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ひでです。お早うございます。関宿城は2月1日に行ったお城です。場所:千葉県城主:梁田氏→北条氏→松平氏→・・・→久世氏石高:2万石(松平氏)別称:来歴:古河公方の足利氏の重臣だった梁田氏によって築かれましたが、北条氏康をして「この地を抑えるということは、一国を得ることと同じである」と言わしめるほど、水上交通の要衝として重要なこの地を巡って何度も戦いが行われました。今は防波堤横にある碑しかありませんが、近くに、関宿城博物館があります。そちらに詳しく説明されていました。今回は私の下手な
明智遠山氏③明智遠山氏の歴史を調べようとしても史料がなかなか出て来ないのが実態である。古書も有名な上村の戦いばかりである。景保には景成と直景という二人の男子がいたようだ。遠山直景は足利将軍の奉公衆で京都にいた。その頃、申次衆に伊勢新九郎という人物がいた。新九郎は長享元年(1487年)駿河国の今川氏の内紛に乗じて介入し、明応7年(1498年)には伊豆国を平定した。直景は彼に心酔し、伊豆平定戦にも従軍していたようだ。この戦国時代の英雄、伊勢新九郎は後に北条早雲と呼ばれること
用事で鎌倉に行ったついでに、お散歩まずは安産祈願のおんめさまこと大巧寺のお庭を見に行くコロナ以来、訪れるのは初めてむらさきのシランがいっぱいそして、白のシランこれはムラサキツユクサだけどこれはムラサキツユクサの白バージョンおんめさまを裏から出てしばらく歩くと、宝戒寺
藤の蔓は筏を結ぶロープとして貴重だった東京都日の出町大久野(おおぐの)には東京都指定の藤の森がある。毎年4月から5月にかけて藤の花が美しく咲き誇り観光名所となっている。現代人は花に見とれて藤の花の背景にあるものについては無関心な人が多いようだ。そもそも藤というのは筏師たちが藤の蔓を使ってロープのように結んでいたので江戸時代の頃までは貴重な材料だったのである。その藤が現代まで大木として生き残っているわけだから、信仰というものに今日まで守られていたというしかない。藤と蛇の関係確かに
ジムニー車中泊の旅2日目群馬県高崎市から安中市へ移動安中市は軽井沢から長野県方面への昔の街道沿いで歴史の古い町安中市は群馬県南西部にある人口約6万人の市である。江戸時代に板鼻・安中・松井田・坂本が中山道の宿場町として栄え、また、江戸時代には安中藩の城下町であった。Wikipedia引用今日こちらに旅に来た目的は2つ一つ目は【後閑城🏯跡】築城年代は定かではないが文安2年(1445年)頃に依田忠政によって築かれたと云われる。依田忠政は信濃国御嶽城主で、永禄年間(1558年~1570