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毛利元就(前回参照)の長男隆元が温厚で仁義を尊ぶ性格だったことは、彼の書状から滲み出ています。その反面、豪勇で鳴る吉川元春(元就の次男)や父譲りの智将との誉れ高い小早川隆景(同三男)に比べ、中国地方で覇を唱えた毛利家の跡取りとしてはいささか地味な印象があります。そんな毛利家二代目の意外な一面を探ってみましょう。元就は天文15年(1546)、50歳で家督を隆元へ譲りました。当時まだ毛利家は安芸国人衆の盟主としての地位をようやく確保できたころでした。なぜ元就
真夏の避暑地探しを兼ねて広島県北の地へ1583年に隠居地とした吉川元春の館跡地を訪ねました途中通った県北の国道433号って県道と変わらぬ田舎道・・情緒がありますね風が涼やか、青々とした田んぼ、すがすがしい気分に~目的地に着きました「万徳院跡」は吉川元春館跡を観て、次に向かいました館跡の石垣です、廃墟を観るのは無情を感じます館跡登り口にある小さな池庭、鯉たちが寄ってきました日陰は涼しくて休憩所もあり、時が止まったように感じます今回の本当の目的地は
馬ノ山登り口(鳥取県東伯郡湯梨浜町)観光案内板現在ではほとんど使われることは無いが、碁や将棋で「背水の陣」に相当する一手のことを「吉川が橋を引きたる陣構え」と言うそうだ。吉川とは毛利元就の次男、吉川元春の事で、天正9年(1581)伯耆国の東部、現在の鳥取県東伯郡湯梨浜町において、元春が織田軍の羽柴秀吉と戦った故事にちなんでいる。馬ノ山展望台展望台から臨む東郷湖。右手に橋津川が流れている。現地説明板天正9年(1581)、因幡国の鳥取城は後に『鳥取城の渇え
こんな事もあったわね^^;吉川さんは本当にやりたい放題で、暫くの間NHK出入り禁止になったものね^^;或る意味「レジェンド」よ☆【放送事故伝説】昭和最後の芸能ミステリー?吉川晃司の紅白放火事件2020年05月16日21時30分俳優の吉川晃司と志尊淳が共演するドラマ『探偵・由利麟太郎』が6月16日からフジテレビ系で放送されると、5月14日に発表された。吉川は意外なことに本作が地上波テレビドラマ初主演で注目を浴びている。そんな吉川晃司は「放送事故史」にも大きな名前を
北広島町新庄に伝わる南条おどり広島県の無形民俗文化財に指定されています。戦国時代に(三矢の訓えで知られる毛利元就の次男)吉川元春が伯耆の南条元続を攻めた時に踊り子に扮装させた部下をもって奇襲したことに由来しています。南条元続は(鳥取県東伯郡湯梨浜町の)羽衣石城(うえしじょう)の城主でした。新庄の南条踊りは陣笠・陣羽織を着けて勇ましく踊る。初夏の虫送り祭りの踊りとして伝わってきたそうです山口県でも…ネットを見ると、山口県の岩国市や長門市にも伝承されている。広島県の新庄(北広島
午後は晴れて五月らしい爽やかな、最後の土曜日・・気分転換に広島県北の北広島町へお出かけしました史跡、吉川元春の館跡の庭園だった池のほとりで、美しいカキツバタを見つけました~真っ白なカキツバタと紫のカキツバタは野生なんでしょうか?特に白のカキツバタの3つの花弁の美しさアヤメと花しょうぶしか見たことが無かったので感動しましたそばの古井戸に咲いていたのが、赤紫のマリアアザミアザミってこんなに美しかったんですね館跡に近い民家の田植えが終わった道端に見慣れない
最近登用した浪人武将です。先日の紀州遠征の人たちです。ここにはありませんが雑賀7人も登用しました。安国寺恵瓊は遠国でしたが、誰が連れてきたか忘れてしまいました。ほろほろ遠国で登用した人たち明智光秀、石田三成はさすがといったところでしょうか。この辺は史実に基づいて派遣した作戦がぴったりはまった感じです。それにしても毛利輝元の7万石でこの無能ぶりもう少し高くてもいいのでは・・・関ヶ原の戦いのせいか?となりの乃美宗勝は石高1万石で能力倍以上。圧倒的なコスパの