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春国岱を散策後は、放射状節理の車石が見られる花咲岬を訪れました。パーンのときに水平線が斜めになってしまいました。車石左側手前がモユルリ島で、その奥に重なってユルリ島の西側部分が見えます。オオカサモチテンキグサ別名ハマニンニクエゾヒナノウスツボは、周りの草に囲まれてしまっています。ツリガネニンジンエゾノヨロイグサエゾツルキンバイイワベンケイ
羅臼岳(らうすだけ)@知床横断道路の知床峠展望台【北海道】自然世界遺産知床1泊2日の旅備忘録女満別空港~自然世界遺産知床~羅臼~阿寒摩周国立公園~女満別空港【1日目】JAL565便羽田空港07:05AM発女満別空港08:45着>>(空港送迎)>>オリックスレンタカー>>白鳥公園・濤沸湖(とうふつこ)>>天に続く道&天に続く道展望台>>オシンコシンの滝>>カメ岩>>漁師の店『かにや』ホロベツ店でランチ>>プユニ岬展望台>>
知床半島北東側を目指して国道に戻って知床峠を超えるしかもこの峠、夏もなのか分からないけど9時から16時までしか通行出来なくて夜は通行止めみたい。。万が一知らなくてここまで来て行けなかったらウトロまで戻って一日を過ごさないとダメという。。まぁ~そんなこんなで急な、ぐにゃぐにゃ道を上って最高地点まで来たらそこに展望台がすぐ間近に『羅臼岳』名前だけは聞いた事があった。。こんな感じなのねでもこの羅臼岳手前のセンターの展示で知ったのだけど山頂付近は溶岩ドームが出来ている活火山との事。。確かに見
中標津から標津へと抜ける道。この目前にオホーツクの海がバーン!!と見えてくると、「やっとここまで来たか…」と感慨深くなります。ワタクシが初めてここへやって来たのは37か38の頃。宮城県、岩手県に住む釣り仲間達と3人でワタクシの車に乗り、標津町を流れる忠類川でのサケマス有効利用調査への参加が目的でした。北海道に移住してもうすぐ3年になりますが、ここを通る度に18年前のことが思い出されます。刺激的な出来事は決して忘れないものですね。このニコライ亭は多分、当時から廃墟だった筈。こうや
「高田屋嘉兵衛」ロシアをも魅了した淡路島の和大雨の続く地域の皆さまくれぐれも安全第一でお過ごしくださいご先祖様が見守ってくださいますさあ、今日の國史を学びましょう!「高田屋嘉兵衛、ロシア船に捕らえられる」文化9年(1812)1804年、「ロシア」の「レザノフ」は「通商」を求めて来航しますが、幕府は「拒絶」します怒ったレザノフは択捉、樺太を「攻撃」し幕府はロシアを警戒します1811年、ロシア軍艦長「ゴローニン」は国後島に水と食料を補給のため上
今日から中学校の中間試験がスタート!初めての定期テストとなる我が家の12歳児。本当は私にブーブー言われることなく、自ら進んでテスト勉強してくれるのがベストなのだけれど・・・まだまだそこまで立派に成長してくれていないので仕方なく、ブーブーと言わさせていただいております。。。さてさて本日の中間テストは国語、社会、英語。私は英語の先生なので他の教科の教科書を読む機会って実はほぼほぼありません。
【ゆっくり解説】松平定信が粛正!獄中で非業の最後を遂げた探検家・青島俊蔵今回は、「天明」蝦夷探検隊を解説する。江戸時代に択捉国後島や樺太を最初に探検した人達で、「青島俊蔵」、「庵原弥六」たちがこの体の中心人物だ。このチャンネルで江戸時代の探検家を取り上げるのは初めて。江戸時代に蝦夷地を探検した人たちといえば、間宮林蔵、最上徳内、近藤重蔵が有名だけど、「青島俊蔵」「庵原弥六」は聞いたことがない。「青島俊蔵」や「庵原弥六」たちは最初の本格的な北方探検隊だった。彼らは5名も