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はい!奈央です。平原遺跡にやってきました。三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡、そして、その後の王墓(女王墓)とされるのが平原遺跡なのです。王墓・女王墓の存在地続倭人伝HPよりお借りしました。伊都国歴史博物館に再現された平原遺跡1号墳の発掘当時の姿です。この王墓から出土した銅鏡は、直径が46.5cmの日本最大で伊勢神宮のご神体である八咫鏡(やたのかがみ)と同じとの説がある銅鏡も含めて同じサイズの鏡が4枚、そして、大型鏡(直径20㎝以上)6枚、中型鏡(直径20㎝以
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「魏志倭人伝」を読んで邪馬台国へたどり着こうと考える人は、必ずこの「一里問題(仮)」にぶつかります。例えば、書かれた行程をたどって九州島の末盧国(まつらこく)へ上陸したとします。次は、末盧国から500里のところに伊都国を探さなければなりません。さらに、伊都国(いとこく)から100里のところに奴国を……。その過程では、1里が何メートルかを決めなければ先に進めないのです。しかし、邪馬台国論争はすでに300年を超えましたが、この最も基本的な「一里問題(仮)」には明確な決着がついていません。「