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今回の伊勢別街道(参宮道)歩きは、時間切れで紀勢本線一身田駅で一時中断となってしまいしたが、電車の発車まで20分ほど時間があったので、少しだけ駅付近を散策してみました。駅前の旧道に洋風建物があります。現在はレストランのようで、この日は定休日でした。旧落合運送の建物で日通の社屋だったとも。箱型の端正な外観を持ち、石張り風に目地を切り縦長の窓を並べたモダンな建物です。昭和12年(1937)頃竣工。大正時代竣工のJR紀勢本線一身田駅舎と相まって、静かに時を刻んでいます。古
伊勢参宮道歩きは「楠原宿」を過ぎ、先に進みます。しばらく県道を歩き、左に入ります。山道みたいで少し不安になりますが…やがて集落に入ります。「芸濃町・林」という地区です。立派なお屋敷を構えるところが多く、かなりの豪農だったと思われます。駒田医院と…その母屋と思われます。このあたり旧明村といい、明治22年(1889)4月町村制施行により三重県奄蓺郡「明村」が発足。明治29年(1896)所属郡が河蓺
伊勢参宮道歩きは、あすなろう鉄道追分駅から午前8時30分スタートです。日蓮宗追分教会とあります。日蓮宗には750年の秘法「九識霊断法」なる人生の未知なるものを予知する神秘な法術があるそうです。少し歩くと「日永の追分」です。ここは、東海道と伊勢街道を分けるところです。左が「東海道」右が「伊勢街道」です。神宮遥拝鳥居は、元々は安永3年(1774)久居出身の渡辺六兵衛という人物により建てられたものだそうで、今の鳥居は平成28年(
伊勢参宮街道歩きは、伊勢白子(しろこ)を歩きます。伊勢白子(現鈴鹿市白子・江島・寺家村の総称)は、伊勢参宮道として、また廻船問屋の町として大いに栄え、今でもところどころにその面影を残します。伊勢参宮道白子の街並みを進みます。連子格子が素敵ですね。少し進むと「江島陣屋跡」がありました。掲示板によると、ここ江島村は、江戸時代初期までは天領でしたが、後に紀州藩旗本の領地となり、享保年中(1716~36)小笠原肥前守の知行地となって、ここに陣屋が建て