ブログ記事4,825件
もうだいぶ経ってしまいましたがさえちゃん今年も無事にお家で誕生日を迎えることができました5月25日さえちゃん7歳になりましたあの日から7年。今年は学校で忙しすぎてさえや私自身の体調不良もあり当時のことを思い出すことは少なかったけど当時に思いを馳せれば苦しくなることだらけ。それでもさえが生きて今もそばにいてくれて一緒に時間を過ごせることはやっぱり幸せなことのほうが多いかな。私が看護学生だった頃、当時の教科書には、さえのような重症心身障害児の多くは小学校就学前に亡くな
先回の日記で酸素の値が30%まで下がったというエピソードをご紹介しましたが、これは妻が体験したものでして、私はその時寝てるターンでございました。で、昨日の25日木曜日の朝、私のターンでもタン詰まりのようなことが起こりまして、酸素が30%台まで落ちました。顔色悪くてくちびる真っ青。急降下するサチュレーション。吸引の手震えますね。というか、初めてアンビューバックを使用しましたよ。病院にいるころ、緊急時の対応の練習で何度かやってみたアンビュー。使用する事あるのかな?と思ってました
沙羅は、母児間輸血症候群(胎児母体間輸血症候群)で産まれました。胎児母体間輸血症候群は、本来混じることないお母さんと赤ちゃんの血液がなんらかの原因で混じってしまい、赤ちゃんがお母さんに血液を送ってしまい、そのため赤ちゃんが貧血になってしまう症状だそうです。稀な症例で、執刀してくれた先生も教科書ではみたことがあったけど、実際には初めてだったと言ってました。転院先の産科の先生も、原因不明で起こる死産の原因でもある症候群で、1日、あるいは数時間でも遅れていたら沙羅はどうなってたかわからなかっ
続き、出産②出産した日を思い出すと胸が苦しくなります。出産って奇跡。あの日を振り返って綴りたいと思います。2023年8月29日17:00産院到着。到着してすぐに内診を受けて子宮口1cm。この痛みで、間隔5分切ってる(1,2分の時も…)なのに子宮口1cmしか開いてないの??何かおかしくないか??読み漁った出産レポとだいぶかけ離れている気がしました。助産師さんに付き添ってもらい待合室へ。立ち会い予定の夫にはまだまだ時間が掛かりそうなので一度帰ってもらうことに。『頑張ってね
和笑ちゃん7才2か月になりました2月は風邪をひいてスタートなんだかんだと長引いて元気じゃなかった和笑ちゃんでした…💧そして珍しくメンタル的に元気じゃなかったママでした…💧3日の節分には久々に和歌山の温泉に1泊で療養に出かけました♨️引いた風邪もお気に入りの温泉にゆったり浸かればスカッと治るかなぁ〜なんて期待ははずれて次の朝になっても体調は整わず宿を出発して寄り道もせずに帰宅🏠体調が整わない時に「良くなるといいなぁ〜♡」と言う期待で強行した療養結果としては和笑ちゃんに負
さえの最期のときからついさっきちょうど半年になりました。半年前の今頃は血の気のなくなったもともと色白のさえがさらに真っ白になりそんなさえを抱きしめて号泣していました。ただすぐにエンゼルケアがあるので病室から出ていろいろさえパパと話をした気がします。りょうたは爆睡中。今も何度もその瞬間をフラッシュバックのように思い出し悲しみと苦しさに押しつぶされそうになります。さえは幸せな7年2か月だったのかな。ママは最高に幸せだったよ。さえが生きて産まれてきてくれ
先日さえちゃん無事に特別支援学校小学部入学しました今年の小学部の1年生はさえを含めて8人でした。1人は訪問籍。医療ケアがっつりなのは訪問籍の子とさえともう1人通学の子3人だけな感じでした。とりあえず、みんな可愛いこれから当分付き添いなので、みんなの可愛さに癒されてなんとか乗り越えようと思います。さえの担任の先生…年配の小柄で細い女性の先生…もちろん1人で移乗したりしないだろうけどさえちゃんなかなかのずっしり感だけど大丈夫??と思ってしまった大丈夫なんだろうけど、不安
こんにちは!ほゆりです先月、色々と体調不良が続いてたそよちゃん。『そんなことあるの!?立て続けのインフル&RSウイルス』こんにちは!ほゆりです前回、体重を6kg→8kgを目指して頑張っていると書いて早1ヶ月……『前回更新から2ヶ月…ついにお試し退院が実現!!』こんにちは!ほゆ…ameblo.jpその後、1週間くらいで元に戻って酸素もいらなくなりました復活後もしばらくは血液検査の値が色々とイマイチなこともあったのですが(毎回違う値を言われたので覚えてない笑)お薬をこまめに調整
こっそりさえにクリスマスプレゼントを購入。さえに気づかれないようにさえがいるリビングには持ち込まずコソコソ玄関すぐの部屋に置いてしれっとリビングへ。さえちゃんただいまでもしばらくしてふと思った。あれ?これこの一連の流れさえ見てるんじゃ…ママバレてるよ空から見てますよ全部って。多分バレてる?プレゼントを見ているとき店員さんにお子さん何歳なんですか?7歳です。去年はランドセルとほかにもプレゼントを選んで…なんて会話したり。1年前の今頃は…2年前の
昨日、今日と全く落ち着かない息子さんPTさんもお手上げ状態。あれこれポジショニングを試すも全力で反ったり、涙ぽろりしたり。次に待っている方もいるので、いつまでも長居もできないだろうPTさんから、“ママ抱っこしますか?”と。これはもう抱っこで今日は終わらせてくれという意志を感じたので、しましたよ抱っこうわ、今抱っこは絶対あかんやつやーん思ったとおり、抱っこもイヤイヤ仕舞いには、ン゛ア゛ーーーッ!生まれて初めてこんな大きな声出してるのを聞いてビックリしたのと同時に、キレられてショッ
11月25日はとてもよく晴れた日でした。親子3人川の字で寝た3晩。朝早く起きてこまさをリビングに運び、体をお湯で湿らせたタオルで丁寧に拭いて、旅立ちの支度です。服は色々迷ったけれど、ハーフバースデー、お正月、こどもの日と散々着倒した袴風ロンパースにしました。1年も前の服なのでパンパンでした。こまさ、成長したねぇ。私は火葬は夫婦二人でやりたいと思っていましたが、葬儀もやらないので火葬位は参加したい、納棺にも立ち会いたいとの夫の親族らの希望により、夫の親族も朝早く家に来て、一緒にこまさを
いつも"いいね"をありがとうございますすーちゃん4月で小学生になりました先日無事入学式を迎えることができました障がいがあるすーちゃんだけど、私はすーちゃんが小学生になれないなんてことは微塵も思ったことなくて、当たり前にこんなに大きくなってくれました!でも当たり前なことではなくて、沢山の人に支えられながら、すーちゃんを見守ってくれる人達のお陰でここまで大きくなれたんだと思っています!本当に私たち家族に関わってくださる方々には感謝してもしきれないです。小学生になったすーちゃんの姿はと
娘を出産した時のことを記録しておきます。妊娠中、お腹はよく張っていたけど仕事も家事も育児もまぁまぁ出来て特に検診でも異常はなく日常を過ごしていましたが、35周目の検診で医者から「少し赤ちゃん下に降りてきてますね。里帰り早めにした方がいいかも」と言われて1週間後には帰ろうかな〜とやんわり考えていました。その数日後、息子と夫が胃腸炎のような症状があり家で看病をしていました。自分も移らないよう細心の注意は払っていましたが寝ようとベッドに横になると吐き気がしてきて夜中には嘔吐と下痢
やっちまいました…寝過ごして今日の0時〜のさえの注入…すっ飛ばしてしまいました…ちょっと横になろうと横になったのが23:05寝過ごしたらダメだからとアラームかけて…目が覚めたら6:00ってなにー!!!最初状況がよく分からずあれ?さえの注入…やったか?え?やってなくない?え?でも、え?はいー。仕事なのに寝坊した時ばりのパニックー。0時の次の注入は6時。はい、もうどうにもできません。ちなみに過去4時前に目が覚めて慌ててとりあえずソリタ200mlだけ入れるってことはした
生後4日の夜、低体温療法を終えてから、不安定ではあるものの自発呼吸をするようになったれいちぇる。急性期を脱しました。眠くなる薬はとっくに効果が無くなっているのに、目を覚まさない日々。毎日毎日面会に通って現実を受け入れられなくて精神削って、でも会いたくてまた通う。目を覚ます前のれいちぇる。休日ごろごろするお父さんってとこでしょうか。そのうち、手足を動かし始める。反射?くすぐると嫌がる素振りなんだけど…小さな声で『ひゃあ』って泣き声が聞こえた時にはいよいよ私の頭がおかしくなったのかと
本日夫婦で沐浴の日。お風呂上がりにくつろいでいるれいちぇるを愛でていたら、担当の看護師さんからお声掛け頂いて小1時間程お話しました。入院当初から今の心境や今後のこと。なぜ心境を振り返させるんだ!って思うけどね、親のメンタルが整ってないのに、退院させられないからなんだろうなぁ〜って言うのも、ついに2024年1月中の退院を目標にしましょう!!!!!ってお話を頂きましたあくまで目標なのですが、そこに向かってれいちぇるとの暮らしに備えて色々動けることが嬉しい退院の“た”の字くらいは出てきたん
さえへのパワーありがとう。7歳2ヶ月ちょうど。お空へ。9月10日四十九日です。気持ちの整理がつかずまだこの記事が精いっぱいです。
もうすぐ3歳。3歳を越すのが難しい子が多いと聞いてから3歳の誕生日がドキドキだった。でもあと1週間。(それなのにくしゃみ連発で風邪気味。笑)みーちゃんならきっと大丈夫ずっと忘れてたけどみーちゃんは奇跡の子だった(笑)きっと3歳を迎えられそう!って事で先生に写真を撮ってもらうためにおめかしして外来へ主治医チームの先生たちと写真を撮っていただきましたーまだまだ撮れてない先生と看護師さんが居るから誕生日過ぎても撮ってもらいたいな病棟の看護師さんはコロナで会えないのが残念
はじめまして。はるのぶと申します。妻と、長男あきのぶ、次男ときのぶの4人家族です。2022年5月17日早朝、お腹に違和感があるから病院に行ってくる、と妻はタクシーで向かいました。30分後には「緊急の手術になるからすぐに来てくれ」との電話。寝ていた長男あきのぶを小脇にかかえて近くのばーばの家にぶち込んで病院へ。状況としては「常位胎盤早期剥離」そこから4時間、地獄の待ち時間を経て、妻は無事一命を取り留めましたが、次男ときのぶは酸素が回らない時間が8分ほどあり、脳に障害がでる可能性があ
いつもブログを読んでいただきありがとうございますコメントくださる方ありがとうございます、励みになります久しぶりのブログの更新になってしまいました。皆さま今年もよろしくお願いしますりっちゃんはお陰様で元気で穏やかに過ごしています⤴︎最近、なんとなく追視ができるようになってきた?気がしますいつもりっちゃんと泣き虫パパを応援してくださる皆さまにご報告があります。ブログでは言っていませんでしたが、去年の11月に娘の分娩をとりおこなった医療機関が医療過誤(医療ミス)を正式に認めました。
いつもブログを読んでいただきありがとうございますいいね、コメントいただける方ありがとうございます、励みになりますまたまた久しぶりの投稿になってしまいました。仕事の農作業は幸か不幸か相変わらずバタバタ忙しい日々ですがお陰様で弟のよっくんも嫁さんも僕も家族みんな元気に過ごしています。娘が亡くなって今日3月21日で1年が経ちました。早いようで、遠い昔のような気もします。今日は朝からりっちゃんとご先祖さんのお墓参りに行ってから、りっちゃんを祀っていただいている天津神社さんへお参りしたあとりっちゃ
僕も赤ちゃんなんだからね!ぷん難しい、あー難しい。何が難しいかって、ダイアップというお薬を使うタイミングが難しい。今年に入って毎日お世話になっていたお薬。日によっては1日2回。よく熱性痙攣に使われる頓服薬だそうです。そして体が慣れてしまうので極力連続的に使うことを避けたい薬でもある。目に見えて痙攣発作を起こして様子がおかしい時はダイアップを使うタイミングが判断しやすいのだけど。目に見えない痙攣もあるそうです。なので、熱が下がらないとか、頻脈が続くとか、息子の場合は腕をブンブン振
1つ前のお話しで予告した地域の小中学校合同での特別支援交流会のお話や新しく購入した吸引機のお話パパの車が新しくなったお話のことサクっとお伝えします✨先ずは「特別支援交流会」地域の小学校、中学校で支援学級に所属している子どもたちの中で有志で集まる会がありました他の学校の子どもたちを知る機会もないので集まりに参加してみて自分の住む地域にこんなにもたくさん特別支援を必要とする子がいるんだぁ…と驚きました‼️和笑と同じく重症心身障害児の子どもが1人車椅子に乗っていた肢体不自由な子ど
4月17日(火)7時33分ひかたんがお空に旅立ちました。16日(月)は記事にも書いた通りひかたんは穏やかな顔をして調子も良く一緒に抱っこしながら過ごしていました。退院の目処もたっていて私たちの希望としては家族みんなの風邪がしっかり治ってから連れて帰りたかったので土日あたりにしてもらおうかなぁなんて話をしていました。ひかたんも少し痰と鼻水が多めではありましたが、熱もなく呼吸状態も非常に安定していたので、明日からお風呂にも入りましょうと看護師さんと約束をして帰りました。今思えば…いつも家
メンタルがばきばきです。久々かーなーり久々にPICU入院です。初めてエアウェイを入れられてます。あとはネイザルハイフロー。これ以上できることはないと。またさえの頑張りに頼るしかなくて申し訳ないけど…まだママは一緒にいたいよりによって今風邪を引いててしばらく面会すらできないさえに力をお願いします
前回の長い記事を読んでいただきありがとうございました今回は脳性麻痺で寝たきり、気管切開・胃ろうと、医療ケア必須のゆいくんのディズニーデビューへの事前準備などを記事にしたいと思います※すみません今回も長くなってしまったので持ち物については次回※2018年5月現在の私調べのものです行かれる前にはご自身で再度確認をお願いしますまずはホテル予約パークから近く、お土産などをホテルまで運んでくれるので今回はディズニーホテルの1つディズニーランドホテルを予約宿泊翌日パーク開園15分
僕が分娩室に着いてからわずか30分程で娘は産まれた。吸引分娩、クリステレル分娩を何回もやって、やっとのことで産まれてきた。娘は息をしていなかった、、それどころか心臓も動いておらず全身真っ青だった。すぐに心臓マッサージ、人工呼吸の処置が行われたが娘は5分経っても蘇生しない。嫁さんは「私の赤ちゃんは?」と何度も聞いていたが「今処置してもらってるから大丈夫やで」としか言えなかった。ドクターもその時は大丈夫ですと、言っていたので僕もまだ大丈夫だと思っていた。娘が分娩室からNICUへ移って初めて
Official髭男dismさんの曲。今さっき紅白でも歌ってましたね。大好きなのです。大好きだけど苦しくなる曲。さえが旅立った頃Eテレのみんなのうたで流れていました。歌声も歌詞も沁みてみんなのうたでもYouTubeでも何度も聴いてました。この時期出掛けた先、スーパーでも遊園地でも流れていて耳にするたび立ち止まってしまっていました。今も大好きだけどいろいろ思い出して苦しくなる曲。四十九日までの間ほぼ毎日夜さえの祭壇の前でろうそくを灯してこの曲をYouTube
いいね!やコメントありがとうございます♡すごく嬉しいです♡こんな時間に更新ごめんなさい。何かしていないと落ち着かない状態でして…(眠れれば良いのですが…ちょっとそれも難しくて…)ちょっと気分転換兼ねて情報収集させてくださいいっちゃんの病院では、小児科病棟は24時間誰かが付き添いしていないといけません。付き添い入院中、問題になるのが「朝昼夜の食事」付き添いの人用のご飯はありませんお昼だけなら付添弁当というものも一応あるのですが…550円もするんですよねできるだけ
あれから一年。事故が起こった当初から今までを漢字でたとえると無我夢中。自責と後悔で目の前が真っ暗になったあの時。先の見えない不安の中餅男の為に少しでも出来ることがあれば迷いなく飛びついて思いつくものをとりあえずやってきた。リハビリ長期入院にてんかん治療。リハビリグッズに胃ろうからの健康的な食事。地元のリハビリやグループ活動。餅男を安全に預けられる場所の登録。入れる団体に所属してあらゆるイベントに参加。そんな中で築いてこれたのは人との繋がりだった。医