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昨日のタバコ事件のあと、更にいろいろありました。まずはベッドに入ってからのこと。ベッドに入ったのは深夜の1時だったのですが、とにかく寝ない。喋る⇒私にちょっかいをかける⇒脚がかゆいというの繰り返しです。喋るのは黒猫くんのこと、虹の橋を渡った愛猫のこと、このマンションの住民のこと。それを何度も何度も話します。そして私に「大丈夫?寝れる?」と聞き、ほっぺたをつつくまでがワンセット。これが早朝4時くらいまで続いていました。4時~6時は私も記憶がないので、その時間は主人も寝ていた
主人が再入院して4日目。退院して家にいたのが僅か4日だったせいか、主人がいない風景の方が日常のような感じになっていることに戸惑いを感じています。いないことに慣れるのは良いことなのか、悪いことなのか。ベソベソ泣いているよりは全然いいとは思うのですが、ずっと一緒にいたのにいられなくなり、もう家には戻ってこれないであろう、と思うと悲しくて仕方がないのに、日常生活では主人がいないことが当たり前になっていく。すごく矛盾していて感情が混乱します。主人がいないと家事が楽です。仕事にも多
昨日は何もしない日でした。仕事しよう(副業)とPCを立ち上げたものの、主人のことを考えてしまって。結局は再入院の日に出すために退院してから緊急ショートステイに行く迄の経緯をまとめたり、ブログを書いたり読んだりして過ごしていました。今日の日中は部屋の掃除。退院時にセットした主人のベッドも、またベッドパッドやシーツ、カバー類を外して洗濯です。前回の入院時も全部外してベッドカバーを掛けていたのですが、黒猫くんがもぐりこんで寝ることが多く、しかもマットレスで爪とぎまでしていたので、今回
昨日、介護保険負担限度額認定証(母)を老健に出してきました。この介護保険負担限度額認定、母が老健に入所したときは貯蓄額で申請できませんでした。介護保険高額介護サービス費は入所してすぐに申請したので毎月20,000円超くらいは支給されているのですが、介護保険負担限度額は貯蓄額でNGだったのと、老健はダメだと思い込んでいて申請しないままにしていました。以前ブログでお金の話を書いたとき、メッセージでこの申請の件をアドバイスもらったのですが、「以前申請できなかった」と返信していて、改めて申
記憶を遡って「あれもこれも病気のせいだったんだ」と気が付いた日の日記です。今にして思えば・・・ということが多々あり、怒ってしまったことをとても後悔しました。そして主人が前頭側頭型認知症になったのは私のせいだ、と自分を責めていました。今でもその気持ちを拭い去ることはできていないのです・・・。******************2023年12月17日(日)早朝5時過ぎにやっと寝たのに10時前には起きて散歩。その後は午後までコタツでウトウトしている。何度も「歯磨きし
在宅介護が始まって三日目。昨晩は何とか寝てくれましたやはり1人では寝ないので、結局は私が入浴が終わった23時に一緒に寝る羽目になりました。夜中に3回くらいトイレに起き、最終的には5時30分に起床です。起きてからは朝ごはんまでにかりんとう、アイスコーヒーを繰り返し、朝ごはん後に歯と顔を洗うと言いましたが結局時間がなくできず。着替えるときにパンツの履き替えを促すと「平気だからいい」と何度か拒否をしましたが「せっかくだから履き替えていこうよ」と勧めると「そうだな」と了承。今日のデ
母は3か月半前、(転落事故前)普通の女性用下着を着用していました。施設転落後の入院生活で骨折による抑制生活によりやむなくオムツ生活に。そして3か月半ぶりに帰宅し私にとって母のオムツ生活は始まって6日目となります。この数日一緒に過ごして分かった事は母は、体の露出がめちゃくちゃ嫌なんだという事。体の露出なんて私も嫌です恥ずかしいものです。あまりに必死で体をきれいに布団で隠す姿に私は違和感を感じました。そして自分なりに気が付きました。これはあくまで私の見解なんですが・・
緊急ショートステイから一夜明けました。昨晩は私もグッスリと眠れ・・・はせず、やはり3~4回起きてしまいました。でも前回の入院のときのように悲しくて眠れないのではなく、疲れすぎて眠りが浅くなっていただけな気がします。全く悲しくないかというとそれは嘘ですが、今回は自分で意思決定をしたので寂しさや悲しさよりもホッとしたというのが本音です。正直にいうと一緒にいたいです。まだまだ私の大好きな主人の部分の方が多く残っていますし、本人も家にいたいと強く思っているので、できれば在宅でみたい
明日は主人の退院日です。いよいよ・・・です!仕事でかなり忙しい中での退院準備でしたが、必要なものの買い物は先週のうちに済ませておいたので、今日はいつもより念入りな掃除やAirTagのセッティング、明日持っていく着替えの準備、病院に書いてもらう診断書の準備などがメインでした。特に換気扇とベッドは念入りに掃除と手入れをしておきました。入院でうまい具合にタバコを忘れているようなので、換気扇を見て思い出されないようにお掃除です。もちろんタバコも灰皿も隠してあります。ベッドはシーツ
月末近くなってきて、仕事が繁忙に入りだした今日この頃です。主人が入院して家にいないことをいいことに、最近はいつも22時、23時まで仕事してしまっているのですが、退院してきたらそうはいかないな、と思っています。と言っても仕事量が変わるわけではないので、ちょっとどうしたものかな・・・。主人が退院してデイサービスやデイケアに通うようになると、私の生活サイクルもそれに合わせて変える必要があります。朝は今よりも早くなりますし(フルリモートで通勤がないので、朝はちょっとゆっくりめなのです)昼
今日、主人が退院しました。午後からは担当者会議でデイサービスやデイサロンの方々が我が家に集まるので、それまでにお昼ご飯を済ませる予定で病院を出ました。とは言えあまり早く帰ってしまうと「散歩に行く」と言い出しかねないので、少しドライブしてから帰りました。ちょうど桜が散り始めた時期だったので、近所ですが桜があるところを選んでドライブ。とても喜んでました。お昼ご飯は家でホームベーカリーで焼いたパン、焼きおにぎり2個、バナナ、カットフルーツ。退院時に病院の栄養士から「食事を残すことが多いので
本日、主人が再入院しました。退院して在宅介護をスタートしましたが、アッという間に喫煙と昼夜逆転が再開し、夜中の散歩も再開しそうだったのでケアマネさんと病院に助けを求めての再入院です。私の車で二人きりで行くと強い拒否が出た場合に対応できないですし、最悪の場合は事故も考えられるのでお義兄さんに車で迎えてきてもらっての入院です。朝9時、緊急ショートステイをさせていただいている特養に迎えに行き、お義兄さんを待ちつつ退所に必要な書類へのサイン、荷物の引き取りをしました。ちょうどお義
午前中、母の通院付き添いに行ってきました。巻き爪から感染症を起こしかけて肉芽?ができてしまったので、総合病院の皮膚科に通院しています。だいぶ小さくなったのですが、まだジクジクしているのでこの先も通院が必要です。二か月経つのにまだ治らないとは・・・。いつもの通り待ち時間に主人のことを報告。入院することは前に話してあったので、その後のことを少し話しました。その際に「最初は入院していることが分からないはずだけど、そのうちに『ここは自分の居場所』と分かると思うよ」と言われました。
昨日の面会で、主人とたくさん話をしました。まずは年齢の話。いつも通りの「帰る」「ここは年寄りばっかり」と言ってきたので、「旦那は一般的には高齢者に入るけど、ここじゃ若いよね」と言ってから「いくつになったっけ?」と聞いてみました。そうしたら考え考え「・・・70・・・72?」と答えたので思わず大笑い。自分の年齢を忘れてしまったのか、という悲しみではなく「なぜ急に歳を取ったの」というおかしさがこみあげてしまったのです。つられて旦那も笑いながら「違うな」と言い、ポケットから入院時に手首
この時期(診断を受けてから4年目)の母の状態はというと・自分の伝えたい事は文法、単語を多少間違えながらも聞こうとする相手であれば伝わる・予約時間前に(真面目ですから)一人で歯医者にいって治療が受けられるが先生の説明は分からない・写真や画像を見せながら、会話するとこちらの言いたい事も伝わる・話すよりメールや文字での方がこちらの言いたい事がスムーズに伝わる・なんでそうなるのか、理由は理解出来ない・体はすこぶる元気・お金の計算や支払いも出来る
初めて家族会に参加しました。WEBなので平日夜でも無理なく参加できました。まだまだ先のことが考えられず、悲しみでいっぱいの状況なので家族会参加はもう少し後かな・・・と思っていたのですが、先日知り合った前頭側頭葉変性症の家族会の代表のUさんにお声がけいただき、若年性認知症の家族会に参加させていただきました。私の話を聞く時間を取っていただき、私の気持ちに寄り添ってくださり、いろいろとアドバイスをしてくださいました。主人のいない生活に慣れてきたと思っていましたが、やはり話すとすぐ泣
昨晩の主人の行動は昼夜逆転が最大化。23時過ぎから散歩三回目が始まり、深夜3時まで「トイレ⇒喫煙⇒散歩」を繰り返してました。どうも「お風呂に入ろう」と思うと、その前に「トイレ⇒喫煙」をしないといられないようなのですが「トイレ⇒喫煙」をしてしまうと、散歩に出たくなってしまうようで💦戻ってきてまた「トイレ⇒喫煙」をすると「散歩スイッチ」が入るのでまた出ていく。この繰り返し。結果的には4時近くに何とか入浴はできたのですが、私もそれまで眠れなくて困りました。そして今朝の7時、私が起き
前頭側頭型認知症と診断されたものの、この病気のことを全く知らない私は翌日から仕事の合間や寝る前にネットで検索をしてたくさんの記事を読み、認知症に関する本をいろいろとKindleで購入した。今まだ症状が軽いうちに、今後のために少しでも情報が欲しかったのだ。そして読み進めるうちに、この病気の恐ろしさを知り心底震えあがった。前頭側頭型認知症は比較的若い人に発生すること。記憶障害は比較的少ないこと(主人は短期記憶、中期記憶の欠如が出ているが個人差のよう)暴力的な行為や万引きなどをすること。
皆さま、ブログを読んでいただき、いいねやコメントをいただき、ありがとうございます。ここのところ愚痴っぽくなってしまっていますが、ここで吐き出させていただくことで少しずつ気持ちの整理をしていっています。お暇なときにお付き合いいただけますと幸いです。お陰様で昨日は少し眠れました。途中覚醒はしてしまいますが、一か月ぶりに続けて3時間眠れました。トータルは3時間+2時間で5時間です。今までは1時間毎に起きていたので、続けて眠れるのはすごいことです。主人のいない生活に慣れていけば、もっと
リビングのコタツテーブルと椅子型ソファが届きました。ソファも組み立て式なのは知ってましたが、椅子型だしテーブルと同じように脚を付けるくらいだろうとタカを括っていたら、何と座面と背もたれも組み立てないといけなくて大変な思いをしました幸いにも六角レンチも入っている電動ドライバーのセットを購入してあったので何とか出来て良かった。手で回す六角レンチじゃ絶対に無理でした。出来上がって座ってみるととても良い感じ。やっぱり椅子生活って楽ですね。今日、それを組み立ててるときにフッと4年前の主人の様子
この三連休はガッツリと仕事をする予定です。今日も取り合えず午前中~夕方までは仕事をしていました。私は実はWワーカーです。とある企業にフルリモートで正社員として働く傍ら、他の企業で業務委託として働いています。本業(正社員)の方もむちゃくちゃ忙しいので、副業の方は本業が休みの土日祝や平日の夜の隙間を縫って業務をこなしている感じですが、両方フルリモートなので何とかなっています。なぜ副業をしているかというと、それはやはり収入面です。現在の会社の前の企業では、そこそこの年収をもらってい
初期時代の困りごとは、今とは全く違いました。ついこの前まで自立したキャリアウーマンだったわけですから何でも自分で判断し、やってしまうわけです。ほとんどの事は問題なく出来ます。(もちろん出来なくなっていくのですが)ただ、母も自分が理解できない事に遭遇した時今それを分からないと認識できているのかそれとも、それすら理解出来なくなって今困っているのか周りの家族にははっきりとは分かりませんでした。困っていると本人が言ってくれればもちろん手を貸せるのですが勝手にやってしまって
今朝6時頃、主人に怒ってしまいました・・・。怒ったって分からないし、行動が変わるわけではないので「もう怒らない」と何度も決心しているのに・・・本当に私は未熟者です原因はテレビ、リビングと洗面所の照明、給湯器のつけっぱなし。夜中に何度もつけっぱなしにするのです。消しても消しても次に様子見で私が起きたときにはまた点いてるの繰り返し。「歯を磨こう」としているのは分かりますが、やるときに点ければいいのに主人は最初に点けちゃうんです。そして「トイレ⇒喫煙」のルーティンをして、すぐ歯磨きす
主人が前頭側頭型認知症と診断されたのは、2023年12月のこと。67歳でした。その以前から「なんか変だな」と思いつつも、加齢による物忘れかな、もともと家のことには無頓着な人だからポンコツぶりが加速したのかな、そんな程度かと思っていました。しかし段々と時間を守らなかったり、言ったことができなかったり、新しいことが覚えれなくなったり、「おかしいな?」と思うことが増えて、そのうちに異常なこだわりが出てきたため、念のためと思って病院を受診しました。「加齢によるものですね」とか
初のカンファレンスに行ってきました。主治医、担当看護師、栄養士、リハビリ療養士、相談員と、こちらは私とケアマネです。入院当初のように病棟の入り口に張り付いて外に出ようとする行動はなくなったということですが、病棟内を歩き回るのは変わらず、他のユニットに入って窓の外を見たり、テレビのリモコンを持っていったり、お茶を取ってしまったり、という行動があるそうです。他の患者さんが夜早く寝ているのにテレビの音量を上げてしまうこともあるとのこと。ただ「他のお部屋ですよ」「夜遅いので音量は落としま
私には、今1年生の息子、3年生の娘がおり旦那さんのご両親の所で生活させてもらっています私は長女現在41歳、3つ下に妹と7つ下に弟がおります。今は、電車の駅でいうと2駅向こうに母は妹と同居中、その近所に実家で弟と父と祖母が暮らしております。(今は、色々あって母は入院中です。のちに詳しくお伝えさせてください!)母は、病名発覚時、介護士として懸命に働いていました。(皮肉な事に)仕事の休みの日には、我が家に来ればよく入居者さんの話を聞かせてくれました。母『○○さん、他の
この日は記憶障害が強く出た日というか、急に酷くなってきた日でした。今までよりも強く出てきたので、すごく戸惑ったのを覚えています。*******************12月18日(月)今朝6時頃に寝たのに、8時には起きてきた。眠そうにボーッとコタツにいる。今日は母の通院付き添いで9時前に出たが、その時も寝てなかった。「行ってきます」と言ったがコタツから動かない。最近、玄関まで見送ってくれなくなった。何でだろう・・・。寂しい。私がお母さんの付き添いから帰ると、ま
主人の入院日。無事(?)入院をしました。今朝も9時まで起きていたのでヤバいかな、と思ったのですが、予定の時間(14時)に間に合うことができました。寝る前に「今日は病院だよ」と言うと「うん」と言ってはいたのですが、私の車で行くとなると、絶対に仕度に時間がかかったり、最悪「行かない」と言い出すと思い、実は民間救急の車の手配をしておきました。11時過ぎに主人を起こす際に「病院から電話があって、頭の血管の状態がよくないのであまり動かないようにって。病院から迎えにくるから、それで行
2016年冬...心配で心配で何かおかしい。私〝多分何もないやろうけど、何もないならそれで安心やん〟心配性で定期的に胃カメラや検診と病院に通っていた母もその言葉に納得し受診することに。当時もうすぐ1歳の息子と3歳の娘を持つ私に母の付き添いは、難しく、妹に付き添いをお願いし、母のかかりつけの病院で検査をすることに。検査の結果脳の萎縮がみられるということで大きな病院で検査した方がいいと紹介状を渡され総合病院へ。今度はなんとか私が付き添い頭の
私の母は、15年以上前に脳梗塞をやりました。右半身に多少の麻痺が残ったものの一人暮らしができる状態でしたので、介護保険でヘルパーさんにきてもらったり訪問リハビリをしてもらいながら、ずっと一人で暮らしていました。私は実家から原付バイクで10分くらいのところに住んでいましたので、何かあればすぐ行ける距離ですしね。その母が2022年10月に歩行困難になり入院、そのまま老健に入所となりました。筋力が弱ってしまったのでしょう。でも頭はハッキリしていますし、病気もせずに施設で元気にしていま