いています。もちろん息子も母がこんなブログを残していることはたぶん知らないと思いますし、そもそもSNSとかまったくやっていない息子なので、一生知らないままかもしれないですね。でももしいつか気がついたとしても、このブログを残したことを理解してほしいと思います。それはこのブログの最初のほうにブログを始めることになった理由を書いているのを読めばわかると思うけれども、複雑な理由で二浪した息子を立ち直らせ、新たな志望校に進学させることができたのは、『
花子の中学受験編、如何だったでしょうか?2つのチャレンジ校に合格し、舞い上がり、迷走する私。もうちょっと、ドッシリ構えられなかったのか、今でも恥ずかしい想い出です。そして、今日は、もう一つのテーマを書かねばなりません。憧れの第1志望校に入学した花子は、鶏口になったのか?花子の学校は、中学から塾に通っているような子は殆どおらず、習い事や部活中心の学校生活を送っておりました。定期テスト1週間前からテスト勉強を始めるものの、宿題以外の特別な家庭学習は一切せず、通塾も
もう記憶が定かでないのですが、6月頃に○進で冠模試を受けました。その結果はわりとすぐに出たような気がするのですが、(○進模試の良い所は結果が早く出ることだった気がします)いつ頃の話だったかは、もう思い出せません…。初めて受けた模試の結果は、A判定でした。まだ早い時期なので受験者数は多くありませんでしたが、順位は一桁前半だったと思います。数ヶ月前にそこよりも少し偏差値が低いところに落ちた人間が、ここでA判定を取るなんてことがあるのだろうかと、不思議に思いましたが、それよりも内
前回最後に更新したブログはもう3か月も前のものなのに、今も読んでくださる方がいらっしゃるようで、少しずつ『いいね!』の数が伸びています。多くの受験生、受験生の保護者の皆さまが一番辛くなってくる時期というのが、今頃なのではないでしょうか。先日、羽田行きの最終便に乗ったときのことです。とても楽しみにしていたことがあって、その目的のために東京に向かっていたので、嬉しくてしかたがないという気持ちでいっぱいでした。夜に飛び立つ飛行機は離陸時に機内が暗くなるのですが、暗くなった