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画像はネットからお借りしました。山南氏の割腹を弔て「春風に吹きさそはれて山桜ちりてそ人におしまるるかな」「吹風にしほまんよりは山桜ちりてあとなき花そいさまし」「皇のまもりともなれ黒髪のみたれたる世に死ぬる身なれは」「あめ風によしさらすともいとふへき常に涙の袖にしほれは」伊東甲子太郎山南敬介への弔歌新選組参謀・御陵衛士隊長の伊東甲子太郎の基本データです(^^)www4.plala.or.jp伊東による山南への弔歌か
150年前の本日は慶応3年3月12日。この日、カッシーと新井忠雄さんが、帰京致しました十二日、昼、淀川を船にて上京、同志に面会雑談。(九州行道中記)前日に大坂に着いたカッシーたち、この日に帰隊致しました。で、「同志」と話し合いをしたようですね。あの「涙の別れ」から、2ヶ月弱。きっとまた「涙の再会」だったのかもしれません一昨夜、昨夜と書いたように、この時既に「御陵衛士」を拝命していたのかどうか、私は微妙なところだと思うのです。カッシーはきっとこの
日本列島を襲う最強寒波が居座っています。新年の初詣以来、冬眠を余儀なくされていますが、そんな中、1月18日は久し振りによい天気でしたので、宇陀松山地区を訪れました。目的は、先日ブロ友Jさまの投稿記事の中に、慶応二年12月に新選組隊士、伊東甲子太郎と山崎丞の両名が宇陀に罷り来てタイトルの細川邸(現宇陀市歴史文化館「薬の館」)に宿泊した。という、記事に触発され、ミーハ-的ではありますが、もしかしたらその部屋にて幕末を感じることができるのではないだろうか初めて知った身近な歴史!ただ
読者のみなさまへいつも永倉のブログを読んでいただき誠に、誠に!ありがとうございます!先日、あるブロガーさんからメールをいただきました。その内容とは永倉さんのブログいつも楽し
■無名の剣豪「服部武雄」新選組ファンの間において、一番強いのは誰か?この問いに多くの人は、沖田・永倉・斎藤の三強の誰かを上げるのが通例だと思います。服部武雄?名前すらメジャーでは無い、この人物。ところが新選組隊内でも、一二を争う剣豪であったと伝わります。新選組緒士調役兼監察、撃剣師範を務め、新撰組で唯一二刀流を使った記述のある剣士です。その様な剣豪がなぜ?無名なのか?それは彼の生き様が関係しているのかも知れません。■剛腕の男服部武雄は1832年、播磨赤穂藩の服部覚平として