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「燃えつきた地図」(日/1968)安部公房の同名小説を映画化。監督は『砂の女』(64年)、『他人の顔』(66年)と続いて勅使河原宏で、脚本も安部公房が担当。調べたら『おとし穴』(62年)も同コンビの作品みたいですね。半年前に失踪した根室洋の捜索を、彼の妻・波留から依頼された興信所の調査員の男。根室が持っていたマッチから喫茶店「椿」を訪ねた調査員だったが収穫はなく、その後も波留の弟や根室が勤めてい
ジェームス三木は昭和六十二年(1987年)一月四日から十二月十三日に放送されたNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』脚本を執筆した。『大河ドラマストーリー』において脚本執筆に当たって膨大な史資料を読み込み思索を巡らしていることを記している。「大切なのは、現代人の感覚で彼らの行動を判定してはならないということだ。」十九歳少年であったわたくしの心に強く響いた。師匠の言葉として頂いている。伊達政宗の物語を書き描く営みは「現代人の感覚で判定しない」ことを大
勝新太郎さんが撮影半ばにして黒澤明監督の『影武者』(1980年)を降板したことは広く知られている。降板の理由は勝新が撮影現場に小型ビデオを持ち込み、それを見咎めた黒澤が「監督は二人いらない!」と激怒したことによると言われてきた。それはそれで信憑性がある説だとわたしは思うが、小堺一機さんがテレビ朝日の番組の中でその騒動の経緯について勝新自身の口から直に聞いたエピソードを紹介した記事を読んだ。当時、勝新の経営する専門学校の学生だった小堺さんたちを前に勝新は次のように言ったという。《『なんで俺が辞め
昔、若山冨三郎がウソの結婚披露宴を開き、安岡力也を招待するドッキリがあった。テーブルには豪華な料理…とはいかずに紙の皿にはオニギリが…(笑)安岡力也が事務所からご祝儀は2万円でいいと言われてたから、その通りの金額を包んで持って行くと、、、若山冨三郎が「お前、この俺に対してたったこれだけか!」と凄み、さすがの安岡力也もビビらせた場面は、マジで凄い貫禄があったな。実際に若い役者は皆、若山冨三郎の前では「先生」と呼ばせてたらしいね。実弟の勝新太郎もエピソードの宝庫だ。勝新と言えば『座