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内科に転科して再度主治医になった先生と話した内容で、その時はパニック状態で思考が追いついていなかったけど、改めて思い出しながら考えてみました。自分での理解だから合っているかどうか定かではないのですが…・何もしなかった時の余命は平均して1年。→これは受け入れるしかないです。でも、頭では理解しようとしてますがかなり辛いです。・転移の場合のステージはその時点でⅣとなる。→はい。こちらも受け入れるしかないです。血液かリンパに乗って全身に行っているのでしょう。想像するとこわいです
いよいよ運命の日腫瘍マーカーCA125は前月は334今回は369で微増残念下がってくれなかったドキシル、効いてくれない造影剤CT検査結果は3カ月前よりもちろん腹水激増背中や横腹痛いときあったのに転移はなし主治医もこの結果をみてかなり悩んだんだろうなあいつになく饒舌「ドキシルは副作用がデカドロンで抑えられてるのでやってもいいんだけどそうだなマーカーが悪かったときの404を超えたら抗がん剤中止にしよう」先生、余命は?「余命?わからない
先週の泌尿器科での検査で前立腺ガンの指標「PSA」値は測定限界値の「<0.009」だった。前立腺ガン治療薬「フルタミド」がよく効いていて3年間効果が持続しているのは嬉しいことだ。3年前までは「ピカルタミド」を使用していたが、効かなくなり「フルタミド」に切り替えた経緯がある。ただ手放しで喜んでいるほど、楽天的でもない。この薬の効果は平均3年ほどだ。いずれ必ず効かなくなるときがやってくる。がん細胞に薬に対して抵抗性ができるためだ。次の薬
乳がんになって約4年、転移して約1年が経過しました。これ位になると自分が乳がんであるということを受け入れ、諦めのような境地になりつつありますが、いくらステージ4の乳がんでも余命という言葉を使われるのは、抵抗感があります。私の母は50歳の時に胆管細胞癌が見つかり、癌の告知とほぼ同時に医師に余命半年と言われて、告知から約5カ月後に亡くなってしまったので、余命と言う言葉は好きではありません。医師も数多くのデータや経験から、患者に余命という言葉を用いると思いますが、それを言
「野球と恋愛は両立できない」悲壮な思いで、美奈に別れを告げようと日南海岸へ美奈との最後のデートに向かった飛雄馬だがそこで飛雄馬は美奈の隠された秘密を聞かされてしまうそのせいか、飛雄馬はすっかりやる気を失いついに二軍落ちが確定してしまうそんな中父一徹のもとに飛雄馬からの手紙が届くそれを読んだ一徹は、飛雄馬が突然やる気を失った理由を知るなんと美奈は黒色肉腫という皮膚癌に犯されあといくばくもない命だった自分の病気の事を看護婦たちの雑談で聞かされそのまま病院を飛び出
皆さん、余命とうんこ💩このワードに悲壮感ねえのかよ!とお思いのことと存じ上げますアクセス伸びすぎてこんなブログが残るのかと思うと恥ずかしくなってきました…入院患者さんの三大悩みは便秘、(下痢)不眠症痛みですからね。結局そこが最後まで悩ましかったりするんです私はまさかの胸水が命取りにもう10数年前で、医療の進歩としたら浦島太郎レベルの昔。私は呼吸器センターの新人看護師としてバリバリと最先端医療に接していました。とはいえ、肺癌はなかなか手強い病気でその頃の化学療
14か月目に入りどうも、体調がおかしいローブレナが原因かな?2ndlineローブレナ25㎎服薬中で、14か月目に突入しています。ここ1、2か月なのですが、身体の変調を感じています。これまで、ローブレナの副作用によって、体調は変化していました。物忘れ、言葉が出ない、ぼっとする、頭痛といった中秋神経系の症状や、両下肢及び腕に顔面の浮腫、体重増加、高コレステロール血症といった症状が主なものです。これらの症状は、12か月ほど服薬していると「慣れ」てきますので、自覚症状
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。私は令和5年の夏に甲状腺乳頭がんの診断を受け、11月に手術をしたところ検体から未分化ががみつかり、余命半年と言われていたものの12月から服用の分子標的薬によって生存期間延長予定中、生まれ変わるなら健康な自分になりたい人です。闘病に協力的な夫が居て、泣きごと言わない息子がいて、両親やきょうだいとの幸せな思い出の中に育ち、今もまだ母と話ができて、親しくしてくれる友が居て、理解ある上司に恵まれて、命の恩人に救われて、足りないのは健康だけ。
行ってまいりました。阪大病院。午後四時の予約ぴったりに始まり、5時くらいまで、ほぼ小一時間。丁寧に説明していただきました。結果、厳しい事実を再び、認識せざるを得ない結果でした。先生私今日は、ご家族は?お一人ですか?まだ、そんなに重大な局面だという意識がご家族に無いのかな?いえ、主人は仕事で急に休めなくて、、。そうですか。データ拝見しましたが、どういうご相談ですか?はい、センターではもう抗がん剤治療しかなくて、アムルビシンという抗がん剤をやってみた後、効かなければオプジ
昨日は転院前のがん専門病院に通っていた頃の日記を見てて病んでたなぁと思った去年の1〜2月、肝転移ステージ4なのにまだ「腫瘍消したい」とか"ふざけた"こと言ってるわたしに、当時の主治医から言われた言葉たちが、心に平手打ち🖐️受けたみたいだったな、と。🥼「もう治らないんだから」ぺしっ👋🥼「諦めた方が楽になる」ぺしっ👋ボディブローも入った🤛🥼「残された時間を自分らしく有効に」ボコっ🤛🥼「天寿を全うした方がいい」ボコっ🤛この「天寿を全う」って何回か繰り返された。あんまり言うから、
《2020.5.11更新》日付をクリックしていただくと、当時の記事がご覧いただけますガン発覚→宣告→手術まで■2017.11.82ヶ月ほど胃の痛みが続き、胃カメラ受診再診するまでもなく胃がんと診断■2017.11.21スキルス胃がんステージ4(末期)リンパ節転移宣告当時32歳■2017.12.1余命宣告治療をしなければ半年の命治療をしても16ヶ月手術は不可能■2017.12.12抗がん剤初投与オキサリプラチン+TS-1アンデカリキシ
今日は午後から診察です。血液検査の結果により抗がん剤治療が始められるか、また1週間スキップされるのか、治療を諦めざるを得ないのか・・・経口抗がん剤治療に対して、期待はしていません。余命宣告を受けた時点で、心が折れているのかもしれません。自分の事なのに、自分の気持ちが分かりません。自分の書いたブログを読み返してみると、たった数日前の気持ちと、今の気持ちに違いがあると感じます。ブログはその時思っていたこと、感じていたことを正直に書いてあるとは思います。それでも、書いてある内容
ステージⅣがん患者が、無治療、緩和治療待ち?経過観察中?ともなると、積極的治療はありません。終活以外やらなければならない事もありません😂診察は私の希望で、2週間に1回。月一でも良いようでしたが、私が不安になるので2週間に1回にしてもらいました。今週の金曜日に診察ですが、余命の話以外、体調の確認くらいしか、聴かれることも無さそうです。寿命と言う運を天にまかせ、逝く日を待っているだけかと思うと、厳しいです。こう言う状況になり、なんだか怪しいクリニックに行ってみたり、丸山ワクチンを試してみたりす
ふと、最近思うことがある夫は結局最後まで余命と言うものを言われなかったいや、聞かなかったと言った方が良いのかな?今になって、ステージ4の中でも夫の症状はかなり悪い方だったのではないかと思う。全身転移に脳には2センチの大きな腫瘍が2つ他にも小さいものが数個そして、夫が最後に入院したときに主治医に聞かされた言葉ご主人は治療ではなく延命なので、次回の抗がん剤はやめましょうと。そうか、夫が頑張っていたのは治療じゃなくて延命だったんだと、この時ものすごく後悔したんだった。なら、
昨日のブログで旦那が「一か八かの選択はもうしない」=抗がん剤治療はもうしないと決めた事を書いた(私はゲノム検査の結果待ちの期待は残しつつ…だけど)それを、病院の待合でいきなり聞いたものだから私はびっくりしすぎて「…もう、しんどい?」と聞いた「うん」と旦那診察室でも最後に先生に「聞きたいことは?」って言われ「あと余命はどれくらいですか?」と聞けなかった聞ける人はすごいとさえ思う私は怖くて聞けない本人である旦那はどんな気持ちな
昨日は副作用が寝れないくらい辛くて更新できませんでした手足ビリビリです今日は吐き気が少し落ち着いてきましたご飯も食べられましたお父さんが作ったちゃんちゃん焼き美味しかったですよかったまだポンプが刺さったままです早く抜けるといいな目がかすみます視界がぼんやりしますこれも副作用でしょうか先生から私のがんの多さだと余命は平均3年そう言われましただんだん物も食べられなくなるかもそれを頭に入れといてと妊娠するしないより今は自分の身体を考えてそんな意味合
こんばんは腹水を抜いてから5日経ちました。腹水を抜いた針穴から未だに水が出てきています。声は弱々しくボソボソと話します。昨日あたりから足首から下の浮腫が酷いです。ぶよぶよしています。一生懸命オイルマッサージ+指圧マッサージ機で2時間かけて血行を良くすると多少マシになります。ご飯も食べれる量はさほど変わらず痛みも日々強くなっています。血圧も上が110〜100の間を右往左往。足先も冷たい。先生はまだ余命が残り3ヶ月切るかどうかははっきりと分からないと言っていましたが、色々
なんだか、入院の書類書くのにやたら時間がかかっています。漢字が分からなくて調べて時間かかってるのもありましたが、延命治療はどうするか?人工呼吸器を付けるか?など、終末期を連想させる質問がありました。延命治療する延命治療しない家族に任せるわからないの4つの選択肢これらの質問は後回しにし、他のを回答戻って来て悩みに悩んで結局わからないに○を付けていました。私は今回は関係ないと思うから、テキトーでいいんじゃないかと思っていましたが、旦那は真剣ですそうだね。今回だってもしも
バレエを愛するあなたへたくさんのサイトの中からこのブログを見つけて頂いてありがとうございますこのブログを初めてご覧になる方、初めてではないけれど、このブログの目的がよく分からないという方は、こちらをご覧下さい「感謝」地方によっては薔薇が満開のところもあるようですね私が住んでいる地方では、まだ薔薇が咲いているのをほとんど見掛けないのですが、先日、近所でこの薔薇の蕾を発見花開くのが楽しみです昨日はオンラインで二つの講演会(セミナー)に参
メダカのお世話に夢中になっている話を前にしました『ベビーブーム』最初に赤ちゃんが産まれてから、今日で4日。大量に産まれました笑もっといます𓆜𓆝𓆟写真だと見にくいです『ベビー』メダカの赤ちゃんが産まれました𓆜𓆝𓆟どうでもいー…ameblo.jpベビーブームがきてから、3週間以上経ちましたが、赤ちゃんが1センチ以上育ちません『大きくなってきたね〜』と思っていると、死んでしまいます色々調べて、餌、水流、水質汚染、色々気を遣っても死んでしまいます採取した卵を日付ごとに分け、孵化す
健康な人が羨ましい。痛みがない状態ってどんな感じやったかな〜。自由に動けるって羨ましい。骨転移は頚椎、胸椎、腰椎、大腿近位、肩甲骨、骨盤、肋骨骨転移のスピードがめっちゃはやいらしい!だからビビりながら生きてる。内臓は胃、腹膜、、、肺は転移疑い、、。やったかな〜胸椎と腰椎は骨折してます。骨が溶けて折れていく。階段や振動に注意しないと足折れるらしい。椎体潰れたら下半身麻痺になるみたい毎日怯えながら生きてる(笑)(笑)昨日は彼氏と友達と家でしゃぶしゃぶ食べた♪めっちゃ楽
色んな悪性腫瘍の中でもこれは最悪のやつって名前は覚えてたんだけど夫それだったんだけどそんなことある??膠芽腫余命だいたい19カ月。2年はないくらいと。夫は知らない。だって仕事復帰のこと考えてる私も信じられない思考がまとまらない意味わからない。
2019年9月28日今日は執刀医より手術の説明を受けます家族も一緒にとのことでしたので長兄にも同席してもらいました12時を過ぎたころ看護師さんに呼ばれ病棟内の診察室へ執刀医の若い外科医と外科の研修医が迎えましたこの外科医さん見た目は例の研修医とさほど変わらないと思うんですけどやはり「医師」なので全然違います話し方も自信に裏付けされたような印象で「この方に任せよう」と思える感じでした医師2人と私・妻
こんにちは。いつもいいねくださりありがとうございます。私は令和5年の夏に甲状腺乳頭がんの診断を受け、11月の手術で検体から未分化が見つかり、12月から分子標的薬を服用し始めた余命2年の人です。パネル検査の結果、BRAF陽性の反応があり、以前からメラノーマで保険適用になっているタフィンラー・メキニストが効くかもということで保険適用になったタイミングで服用を開始しました。この薬が甲状腺においてはどんな効果でどれだけの延命ができるのかをまだ医師が経験しておらず、さりとて結局なにがで
約二週間前にお医者様から言われた「週単位の覚悟で」あれから三週目に入りました『余命って聞けますか?』昨日のブログで旦那が「一か八かの選択はもうしない」=抗がん剤治療はもうしないと決めた事を書いた(私はゲノム検査の結果待ちの期待は残しつつ…だけど)…ameblo.jp余命を聞くのにはずっとためらいがありました怖さもあるし第一に主人が聞かないのに私が聞くのは失礼とか思ったりして緩和ケアに移行すると決めた日の診察であまりの衰弱ぶりに点滴をしてから帰る事にし
昨日で妻が亡くなって、ちょうど8か月時間の流れが恐ろしく早いそのせいか?そのせいで、妻が死んだ日も遠のいてくれないのか?この先、僕は一生妻に会うことも、ふれることもできない、、これがなかなか受け入れられないいや、、、理解はしているんだけどどこか現実味がない。。つい2,3日前なにかのネット記事で「余命いくばくかの妻からの手紙」みたいなのが目に付いた基本的に、こういった類の情報はシャットアウトしているんだけどこのときは、
ステージⅢとわかったことについては、前述した通り、ショックが大きく、死んでしまうかもしれないと思いました。調べてみると、色々なネット記事、書籍などにより、書いていることは、まちまちですが、5年生存率は70%、10年生存率は60%ぐらいになります。もっと低い値を示すものもありますが、わたしが一番信用できると思った記事は、上記の値になります。この数値を高いと思う人、低いと思う人、様々でしょうが、わたしは低いと感じています。それに、わたしが一番知りたいことって、『何人中何人がステージⅢという状
2週間ほど前にお友達ご夫婦にお食事のお誘いでもしようと電話した「年明けてからお互い忙しくて会えてなかったねぇ最近どう?そろそろ食事でもしない?」「もちろん!でも昨日スペインから帰ってきたのよ来週またスケジュール相談しましょう」って世界中を旅してる彼らなので驚きもしないけど「また来週連絡するね」と電話を切り4日後「この日かこの日でお食事どう」とメッセージを送ったその返事に「旦那が体調悪くて、旅の疲れだと思うけど体調が良くなった
そろそろ次の段階へ・・・搬送された今の病院は急性期の病院なので、ある程度治療の方向性が決まったら転院しないといけない。1月の終わりころ、人工呼吸器を小型のものに載せ替えて胃ろうを増設した。本来なら、転院先は病院だったはずなのだが、以前にも記したように病院は面会ができない。危篤にならないと会えないなんてありえないと思い、在宅を・・・と思案したがいろいろハードルも高い。そこで、以前からお世話になっていた障害者基幹相談支援センターの方がグループホームを探してきてくれた。電話でお話だけでも・
現在育児に悪戦苦闘中😅寝不足になりながらも子供が寝てる間、一緒に寝る以外にぼーっとしたい時もありちょこちょこぼーっと見ているドラマ「春になったら」3ヶ月後に結婚する娘と3ヶ月後に死ぬ父親のやりとりや日常がストーリーのもの。これは終末期を考えるきっかけになるいいドラマだなぁと個人的に思いました!娘は父に急に余命を言われて動揺し、更に治療をしないという父を必死で説得する→普通の反応だと思います父はしんどい治療して病院で過ごすより好きなことをして死にたいから治療しない自