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2018年11月24日の横須賀散策レポの続き。「猿島」の続き。猿島(その1)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12437122985.html管理事務所棟内、これから参加する「猿島史跡見学ツアー」の受付には、見学ルートが掲示されていて…。「ガイドと一緒に島の裏側まで約45分」「普段入れないレンガ積み要塞の中を見学できるツアーです」とありますね。普段閉鎖されているレンガ積み要塞の中にも入れるのか~これは、楽しみだ♪
【23年10月1日探索・24年3月7日公開】現在地はこの辺埼玉県秩父郡小鹿野町三山国道299号線だ。この先、法師落人(ほっしょうど)橋と桃木平橋という2本の橋で国道の現道は直線的に延びている。50mほど進んだ。右側の現道には先の方に法師落人橋が見えるが、橋があれば旧道があるのがよくある話。この左側が旧道であるっぽい。民家っぽい雰囲気もあるがちょっと行ってみよう。車の左側の道が奥まで続いているようだ。探索時には彼岸花が咲いていた。舗装はされていな
【22年12月11日探索・23年3月13日公開】現在地はこの辺さらに別の穴も見つけた。入口は狭いが・・・内部は3m幅くらいの地下壕があった。住宅からわずか50mほどしか離れていない場所がこんなになっているのは驚きだ。で、道は続いているようだが・・・水没、というか、泥でぐちゃぐちゃだった。この日はそんな装備を用意していなかったので、ここで撤収した。入口付近が狭いのは、元々そういう造りなのか、戦後に一回は埋め戻したのか、自然にこうなったのか、どれだろ
2018年11月24日の横須賀散策レポの続き。「猿島」の続き。猿島(その2)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12447322660.html「猿島史跡見学ツアー」で、更に奥に進むと、右手にレンガ積みの遺構が見えて来て…。「猿島要塞」という由緒書き。猿島の要塞は、東京湾口の守りを固めることで目的として、明治時代中期に明治政府が建造しました。すべての施設が岸壁を掘り込んで造られているので、島の外からは全く見えない構造とな
松江城の東に架かる北惣門橋の奥、松江城の堀の北側を走る塩見縄手と呼ばれる通り沿いには、かつて二百石から六百石程度の中級武士が住いとした武家屋敷跡が立ち並んでいるお屋敷街で、江戸時代の風情を今に残しています。その塩見縄手でも一際目立つ広大な邸宅。彼のタモリ氏がセンスがよいと太鼓判を押したこのお屋敷。島根県知事さんの公舎です。次期県知事選への立候補を決意させた(のちに撤回!?)豪邸の現在の主は、溝口善兵衛島根県知事。次期主は森田一義島根県知事!?実に
7日に北鎌倉駅を下車して裏にある円覚寺に行って見ました。桜も満開で日曜日なので人も多く出てましたよ。円覚寺で見かけた花々ですこの後亀ヶ谷坂切通しから鎌倉駅まで歩いて行きました。鎌倉の小町通りは人、人の混雑で昼食する所も見つかりません、小町通りを外れて駅まで行きましたよ。