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おはようございます、iaです需要があるのか分からないのですが、備忘録も兼ねて山形旅の続きです石巻から2、3日経って、気がつけばあっという間に山形滞在も後半戦旅って本当にあっという間ですよねこの日は午前中に河北児童動物園と隣接する谷地八幡宮へお参りに行ってきましたこの児童動物園は最近NHKのドキュメント72時間にも取り上げられて有名になったのか午前9時過ぎと早い時間から多くの人で賑わっていました山形小さな動物園で-ドキュメント72時間24時間あいていて入場は無料の小さな動物園が舞台
2月3日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物武田佐吉(村上新悟)武田左吉(たけださきち)は、戦国時代の武士で、織田信長の近臣・代官を務めた人物。名は左橘とも。諱を信吉(誤伝か)とする史料もある。武田左吉は、信長の側近として活動した家臣で、高木左吉と並び両左吉と呼ばれた人物である。近臣として度々戦功を挙げたことが『武家事紀』等に記されている。『武家事紀』によれば、武田左吉は信長の近臣として活躍し、その子・坂井久蔵は六条合戦の後、信長が京都
あけましておめでとうございます!本年もよろしくお願いします!以下、キング家のお正月の過ごし方を紹介いたします😁ドヨーンドヨーンと除夜の鐘が鳴る頃に魚津市の八幡宮に到着!徒歩10分くらいの距離にある初詣スポット!ニューイヤーの瞬間に鳴り響く花火音🧨それに相反する、少ない参拝客。八幡宮では毎年、お饅頭をいただけます!これが楽しみ😊↓キングJr.、大きくなりました。💤💤💤一夜あけて、もう一度初詣!二詣と言うのかしらん?🤔妻姉妹と糸魚川市の青海神社へ!以前にウォーキン
川内八幡宮から国道338号線を西に進むと、蛎崎八幡宮に12時過ぎに着きました。参道を進むと拝殿に出て、彫刻が施されていて、近くに蠣崎氏の居城の蠣崎城があるとのことです。https://kachiboshi.com/2020/05/27/%E8%9B%8E%E5%B4%8E%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E3%80%80%E3%82%80%E3%81%A4%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%86%85/蛎崎八幡宮むつ市川内むつ市旧川内町の蛎崎に鎮座する八幡
八幡宮の参道の敷石には干支の文字が刻まれた石畳:参道の敷石に十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)の文字が彫られており、自分の干支や家族の干支を探しながら参拝することができます。残念ながら自分の干支子は雪の下にあるようでした。直ぐに見つけられの巳でした。
瑠香です早稲田と言ったらここ穴八幡宮と言ったらここって言いつつ、はじめての参拝。黒塗りの本殿の厳格さと神秘的な雰囲気が独特でした。あの佇まい、通りに面した鳥居の朱々しさや手水舎のおちゃめな布袋様からは想像もつかなかった。奥へ奥へと進む度に神聖な深淵に近づいていくような存在感。吸い込まれそう。本殿もすごいけど、その横の木がまたすんごい根っこがすんごい…参拝してる時はまったく気が付かなかったけどその日の夜、布団に入って寝そう…って時に急にハッとした穴八幡宮…穴…穴…??
氷上姉子神社から次は鳴海八幡宮へ鳴海八幡宮[なるみはちまんぐう]「延喜式」愛智郡の伊副神社は尾張藩寺社奉行所「賢木の陰」に鳴海村とある。康平2年(1059年)草創の如意寺は字小松山(旧地蔵山)が旧地で伊副神社の傍らで宮寺を務めた。当宮の前身は伊副神社と考えられる。衰味したので平安時代末期に熱田社大宮司が近くに八幡として再興した。室町初期に北の山から今の地に遷座した。弘治3年(1557年)今川義元が八幡と東宮とに神田と禰宜屋敷とを寄進し、当宮神主が住んだ。享保18年(1733年)徳川
滋賀県神社巡り120社目同名神社(五箇神社)から一本道をまっすぐ北西に約1.5kmほど行った集落の中に鎮座する神社。どうしても同名別神社の方が規模や社格、祭りなどの知名度が高くて陰に隠れがちになっているようです実際に色々と調べてみても出てくる情報は宮荘町の五箇神社となり、こちらの五箇荘町の五箇神社の情報は少ないです。しかも五箇荘町の五箇神社の情報の中にも宮荘町の五箇神社が入り込んでいるくらいでした。創建年代は正確には不明ですが、聖徳太子が繖山に石馬寺を建立する際にその守護