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当たり前だが、シフト制なので、助産師さんがよく入れ替わる。朝と昼、夜でも違う気がした。その都度、名前を名乗ってくれるのだが、分娩当日にお世話になった方以外は名前を覚えられなかった。でも皆さん、優しくてありがたい。入院中は、血圧、体温、血中酸素濃度、ちょくちょく計られる。あとは処置の前にも。先生も朝と夕方、簡単だけど挨拶しに来てくれた。主治医は、外来の時からお世話になっている女医さんなのだが、チームでやってます、ということで処置を行う先生は違ったりした。ちなみに1回目の処置は、20時く
術後1日目から歩行練習🚶ベットからすぐの距離までからはじめましょうとの事だったけど全然歩けた!ひーくんが頑張ってる姿みたから痛がってる場合じゃないって思ったのかもな🤔多分すごい痛かったと思うけど今回は痛みがほぼなかった!先生方に感謝🥲✨変わらず管だらけで寝たきりで動かないけど初乳をちょんちょんさせてもらった!免疫いくといいなあ!!血圧も酸素も脈も昨日より安定してるそうで安心おしっこ出る薬のおかげでおしっこがでるようになったから浮腫が減ってくるかも?とのことでし
はじめまして。2018年9月18日現在、23週目(6か月半)の40代の妊婦です。東京都港区の病院に通院していましたが、2018年8月23日の超音波検査で、胎児が先天性横隔膜ヘルニアだと診断されました。横隔膜ヘルニアとは、お腹と胸の間にある横隔膜に穴が開いていて、下にあるはずの臓器(胃、腸、肝臓等)が、穴から胸に突出してしまう病気です。エコーでは素人目に見てもすでに心臓が右側に押し寄せられ、腸が胸まで突出していました。このままだと、胸にスペースがないため肺が形成されず、出生後、肺呼吸
いきみたい感じになってきた頃には、助産師さんがベッドの横でおしりを押さえてくれていた。私は横向きで、ベッドの柵にもたれて、助産師さんの腕も掴みながら必死に耐える。18時半はすぎていたと思う。テニスボール持ってこようか?!とも聞かれた気がするけど、そんなのどうでもよくて、押さえられれば押さえられるほど、おしりは中からグイグイ押される感じが強くなってきた。おそらく、これは急に分娩が進んだ、ということなのだろう。大丈夫大丈夫、吸ってー!吐いてー!とかも声をかけてくれていたように思うが、とにかく
しばらくすると、助産師さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。新生児用のコットに入ったなるちゃん。女の子でしたよ、と。母子手帳は翌日貰ったので、この時はなるちゃんの大きさはわからなかったが、身長23.3cm、体重350gの小さな女の子だった。病院が準備してくれたガーゼの肌着を着ていて、タオルにくるまれ、なるちゃんの頭のサイズに比べると少し大きめの帽子をかぶっていた。まだ夫は部屋には到着していなかったので、とりあえず私となるちゃんとで対面。亡くなった赤ちゃんは未知の世界だったから、正直怖
6月17日(木)大学病院での精密検査の日がやってきた。早く白黒はっきりさせたい気持ちと、逆に今日で運命が決まるのかと思うと、、、病院に行くのは怖かった。今後の判断についてのシナリオのとおり、夫もある程度の覚悟をしているようで、この日は夫も仕事の休みを取ってくれ、ついてきてくれたのは心強い。ちなみに、今回の妊娠に関しては、コロナ禍で病院は原則付き添い不可だから、前回のスクリーニング検査も私一人だったし、妊婦健診も同じく。しかし大学病院での精密検査ということで、今回の事態を重く見
胎盤が出たあとの話エコーで子宮内に残存物がないかを確認された。すると先生、今日トイレ行った?膀胱パンパンじゃん!って。。どうやら尿が溜まっていたらしい。トイレは午後に1回行っただけだ。子宮口を開く処置は、尿道が圧迫されて狭くなるとは聞いていたけど、そのせいもあったのかな。確かにダイラパンを入れてる間は、尿の出が悪かった気もするし。ということで、分娩直後ということもあり、管を入れて導尿することに。(まじか!!人生初の導尿だ!痛いって聞いたことあるし、やだなぁ)←心の声しかし、ここは
スクリーニング検査翌日の妊婦健診の話。初めて妊婦健診が憂鬱だと思った。今までは、赤ちゃんを目で見ることができる唯一の機会で、とても楽しみな時間だったのに、こんなに嬉しくない妊婦健診があるのか。妊婦健診では、医師の診察の他に、体重や血圧を測ったり、浮腫を見たり、心配や気になる点がないかどうか聞かれたり、といった助産師さんの診察もあるのだけれど、私のカルテにはおそらく前日の超音波検査での異常の記載があったと思う。だから、助産師さんもそれを見て、何も言えなかったのか?その日は必要最低限の
じゅじゅくんままです!2024.9月妊娠6ヶ月の検診で【先天性横隔膜ヘルニア】かもしれないと言われ紹介状を書いてもらい転院🏥ドラマのような経験と息子の検診〜出産〜入院〜これから成長記録として、書いていこうと思います!同じ診断をされた方の不安が、少しでも和らぎますように…
医師の診察を聞き、脈略叢嚢胞を除いては、大体インターネットで調べていた通りだった。なので、新たに何かを質問するということも思いつかず、でもその場で決断することもできないので、決断のリミットはいつかを聞いた。精密検査を受けたのは木曜日。教授は、翌日の金曜日にも診察予約を入れておくから、一晩考えて、諦めるようであれば翌日受診してください。中絶のリミットを考えると、日曜日か月曜日には入院してもらう必要があります。と。翌日も連続で仕事休めないよ、、(どうしても仕事のことが気がかりな自分)と
異常がわかってからその時まで、夫の前で何度も泣いていたが、その都度受け止めてくれて、時には一緒に泣いてくれたように記憶している。そして、向日葵は何も悪くないと。悪いのは全部自分(夫)だと。この悪いというのは、2人目が欲しかったけど、夫が悪さをしていて作れる状況になかったこと、私を裏切るような行動をし、私を傷付け、辛い思いをさせたこと等を自覚しての悪い、のようだ。もちろん、私は全て夫のせいだとも思っていないし、今回の異常に関しても夫が悪いとかそういう風には思っていない。ただ、昔もっと夫婦
入院3日目、2021年6月23日(水)、分娩日当日のお話①0時から絶食、朝6時以降は水分もNGとのこと。抗生剤は飲む必要があったので、6時ギリギリのところでお水で飲んだ。普通のお産の時は水分とか制限されてなかった気がするけど、、今回は分娩して万が一胎盤等が子宮内に残ってしまった場合に、除去術を静脈麻酔を使って行うために絶食なのだそう。通常の出産と中絶の分娩で違うんだなぁと思った。朝8時半前、助産師さんが呼びに来て、LDRの部屋に移動した。ベテランの助産師さんのようで、上のお子さんは大
大学病院を出て最寄り駅までの道を歩きながら、私は夫に言う。「私は生きようとしてる子を殺すなんてできないな。」あまり会話はしてなかったと思うが、こう言ったのは覚えている。私の中では、元気に動いている見た目的には異常はない染色体異常かどうかはわからない医師のこれらのコメントが自分の中で優位になる。年齢を考えたら染色体異常の可能性の方が高いにもかかわらず。。そう、ヒトは自分の都合のいいように物事を捉える傾向にあるのだ。先天性横隔膜ヘルニアの場合、仮に片方の肺が形成されていなくても
夕方にはわたしの方は色々終わってやっと赤ちゃんに会いにいけました!さっき会えた時は一瞬で何も見えなかったからどんな状態なのかわからないままの初対面あんなに小さい体に想像以上にたくさんの管が繋がれてて可愛いと、可哀想と、ごめんねと言葉が出なかった。産まれた瞬間泣かせられない状況の中目はしっかり開けたまま泣かずたくさんの先生がとんでもないスピードで処置をしてくれて1分半で挿管が終わったそう…ありがとうございます😭産まれてすぐ、泣かせてあげれなくてごめんね。産まれて
12/199:342153gの可愛い可愛い男の子が産まれました♡帝王切開3回目だけど何回やっても怖い…慣れる事は一生ない!!手術室入ったら産科、麻酔科、小児科、外科、びっくりするくらいたくさんの人がいて今までの出産とは雰囲気も全然違った。因みに撮影の方もいて自分の出産シーンはもちろん、産まれた後の赤ちゃんをずっと撮ってくれてた!!手術室入るまでお腹の中で元気に動いてたけどいよいよ出てきちゃうどうしよう、でも楽しみっていろんな感情でした。結局わたしが聞けた所で
大学病院での診察を受けた夜、夫からの「俺は腹はくくれない」の言葉をきっかけに、決断をすることになる。というか、今回は妊娠を諦めた方がいいということは頭で分かっているのに、中絶で赤ちゃんの命を奪う、という精神的な辛さと、中絶の肉体的な怖さが勝って、決断できないでいた。体と心が言うことを聞かない。あと、仕事も直ぐに2ヶ月くらいの長期休みに入らなければならない、という状況も耐え難い。異常の第1報を受けた時から、もしかしたらおろすことになるかもしれない、という光景がよぎったけれど、信じたくなく
ブログを色々書きたいのですが、ここずっと、仕事があまりに忙しく、、8年前に脱サラして仕事を独立してから、ずっと仕事中心の毎日でした。(5年くらいは、毎日朝から夜12時~深夜2時まで仕事して、土日も仕事をしていた。。。)最近は、やっと少し落ち着いたように思っていました。毎日21時には帰りますし、土日も仕事していますが休むようになりました。昨年結婚して、今年妊娠してからは、ツワリで体調悪く、体力も落ちたものの、やはり自営業なので仕事は休めませんが、6か月間は乗り越えられました。
白髪の教授が、胎児超音波スクリーニング検査と同じように、経腹エコーで赤ちゃんを見てくれた。赤や青の色も表示させながら。そしてはじめに頭を見ていたかな?丸いのが2つ見えていてその大きさを測っていたので、これは何ですか?と聞いたら、頭の中の嚢胞の大きさを測っています、との回答が。前回の検査では頭のことは何も聞いていなかったので、これはノーマルなのか?と疑問に思いつつ、深く聞くのはやめておいた。大学病院だからなのか?教授の他にも何人か医師や看護師さんがエコーを一緒に見ていた感じ。
人工妊娠中絶を受けるための入院当日の話。午後入院で、13時30分から14時までの間に入室する流れなので、昼ご飯は済ませて向かうことに。昼ご飯はなぜか、夫とともにかつやのカツ丼を食べた。その時初めてかつやにイートインしたけど、出来たてカツ丼、美味しかったな。あまり食欲も無いので、本当は別のところでさくっと軽く食べようと思ったのだけれど、思いの外混んでいて電車の時間が微妙だったので、、最終的にかつやにしたのだった。受験じゃないのにカツ丼か?と思いながら。。手術に勝つ?!病院では、しばらく
術後2日目から補助なしでひーくんに会いにいけた!助産師さんびっくりしてた🫢笑おしっこ順調に出てる様子!むくみも減ってきたかな?髪の毛も洗ってもらって昨日より少しサッパリしてる✨夜行ったら目ヤニがでてた!寝てるだけでも色々起こるんだなと感じた!
MRI当日初めてのMRIで色々説明を受けてなにもかもわからない状態だったからでっかい音にびっくり🫢撮影中、赤ちゃんが起きてて動いちゃうと時間が長くなりますって言われてたけどめちゃめちゃいい子で最初のおっきい音の時はびくっっ!ってなってたけどそれからはきっと寝てくれてたのかなおとなしーくしてくれてすぐ終わりました☺️ありがとうあかちゃん♡この日は撮影だけで産婦人科の先生には会えずでした😭
入院前日の日曜日の話。スーツケースに入院するための荷物を詰める。旅行だったら良いのだけど、今回は入院、しかも、赤ちゃんとサヨナラするための。。パジャマが何着か必要だったので、GUに見に行ったのだが、いいのがあった。少し前、確かゆりやんがモデルになってたTシャツワンピースみたいなやつ。セールで安くなってて1着590円、パジャマを買うより安いし、入院後も家で夏用のパジャマ替わりにすればいいと思った。3泊4日の入院予定のため、念の為色違いで3枚買った。あとはブラフィール。入院中は昼夜問
しばらくすると、その日の担当の助産師さんが部屋に来た。今回の私の療養計画書的なものを説明してくれた後、病棟内の案内をしてくれた。(トイレ、シャワー室、ウォーターサーバー、処置室、LDR等)スマホについては特に制限を設けていないようで、分娩の時等も持ち込めるようだった。そしてこの日の夜から、第1回目の子宮口を開く前処置を行うとのこと。ただ、処置以降は分娩の翌日までシャワーが浴びられないとのことだったので、この日の夕方、シャワーを浴びさせてもらった。シャワー室は予約制で1人あたり30分、助
入院2日目の夜、3回目(最後)の子宮口を開く処置。20時すぎ、助産師さんに呼ばれて一緒に処置室に向かった。ただ、先生の準備が出ていなかったのか、先生は不在。内診台に座ったまま、しばらく待たされた。さすがに、台が上がって足を開いた状態で待たされたわけではないのでマシだが、これはこれで恐怖。今度は何本入りますかね?と、怖さや緊張を軽減させるために助産師さんと話していたところ、7、8本?10本くらいかな?なんていうから、え!!そんなに?!って反応になった。前回3本なのにいきなり?!
1回目のラミナリアを入れた夜、助産師さんには眠れないようなら、癖にならない睡眠導入剤もあるから遠慮なく言ってね、と言われていたが、その手を借りずとも、眠りにつくことが出来た。また、辛い場合にはカウンセラーさんも居るので遠慮なく言ってください、とのことだったが、、こちらも特に要請しなかった。平気な自分を見ていると、冷たい母親なのかなって思ったりもしなくない。翌朝早朝(入院2日目)、処置後初めて恐る恐るトイレに行った。違和感は感じつつも痛みはなく、普通にできたし、ナプキンに血もついていないの
書こうか書かまいか迷ったが、書くことにする。6月27日(日)に、なるちゃんを火葬してから、我が家には不思議な現象が起こる。夫も娘も私も霊感があるわけではないので、信じているわけではないのだが。。今日も夕方、台所で夕飯の支度をしていたら、ブーッ、ブーッと、洗面所のソープディスペンサーが動き出した。ソープディスペンサーは、手を出すとそれに反応して泡の石鹸が出るやつ。誰もいないのに、反応して石鹸出てた。まただ、と思い「、、なるちゃーん!」と台所から声をかけたら止まった。今回は声をか
1回目のラミナリアを入れたあとは、夫にLINEしたり。ちなみに、私と娘の名前には、共通している漢字がある。今回も女の子のようなので、同じ漢字を使おうかどうしようかと考えていたが、異常があるとわかって名前を考える所ではなくなっていた。でもやっぱりここへきて、名前をつけてあげて痕跡を残したいと思った。これから外に出てくるのに、赤ちゃんって呼ぶのは寂しい気がするし。本当は戸籍に残したかったけど、、、それは叶わないから、せめて自分たちの中で名前だけ。夫には、やっぱり赤ちゃんの名前決めよってL
そのうち、やはり今のうちに部屋を移動しましょう、今日はバタバタしてしまいごめんなさいね、ということで、私は車椅子で別の個室に移動。使っていたベッドも同じ個室に移動させることになった。部屋を移動すると、日勤の助産師さんに変わったのか、朝とは別の方が挨拶に来た。結局、8時半すぎの1回目の膣剤では全く分娩に至らず、3時間後の11時半すぎ、2回目の膣剤を入れることに。張りのモニターの線を見ているが、ほとんど山がなくてまだまだなんだろうなと。当たり前だけど、痛みもまだ全然余裕。ただ、仰向けはお腹が張
大学病院で精密検査を受けた翌日の話。夜中に目が覚めて、これから起こることが急に怖くなったりしたけど、それなりには寝れた気がする。でも憂鬱すぎて、朝から気持ちが悪い。吐きそうだ。精神的なことが原因でここまで体調が悪いと感じたのは初めて。会社にいく足取りも重すぎて、仕事休みたいなと思ったくらい。ただ、ちゃんと出勤して、赤ちゃんに異常があって妊娠を諦めること、月曜日から休まなければならないこと、を伝えなければならないし、引継ぎもできる限りでやらなきゃいけないから、行かなきゃと。。入院が
葬儀やさんとの打ち合わせの後は、なるちゃんは預かってもらい、夫も帰宅し、私も眠ることにした。明け方目が覚め、自室の個室に戻ることに。朝の診察で子宮内に胎盤等の残りがあると手術になるので、それに備えて朝ご飯は保留、腕に点滴の針も刺さったままの状態だが、とりあえず再び横になりゴロゴロしていた。ちなみに、フルサイズの赤ちゃんの出産ではないからか、体の痛みは全然違った。というか、体はほとんど痛くないし、お股は、若干排尿時にヒリッと感じたけど、会陰切開はしていないから、穴あきクッションを使わなくて