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既に、大腸がんの複数リンパ節転移ががっつり確認されている私更に今回の大腸がん、なんと5回目の癌告知~💦さすがの私も、寝入り際や目覚めにふと今回こそ、ダメなのかな❓死ぬのかな❓ぼんやりと、そんな気分が行きつ戻りつ癌が転移すると、完治しないのよねでも、癌がのさばるより私が長く生きれば良いのよね~❣️マラソンみたいな、長距離徒競走みたいなものねもし早々と私が息絶えたら私は何に輪廻するのかな再び彼と出会って、例えば飼い猫でも良いし心慰める鉢植えの花でも良いし彼のそばにいられた
こんばんは。ご訪問くださり、ありがとうございます。今日は、比叡山の無動寺谷辯天堂で、5/18から毎週行われる予定の、法華経読誦会についてご案内します。辯天堂公式Twitter法華経、こと妙法蓮華経は、巻第1から第28まで、全部で28章あります。有名なのは第25巻の観音経ですが、(※お経の場合は巻数が最後に来て、観世音菩薩普門品第二十五かんぜおんぼかつふもんぼんという呼び方をします。)他にも、如来寿量品第十六にょらいじゅりょうぼん如来神力品第二十一
※日顕上人様のお言葉「諸法実相抄」に「日蓮をこそ憎むとも、内証にはいかが及ばん」との御金言の如く、三類の怨敵の憎悪による斬首の計画も不可能となりました。真実の正法である程、様々の怨嫉(おんしつ)と迫害がくるけれども、真の仏様はこれを打ち破って大正法を確立されました。いわゆる「是好良薬今留在此(ぜこうろうやくこんるざいし)」たる本門三大秘法の「妙法蓮華経」であります。ゆえに、この大法弘通には、おどしをえて、正法の弘通を妨げんとする謗法者が種々の形で表れてまいります。
今回、諏訪大社へ行こう!と決めてからそこまでのルートを色々探して結局、いつものように夜行バスで長野方面へ😆そこからレンタカーを借りて諏訪大社かな〜🤔ということでレンタカーを借りるまでの時間は善光寺にお参りに行くことに決定✨長野に到着!5時30分に着くとこんな感じベンチに座って朝ごはんを食べてる時以前、お朝事に参加したことがあったのでもしかしてこの時間なら、、、と調べてみると冬は遅いとのこと(夏の最も早い時間が5:30冬の最も遅い時間が7:00)もしかし
(『新・人間革命』第10巻より編集)156〈桂冠〉7(つづき)大聖人は、『諸罪は霜露(そうろ)の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』と仰せですが、それが御本尊の偉大なる功徳力です。自分の罪を心から悔いることができれば、“こんな私でも、救っていただけるとは、なんと、ありがたいことだ”という、御本尊への感謝の思いが込み上げてくるはずです。御本尊への、深い感謝の一念が、大歓喜の心を呼び覚まします。そして
こんにちは😊今日は仏教でよく出てくる「功徳(くどく)」の「功」と「徳」について、図解っぽくわかりやすく説明します。📖まず「功徳」とは?👉「功徳」とは、善い行いや信仰の実践によって得られる心と行動の実りのこと。でも、実は「功」と「徳」にはそれぞれ役割があるんです💡🌱「功」とは?📌具体的な行い行動そのもの、実践のこと例:お題目を唱える、困っている人を助ける、掃除をする➡️「功」は「やったこと」「実践」の部分です。🌸「徳」とは?📌行いから育つ心の力内面に積
古代寺院は、造営者の実力を誇示する意味合いもあってか、台地上の端部とか丘陵地の裾野などに造営されることが多いのですが、奈良期になると平安期に顕著になる山岳系寺院の先駆として、山あいに建立されるものも増えてきます。今回はその一つ、有名な粟原寺を訪れてみます。ではレッツラゴー!粟原寺跡(おうばらでらあと)国指定史跡奈良県桜井市粟原訪問オススメ度★★この古代寺院跡は、龍門岳に連なる山塊の北斜面にあります。近鉄大阪線大和朝倉駅の南東約3キロメートル、本数は少ないですがふもとの<粟
まとめ日蓮大聖人の御書「唱法華題目抄」は、法華経の題目である「南無妙法蓮華経」を唱えることの功徳(くどく)と重要性を説いた文書です。この御書では、題目を唱える行為が仏道修行の中でも最も尊いものであり、それが末法の時代における唯一の正しい修行法であることが強調されています。以下に、その内容を要約し、さらに深く掘り下げて解説します。要約題目の意義「南無妙法蓮華経」という題目は、法華経の全体を要約したものであり、仏の智慧そのものを表しています。この題目を唱えることは、法華経の教えを実践するこ
死後の世界などあり得ないし、信じないという人は多いはずです。そんなものは科学的ではないといいます。もちろん、死後の世界は眼には見えず、耳にも聴こえません。しかし、見えないから聴こえないから「ない」と断言するほど非科学的な意見はありません。眼には見えず、耳にも聴こえずとも、素粒子や電波が存在します。天上の彼方で、深海の果てに何があるのかも、私たちは感知することができません。それでも確実に存在しています。死後を信じなくとも、死後を考える頭脳はあります。また、死後を思う心があることも否定できません