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仏、釈尊は「法華経」をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第六章の授記品をご説明します仏の大いなる願いは、どこまでもその教えを弘めて世の中の人を一人でも多く救うことです◎仏塔を建つとは(その1)つぎに大迦旃延(だいかせんねん)に対する授記が説かれる。大迦旃延も未来世において仏を供養し、諸仏の滅後に塔廟を建てて、金銀瑠璃などの七宝で飾り、瓔珞
自己変革『しなければならない』って苦しかったんだっていう人がいた誰?あなたを追い詰めたの成長しなければならない、って子供は思わない勝手に成長していくそれも、嬉々として。そうでなくとも大人は目の前に沢山の自己変革を迫られるものがあってそれに対処するだけで充分じゃんって思う自己変革ってのは・人のせいにしないこと・自立すること・全ての人が犠牲にならないように・つまり、全ての人が幸福になるようにそういう考えで生きることその度合いが今の状態からどんどん増えていくこ
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一周忌を迎えられる親愛なる同志(とも)とのことを思い返し、はじめて電話で会話したある日、私が彼女に「教学がさっぱりで、どう学んでいけばいいのか、変な話、教学のことよりも、どうやって学ぶかを学びたいくらい悩んでいます。それから、学会の活動のことも、いろいろとタイミングが悪く、何も知らないまま独りになっちゃったから、皆さんが、どう活動されているのか。私は、他の人と活動をしたことがほとんどないから手探りでやってきて、はたして、これでいいのかも自信が持てないし、分からないことだらけ」と言うと、彼女は
先日久しぶりに伊勢神宮に参詣した。江戸時代などには、一生に一度はお伊勢参りすることが庶民の憧れであったというが、これだけ交通網が発達して簡単に行ける時代になっても、やはり神宮に詣でる前には少し身構える気持ちが起こる。思いおこせば、小学校の修学旅行の行き先は伊勢であった。伊勢神宮や二見ヶ浦の夫婦岩を回った後、ミキモトパールアイランドなどにも行ったと記憶している。今でも神戸市の小学校の修学旅行の行き先は伊勢志摩が主流なのだろうか。やはり日本人として、伊勢神宮に詣でることは、大げさに言えばひとつの必