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『再び異世界へ-再発-』『自己紹介』妻と私の異世界生活私会社員性格理系男子マイペースの草食大学脳科学系の研究大学院遺伝子組み換えの研究妻派遣社員性格天真爛…ameblo.jp-統合失調症再発から1ヶ月--妊娠7w-「もっとできる事があったかもしれない」「2回目なのに何もできなかった」前回の入院までの過程で自分が学んだ事、学んだと思っていた事は、無惨にも砕け散りました。『医療保護入院-急性期-』『自己紹介』妻と私の異世界生活私会社員性格理
★今日も過去のノートを見ながら、被害記事の書きおろし投稿をしてゆきます。なるべく時系列に綴ってゆきますが、なにぶん記憶があいまいなもので、時間や日付が前後する場合もありますので、あらかじめご了承ください。==以下記事になります。==入院最初の夜は地獄であった。とにかくお隣の女性患者がうるさかった。四六時中ギャーギャーわめいていて、頭を壁にガンガンとぶつけていて、本当に狂っていた。私は思わず注意をしに言ったら、それ以降はおとなしくなった。そして消灯で部屋が真っ暗になると
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守る40代娘のあたふたブログです老健入所中の母、そろそろ次の施設を…という事で、グループホームに申込をし、落ち着いたかな?と思ったところで…大腿骨のそばを骨折…夜に私の為に、折り紙で兜を折ろうとしてベッドから落ちたとの事…何だか申し訳ない気分…施設の方からご連絡いただいた時、私は何と美容院で髪の毛にカラー剤を塗り終わったところで…すぐに駆け付けたくても、この状態とは‼その旨を話すと、『終
治療拒否権についてご自分の希望や意見を述べる権利があるとともに、希望しない医療を拒否する権利があります。理解しやすい言葉や方法で、納得できるまで十分な説明と、情報を受ける権利があります。十分な説明と情報提供を受けたうえで、治療方法などを自らの意思で選択する権利があります。調べたら、こう出てきました。私に拒否権がある。今の体重から下げないから、無理やり上げないでほしい。経管栄養と言う治療を拒否したい。医療保護入院だと、この権限も無視されるのかな。物凄く、過食した
★今日も過去のノートを見ながら、被害記事の投稿をしてゆきます。==以下記事になります。==2019年1月17日、何とか二人部屋(大部屋)に入る事ができた。大部屋とは、保護室に比べて少し状態が良くなった人が入れる、共同の部屋で、食事も大勢で摂る。テレパシーは相変わらず、私とTさんとをくっつけようと画策している。実際彼氏がいる人に、どうやってお近づきになれる、というのだ。無理に決まっているのに…。時折襲ってくるパニックのために、周囲の人達に殺されるという、被害妄想があった。私
初めてのオンライン面会の翌日(実際には、面会したのは兄夫婦だけで、私は病院のロビーで待っていただけですが)、病院の看護師さんからお電話があり…看護師さん『お母様が娘さんとお話ししたいとおっしゃっています。今、お時間大丈夫でしょうか?』私『あっ、もちろんです。お願いします』母からの電話の内容は、〝こんな所に入れられて、とにかく病院から出たい〟と。〝4キロも痩せた〟との事。(実際にはそんな事はありませんでした)そして極めつけは…母『家にいる私の双
自分じゃどうにもならないから結局、入院することになりました。医療保護入院1ヶ月半ぐらい。カメラ付きの個室です。なんでやねん。今回は医療保護入院じゃなくていいと思ってた←カメラ付きじゃなくていいと思ってた。急性期は空いてないから普通の閉鎖病棟です。あ~…耐えられるかなぁ、、
ようやく退院目処が立ちました。5月いっぱいでいけそうです。4ヶ月半長かったです。退院後にめちゃくちゃあるネタを書いていきますね。
こんにちは、亀吉です。就職先を辞めて翌年にパートで電気会社に入りました。前職は開発職だったので製造職にしました。お金が欲しくて積極的に残業もしました。まとまった給料がもらえて嬉しかったです。しかし、日中に耐え難い眠気に襲われるようになりました。抵抗できないのです。そんなことを繰り返しているうちに、先輩に「帰れ!」と言われ、(もう無理かな)と思って退職しました。家で食事も摂らず、精神科の薬も飲まずに寝ていました。主治医が心配して入院することになりました。はっきりしませんが、医療
医療保護入院が決まりました。。今月末か、11月上旬に入院なる予定です。。太らされる。。怖い。。
救急搬送されてから2、3日経って、精神科医が病床へやってきた。ドクターは50歳くらいであったが日焼けをしたロン毛の長瀬智也さん風イケメンで、それなのに(?)低姿勢で非常に好感が持てた。単に長瀬さん似が原因かもしれないが……。これはどこまでも強調しておきたいが、彼が私の会う最後の''まともな医療従事者''であったことはこの時は知る由もない。彼の紹介状を持ち私は東京郊外の精神病院へ入院する運びとなり、父親の運転する車で病院へ向かった。この時は「静かな環境でゆっくり療養出来る」
タイトルにあるように、いつも1年近く再診がなく、突然受診する人がいる。診断はうつ病だが、あまり重くないのだろう、処方はレクサプロ10mgだけである。その後、徐々に体調が良くなるのか、本人は「やはり薬は飲まないとダメですね」と言う。それが毎回なのである。数ヶ月から1年ほど通院して再び来なくなる。精神科治療は任意のものなので、病院から電話して、あるいは自宅を訪問し通院するように勧めたりはしない。これが統合失調症だったとしても普通はそうである。極端な話として、例えば精神科病院の通院患
時に60歳くらいの統合失調症の患者さんが生まれて初めて精神科に受診し、そのまま入院になることがある。このような人は大抵、発病年齢が遅く、悪い精神状態であっても家族が病院に受診させられなかった人が多くを占める。10年以上前、役場の精神科無料相談を手伝っていた。そのような相談の中に、家族が何らかの精神病を発症しているが、精神科病院に連れて行けず苦悩しているのを診ることがあった。しかも、「病院になんとか連れて来れれば僕が治療しましょう」とまで言っても、実際に治療に行きつける人は10人に1人
4~5mの所から飛び降りても死なないと分かってたが飛び降りる寸前の気持ちは死ぬ死なないとか家族とか友達の顔とかも飛んでいって「とにかく飛び降りなきゃいけない」という強迫観念みたいのがあった。飛び降りて、すぐに猛烈な痛みを感じた。痛くてすぐには動けず真っ暗闇の中でうすぐ待っていた。しかし次第にその痛みが快感、安心感に繋がり「そうだ、この痛みを罰として与えたかったんだ」と感じていた。何とか起き上がり足を少し引きづって自宅に戻った。痛みが残る中で寝るのは眠剤よりも安定剤よりも効く安心感だった
自殺未遂してしまった翌日、目覚めた私は、2階の寝室から1階のリビングに降りて行きました。夫は仕事に行って不在でした。それ以外の家族は全員起きてました。何か異様な雰囲気を感じ取りました。子供が、お母さん疲れてるだろうから、もっとゆっくり休んでいなよ、と言います。本能的にこの場を立ち去り、一刻も早く実家に帰らなくては!と思いました。父親に、一緒に実家に帰ろう!と訴えると、父親は泣き出しました。そして「ごめんな、お父さんにはもう何もしてあげれない、
『摂食障害入院について』ここのところ、LINEやメッセージで娘が摂食障害で入院した時のことを聞かれることが多いです。⭕️お子さんが入院したら良いか迷います。⭕️体重が増えないか…ameblo.jp拒食症入院について今までも何度か入院については書いてきましたが、入院について聞かれることが多いので、少しずつ書いていきたいと思います(あくまでも娘の場合です。病院によって、また症状によっても違うかもしれません)『摂食障害入院につ
精神科の入院形態が5つ存在します。以下の写真は、看護師さん向けの教科書に書かれている入院形態の説明です。何だか解りにくい。精神保健指定医2名だとか、同意者/措置者だとか、自傷他害の恐れとか、72時間とか…なんだなんだ。そこで、私がザックリ解説させていただきます。まず試験対策であるならば以下覚えるだけで可です。細かいイレギュラーはどうするんだという話は後から補足説明します。イレギュラーは今は端折ります。精神科独特の5つの入院形態まず、精神科には入院形態が5つあること。医学生さんや看護学
今日も実家へ父の用事はー今週2回目いつも飲んでる薬がなくなったので近所のかかりつけの病院へおまけに買い物があるからスーパーへ寄ってくれとこの前買ったお饅頭が美味しかったのでリピートだそうあーめんどくさその後母の面会へ私の顔を見るなり「ごめんねこんなにバカになってしまって」と泣き崩れ「もう色んなことがわからんのよ」「私のことわかる?」「そりゃーわかるよ」「じゃあいいじゃん私のことだけわかってくれてたらあとはぜーんぶ忘れていいよ」それで大笑いになり
母として本当に情けないのですが私は最後まで娘の側についていることができませんでした。代わりに主人が娘に付き添ってくれましたがそれも病棟入口まで。職員と交代になり病棟中には入れなかったそうです。主人が戻ってくると入院の事務手続きで様々な書類の説明を受け署名しました。しかし度々職員がやってきて「興奮が強いので安定剤の注射を打ちます」「着替えを嫌がるので服を切断しても良いですか?」あげく「来てきた衣服の紐で首を絞めようとしたので身体を拘束します」と信じられない報告が続きまし
認知症の周辺症状が激しく出て、現在、認知症疾患医療センターへ入院中の母昨年の年賀状の時期から、症状は現れていて、年賀状も上手くは出せずにいましたが、まだまだやり取りをしているお友達は居て下さって…(昨年は頂いた年賀状に母本人が普通のハガキでお返事を書いていました)さて、今年頂いた年賀状はどうするか…悩んだ結果、私が年賀状仕舞いのおハガキを出させて頂く事にしました本来ならば、年賀状より前もって出すべきですが、そこは失礼させて頂いて…今回、頂いた年賀状
この1月に母は退院してグループホームへ入居いたしました。入居までの紆余曲折を書かせて頂いてます。母のグループホーム入居が決まるまで①/②/③/④/⑤/⑥/⑦・・・ケアマネさん・グループホーム・病院の相談員さん、すべてに対して疑心暗鬼となり、状況を放置する事にしました。その翌日の話。病院の相談員さんからの勧めもあって、私は入院中の母と3回目の面会をしました。入院時と比べると格段に様子が回復しているのを見て、退院させてあげたい!穏やかに暮らせるようにしてあげたい!と強く思うように。
(つづき)42歳になった私は現在非正規雇用の派遣労働者として工場で働いています。給金は時間1250円。もちろん賞与・退職金無しです。子もなく、車も持たず、妻は統合失調症。3度目の医療保護入院で別居(妻を実家に帰す)せざるを得なくなり、私は独りで家賃が安くて更新料がない団地に引っ越す、という流れ。入社2年目の正社員が600万円もする新車のシートに悠々と身を委ねてる姿を横目に、我が愛車の50CCバイクは10年目で今にも潰れそう。正直、泣きたくなるときもあるけど、他人様と自分を比べ
医療保護入院してはや3週間が過ぎようとしている。今1番ネックなのは病院と老人ホームの2つに支払いが発生してるってこと。一応、眠剤の調整が上手くいって父の昼夜逆転が改善してホームで見られるレベルになったら戻るという予定でいるのでホームをキープしとかないといけない。ホームが約30万病院が約20万合計毎月50万⁈いやいやいやいやいやいやいやいや無理だろじいさんの定期が解約済みなので今年1年くらいは何とかできてもえ、何年このままですか?なんて話を知り合いのケア
母の医療保護入院時に対応して頂いた看護師長の安心感がすごくて…それまで様々な所でご迷惑をお掛けしていた母私への暴言はもちろん、暴言の投稿はコチラ↓『認知症診断の為の病院受診③』4日後、血液検査とMRIの結果を聞きに病院へ。何も知らない私は、この日に認知症と診断されると思い、前もって病院に電話し、『先生から直接母に認知症です。と…ameblo.jp包括センターの担当者さんの事は突き飛ばしてしまいました(自分で家に上がってと言って上がってもらったのに、
母が医療保護入院してから10日程が過ぎ…この日は初めてのオンライン面会でした入院がバタバタと当日に決まってしまったので、兄にも会わせず入院させてしまって、申し訳ない様な、ホッとした様な…この頃、精神的に長距離の運転が出来なくなっていた私を、兄夫婦が最寄り駅まで迎えに来てくれて、一緒に実家を少し片付けてから病院に行く段取りになっていました実家に入ると、留守電がピカピカ光っています誰だろうね?と、兄が再生ボタンを押すと…『昭和〇〇年〇月〇日
ウッチャンのLIFE。休みの長い時しか放送しない感じ。1年前に嫁さんの実家でたまたま観て、子供とも楽しめる番組です。その時は毎週見たいと探したな。うっかり見過ごすところでした。
この日の午前中は、私の携帯に知らない携帯番号から何度か着信が入っていました。この頃、営業の電話が多く掛かってきていたので、知らない電話番号には出ない様にしていました。お昼ごろ、包括センターから電話があり…『午前中何度かお電話させて頂いたのですが…。ご近所さんからご連絡があって、お母さまが昨日の夜と今日の朝、ズボンを穿かれないで下着姿でお庭にいらっしゃるとの事で…。午前中にご自宅に伺ったら、やっぱりご自宅の駐車場におられまして…。「私の中に誰かがいる。何か
朝食昼食夕食
警察署から病院まで高速道路を1時間半ほど走りました『男は青。青はダメ。黄色なら大丈夫。だから私は黄色いものしか食べない。』車中では支離滅裂な不思議なことを言い『分かる?』と対話を求めてきます。相当疲労が溜まっているはずなのに眠そうな素振りは全くありません。かなりな躁状態だったのだと思います高速の渋滞や出発に時間がかかった為到着予定時間は大幅に過ぎてしまいました。ですが病院とは途中何度か連絡を取り合っていたので到着時は駐車場で出迎えて頂き娘も落ち着いて病院内に入り
アルツハイマー型若年性認知症で、妻は精神科病院の認知症専門棟に現在入院をしている。本人の意思とは異なる形での入院で、「医療保護入院」という入院形態である。⇩⇩⇩https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12201000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu-Kikakuka/0000149864.pdf昨年10月のカンファレンスで、最大330日の入院延長が認められたが、翌月、肺炎治療で2週間