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今日は4回公演立ち見のお客様まで!春休み&花子のおかげね今週の集合写真劇団の役者さんたちのお話セリフが棒読みなので役者を諦めて小道具係になった花子あくまでもストーリーよ!本当の私は演技派だからね!そんな私の弁当サラダお味噌汁アスパラ焼き鮭手羽中朝からお仕事やったのに頑張って作ったよ庶民派女優でしょYouTubeも見てね-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと
今週のセットはこんな感じ小道具がたくさん今週はこのポスターが芝居のカギ小道具係役の花子始まる前に王様のイスに座らせてもらいました劇団の役者役の金原早苗ちゃんと!ぜひ、なんばグランド花月に見に来てね今日のランチはこんなん!お味噌汁サラダほうれん草の胡麻和え小松菜と鶏肉炒め安上がりの手作り弁当栄養は高いわよ〜YouTubeも宜しくお願いします-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや
なんばグランド花月初日無事に終わりました今回の役は花月劇団の小道具係役初日の舞台セッティングでスタッフさんがバタバタしていたので邪魔にならないとこで撮影しました落ち着いたらセットの前で色々撮影しますね!今日のランチは昨日の残りのカレーライスとサラダカレーライス多めに作ったからまだ大量にあるよ子供に合わせて甘口なので優しいお味でしたラスト2回公演見に来てくれたお客様を花子の虜にするわよ〜YouTubeも宜しくお願いします-YouTubeYouTub
昨日の話し。サモ・アリナンズ「蹂躙さん」観劇✨マンモスたのぴー🦣💕時間でした!10代の時に劇団旗揚げしてた友人や劇団員の知人を思い出しました。当時から、サモアリおもしれー!と言っていた友人はもう芝居をしていないけど、みんな元気かな?みんなが、憧れの眼差しで見ていたサモアリの最後の舞台、一番芝居やらなかった私が見届けたよ!笑やっぱり、プロの声量はおったまげたゾ!お疲れ様でございました🙏#サモアリナンズ#蹂躙さん#じゅうりんさんそうそうたるメンバーでした!バブリー✨✨✨女
「軽井沢殺人事件」のお稽古、昨日は一幕の通し稽古でしたテレビの収録では何度もご一緒したことあるさと子さん個人的にご主人様に大変お世話になってます今日は二幕の通し稽古今までシーンごとの時間割のようなお稽古だったので、初めて他のシーンが観れて楽しい😀。再演なので知ってはいるのですが、俳優が変わるとまた前回とは違う感じになるのが興味深々軽井沢殺人事件2025|演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術!Yプロジェクトの公演「軽井沢殺人事件2025」のチケット予約
10月、とってもご覧いただきたいお芝居が新宿であります。演歌のお話なのですが、唄う女性が出てきます。稽古場で彼女の歌声を聴いて「あ、この子のためにお芝居をしたい、ご一緒できるのうれしいなあ」心からしびれたのでございます。劇団道学先生『兄妹どんぶり』作:中島淳彦演出:青山勝2024年10月9日(水)〜15日(火)新宿シアタートップス10月9(水)19時~10(木)14時~/19時~11(金)14時~12(土)14時~/18時~13(日)14時~14(月)1
僕が今まで演じてきた芝居の中で、体力的に最もしんどかったのが、2016年に佐藤太一郎企画その17で上演した、『THEEND'16』という作品でした。この作品はマラソンの物語で、上演時間120分の間、主人公の日暮というジジイは、一度も止まることなく走り続けます。演劇にはランニングマイムという表現方法があります。ランニングマイムは、僕が新喜劇に入団する前に所属していた劇団、ランニングシアターダッシュの代名詞的パフォーマンスで、その場にいながら、実際に走っているように見せるパントマイムです。
僕が劇団に入団したのは、1997年。まだ小劇場ブームの名残があり、観客動員数が1万人を超える劇団もちらほらありました。上川隆也さんがいたキャラメルボックスは3万人、佐々木蔵之介さんがいた惑星ピスタチオは2万人を動員していました。僕が所属していたランニングシアターダッシュも、入団当初は観客動員数が1500人ほどでしたが、公演を重ねる毎に動員数が増え、2000年には5000人を突破しました。それでも、公演の規模が大きくなればなるほど、かかる経費も大きくなります。動員数が増えても、つねにギリ
新喜劇に入団してからの日々は、カルチャーショックの連続でした。①稽古期間劇団の頃は1ヶ月以上稽古をして、芝居を作り上げていました。ところが新喜劇の稽古は、前日の1日だけ。読み合わせをして、立ち稽古をして、そのまま舞台稽古。そして翌日には本番です。しかも台本をもらえるのは、稽古の2日ほど前。最初は台詞を覚えるだけで四苦八苦していましたが、覚えられなければ仕事が無くなるという状況に追い込まれると、人間なんとかなるものです。②稽古のやり方劇団の頃は、稽古の時はいつも稽古着(ジャージ)
僕は、「笑って、感動して、元気になる芝居」が好きで、新喜劇に入団しました。好きなことだけで生きていく。そのために、この世界に飛び込みました。新喜劇は野球と同じように、団体競技でありながら、競争でもあります。スターティングラインナップの人数が決まっているように、キャスティングの人数も限りがあります。吉本新喜劇は、お笑いの劇団です。僕は専門的にお笑いの勉強をしてきたわけではありません。NSC出身の方や、漫才や落語を経験してきた他の座員と同じように戦っていては、勝ち目はありません。そこ
今日は、五十四才の若さで世を去った小池朝雄氏のことを思う一日だった。私にとって、最も尊敬してやまない先輩である。週刊現代の「脇役稼業」と言うコーナーで、小池朝雄氏についての取材を受けた。これには(名バイプレイヤーたちの生き方に迫る)と言う副題がついている。悔しさが込み上げてくる。あまりにも早い彼の突然の死に、一瞬私は未来を奪われ足元の地面が砂のように崩れ落ちて行く様な、小船で大海に放り出された様な、喪失感と絶望感に襲われたものだ。それほどに大きな存在だった。指導者であり精神的な
なっっが!笑笑初舞台を踏んだのは5歳の時でした。丁度ウチのスタジオに来る1番幼いクラスくらいの小さい時だったかな。それまでは、北海道に住んでてて「こひつじ幼稚園」という幼稚園に通う、あまり豊かではないお家の子だったと思う。母子家庭だったし。父の顔は知りません。母と兄と3人で札幌のアパートで暮らしてました。狭い部屋に二段ベッドがあって、トイレは和式で玄関の向かいにあって、お風呂は狭くて、ガラスは何か星みたいな柄があって、何だかそんなくだらないことばかり覚えています。夜はとても静か
3月3日。養成所、第3期生の合否の判定結果が発表されました。11人が劇団昴の準座員として残り、21人が不合格となって、「劇団昴」から離れる結果となりました。肋骨の骨折から始まり、肉離れに捻挫、挙句の果には、ご丁寧にもコロナに罹患する者が出たりと、盛り沢山な予期せぬ苦難を克服して、最後は見事に幕を下ろしてくれました。私は、君たちの芝居に取り組む真摯な姿勢に触れて、忘れかけていた大切なものを見た思いです。演出を担当した磯辺万沙子さんは、東奔西走、窮地を乗り越えて素晴らしい舞台を見せてくれま
今年の6月、10年ぶりに再会#坂上忍さん@sakagamike_official初めてお会いしたのは20年近く前友人が繋げてくれましたそれから、忍さんが主宰する劇団の舞台を観に行くようになりましたある時、差し入れを渡しに行った際/忍さん:「どうだった?」私:「悔しいけれど面白かったです!」\“悔しい”は役者としての嫉妬から😌「こんな芝居がしたい!」「この舞台に立ちたい!」「この台詞を言ってみたい!」そんな私に、なんと
今日は初日を迎えましたみやちゃん観に来てくれました。鈴木寿永吉さん永井秀和さんご夫妻ワチさんとマジシャン大野さん太鼓の達人鼓太郎さんと、田島みわさん中牧さん,出演者の水澤さん、そして私。この3人は劇団俳小繋がり水澤さんと中牧さんは50年ぶりの再会だそうですお芝居を続けていると、こんな再会があって楽しいですたくさんお友達が来てくれました全員お写真撮れませんでしたが、ありがとうございました、今日緊張の初日で、そしてなんと、明日が感動の千秋楽。はや!。とても濃い2日間です。明日で
佐藤太一郎企画その1は、劇団時代の先輩である岡部さんや上瀧さん、吉本の先輩である小籔さん、高井さん、ゴエさんなど、たくさんの方に支えられて、満員御礼で公演を終えることができました。これで、新喜劇の中でも新しい道が切り拓けるのでは!?と、淡い期待もしていたのですが、たった一度の挑戦で、簡単に道が切り拓けるわけはありません。王道ではない道を進もうとすれば、そこにはたくさんの茨も生えています。「人と違うことをすれば笑われる」そんな経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。でも、どれだ
20代中頃。役者としての、自分の理想と現実の狭間で、僕はもがき苦しんでいました。ランニングシアターダッシュは、2000年をピークに、少しずつ観客動員数が減っていました。自劇団の公演では、ギャラどころか、赤字を出さないようにすることだけで必死でした。客演に呼ばれれば、多少なりともギャラはありましたが、演劇の公演には1ヶ月近く稽古期間があり、自劇団の公演もあるため、どれだけ詰め込んでも、客演は年間2〜3本が限界でした。そんな頃、劇団内でも方向性の違いなどが生まれ、暗雲が立ち込め始めます。
様が続き連日大入りをいただきました~🌠ありがとうございます🙇自分の劇団だけでも毎日出せるようにならないとな❌❌頑張りましょう👊👊本日はイベントなにもないですが❕喜んでもらえる芝居、舞踊用意してるのでお越し下さいませめっちゃいいよ👌見逃し厳禁❌❌よろしくお願い致します\(^_^)(^_^)/PS差し入れにもらったおにぎり🍙可愛い〰️〰️💓
皆さま、こんばんは!夢は笑いの取れる演歌歌手!上から読んでも下から読んでも…美里里美です本日は中野の劇場で舞台を拝見してきました!先日ご一緒させていただいた白雪美弥さんからご紹介いただいた舞台を見に「テアトルBONBON」へ初めて伺う開場です。舞台役者さんの速水映人さん主演の「朝謡の迷い子」を拝見してきました!速水映人さんは「ただ、ただ美しい新進気鋭の若手女形。」という紹介文もありました🙆♀️速水映人さんの舞台は初観劇です。何から何まで美しかったです。息を
おとんの眼鏡屋で店長をしながら、劇団で役者を続ける日々。眼鏡屋ではインターネットでの販売も始め、実店舗を改装したり、ネット通販の出荷をするための事務所を借りたりと、ほんの少しずつですが、会社も軌道に乗り始めていました。僕はネットショップも手伝っていたので、メルマガの書き方や、たくさんあるネットショップの中から、自社を選んでもらうための戦略などを学びました。この頃の経験が、新喜劇に入団してからプロデュース公演をしたり、自分でイベントを立ち上げた時の、集客や広告に繋がりました。ランニングシア
僕はランニングシアターダッシュに入団するため、東京アナウンス学院を中退しました。卒業するためではなく、プロの役者になるために専門学校に通っていたので、辞めるときに何の迷いもありませんでした。東京に出てきた時と同じように、大きな期待と、少しの不安を胸に、これから始まる役者人生にワクワクしていました。この頃には両親も僕が役者になることを認めて、というより諦めてくれていたので、実家に戻りました。初舞台は1998年1月。作品は『THEENDAGAIN』マラソンを題材にしたスポーツエンター
2/26おかげさまで無事にスラステ『ヨゴレピンク』の公演を終えました。ご覧いただきまして誠にありがとうございました。大阪を拠点とするスラステ。これからもどうか応援してくださるとうれしいです。さて僕は、手作り紙芝居をしておりまして、2/27,28に浅草東洋館の寄席に参加させていただきました。歴史あるステージ。こちらもお客様に助けていただきながら和やかにデビューできました。ありがとうございました。そして今は3/19-23の公演に向けて稽古に合流しております。劇団道学先生に新劇団員が
今日は舞台「時が来た」の最終稽古でした。最高の作品に仕上がりました。演出のドヰタイジさんと初めて出会ったのは、2012年。伊藤淳史さんが主演のNHKBS時代劇「猿飛三世」の撮影現場でした。もう13年の付き合いになります。ドヰさんは、僕が新喜劇の前に所属していた劇団、ランニングシアターダッシュの公演を観てくれていたので、演劇の話で盛り上がり、すぐに仲良くなりました。それから、僕が主宰している演劇のプロデュース公演、佐藤太一郎企画に出演していただいたり、ドヰさんが主宰している劇団、スタ
なぅでご来場の家族、お客様、ありがとうございます🎉✨😆✨🎊補助席出るほどのお客様に集まってもらいまだまだやれるな俺って思いました皆に助けてもらいながら思い出に残る日になりましたいつまでやれるか分からない劇団ですが❕❕やれるとこまでやらせて下さいさぁ今月ハチャメチャお客様来てもらいますからね皆さんよろしくお願い致します\(^_^)(^_^)/
「太一郎の熱さって異常やねんで。その熱量は才能やで」キングコング西野さんに言われた言葉です。熱いと言われたことはありましたが、それまで自分の熱さを才能だと思ったことはありませんでした。なぜなら、僕は努力をして熱くなろうとしていたわけではなかったし、周りから熱いと言われる時は、大抵マイナスなイメージで言われることが多かったからです。西野さんに、「その熱量は他の人には真似できへんところやよ」と言われて、自分の目指す方向がより明確になりました。僕は子供の頃から、演劇も映画も漫画も小説も、熱く
劇団の解散が発表され、劇団員はそれぞれの想いを抱えながら、新しい道を模索し始めました。僕は自分の原点を思い出し、吉本新喜劇に入団したいと思い、吉本興業に問い合わせました。吉本からは、NSCに新喜劇コースがあるので、そちらを受けて下さいと言われました。早速、NSCの資料を取り寄せたところ、まさかの壁にブチ当たります。現在は年齢制限はないのですが、当時はNSCに入学できるのが、25歳までだったのです。当時僕は27歳。もう新喜劇に入団することはできない。年齢の壁が、僕の目の前に大きく立ち
養成所修了公演が、すでに2月14日に幕を開けたにも関わらず、ブログをアップ出来なかったのには、こちらに余りにも想定外の不都合が生じ、その為にあれこれ奔走していた事にあります。実は、初日の幕が迫った10日くらい前になって、俳優達に次々と異変が生じ始めたのです。劇中にダンスのシーンを取り入れたせいなのか、肋骨を軽く骨折する者、足の捻挫に肉離れと4人が次々と予想外の奇禍に見舞われました。修了公演という限られた員数の中、それぞれの生徒が複数の役を兼ねて演ずる状況下でのけが人の続出は、致命的とも言え
佐藤太一郎企画その16は、『未来(あした)の今日』という、しずるの村上純さんに書き下ろしてもらった新作の東京公演でした。出演は、佐藤太一郎・村上純(しずる)・野村尚平(令和喜多みな実)・レイチェル・春山翔・堤下敦(インパルス)の6人。稽古も東京で、この時は予算も少なく、僕の宿泊費もすべて、公演費に注ぎ込みました。今なら真っ先にクラウドファンディングを立ち上げますが、この頃はまだクラウドファンディングという選択肢を知りませんでした。僕は稽古期間や本番の日も泊まるところがなく、途方にくれてい
僕はこの劇団に入るために、東京へ来たんだ!そう思うほど、ランニングシアターダッシュの作品に心を動かされました。あの時演劇ブックを手に取ったことも、劇団がパルテノン多摩小劇場フェスティバルで優勝したことも、あのタイミングで公演があったことも、まるで運命に導かれるように、ランニングシアターダッシュと出会いました。しかし、運命は時にいたずらをします。書類審査が通り、面接を受けに行くことになりました。しかし、面接会場の案内を見て、頭が真っ白になりました。面接会場の住所が、森ノ宮だったのです。
力を注入して劇団へと出かけた。久しぶりに、養成所二期生の修了公演を観劇する為、ティーエスワン服用期の気だるさを抱えながら、劇団の稽古場「pit昴」へと向かう。去年は私も一期生の修了公演に関わっただけに、余計に愛着が湧いてくる。池袋から東武東上線に乗り換え、大山駅に降りる。50分も早く着いた為、駅の近くの昭和の雰囲気をそのまま保ち続ける、私のお気に入りの喫茶店に入る。食器棚に並べられた、コーヒーカップが素晴らしい。この様な昭和の記憶を留めた、喫茶店に出会うことも現在では少な