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先日(5/22)に東海地方から来阪した「城友」と一緒に、「芥川山城」(大阪府高槻市)に登城しました。朝8時にJR「高槻駅」前で合流して私のマイカーで「塚脇」へ向かいました。というのも、以前私はバスで「塚脇」で下車してそこから緩やかコースで登城しましたので、今回もそのルートを採ろうと思っていました。しかし「塚脇」周辺に駐車場が無く、仕方なく「摂津峡」駐車場まで行きましたがそこは午前9時からしか営業してなかったので、結局、少し下にある美人湯「祥風苑」の駐車場に置いてスタートしました。
【24年11月10日探索・25年2月15日公開】現在地はこの辺廃線跡を見下ろすと、ちょうど造られた切通しのような場所だった。むかし道はいったんこの谷を迂回する。水根貨物線の方はコンクリート製の橋梁で直線的にクリアする。谷を回った所に、廃線跡へ行けるアクセス道があったので、私もそれを利用して・・・再び線路の所に来た。私は一応線路敷内には入らず、手を伸ばしての撮影とした。進行方向には隧道がある。上部には何か模様があるが、むかし道側の欄干
.●江戸時代においては、「時の鐘」の存在によって現在時刻を知ることができた。これによって見附の門が開き、大名や役人が登城し、職人は例えば昼飯の時刻としたのだ。前65項では小江戸川越の時の鐘を、前83項では岩槻城の、前114項では小田原城の時の鐘を見ている。あるいは前77項では、台東区浅草の「元禄5年(1692)太田近江正次作浅草弁天山」という、下の画像の時の鐘を見たが、他の江戸の町の時の鐘は現在どうなっているのだろう。.天保年間(1830~)に刊行された「江戸名所図会」では、「候時を報