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こんにちはsunsunです。私は、現在精神科閉鎖病棟に入院しています今回は任意入院のはずが医療保護入院をテーマに話そうと思います。私が望んでの入院だったので、てっきり任意入院になると思っていたら、なんと医療保護入院扱いでしただ、騙されて、当分ここから出てこれないかもなんて一瞬頭をよぎりましたしかしこれには理由があるそうで、簡単に言うと、病院の都合がいいからだそうです個室、大部屋いっぱいなので、保護室使うための方便だそうです。(SW曰く)ホントかどうかを考える以前に、逼迫した状況だっ
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守る40代娘のあたふたブログです大腿骨骨折の退院からの外来受診時に待合室で母と話している時の事…『施設で毎日〝家に帰りたい。私はもう今日帰るって決めました〟って言う人がいるのよね~。帰れないのに…』『そうなんだね。その人はお家に帰りたいんだね』『でも色々と病気もあるし、ボケてるから帰れないのにね。帰ったら奥さんとか娘さんが本当に大変だもの…』(いやいや〝ボケてるって〟言い方ちなみに貴方もですが…)
この日の午前中は、私の携帯に知らない携帯番号から何度か着信が入っていました。この頃、営業の電話が多く掛かってきていたので、知らない電話番号には出ない様にしていました。お昼ごろ、包括センターから電話があり…『午前中何度かお電話させて頂いたのですが…。ご近所さんからご連絡があって、お母さまが昨日の夜と今日の朝、ズボンを穿かれないで下着姿でお庭にいらっしゃるとの事で…。午前中にご自宅に伺ったら、やっぱりご自宅の駐車場におられまして…。「私の中に誰かがいる。何か
母が急に医療保護入院する事になり…私もまさかこんな事になるとは思っていなかったので、バタバタとやる事を考え…取り合えず思いつくままに、兄夫婦と共に以下の事をしてみました〇挨拶していなかったご近所さんへ入院の報告をする(〝寂しいわ〟と皆さんが言ってくれて、救われました。)〇新聞の配達を止めてもらう(どこの新聞屋さんと契約しているのかも分からなかったので、ご近所さんに教えて頂きました。ありがたやー)〇生協の配達を止めてもらう(私が勧めた見守り
家族が元気になる「天才ごはん」カスタマーレビューより兄の統合失調症が良くなってきました。18歳で発症し、大学はなんとか卒業したもののその後20年以上引きこもりに近い感じでした。藤川先生の本を読んでから発症の原因は受験期の食生活だったと思います。短時間で食べられるハンバーガー、ちらし寿司などが多く、魚は骨を取る時間がもったいないと言うのでほとんど食べませんでした。当時の偏差値は70以上だったので栄養がたくさん必要だったはずなのに…。ちなみに、受験期前は肉が好きで、外食=焼肉という感じでした。
『再び異世界へ-再発-』『自己紹介』妻と私の異世界生活私会社員性格理系男子マイペースの草食大学脳科学系の研究大学院遺伝子組み換えの研究妻派遣社員性格天真爛…ameblo.jp-統合失調症再発から1ヶ月--妊娠7w-「もっとできる事があったかもしれない」「2回目なのに何もできなかった」前回の入院までの過程で自分が学んだ事、学んだと思っていた事は、無惨にも砕け散りました。『医療保護入院-急性期-』『自己紹介』妻と私の異世界生活私会社員性格理
この日、母から電話で『昨日の私の様子、おかしいと思ったでしょ⁉』と言われました。前日、我が家の飼い犬を連れて実家を訪れ、ワンコ大好きな母と一緒に大きな公園に連れ出していました。地元では有名な大きい公園で、母も今までに何十回と行った事があります。しかし母『ねぇ、この公園って広げたのね?』私『え?前からこの広さだよ』母『えぇ、そんな訳ないわよ。隣の土地も買って広げたのねぇ』私『昔と同じ広さだよ。お母さんが小さくなったのかもね』と、話していました。この頃に
〝双子のひろ子さん〟発言があってから1週間後、病院にいる母から電話があり…〝双子のひろ子〟さんの記事はコチラ↓『母、双子になる(゚Д゚)』初めてのオンライン面会の翌日(実際には、面会したのは兄夫婦だけで、私は病院のロビーで待っていただけですが)、病院の看護師さんからお電話があり…看護師さん…ameblo.jp母『遺言書を書き直したいんだけど…便箋が無いから持って来て』私『どんな紙に書いても有効だから大丈夫だよ』(実際には、認知症である母の今
母が医療保護入院してから10日程が過ぎ…この日は初めてのオンライン面会でした入院がバタバタと当日に決まってしまったので、兄にも会わせず入院させてしまって、申し訳ない様な、ホッとした様な…この頃、精神的に長距離の運転が出来なくなっていた私を、兄夫婦が最寄り駅まで迎えに来てくれて、一緒に実家を少し片付けてから病院に行く段取りになっていました実家に入ると、留守電がピカピカ光っています誰だろうね?と、兄が再生ボタンを押すと…『昭和〇〇年〇月〇日
その後、色々と入院の説明や手続きを進めて下さり…その中で『今回頂いた回答が絶対というわけでは無く、いつでも変更可能なのですが…』と前置きがあった後、終末期の対応について、家族の意向を聞かれました。母は、何年も前から『延命治療はしないで欲しい』と何度も言っていたし、その旨の書面も預かっているので、迷わずに答える事が出来ました。もし、終末期の治療について何も話して来なかったら、こんな時、どう答えたとしても、後々罪悪感にかられる気がします…そして、夜も更けてきて、窓
【向日葵コミュニティ新聞】へ訪問してくださり誠にありがとうございますできるだけ毎日、【1エピソード】を皆様に《コラム風?》にお届けしたいと思っています。ぶっちゃーの実体験や介護の《豆知識》を綴っていきます合わせてぶっちゃーの事も知っていただけたら幸せですぶっちゃーの自己紹介はこちら※病気や障害をを抱えながらでも【ブログライティング】の仕事に出会い、介護と世間を繋ぐコミュニティを作りたい【夢】に向かって進む『ぶっちゃー』の人となりがわかってもら
水曜日は受診日でした娘が前もってソーシャルワーカーさんに相談の電話をしていたので、先生にも連絡が行っており…トントン拍子に再入院が決まりました。毎日幻聴が起きていること。希死念慮があること。食事が摂れないこと。そして何より娘が入院を望んでいました。「再発ですか?」と恐る恐る先生に聞くと、「まだ何とも言えないですね。勿論、上がり下がりの回復の波はつきものではあるんですけど…その場合でもあまり幻聴は起こらないんですよね…」えーーーそうなの?!ここ最近の幻聴頻発は、単に「疲
入院に至るまでの過程を記していこうと思います。ある時から、ん?と感じる事がありました。楽観的な性格な夫は、私が話す子供の話題やトラブルに対して「まぁ大丈夫やろ!」と、こちらが拍子抜けするような返事が常でしたところがある時からその様子が変わったのです。今までならまぁどうにかなるやろ!と言っていたところを、深刻に捉え始めました。「あー、しまったな。ごめんな」「えり(私の名前)、ほんまごめんな」その時は私は、えらい真剣に考えてくれてるやん珍しいくらいに考えていました。その頃、仕事で
こんばんは。むーです。主治医が今日2回来て、1回目は医療保護入院者の退院支援委員会があり、入院が3ヶ月延びました(•︠-•︡)そして、治療方針としては薬は減らしていきたいということと退院場所等を考えるということ。まぁいいんじゃないか。で、その後👨⚕️「また夕方きますね、食事の事話しましょう」「あ、はい」(まさかまさかの点滴宣告されるのか…)夕方頃👨⚕️「今日はお疲れ様でした。色々まだやるべきことがあると思うので目星はついてませんが、一日でも
前回の続きです医療保護入院2週間後娘は1日1600㌍食べれるようになっていましたソーシャルワーカーさんから娘さんのこれからのことについてお母さんの意向を聞かせてほしいと電話がありました病院としては2ヶ月は入院させたい娘は今すぐにでも退院したい学校へ行って皆と一緒に2年生になりたい出席日数がギリギリでしたその頃私はもう学校なんてどうでもよかった生きてさえいてくれればそれでいい体重は全く増えてないし退院したらまた食べ
母の様子が明らかにおかしくなって…認知症と診断された頃には、私は一日でも早く、母をどこか、施設に入れたい気持ちでいっぱいでした在宅で認知症介護されている方も本当に沢山いる中で、私はあの頃、何をそんなに恐れいていたのか今になると分かってくる事もあります。在宅介護となると、私が母と一緒に住んで、デイサービスへの送り出しや受け入れ、デイサービスに行けない日は私が付きっ切りで介護する事になる。何年も前から続いていた母との上手く行かない関係を抱えたまま、日々暴言を吐かれた
低体重で半年間入院した娘が元気を取り戻すまでの過程を綴っています📝摂食障害で入院する人、しない人、これは病院によっても対応が違うようです🏥もちろん、命の危険がある時は、大きな病院を紹介され強制入院となります。しかし、病院によって入院期間もそれぞれ違うようです🏥娘の場合は短期間での体重低下と、脱水が主な理由で医療保護入院という名前の、強制的な入院でした🏥入院直前(特に2〜3日前)は、本当にコップ1杯の水でさえ飲ませるのが大変でした💦
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守る40代娘のあたふたブログです先日の面会での事…急に母が…『お兄ちゃんって浮気してるの?!』と…『え?!』『お兄ちゃんって〇〇君の事?(〇〇君は母の息子であり、私の兄の事)』『彼女がいるって言ってたよ』『え?!〇〇君が?』兄は仕事で面会には来れないはずだし、もし母に何らかの用事で電話したら、その旨を絶対に私に連絡してくれる様な人。そんな連絡は兄から受けていないし。もし、本当に浮気している様
本人が同意しなくても主治医と家族の同意で入院させる医療保護入院がありますがその線引き主治医の判断でできるできないがでてきますねうちの場合はどうなんでしょうか・・・うつ病でアルコール依存症になり、警察沙汰起こし続け、結果捕まりアルコール依存症専門の病院へつながり自分の意志で断酒でもうつ病がひどくなり、寝たきりになっていきました夜だけはごはんを食べに来ていたけどお風呂に入らず。長いときは9カ月・・・臭いが半端ないのです筋力もおち、よく転ぶペットボトルの蓋も開けれないほ
母が入院する2ヶ月程前、一緒に出掛けた時、母のカバンにマジックペンで大きな〇印が書かれている事に気付きましたちょっとびっくりした私は『これ、なに?』母『あぁ、コレね。鍵を入れた場所が分かりやすい様に書いたのよ』と言いつつ、〇印が書かれた場所とは別のポケットにカギをしまう母私『あれ?印と違う場所に入れたら意味ないじゃん』母『え?私、違う所にいれた?』というやりとりがあり…そして母入院。実家の片付けをしていると、家にある
母が認知症と診断されて…さて〝母が認知症だ〟と、どこまで知らせるかが問題で…母は突然入院してしまったので、親戚は何も知らないまま、母の携帯電話に何度か連絡をくれていました何をどこまで、どんな風に知らせるか…着衣が無く屋外にいた事を言ってしまうのは、本人の尊厳に関わるかな…お婆さんに憑りつかれた事くらいは、言っても良い?双子の件は?色々悩んだ挙句、母の兄に報告する事に母の兄に連絡すると…相当ショックを受けている様子…
救急搬送されてから2、3日経って、精神科医が病床へやってきた。ドクターは50歳くらいであったが日焼けをしたロン毛の長瀬智也さん風イケメンで、それなのに(?)低姿勢で非常に好感が持てた。単に長瀬さん似が原因かもしれないが……。これはどこまでも強調しておきたいが、彼が私の会う最後の''まともな医療従事者''であったことはこの時は知る由もない。彼の紹介状を持ち私は東京郊外の精神病院へ入院する運びとなり、父親の運転する車で病院へ向かった。この時は「静かな環境でゆっくり療養出来る」
初めてのオンライン面会の翌日(実際には、面会したのは兄夫婦だけで、私は病院のロビーで待っていただけですが)、病院の看護師さんからお電話があり…看護師さん『お母様が娘さんとお話ししたいとおっしゃっています。今、お時間大丈夫でしょうか?』私『あっ、もちろんです。お願いします』母からの電話の内容は、〝こんな所に入れられて、とにかく病院から出たい〟と。〝4キロも痩せた〟との事。(実際にはそんな事はありませんでした)そして極めつけは…母『家にいる私の双
75歳で認知症と診断され、医療保護入院中の母の見守り介護をしている40代娘のあたふたブログです。入院中の母からの電話の頻度が月を追うごとに減ってきています(入院から8ヶ月程が経過しています)入院したての頃、毎日の様に『ここから出して‼』と掛かってきていた電話あの頃は、電話でそう責められる度に自己嫌悪に陥ったり、怒れてきたり、悲しくなって号泣したり…母からの電話に出るのが本当に辛かったです今も、たまに掛かってくる電話で『そろそろ迎えに来て
こんばんは。むーです。昨日は保護室で一晩過ごしました携帯使えなくて記録出来ませんでした。私は医療保護入院で、外に自由に出ることは禁止されていたのに外に飛び出し、車にひかれて死のうとしました。その前に友達に死ぬからとLINEを送りその友達が病院に電話したらしく職員が探しに来ました。私は大人しく病棟に帰りましたが、その後保護室に連れてかれて夜中躁状態になってケラケラ笑っていました。その後薬飲んで寝て朝を迎えたけど絶望的な気持ちでした。もう嫌だ。早く死にたいと。躁状態に
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守る40代娘のあたふたブログです老健入所中の母、そろそろ次の施設を…という事で、グループホームに申込をし、落ち着いたかな?と思ったところで…大腿骨のそばを骨折…夜に私の為に、折り紙で兜を折ろうとしてベッドから落ちたとの事…何だか申し訳ない気分…施設の方からご連絡いただいた時、私は何と美容院で髪の毛にカラー剤を塗り終わったところで…すぐに駆け付けたくても、この状態とは‼その旨を話すと、『終
連休中もおさまることがない次女の幼児退行朝から晩まで暇さえあれば「まーまっ!まーまっ!」と騒いでいますやってる本人ですら、どんどんエスカレートする「まーまっ!」に疲れてる様子です幼児退行は子どもが満足出来たり、情緒が安定し、精神的に落ち着いてくるとなくなると入院中、病院の先生に説明されました\幼児退行について/『【ASDのムスメ】幼児退行』2023年秋、二女に「自閉症スペクトラム」の診断がおりました。症状が強く出始めて、通学や日々の生活が困難になり、医療を受けれるまで約6ヶ月。その後医療
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守り介護する40代娘のあたふたブログです明らかに様子がおかしいと、家族だけではなく、ご近所さんからも包括センターに連絡があった上で、やっと病院受診した母その時に行った長谷川式スケールの結果は25点そして、1年以上経った今、母の点数は24点長谷川式スケールはもちろん、とっても優れた検査だけれど、それだけでは判断出来ないのも事実…家族としては、点数が良くて安心する半面、認知症と診断して貰えな
認知症の周辺症状が激しく出て、現在、認知症疾患医療センターへ入院中の母昨年の年賀状の時期から、症状は現れていて、年賀状も上手くは出せずにいましたが、まだまだやり取りをしているお友達は居て下さって…(昨年は頂いた年賀状に母本人が普通のハガキでお返事を書いていました)さて、今年頂いた年賀状はどうするか…悩んだ結果、私が年賀状仕舞いのおハガキを出させて頂く事にしました本来ならば、年賀状より前もって出すべきですが、そこは失礼させて頂いて…今回、頂いた年賀状
おはようございます!中学では不登校でしたが高校では頑張って通学しています。今日もがんばるよ。さて、いまの私の病状ですが、かなり治ってきている、と言えると思います。やはりまだ食へのこだわりが無くなった訳ではなく、まだ食べにくいものや抵抗のある食品はあるのですがいちばん酷かった時よりはかなりマシです。私は身長159cmでmin32kg。その時に医療保護入院をしました。入院は5ヶ月!これは他の方のブログを見ていると、長い方なのだと思います。いずれその時の話も書きたいな。入院した