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覚醒してからも、「辞めるなんて無理だ…人間関係、家族関係がめちゃくちゃになるだろうから、組織にとどまっているしかない。」そう最初は考えていました。ところが実際のところ、卒業後は本当に穏やかな日々を送っています。前回の記事で私の親子関係について書きましたが、妻も、母親だけでなく、10代の頃に離れていた弟や妹との関係も良くなりました。(最初の頃の記事で書いた、難しい関係だった父はすでに亡くなりました)弟や妹も離れた後の人生いろいろあったようですが、現役信者だった姉には相談できないと
会合から2週間ほどして、私は集会後に長老たちに呼び出されます。M長老ともう一人の長老に、第2会場で向き合いました。前置きもなく、M長老が言いました。「長老団はFennel兄弟を奉仕の僕から削除することを決定しました。以上です。」そう言って立ち去ろうとしたのです。私が(その一言だけ?)と呆気に取られて固まっているのを見て、もう一人の長老が「それはあんまりです、理由を説明された方が…」とM長老に言いました。(そんなことを言ってくれるとは驚きました)席を立ちかけたM
妻が卒業した後の巡回訪問が終わりました。巡回監督による牧羊で3長老からの扱いについて話しましたので、監督も長老たちに何かしら話したはずです。しかし訪問後に私に対して長老たちからは何もありませんでした。監督からも、牧羊の時に時間切れになったまま、その後何のコンタクトもありませんでした。長老たちにとって、離れようとしている成員をどう助けるかということよりも、今回の件をこじらせたくない、監督から「マイナス評価」をされたくない、ということが優先なのではと思います。きっと、私
奉仕の僕削除の発表があり、妻は人生最後の集会を終え一足先に自由の身となりました。前回も書きましたがしばらく私一人で集会に出席することにしました。私たちは排斥や断絶により後々家族との接触ができなくなることは望んでいなかったため、自然消滅での卒業を考えていました。しかし今回の長老団とのやりとりから考えると、相当慎重に行動しないと、特にM長老は何をするか分かりません。自分の正当性を主張したい気持ちや、長老たちの対応を告発したい気持ち、そういう気持ちを抑えて、とにかく無事に自然消
審理委員会のような突然の牧羊から3週間ほど、1度も集会に出席しなくなった妻に会衆の人々も「Fennel姉妹、何かあったのかな…」と気づきはじめました。「姉妹、調子悪いんですか?」と聞いてこられるわけですが、「そうですね…」と具体的に答えることができないので、何かあったんだな、ということが分かってしまう感じでした。そして私の奉仕の僕の削除が巡回監督により承認され、次週の集会で発表されることになりました。妻は「その発表をFennel一人で聞かせるのはかわいそう…私も一緒に行ってそ
いつも読んでくださりありがとうございます。早いものでブログに私と妻の体験を書き始めて一年半以上たちました。始めたきっかけはというと、どうしても読みたいと思っていたブログの限定記事を読むためでした。それまではアカウント登録をせずに読んでいましたが、限定記事を読むために登録しようとプロフィールなどを書いていたところ長くなり、思いきって記事にしてみたことが始まりです。ブログに書くということには、JWとして生きてきたことの記録、反省、心の整理、思えばいろんな意味合いがありました。
話が前後しますが、私はパプテスマを高校2年生で受けました。巡回大会で、大会ホールに設置されている小さなプールでバプテスマを受けました。※ネットよりお借りしましたが、実際の大会ホールのプールです向かって左側が階段になっていて、そこから、こんな至近距離にいる大勢の人達が見てる所に、水着で登場するのは、すごく恥ずかしかったです。みんなに拍手されて、ちやほやされて喜び、周りの子も受けてるから私も受けなきゃとか、母の期待に応えなきゃとか、そんな事しか考えていない子どもがバプテスマを受けました。信
晴れて卒業して新年を迎え、何週間か経った頃のことです。ついにFennel兄弟も来なくなった…と会衆の皆さんも気づきはじめました。思えば覚醒してからというもの、集会に行くのを辞めた場合の長老たちからの接触、家族や仲間からの引き留め…それをかわすことはどんなに大変だろうと想像したものです。2回ぐらい引っ越してからでないと難しいのではと考えたりもしました。もし何の兆候も示さず突然集会に来なくなったとしたら、電話、メール、訪問などが相次ぎ、大変だったことでしょう。私の場合は
年が明けて最初の投稿となります。本年もよろしくお願いいたします。最後の地域大会について書いていましたが、もう一回分書きたいと思います。毎年行っていた自発奉仕を辞退して妻とともに3日間通いました。それまでは早朝からの自発奉仕で疲れてしまい、まともにプログラムに集中することができず、ノートを取ろうとはするのですが、すぐにミミズの這うような字になってしまいます。妻に横から覗き込まれ、「ミミズ書いたの?象形文字?笑」とお決まりのツッコミ。一方で妻はいつも綺麗に整然とノ
さて、私たちへの審理委員会まがいの会合の後、すぐに会衆内の年下の友人夫婦、60代の友人姉妹、年配の友人夫婦の3組に牧羊の申し入れがあったようです。皆さん私たちとよく集会後などに話していたメンバーで、目をつけられていたのでしょうか。年下の友人夫婦に、今回の私たちとの会合がどれほどひどいものだったか、どんなやり取りがあったかを簡単に伝えました。「それはひどい」と感情移入してくれ、病院で点滴するほどになった妻のことを特に心配してくれました。「次は俺たちだな…」友人がそう言ったす
2024統治体からの話(2)のその後についてです。まず、マーク・サンダーソンの髭について。「統治体からの話」が割とびっくりするような内容の話でしたが、世間では頭を丸めてくるほどの内容だったのに、逆に髭生やしてその態度はなんだ!みたいな投稿がXで見られました。確かに内容の割にその髭面、腹立ちますよね。頭はある意味丸めてるケド。。。。後、現役さんの反応の速さたるやですよ。次の日から早速スラックスで集会に行ってたり、排斥者や断絶者に連絡とってるようでした
前回はこれまでの地域大会会場を振り返ってしまいました。その中でも一番長く通い、最後の会場となったのが、さいたまスーパーアリーナです。毎回編成は変わりましたが、東京の一部や、群馬の沼田、栃木県の桐生など広い範囲から集まっていました。駐車場は身体の不自由な方などが優先で台数が限られており、電車で通いました。電車で大勢の兄弟姉妹と通うのはちょっと苦痛でした。サラリーマンの私としては一般人の通勤客目線で見てしまいます。気持ちが昂ぶった一部のJWの皆さまが大きな声で電車
妻が卒業し、私が一人で集会に行くようになりました。家族に見送られて集会に一人で行き続けるなんて、初めての経験です。その時の心境を思い出してみたいと思います。現役バリバリの人から見たら、急にレースから脱落した可哀想な人のように見えたかもしれません。以前私も、奥さんが集会に来なくなってしまった兄弟のことを、気の毒だなあ、夫婦で霊的に一致できないなんて虚しいだろうな、と感じて見ていました。しかし、不思議と当事者になった私自身の心境はとても穏やかで平安なものでした。
妻が卒業して3ヶ月、一人でいろんなことを感じながら集会にだけ参加しました。奉仕も完全に辞め、ただ週に2回の集会出席のみ。これまでの長い多忙なJW生活を思うと、最初はそれだけでも十分楽で平安だと感じました。しかし、客観的に集会に参加してみて、この組織の偽善を改めて感じ、この組織と共にいることの虚しさを強烈に感じました。もう迷いなく、早く卒業しよう!と思うことができました。卒業の日としたのは、ちょうど区切りの良い年末最後の日曜日の集会です。集会中、未練のような
Bさんは4つ年上の社会人でした。前回の話はこちら『出会い系(注:読んだからってマネしてはダメですよ!)』今から…約…20年も前になってしまった当時、若者の間で出会い系が流行りました。※今は犯罪が多いので良い子はマネしないでね!昔の携帯電話時代なので、どうやってや…ameblo.jp赤いスポーツカーに乗っていましたが、本人は、それに似合わずダサさ(田舎から出てきました感)丸出しの人でした💧会ったその日の帰り際、アメリカ人でも、付き合ってもいないのに、さよならのキスをされました。イケメンで
奉仕の僕削除から1ヶ月ぐらいでしょうか、巡回訪問がありました。卒業前の最後の巡回訪問、ややこしい事にならずに無事乗り切れるでしょうか!?初めてお会いする新しい巡回監督ですが、今回の訪問で長老たちと私たちとの出来事をどう扱うのでしょうか。もし長老たちにやましいことが無ければ、巡回訪問中の予定を決めるにあたり、監督による牧羊の第一候補はおそらく私たち夫婦です。夫は奉仕の僕を削除され、妻は集会に来なくなったという、今のところ会衆で一番危ない(?)存在のはずだからです。しか
会合で、「長老を神の経路として認めているか」との質問に、長老だからといって無条件に信頼することは危険だと私が話しているところの続きです。前回書いた児童性虐待の例の次に、長老たちの不公正な扱いによって多くの人が苦しんでいるという例を出しました。会衆内のいくつかの例を出した後、会衆は別ですが、私のいとこが非常に辛い状況に置かれていることを話しました。結婚相手がJWでありながらまさかのDV夫で、その問題を訴えても長老も巡回監督も動こうとしないということについてです。いとこは結婚
ある朝、目が覚めて起き上がると、ウッ…🤢トイレへ駆け込み吐きました。朝なので胃に何もなくて、胃酸で喉がヒリヒリしました。吐いても、まだ胃がムカムカします。もしかして…😨そう、私は妊娠していたのです。私は大学3年生、彼は大学2年生の初夏でした。JWでは妊娠初期の受精卵でも、1人の命とみなすので、中絶は罪とされています。でも、そんな事は抜きにして、私は大好きな彼の子どもを産む事しか頭にありませんでした。でも、彼はまだ19歳でした。彼の家で妊娠検査薬で調べ、妊娠している事を2人で確認
2015年夏、結果的に最後の地域大会となりました。ちょうどその年ぐらいから「地区大会」という呼び方になったかどうか、という頃だったと思います。その時点では、これが最後の地域大会というつもりで出席したわけではありませんでした。あと何回出席するんだろう…早ければあと2、3回かな?ぐらいに思っていました。考えてみれば、9歳ぐらいから夏は欠かさず地域大会に出席してきましたので、30回以上になりますね。子供の頃から家族で引越したり、その後も自分の異動などで様々な土地の地域大会
皆さまごきげんよう、エシュルンです(^-^)♪本題に入る前に、たまには自分のことでも書きましょうか(^-^)♪私は親から実際の鞭は受けていませんが、それでももれなくアダルトチャイルドです。これでもだいぶ良くなりましたが非常に自己肯定感を築くのを難しく感じます。生きづら~く感じることもままあります。昔、暫くの間JWなのに聖書がほとんど読めない、ということもあれば、涙が出なくなるほどの感情鈍麻になってしまったときが何年も続きました。さらに見当識障害や統合失調のような幻視幻聴
最後の地域大会に前後して、最後となる公開講演を行いました。その時はまた2ヶ月後ぐらいに次の講演が割り当てられていましたので、最後になるとは思っていませんでしたが…公開講演に関しては、以前も書きましたが自分なりに真剣に取り組みました。この組織にずっといるしかないと思っていた時期が長かったので、この組織で生きていくしかないのであれば、せめて一つでもやりがいとなるものを持とうと思いました。それで自分にできることとして、講演を聖書にしっかりと基づいたものとし、本来神の言葉から得ら
前回の続きです。寄付のことや日本の伝道者数減少のことを話し、この宗教が本当に人々を引き寄せるものとなっているか自己吟味するよう投げかけたところまで書きました。続いて真の宗教を実践する人々は今でも幸福であり、人々を引き寄せている、というところです。〜協会の求める話〜「エホバの証人は会衆という霊的パラダイスに人々を引き寄せており、今でも幸福を味わっている。偽りの宗教から出てエホバの証人になった人の経験などから、いかにエホバの証人の組織が素晴らしく幸福かを強調する。」〜私がし
会合の続きです。進行役が代わり、別の資料が渡されました。その資料は、組織による理解の調整にどう反応するか、というものです。「教理上の事柄などに調整が加えられた時、どのように応じられますか?」と質問されました。ちょうど雑誌の記事の中でしれっと見解の調整をしてくる、ということが続いた頃でした。模範解答は「最新の理解についていけるよう自分の考えを調整し、たとえすぐには十分に理解できないとしても、組織を信頼して進んで従いたいと思います。」という感じでしょうか。資料もそ
ここで一旦、話を会衆に戻したいと思います。私が19歳の途中まで、なんとか行ってた会衆には長老が3人いました。H兄弟、A兄弟、そして当時、長老になったばかりのI兄弟です。一番年上はI兄弟でした。主宰監督はH兄弟。H兄弟以外の2人の長老は子どものいない、ご夫婦のみの神権家族で、H兄弟は4人家族でした。ちなみに、私を訪問講演に連れて行ったのはA兄弟でした。その話はこちら『バプテスマと訪問公演』話が前後しますが、私はパプテスマを高校2年生で受けました。巡回大会で、大会ホールに設置されている
前回の記事で書いた通り、私たちと親しくしていた友人たちも、審理委員会のような牧羊を受けました。私たちも友人たちも、誰も日頃長老たちから注意や助言を受けたこともなかったのに、どうして突然あのような牧羊を受けたのでしょうか。私たち夫婦は、新しく入れ替わった長老団に、過去の会衆の状況や以前の長老による困った状況に関して話しをしたことがありました。(ブログ記事、長老団との話し合い①〜④)しかし「よく話してくださいました。」と言われたのみで、その後3ヶ月ほど何の音沙汰もなかったのに突然あ
前回の話はこちら『王国会館と寄付』さて、私がつわりの中、舞い戻った会衆内では、新たな問題が起こっていました。①王国会館は誰のもの問題②疑問を呈した時の長老達の対応問題③聖霊が注がれているのか、…ameblo.jpこのゴタゴタが起こっていた頃、私の母はおかしくなりました。集会中、H主宰や、巡回監督など特定の人が壇上から話す時、胸が苦しくなり、上から抑え付けられる感じでウッと蹲るようになりました。大会の時は壇上でしゃべっている兄弟の顔がボヤけて見える人がいました。また母は祈りながら、勝手に
ふぅ〜長くなりましたが、私の恋愛話に付き合ってくださり、ありがとうございました。ここからやっと審理委員会の話しになります。※約20年前の話なので、細かい会話内容は記憶が曖昧で多少違う事もあるかもしれません。ご了承ください。王国会館の第二会場に椅子とテーブルがセットされ、長老3人対21歳の乙女1人っきり。長老についてはこちら『長老の権力』ここで一旦、話を会衆に戻したいと思います。私が19歳の途中まで、なんとか行ってた会衆には長老が3人いました。H兄弟、A兄弟、そして当時、長老になったば
私はずっと、20歳になったらJWを辞めようと思っていました。辞めてハルマゲドンで滅ぼされても良いのかって?良かったです。本当に神がいて全てをご存知なら、私は見せかけの良い子なので生きては通過出来ないと思っていました。それなのに、いかにも自分は生き残れると自信たっぷりのJWの多い事!!それがまず無理でした。そんなJWだけが生き残った世界で、私は生きていたくありませんでした。また神は『ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなた方に対して辛抱しておられる
さて、問題です!!無実の罪で(霊的病気のため)背教者として排斥になった母。(排斥)その話はこちら『茶番な審理委員会』前回の話はこちら『王国会館と寄付』さて、私がつわりの中、舞い戻った会衆内では、新たな問題が起こっていました。①王国会館は誰のもの問題②疑問を呈した時の長老達の…ameblo.jp一方、罪を犯したけど排斥にならなかった私。(自然消滅)その話はこちら『審理委員会②』前回の続きです。前回の話はこちら『審理委員会①』ふぅ〜長くなりましたが、私の恋愛話に付き合ってくださり、ありが
皆さまごきげんよう、エシュルンです(^-^)♪基本私はTwitter(X)にはブログの更新記録しか呟きません(別アカウントは除く)でも最近事情があって長文を入れました。Twitterの文章は後に消去するかもしれないのでとりあえずこちらにも転記をしておきます(微修正有)↓↓↓ここから↓↓↓どなたか?私のブログの一部をコピペ(切り貼りですね)しておられるのかな?一部分だと例えを書いた真意が歪んで汲まれてしまうのでこちらに思いを記しておきますね